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4. 賑やかな夕食


土曜日の午後

買い物袋を下げて帰る途中で、見覚えのある顔に出会った。


「創さん、こんにちはー!」


あの、明るくて人懐っこい声。

振り返ると、そこには佐山くんがいた。

隣には、小学生くらいの子供が2、3人。弟妹たちのようだ。


「偶然ですね。お買い物の帰りですか?」


屈託のない笑顔でそう言う彼を見て、思わず少し笑みがこぼれる。──ああ、この笑顔、私は好きだった。この子はまだ“佐山先生”ではないけど、その面影は確かにある。


「はい。でも今日の買い物は、いつもとちょっと違っていて……」


私は軽く袋を揺らしながら、話す。


「実は数日間、都さんと雲雀君が旅行で不在なんです。その間は“好きなものを食べていい”と許可が出たので……これは、自分用のご飯なんですよ。」

「へぇ~! そっか、ってことは……創さんって今、一人飯ってことですか?」

「はい。まあ、そんな感じですね。」

その瞬間、彼の目がぱっと輝いた。


「だったらっ! 一緒にご飯食べませんか!? 

うち、無駄に人数多いし、1人増えたくらい全然平気です! 創さんが嫌じゃなければ!」


あまりにも自然な誘い方に、私は少し驚いた。

まさか、佐山先生の……いえ、佐山くんのお家に、お呼ばれすることになるなんて。


「それなら……お言葉に甘えて。よろしければ、私が料理を作りますよ。」

「え、ほんとですか!? それチビたち大喜びですよ!! 創さんや雲雀の話、いつも聞かせてるんですよー! “会ってみたい!”ってうるさくて!」

そう言いながら、彼の弟妹たちがぴょこぴょこと近寄ってくる。


「この人だれー?」

「この人は“雲雀のメイドさん”だぞ。いわゆるお世話係のお姉さんだよ。」

「創さん!? おにいから聞いたことある!! 料理がめちゃくちゃ上手なんでしょ!」

「俺も聞いた! めっちゃ強いんだよね!? 戦闘力マジでヤバいんでしょ!」


……ちょっと変な伝わり方をしている気がするけれど、まあ、今さら気にしても仕方ない。


「こらこら、お前ら! 創さんに迷惑かけるなって! ……すみません、創さん。チビたち、うるさくて……」


申し訳なさそうに頭を下げる佐山くんに、私は首を横に振った。

「いえ、全然。賑やかで楽しいですね。私も、みなさんとお話ししたいです」

「……ほんと、ありがとうございます。助かります。」

 

──こうして私は、思いがけず佐山家で夜ご飯を食べることになった。


***


佐山君の家に着いて、まず目に飛び込んできたのは、こじんまりとした、けれど手入れの行き届いた一軒家だった。


「ただいま〜!」

玄関を開けると同時に、どたどたと足音が響く。元気な子どもたちが走ってくる音だ。


「お兄、おかえりなさい!」


ぱっと目を輝かせながら飛び出してきたのは、佐山君の弟妹たちだった。3人……いずれも、彼にどこか似ている。


「お兄、そのお姉さんだーれ?」

「え? あー……友達、っていうか……んー、何て言えばいいんだろ、使用人さん? メイドさん? かな。」

少し照れたように佐山君が説明すると、兄弟の中の1人が、目をきらきらと輝かせて私を見つめた。


「もしかして……メイドの創さん!? お兄ちゃんがよく言ってた人だ!!」

「すごい可愛い! とっても綺麗な人だね!」


純粋な子どもの言葉に、少しだけ胸が温かくなる。

こんなふうに、誰かにまっすぐ見つめられて、褒められることなんて、どれほどぶりだろう。


「ありがとうございます。……お嬢さん、お名前は?」

「私は次女の梅! よろしくね、創さん!」

元気のいい声と一緒に差し出された手。

にこにことした笑顔は、彼──佐山君によく似ていた。

 

「……あら〜、お客さんが来るって聞いてたけど……まぁまぁ、可愛らしいお客さんね〜」


奥の部屋から、ふわりと現れた女性。

やさしい声と雰囲気。佐山君のお母様だとすぐにわかった。

「創ちゃんっていうの? 威人の母です〜。いつも息子がお世話になっております。」

 

──不意に、時間が止まったような気がした。

この人は……未来にはもう、いない。

佐山先生には家族がいなかった。

それは、来栖雲雀の暴走によってヒューズが世界を掌握し、多くの人が命を奪われたから。

──その中に、彼の家族も含まれていた。けれど今は……こうして、生きて、笑って、目の前にいる。


「はじめまして。来栖家でお世話になっております、淡路創と申します。本日はお招きいただきありがとうございます。夕食の準備、ぜひお手伝いさせてください。」

私は礼儀正しく頭を下げる。自然とそうしていた。


「あらまぁ、ご丁寧に……ありがとねぇ。でもそんな堅苦しくしなくていいのよ〜? 一人増えたところで、たいして変わらないから〜」


佐山君のお母様と私は、台所で並んで夕食の準備を始めた。

包丁の音が心地よく響く。


「……あの子ね、創ちゃんや雲雀君の話、いっつもするのよ。」


手を動かしながら、お母様はぽつりぽつりと語り始める。


「威人って妙にしっかりしてるでしょ? 友達はいるけど、どこか“深く”まではいかなくてね……。でも中学に入ってすぐ、“面白い子に会った!”ってすごく嬉しそうだったの。」

