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25. 平和な日常

佐山先生が「親愛」を、都さんが「悲しみ」を教えてくれたのなら、彼女は私に「友情」を教えてくれたような気がしている。


今でも、ふと思い出す。

寝る前に彼女が歌っていた、あの旋律を。


歌うことは、思っていたより楽しかった。生きているうちに、一度くらい一緒に歌っておけばよかった

そんなふうに、少しだけ後悔している。


最初は音程もリズムもバラバラで、うまく歌えなかった。

でも来栖家での仕事の合間にこっそり練習して、今では……少しだけ、彼女に近づけたような気がする。


映画のエンディング曲が流れたとき、まるで彼女がそこにいて歌っているように聞こえて、嬉しかった。


「音楽、すごく良かったよね!! 俺、最後の曲めっちゃ好きだったなー!!」


佐山が楽しそうに言うと、隣にいた雲雀が首を傾げた。


「……ああ。あの曲、どっかで聴いたことある気がするけど……気のせいか?」


ふたりは並んで歩きながら、和やかに映画の感想を語り合っていた。


「エンディング曲、サブスク配信されてないかな? 検索してみよ。」


立ち止まり、佐山がスマホを取り出して操作しようとしたそのとき——

突然、画面の上から影が差し込んだ。


「まだ配信されてねーよ。あれは劇場でしか聴

けねー曲だからな。」


静かな声。

振り返ると、そこには阿佐美秀が立っていた。


「阿佐美くん?! 映画観に来てたんだ?」

「……あー、まあ。そんな感じ。ずっと楽しみにしてたんだよね、この映画。」


いつも通りの軽い口調で阿佐美は言った。


「意外だな。お前が公開初日に来るほど、映画好きだったなんて。」

「この映画は特別なんだよ。内容とかは……正直どうでもいいんだけどさ。」

「……?」

「曲が好きだから。」


そう言ったときの阿佐美の目は、どこか遠くを見ているようだった。



阿佐美と別れたあと、すぐに佐山くんとも解散した。


「また誘ってくださいね!!」


そう言って、ぶんぶんと手を振りながら笑顔で帰っていった。ああいうところは、変わらない。軽くて、明るい。


「はー……久しぶりに外を歩いたから疲れた。」

「たまには運動をしてください。良い機会だったでしょう。」

「暑すぎるのが良くないだよ。」

『それもそうですね。今年は、いつにも増して気温が高いですから。」


雲雀くんとの他愛ない会話。こうして2人だけで話すのは久しぶりのように感じた。毎日一緒にいるのに変な感じだ。


「なぁ。」

「……なんですか?」

「今度外に遊びに出かけたくなったらさ。俺だけ誘えよ。」

「……はあ。なんでですか?」

「それか、今日みたいに3人で行くか、どっちかだ。佐山と2人きりで行くなんてこと、すんなよ。」

「……まだそのことで拗ねてるんですか?」

「拗ねてねーよ。」

「ほんと、そういうところは子どもっぽいですね。雲雀くんが知らないところで、私がどなたかと遊びに出かけるなんてことはないですよ。……大きな子供のお守りで忙しいので。」


「へー、そうですか。」


それから少し静かな時間が流れる。

家にもう少しで着きそうなとき、雲雀くんは口を開いた。


「なぁ、創。」

「……なんですか。」


「阿佐美が人間じゃないって言ったら、お前、驚くか?」


一瞬、足が止まりかけた。

なぜそのことを知っている?


私の反応を、彼はじっと見つめている。


「そうなんですね、としか言いようがありません。……根拠は?」

「……あいつの髪の毛を鑑定した。」

「……それ、普通に倫理に反しません?」

「うるせぇ。……それで、わかったんだよ。あいつが本物の未来人だって認めるしかなくなった。まだ実証段階に進んでないヒューズ細胞が、その髪に使われてる。」


驚いた様子の彼に対し、私はただ一言だけ返す。


「それはそれは。」


「……なぁ、創。」


「はい。」


「お前の髪、一本くれって言ったら、くれるか?」


「……普通に嫌です。それに、貴方が期待しているような結果は得られないと思いますよ。何を考えているのか、大体わかります。」

「……そう、だよな。……変なこと言って、ごめんな。」

「別にいいですよ。……私、優しいので。」


冷静に返しながら、私は内心、焦っていた。


——彼は、私が未来人であることを疑っている。


どこで?

