27. 疑惑と駆け引き
あの日、相葉さんに言われた言葉がずっと頭を巡っている。
言って後悔するか、言わずに後悔するか、か。
このまま、今の距離感でいられたら、それが一番いいと思っていた。
でも相葉さんの話を聞いてから、何かが変わった。
このままだったら、俺の気持ちは誰にも知られないまま終わる。
それなら――
振られて終わった方が、まだマシだ。
俺のことを、少しでも考えてくれた。そんな記憶が残る方が、きっといい。
創さんのことだから、きっとはっきり断るだろう。
でも、それでもいい。
俺はようやく、決意した。
文化祭の日に、創さんに告白しよう。
日を決めなきゃ、たぶん一生言えない気がする。それまでは、自分の中のもう一つの疑問に向き合う。
彼女は、ずっと何かを隠してる。
雲雀にさえも。
俺は今まで見て見ぬ振りをしてきた。
けどもう、できない。
その理由を、彼女の“本当”を、知りたい。
*
「お邪魔しますー。……あれ? 雲雀、創さんは?」
「リビングにいないなら夕飯の買い出しだろうな。商店街の方に行ってると思う。なんかあいつに用?」
「うん、まあ、そんな感じ。教えてくれてありがと。じゃ、俺行くわ」
「えっ、おい、もう帰んの?」
「今日は雲雀に用はないからー!」
「……正直に言いすぎだろ」
雲雀の呆れ声を背中で聞きながら、俺は玄関を出る。
早歩きで、夕暮れの商店街へと向かった。
*
商店街に着いてすぐ、彼女の姿は目に入った。
綺麗な髪を後ろに編み上げて、端正なメイド服を着た少女。両手に大きな買い物袋を提げて、ゆったりと歩いていた。
あれ、絶対重いだろ。
でも、彼女にとっては、きっと……重くないんだろうな。
「創さん!」
思わず駆け寄る。彼女が振り返った。
「……あら。佐山くん。偶然ですね。こんなところで会うなんて」
いつも通り、落ち着いた口調。笑みさえ浮かべている。
「……実は偶然じゃなくて。雲雀に聞いたんです。創さんに、話したいことがあって」
「そうなんですね。お話なら、聞きますよ。ちょうど買いたいものも全部そろいましたから」
くいっと、満杯になった袋を俺に見せる。
「……一個持ちますよ」
「本当ですか? では、お言葉に甘えて」
片方の袋を手渡される。ズシッと手に重さがのしかかった。重すぎる。やっぱり、普通の女性が持てる荷物量じゃない。
歩き出す彼女の横に並びながら、俺は言った。
「……創さん、ちょっと長くなるかもなんで。公園、寄ってもいいですか?」
「? ええ。構いませんよ」
少し不思議そうな顔をしながらも、彼女はついてきてくれた。
公園に着くと、ベンチに並んで座る。
風が揺らす葉の音と、カラスの声が、やけに静かに響く。
創が口を開いた。
「それで……なんですか? お話って」
俺は、まっすぐ前を向いたまま、言葉を絞り出した。
「創さん……」
「はい」
本当はこんなこと言いたくない。でも、確かめずにはいられなかった。
本当の貴方を知りたい。
ぎゅっと目をつぶり、覚悟を決める。
「創さんの……髪の毛、一本、もらえますか?」
……沈黙。
カァ……カァ……と遠くでカラスが鳴いている。
彼女の返事が聞こえるまで、ずいぶん時間がかかった気がした。
「……普通に、嫌です」
彼女は言った。静かに、しかし、明確に。
「佐山くん、それは失礼な発言ですよ。……それと。貴方が期待しているような結果は、得られないと思います」
言葉はいつも通り丁寧なのに、目は合わない。
「……何を考えているのかは、だいたい、分かります」
彼女は、こちらを見ようとしなかった。
「それで……雲雀は騙せても、俺は騙されませんよ。創さん」
その言葉に、彼女の肩が、ピクリと揺れた。
それから、彼女はほんのわずかだけ、口を引き結んだ。
さっきまでと同じ顔。でも、そこに張り詰めた緊張が走っていた。
──初めて見た。強張った、彼女の“素”の表情。
こんな顔もするのか――
俺は驚いた。
創さんの表情は、明らかに強張っていた。それは、これまで一度も見たことがない“素”の彼女だった。
怯え、歪んで、取り繕う余裕すらない。
あと、もう一押し。
「……阿佐美に、聞きましたよ。創さんが、未来人だって」
その瞬間だった。
彼女の表情が一変した。
仮面が――落ちた。
