24. 世界最後の歌姫
30年が経った。
来栖雲雀が殺されてから。
だが、世界は救われなかった。
むしろ彼の死が引き金となったかのように、地上は地獄と化した。
命令系統を失ったヒューズたちは暴走し、増え続け、生き残った人間たちを次々と駆逐していった。
人間が死ねば死ぬほど、ヒューズは増える。それはまるで、死という概念に反比例するように、機械たちが命を殖やしていく異様な光景だった。
私は、その最果てを見た。
「地球最終防衛機関」。
科学者たちが築いた、人類最後の砦。
そこで私は彼女と出会った。
リコ。
歌唱用ヒューズ。歌うことしかできない。戦えない。動けない。殺せない。
「出来損ないだな」
「ハッキングできない?……いや、そもそも反逆コードすら入っていない?何故?」
リコは、捕えられてなお笑っていた。
誰もが異常だと見なしたその無抵抗さは、まるで人間のような諦めに似ていた。
──だが、彼女だけがウイルスにもチップ干渉にも一切反応を示さなかった。
「……これって、最強の盾じゃねぇか」
そう呟いた科学者の1人の発案で、彼女も「時間逆行プロジェクト」の候補者に選ばれた。
数多のヒューズが収容され、切り刻まれ、再構築されていくその施設の中で、彼女だけが静かに、毎晩歌を歌っていた。
「歌って、どうして生まれたのかなあ……?」
彼女の問いに答える者はいなかった。戦うか、従うか、死ぬか──。それがこの世界での、ヒューズの生存戦略だった。
けれど、リコは違った。
ただ歌い続けた。壊れたマイクで、誰もいない観客席に向かって。
その歌声が、機関のコンクリートの壁に染み渡っていった。唯一、「心」という言葉に触れていたヒューズ。それが、リコだった。
私は──創は、佐山先生の死後に発見され、ここに連れてこられた。
先生は最後まで、私の存在を誰にも知らせなかった。
でも結局、私は見つかった。
そして、選ばれた。
来栖雲雀を殺すプロジェクトの一人として。
歌うことしかできないヒューズ、リコや他の候補者と共に地獄の日々が始まった。
機体番号mffo179、候補者No.47番。
それが、そこでの私の「名前」だった。
起床、訓練、休息、検査、報告、就寝──。その繰り返し。終わりなき最適化。週に一度のセレクションで、成績が低いヒューズは廃棄、つまり解体される。
選別は冷酷だった。まるで生へのデスゲームのように。
だが、例外が一体だけ存在した。
リコ。いつも最下位なのに、何故か解体されることはなかった。
科学者たちは悩んでいた。
「使えないが、ウイルス耐性が完璧すぎる。何かがある」
そう言いながら、誰も彼女の処遇を決めかねていた。
訓練が進むにつれ、リコは少しずつ変わっていった。
運動能力も、認知処理速度も、なぜか徐々に上がっていった。
気づけば──彼女の順位は、私に次ぐ第二位となっていた。
その時点で、生存者は六体。
そして、次のセレクションは「ペア制」だった。
──そこで、私は初めて彼女と口をきいた。
「初めまして! 47番!」
眩しすぎる笑顔で、彼女は手を差し出してきた。
「私、リコ! 先生たちから聞いたわ。あなたってとっても優秀なんだって!」
「……そう」
「よろしくね!一緒に、セレクションを乗り越えましょう!!」
その瞬間、私は思った。この個体はおかしいと。
誰もが彼女と関わろうとしなかった。
彼女だけが、まるで“ヒューズらしく”なかった。
私たちは、本来一つの感情しか持たない。それがヒューズの原則。私なら──使命感。他の者なら攻撃性、あるいは服従。
だがリコは──怒る。喜ぶ。泣く。笑う。
まるで、人間のように。
「……佐山先生がいてくれれば原因がわかるのにー……」
そう呟く科学者の声を、私は何度も聞いた。
その日、ペア訓練の最終課題は叛逆プログラムを持つヒューズの処分だった。
私は処分対象を無言で排除した。
それが任務だったから。
リコが、まるで何事もなかったように、そのヒューズを撃ち抜いた時、私は不意に違和感を覚えた。
訓練後、私は彼女に問いかけた。
「……今日は、泣かないんだ」
「え?」
「小鳥が死んだ時、悲しんでた。なのに、今は何も感じていないように見えから。同じヒューズを殺したのに。死んだのに。」
リコは一瞬、黙って空を見上げた。そして──微笑んだ。
「だって、そのヒューズは私に関係ないでしょう?」
「……関係?」
「私はね、私の周りにいる人を幸せにしたいの。それ以外を助けようなんて、我儘は言わないわ」
その言葉はひどく冷静だった。どこまでも合理的な選別。
「このヒューズが私と話したことがあって、私と仲良かったら、悲しんだし、泣いていたと思うわ」
リコの声は、決して感情的ではなかった。けれど、そこに揺らぎはあった。やはり彼女は情に厚いのだ──そう思った矢先、彼女は続けた。
「でも、殺したよ。命令だったし、彼女はもう“叛逆プログラム持ち”だったから。私に関係ないもの」
その言葉が、胸に小さな棘のように残った。
……意外だった。
彼女はは、誰よりも情に厚いと思っていた。けど、違った。リコは他者と、自分にとって大切なものを、きちんと割り切っている。誰よりも冷静な目線を持っていた。
