5. まだその日が来ないうちに
中学二年生になった雲雀くんは、また少し背が伸びた。
私を見下ろせるようになると、得意げに笑って「創って小さいな」と煽ってくる。そういうところはまだ、少し子供っぽい。
それでも、彼の変化は明らかだった。
最近は毎日学校に通っている。
小学校の頃引きこもりだったとは思えないほどの成長っぷりだ。
私や都さんが強制したわけではない。
自分の意志で、だ。
それに、友達も増えたらしい。
佐山先生以外に、名前の知らないクラスメイトの話題もよく出るようになった。
家にいる時間は減った。それを、寂しいとは思わない。
けれど、少しだけ空気が変わった気がした。
今日はなんと佐山家に泊まりに行ったのだ。
私がこの家に来てから三年間、一度も友達の家に泊まるなどしたことがなかった雲雀くんが、初めてお友達のお家でお泊まり会をしたのだ。
都さんはすごく喜んでおり、喜びすぎて雲雀くんに「母さん、うざい」と怒られていた。
もしかしたら雲雀君は思春期に入ったのかもしれない。
そのため今夜は、私と都さんの二人きりの夕食となった。
「珍しいわよね〜。あの子がお友達のおうちに泊まるなんて。すごく仲良くなったのね、佐山くんと。」
都さんは嬉しそうに笑った。
「雲雀くん、お友達がたくさんできましたよ。三年前、引きこもり少年だったとは到底思えません。」
「ふふ、それもこれも創のおかげね。本当にありがとう」
「……いえ、そんな。私はただ、与えられた役目を果たしているだけです。」
そう答えると、都さんは急にいたずらっぽい顔でこちらを覗き込んだ。
「ねぇ、そうだ創。明日、おでかけしない? 雲雀、明日の夜まで帰ってこないし。」
「……お出かけ、ですか?」
都さんは基本的に仕事で家にいない。都さんは会社の社長さんでありいつも忙しなくしている。そのため、私と一緒に過ごす時間など、片手で数えるほどしかなかった。
「別に、構いませんが。」
「やったー! じゃあ決まりね!」
都さんは少女のようにはしゃぎ、笑った。
翌日、私たちは都内のショッピングモールへ出かけた。話題の映画を観て、季節ものの服を見て回り、時折、都さんが私の服を選ぼうとする。
「これ、絶対似合うと思うのよね〜。ほら、ちょっと試着してみて?」
「……私は別に服装にこだわりは」
「いいのいいの! 女の子なんだから、たまには遊びましょ!」
ああ、これが"遊び"か。
私はプログラムされていない行動に、どこか戸惑いながらも従った。
そして、夕暮れ。
ベンチに座り、手にしたアイスクリームを口に運んだとき、都さんが言った。
「……ああ、楽しかった。実は前から、創とこんなふうに遊んでみたかったのよ」
「……?」
「私にとって、創は、あの日創を拾ったあの日から……もう一人の娘みたいな存在だから。仕事が忙しくて、なかなか構ってあげられなくてごめんなさいね。」
——む、すめ。
その言葉が喉の奥でつかえた。
娘。
そんなふうに思われる資格は、私にはない。
私は貴女の、大切な息子の命を狙う存在だ。
楽しかった思い出が、沈んでいく。知っている。未来に彼女はいない。
来栖都は彼が大量虐殺を起こしたトリガーとされている。
私の所属している機関の情報によると彼女は来栖雲雀にとって精神的に支柱であり、過去に行く際に要注意人物としてマークされていた。
だからあえて来栖雲雀からアプローチするのではなく来栖都に自分の存在を見つけさせ、拾ってもらったのだ。
それは来栖都の人となりを知るため。
打算的であった。
でも今ではこの人には嘘をつきたくないとさえ思えてしまうほど絆されてしまった。
だがしかしこの笑顔も、この無邪気な言葉も、やがて失われる。
未来がわかっていて、何もできない。
それが、任務だから。
未来は変えてはいけない。
幾度となく機関から言われた言葉だ。
「……どうしたの? 創?」
都さんが不思議そうに首を傾げる。
私は、言葉を返さなかった。
できなかった。
今日は、たしかに楽しかった。でも、それ以上に——苦しかった。
未来にいない存在と触れ合うたびに、プログラムでは処理できない何かが、胸の中でざらつく。この痛みは以前佐山家の人たちと過ごした時に感じたものと同じであった。
それは、心と呼ばれるものなのだろうか。
作られた私に正解などわからないが。
「……都さん。」
「なに?」
「……今日は、ありがとうございました。」
精一杯、絞り出したその言葉に、都さんは満足そうに笑った。
その笑顔を、私は忘れない。いや、忘れてはいけない。
その日が来るまで。その日が来てしまったとき、私は——それでも自分を許せるのだろうか。
いや、許す必要はない。私は暗殺者。来栖雲雀を殺すための存在。
——なのに、どうして、こんなに胸が苦しいのだろうか。わからない。きっとわかってしまったらもう戻れない気がするから。