目を見開き、息を詰め、口が微かに震えていた。この瞬間、俺は確信した。俺の中にあった“疑念”は、完全に“確信”へと変わった。
「……う、うそ」
「……はい、嘘ですよ」
俺はあっさり言い切った。
阿佐美くんきに聞いたと言うのははったりだ。創さんと阿佐美くんは仲が悪い。
だからこそ、情報を漏らしたって言えば、きっと創さんは一瞬でも動揺すると、そう思ってた。どうやら予想通り罠にかかってくれた。
しばらく沈黙が続いた。
創さんは目を閉じて、ふーっと長く息を吐く。
「……私の負けですね。佐山くん、何が聞きたいんですか?」
「……自分が、未来から来たってこと。認めるんですか?」
小さく、間があった。
「……認めますよ。というか、もう貴方の中では確信になっている。流石と言うべきですか。……心理戦は、人間には勝てませんね」
言いながら、彼女は少し寂しそうに笑った。
どこか他人事のように――まるで自分が“人間ではない”と前提にしているような口ぶりだった。
「やっぱり、未来人なんですね。それに、人間じゃ、ない」
「はい。私は“人間を模範して作られた存在”です。生物的には、人間とは言えません」
俺はごくりと喉を鳴らした。
「……いつから気づいてたんですか?」
「確信を持ったのは、ほんの最近です。でも、疑ってたのは……最初からですね」
ベンチの手すりを見つめながら、俺はゆっくり言った。
「最初は……不気味だと思ってました。雲雀のそばにいる、なんでもできる使用人。
感情の起伏が乏しくて、完璧すぎる動作。中学生の時の俺には、ちょっと……怖かった」
創は静かに目を伏せた。
「ひどいですね」
「……でも、同時に、目が離せなかった。不気味なのに、気になって仕方なかった」
そして続ける。
「……夏なのに、ほとんど外に出なかったのも変だった。その時はピンと来なかったけど、今なら分かります。……創さん、汗かかないんですよね?」
「はい。その通りです。私達に、発汗機能はありません」
「あと、笑い方も、どこか不自然だった。無理して感情を模倣してるような……そんな印象を、ずっと持ってました」
「……なるほど。確かに、あの頃の私は、まだ“演技”が下手でしたから」
「でも、中三のとき……」
俺はゆっくり口を開く。
「創さん、俺に言ってくれたんですよ。“何も諦める必要はない”って。あの言葉が、当時の俺には――すごく、嬉しかったんです」
創さんは黙って、俺の言葉を聞いている。
「……あの時の創さんは、人間らしくて。あぁ、この人って、こんなにあったかい人だったんだなって……。それまでの“違和感”が、勘違いだったんだって思って……。それ以来、貴方のこと、疑わなくなりました」
創は目を伏せたまま、小さくまばたきをする。表情は穏やかだけれど、どこか寂しそうにも見える。
「でも、再び疑い始めたのは――阿佐美くんが現れたときです」
創の瞳が、わずかに揺れた。
「普段あまり感情を出さない創さんが、阿佐美くんにだけは……明らかに異様な反応をしていた。その時、思ったんです。
『この2人、ただの顔見知りじゃない。何か、深い関係があるんじゃないか』って」
創さんは軽くため息をついた。
「……阿佐美秀のせいで、私は墓穴を掘ったわけですね」
「それだけじゃありません。雲雀が教えてくれました。阿佐美くんは、“人間じゃない”って。彼の髪から、“ヒューズ細胞”が検出されたことを……」
創のまぶたが、ほんの少しだけ閉じられる。
「……それを聞いて、彼が未来人であることは確信に変わりました。そして、貴方も――人間ではないんだと、結論づけました」
俺はゆっくりと息を吸い、吐いた。
「ようやく、長年抱えてきた違和感の正体が、分かったんです」
創は少しだけ口元を緩める。
「……なるほど。やはり、貴方は侮れませんね」
それは、諦めとも、感心とも取れるような――困ったような笑みだった。
静かに、風が吹いた。ベンチの足元に落ちた木の葉が、ひらりと揺れる。
「……聞きたいことは、たくさんあります。でも、その中でも……これだけは、どうしても聞いておきたくて」
創は、ゆっくりと俺に視線を戻す。
「……なんでしょう?」
俺は息を止め、まっすぐに彼女を見つめる。
「雲雀には……このこと、話さないんですか?」
俺がそう問うと、創はハッとしたようにわずかに眉を動かした。