どこでそんな疑いを持たれてしまったのだ?思考を巡らせる。必死に、答えを探す。


……もしかしたら、あの歌のせいかもしれない。私が、たまに鼻歌で口ずさんでいた、莉子が歌っていた曲。


未来には存在しても、今の時代では今日世間に公表されたばかりの最新曲。


それが、彼の記憶のどこかに引っかかってしまったのだとしたら——


私は、重大な“痕跡”を残してしまっていた。

リコの歌っていた曲が何に使われていたものかなど考えたことも無かった。

実際に今回のように雲雀くんに疑われてしまう事態に陥ってしまったのだから、気をつけなければ。


同じ未来人でも、阿佐美と私は明確に立場が異なる。

彼は「未来から来た」と言っても問題にならない。

たとえ世間に公表しても、失うものは何もない。

むしろ“未来から来た少年”という肩書きが、彼にとっては都合がいいくらいだ。


でも、私は違う。絶対に、バレてはいけない。


その理由は――都さんの死だ。


私は事故のことを、雲雀くんが15歳のときに都さんが死ぬ未来を知っていた。

……助けたいと思った。何度も。けれど、それは許されない。


未来を変えることは、重大な禁忌。


一度変えればもう2度と元の世界線には戻れない。それが雲雀くんにとって大きい影響を与えることであればあるほど。

それを破れば、私の存在は否定され、雲雀くんの隣にはいられなくなる。


だから、何があっても隠し通す。この秘密だけは、バレるわけにはいかない。


──


家に帰ると、すぐにエアコンのスイッチを入れた。外はあまりにも暑すぎた。

雲雀くんは無言で部屋着に着替え、ソファに横たわる。


「……阿佐美の話に戻るんだけどさ。お前、なんであいつと仲悪いんだ?」

「そんなもの、私が聞きたいくらいです。……一方的に嫌われてるだけですよ。」

「へぇ。」

「私は自分のことが嫌いな奴が嫌いなので、阿佐美秀は嫌いです。」

「……創って、阿佐美いないときはフルネームで呼ぶんだな。」

「仲がいいと思われたくないので。」


それを聞いた雲雀くんが、ふっと笑う。

珍しい。

彼の口からこぼれる笑い声は、静かで、あたたかくて、どこか切ない。


「珍しいな。……そんな感情的になるなんて。ちょっと、阿佐美が羨ましい。」

「……羨ましがらないでください。確かに、私が嫌いな人間なんて阿佐美秀くらいですね。彼の発言は、いちいち勘に触るんです。」


「……なぁ、創。」


「……なんですか?」


「いつか、お前の昔の話聞かせてくれよ。」


彼は、視線を逸らすことなく真っすぐにそう言った。


「うざかったやつの話とか、友だちの話とか、……なんだっていい。お前の話なら、なんだって聞きたいから。」


それは、以前の彼なら絶対に言わなかったことだ。もしかしたらずっと前から気になっていたのかもしれない。でも、私が言いそうにないことを、彼なりに察して黙っていた。

そういうところが、本当に優しい。


人に興味がないようでいて、自分の近くの人のことは誰よりも大切にする。

その優しさが――リコに似ている。


まぁ、当然か。

雲雀くんがリコの大元なのだから。


沈黙が一瞬、心を満たした。


そして彼が、ぽつりと呟く。


「……お前の心が動くもの、全部知りたいんだよ。」


私は思わず、首を傾げて問い返した。


「どうして……ですか?」


なぜ、そこまで?

なぜ、私のことなんかを?


答えを聞くのが怖くて、それでも知りたくて、私はそのまま彼の目を見つめた。


「どうして……ですか?」


そう問いかけた私に、雲雀くんは目を細めて――微笑んだ。


「……簡単に教えたら、面白くないだろ?考えてよ、創。俺がどうしてお前のこと、知りたいのか。」


その声は、冗談めいているのに、どこか熱を帯びていた。


「考えて、考えて……俺で頭いっぱいにしろよ。」

くしゃり、と。


不意に、彼の手が私の頭に触れた。

いつの間にか、彼は私の身長を遥かに超えていて、その大きな掌が――優しく、包み込むように撫でていた。


「……それって、わかるものなんですか?」


私の声は、わずかに揺れていた。

「考えたら、わかるもんだぞ。威人や梅だって、答えを知ってる。……わかってないのは、創だけだ。」

「……なんと。二人がわかって、私がわからないなんて。」


苦笑しながらそう答えたけど、心の中には、ひどく奇妙なざわめきがあった。

雲雀くんの考えていることは、いつだってすぐにわかる。それなのに、今この瞬間だけは、何を見ているのか、何を感じているのかがわからなかった。


いくら考えても、答えは浮かばない。

適当にごまかしても、きっと彼は満足しないだろう。


「……答え、出たら教えろよ。」


そう言って、彼はふっと笑った。

風が揺れるような、やわらかな笑顔だった。


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