「……雲雀君のことですね。」

「そう。雲雀君と友達になってから、あの子、変わったのよ。お兄ちゃんの顔じゃなくて、年相応の顔を見せるようになったの。」


私の手が止まりかける。


「うちはね、母子家庭だから、どうしても威人に頼りきっちゃって……気づいたら、あの子、大人びちゃってた。でもね、創ちゃん。あなたのおかげで、あの子は変われたの」


「……私、ですか?」


「ええ。だって、雲雀君を外に出してくれたのは、創ちゃんのおかげなんでしょう? 威人から聞いたわ。“創さんがいてくれたから、雲雀に出会えた”って。……ありがとうね。」


心の中で、何かが軋んだ。


──違う。

私はそんな立派なことをしたわけじゃない。雲雀君に近づいたのは、“暗殺対象として観察するため”。信頼を得ようとしたのは、“警戒を解かせるため”。打算ばかりの行動だった。

優しさなんて、これっぽっちもなかった。


ーなのに


「……感謝されるようなことなんて、何もしていません。」


思わず口から漏れた本音に、お母様は首をかしげた。


「ふふ、謙遜がすぎるわよ、創ちゃん。」


その笑顔に、罪悪感がじわりとにじむ。

だけど──それでも。この家のぬくもりが、うらやましいと思ってしまったのは、事実だった。

 

***


夕飯が出来上がった。湯気の立ちのぼる鍋から、豚しゃぶの香ばしい匂いが食卓を包みこむ。


「うっわ! 美味そう!! いただきまーす!!」


佐山の弟たちが元気よく箸を伸ばし、鍋の具材を次々に取り分けていく。その活気に満ちた様子を、私はただ静かに眺めていた。

大人数で食卓を囲むこと——それは、私にとって生まれて初めての体験だった。

話題は尽きなかった。佐山母の職場でのちょっとした失敗談、末の弟の学校での騒動、次兄の片想いの相手の話。どれもくだらなくて、けれど妙に面白く、あたたかかった。


笑い合う声。

冗談を言い合いながら箸を伸ばす家族の姿。


私は、笑っていた。……ように見せていた。

けれど、胸の奥では確かに別の感情が疼いていた。


——この人たちは、未来にはいない。

救えるのは私しかいない。この温かな日常を守るために、私はここにいる。来栖雲雀を殺せば、彼らは死なずに済む。


湯気の向こうで笑う佐山家の人々の顔が、ひどく遠くに思えた。突如として襲ってくる、どうしようもない現実の冷たさが、私の背筋を撫でていく。



夕食が終わり、食卓の空気が落ち着いた頃。佐山君がふと、私の方を見て口を開いた。


「……あの、創さん。言いたくなかったらいいんですけど……創さんのご両親って、どんな人だったんですか?」


私は驚いた。なぜ、そんなことを聞くのか。


「さっき、ご飯食べてる時。なんか、懐かしそうで……でも、ちょっと悲しそうな顔してたから。もしかして、関係あるのかなって。気になってしまって。」


さらに驚いた。

私の表情管理は完璧なはずだった。意図しなければ、感情は簡単には顔に出ないように作られている。

それでも彼は気づいたのか。


「……察していらっしゃるかもしれませんが、私の両親はもう亡くなっています。」


私はゆっくりと口を開いた。もう隠す理由もないような気がしていた。


「……と言っても、父親と呼べるような人しかいませんでした。血は繋がっていません。でも、今思えば、あの人は……父でした。」


佐山は黙って頷く。


「食卓を囲んだのは、その人が亡くなる一日前に一度だけ。珍しく、ご飯を一緒に食べようと誘ってくれて。レーションの、あまり美味しくない食事でした。でも、あの人はとても嬉しそうな顔をしていたんです。」


ふと、記憶の中のその笑顔が浮かんだ。無表情な私に、「一緒に食べよう」と手を差し出してくれた唯一の人。


「……今日は、そのことを思い出してしまいました。楽しかったのに、すみません。不快にさせてしまいましたか?」


そう言うと、佐山は力強く首を振った。


「いえ! 違います! むしろ……話してくれて嬉しかったです。創さんのこと、もっと知れた気がする。……それに、なんかこう……あったかくて。」

「……あたたかい?」

「うん。創さん、ミステリアスだからさ。前に雲雀もぼやいてたんですよ。『創は俺のこといろいろ聞くくせに、自分の話は全然しない』って。ちょっと拗ねてました。」

「……雲雀くんが?」


不思議だった。

なぜそんなことで拗ねるのか。

話す必要のない情報は省く、それは私にとって合理的な判断だった。

けれど今、それが少しだけ違って見える。


「雲雀くん、私のことを知りたいと思ってるんでしょうか。」

「うん、たぶん。それも、すっごく。……創さんがどんな人間なのか、自分とどう違うのか、どうして自分を見てるのか。それが知りたいんだと思いますよ。」


佐山くんのその言葉に、私は一瞬だけ沈黙した。

暗殺において、ターゲットに自分を知られる必要などない。

むしろ、知識も感情も、抹消すべき情報のはずだ。

でも——。


「……もし今度、雲雀くんに聞かれたら。少しくらい話しましょうかね。雲雀君は拗ねるとめんどくさいので。」

「え? 本当ですか!?」

「……今日のことを、話すのも悪くないかもしれません。佐山家のことを話したら、きっと雲雀くんは羨ましがるでしょうから。」

「うわ、それ……あいつ絶対にふてくされるやつだ。」


そう言って佐山くんが笑った。

私も、ほんの少しだけ口元が緩むのを自覚した。

私は今、この時、確かに笑ったのだと。

自分の意思で。


そしてふと、思い浮かべてしまった。


都さんなら、私が他の人と関わっていると聞いたら、どんな顔をするだろうか。

たぶん、あの優しい目を細めて、「よかった」と言ってくれる。


……私は誰のために来たのだろう。未来のため? 使命のため? それとも——。


もう少しだけ、この日常のぬくもりに触れていたい。そう思ってしまった自分に、少しだけ驚いた。

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