「創さんにとって、雲雀はもう“ただの世話をする対象”なんかじゃないでしょう。あの屋敷で――2人きりの、家族じゃないですか。」
創は何も言わず、ただ唇を結んだままだった。
「俺、ずっと疑問だったんです。創さんが未来人だと確信を得た日から、ずっと。……なんで、雲雀にだけは言わないんだろうって。貴方が一番信頼しているのは、雲雀なはずなのに」
返事はなかった。
でも、その沈黙が、答えよりも雄弁だった。
「言ったとしても……俺は、雲雀の気持ちは変わらないと思いますよ。どんなに酷い裏切りだろうと、雲雀は――きっと、創さんを受け入れてくれる」
その瞬間だった。
彼女の表情が、苦痛に歪んだ。
まるで、罪を告白する直前の、裁かれることを覚悟した罪人のような。
「――いえるわけ、ないじゃないですか!!」
創さんが、叫んだ。
……初めてだった。あの創さんが、大声を出したのは。
たぶん、雲雀でさえ聞いたことがない声だった。
その声は、震えていた。怒りと、恐怖と、悲しみに。
「私は……知っていたんですよ!? 都さんが――あの日、亡くなることを……!!」
吐き捨てるように言った彼女の声は、すでに涙に濡れていた。
「知ってて……っ、見殺しにしたんです……!!それが、私の“任務”だったから。
あの日、“絶対に介入してはならない”と教えられていたから...!」
俺は何も言えず、ただ創さんの言葉を受け止めるしかなかった。
「そんな私のことを……知ったら……雲雀くんは、きっと傷つく。壊れてしまう……!私は、もう――これ以上、彼に傷ついてほしくないんです……!幸せでいてほしい。それが、都さんに“任された”私の役目なんです……!」
創は、膝に顔を埋めるようにして、嗚咽を漏らした。
その姿は――
いつもの冷静沈着な彼女ではなかった。
仮面を脱ぎ捨てたその人は、まるで叱られるのを恐れる子供のようで。
その肩は小さく震え、声はか細く、
そして……ただの“少女”にしか見えなかった。
「創さんは……罪悪感を感じているんですね」
俺がそう言うと、彼女の眉が微かに動いた。
「なら、言って――楽になりましょうよ」
静かな言葉だった。けれど、俺の中ではずっと、くすぶり続けていた想いだった。
「最近、人から教えてもらった言葉があるんです。“言って後悔するか、言わずに後悔するか”……今の貴方は、どっちの方がいいと思いますか?」
しばらく沈黙があった。やがて、ぽつりと創が言う。
「……前者に決まってます。私にとって、“言って後悔する”ほうが、“言えなかった”ときよりも、ずっと……ずっと辛いから」
「なら……それが“人づて”で、雲雀に知られてしまったら?」
俺は少し声を強める。
「阿佐美くんがいつ貴方を裏切って、雲雀にそのことを言うのか。そんな保証、どこにもないですよ」
創は目を伏せ、震える指先で自分の袖をつかんだ。
……やがて、小さくうなずいた。
「……確かに、その通りですね」
「だから、その……告白しましょう。創さんから、ちゃんと、自分の言葉で」
「……告白?」
「はい。日を決めて、蹴りをつけて、全部話しましょう。俺は――罪悪感で潰れていく創さんなんて、見たくない。
貴方には、心から笑っていてほしいから」
それは、俺の願いだった。
どうか今だけは、俺の言葉だけを見てほしい。
俺の想いに、気づいてほしい。
――その時だった。
創さんと、その日初めて、目が合ったような気がした。
その目には、はっきりと俺の姿が映っていた。
「……俺も、代わりと言ってはなんですが――“告白”します。ずっと言えなかったことを、後悔しないように、ある人に伝えます」
「佐山くんも……?」
「はい! 二人一緒なら、勇気も……2倍ですよ!!」
そう言って、俺が思い切って笑ってみせると
創さんは、ゆるく微笑んだ。
優しくて、あたたかくて、だけどどこか切なさを含んだ、彼女らしい笑顔だった。
「……ははっ、本当、佐山くんってば面白いね」
「――は、はじめさん口調⁈」
俺が思わず突っ込むと、彼女は少し照れたように頬をかすかに赤らめて、言った。
「未来で、友達と話す時は、いつもこの口調だったんです。もう、変な演技をする必要も……ないでしょ?」
――そう言った創の声は、まるで、過去の殻を一つ脱ぎ捨てたような、晴れやかな響きをしていた。