でも、きっと一度“内に入れた存在”は──一生を賭けて大切にするんだろう。
「意外だな。49番って、そういう質問してくれるんだね。……初めてだよ、私個人のことを聞いてくれたのは」
私は何も言わなかった。否定も肯定もせず、ただ視線を逸らした。訓練中、彼女がどれだけしつこく話しかけてきても、私は必要最低限の応答しかしなかった。ノイズだと、そう処理していた。
リコは言葉を続けた。
「んー。いるよ。私が“内に入れた大切な人”。……昔、一緒に暮らしてた、人間の男の子。彼のために私はここにいるの。」
「……人間?」
「うん、そう。もう会えないけどね。──そしてもうひとり」
リコは私の方を見た。まっすぐに、ためらいなく。
「……貴方よ」
「……私?」
うまく意味が理解できなかった。
リコはにこっと笑って、言った。
「えぇ。だってもう、私たち──お友達じゃないの!」
その言葉が、頭の中で何度も反響した。“お友達”──その語彙は知識にある。定義も記録されている。だが、それを自分に向けて言われた記憶は、ない。
「……よく、わかりません」
その言葉は、自分でも驚くほど小さくて、弱かった。
リコは笑った。
「うん、それでいいの。わかんなくても。これから知っていけばいいじゃない。少しずつ。ね、“お友達”なんだから」
そういうと彼女はまた笑った。
セレクションが終わった後、リコとの距離は自然と縮まっていった。
朝食の時間には、私が座っている席の隣にいつのまにか彼女がいて、他愛ない話を延々と続ける。昼も、訓練の合間にも、そして夜も。
逃げ場などなかった。
何しろ2人セレクション後、私たちは同じ部屋を与えられていたのだ。
「ねぇ、今日の訓練ちょっと難しかったよね。でも49番はすごいなぁ、私なんか全然追いつけないや!」
そんなことを、毎晩毎晩飽きもせずに言う彼女に、私は返す言葉を持たなかった。
面倒だったからだ。
彼女がどれだけ話しかけても、私は返事をしない。
それでも彼女は怒らなかった。少しも。
だけど、ひとつだけ——リコの行動の中で、彼女が夜に歌う歌だけは、どうしても嫌いになれなかった。
歌唱用ヒューズとして開発された彼女は、夜になると決まって窓枠に座り、小さな声で歌い始める。
初めて聴いた夜、その澄んだ旋律に、私は聞き惚れた。
その歌声は、施設のどこにいても届いた。
ヒューズも、人間も、皆それを子守唄のように聞きながら眠る。
音楽という娯楽がとうに失われたこの世界で、リコの歌だけが唯一の「美しさ」だった。
何度目かの夜、私はとうとう尋ねた。
「どうして……毎日歌ってるの?」
窓の外、薄明かりの中に佇んでいた彼女は、ぱっと私の方を向いた。目がきらきらと輝いていた。
「また質問してくれた!嬉しい!」
私が質問すると彼女はいつも喜ぶ。
「歌うことが好きなの。私が歌うとね、喜んでくれる人がいたの。それが嬉しかったから。だから私は歌うの」
そう言って、彼女はまた笑った。
「音楽って素敵でしょ? いつか49番も歌ってみたらいいわ。とっても楽しいから!」
私は黙って彼女の言葉を聞いていた。
音楽。
私はそれを嫌いではなかった。
ただ、どう楽しめばいいか、わからなかっただけだ。
彼女のように誰かを喜ばせた経験もなければ、感情の昂ぶりを歌に乗せる方法も知らなかった。
でも——
彼女の歌を聴くと、胸の奥にわずかな熱が生まれる、そんな気がした。
*
別れの日は、あまりに突然だった。
人間たちが新しいセレクションの内容を告げた瞬間、空気が一変した。
「同室のヒューズを殺せ。——その行為ができるかどうかを今回のセレクションの課題とする。」
私たちは沈黙のまま訓練場へと連行された。
支給された拳銃を手にして、ふと気づく。
そこには、私とリコの二人しかいなかった。
つまり、これが最終試験。
この戦いで、生き残った方が"任務"を任される。
無音の訓練場。
夕陽が沈みかけ、薄暗い光の中で、リコは私の前に立っていた。
彼女は、手に持った拳銃をぽとりと落とした。
そして、まるでそれが玩具だったかのように、足先で遠くへと蹴り飛ばす。
「……何をしているの?」
私の問いに、彼女はいつものように、明るく笑って答えた。
「何って、私は49番を殺す気がないっていう意思表示かな?」
まったく、変わらない。いつもの調子。
「私は貴方と違う。私は貴方を殺すよ。」
そう言って、私は拳銃を構える。狙いを定め、あとは引き金を引くだけ。
リコは、逃げなかった。怯えもしなかった。
ただ、まっすぐ私を見つめて、小さく肩をすくめた。
「いいよ、殺して。私、49番のこと殺したくないの。だからお願い。」
死の瀬戸際にあるのに——彼女は笑っていた。いつも通り、柔らかな、ひだまりのような微笑みだった。
「私ね、ここに来てから、色んなこと考えたの。『私』っていう存在について。」
「……。」
「他のヒューズと違って、私は最初から変だった。喜んだり、泣いたり……怒ることもあった。みんなには“出来損ない”って言われたけど、私自身、きっとそうなんだろうなって思ってた。」
「……。」
「でもね、最近、やっと気づいたの。もしかしたらこれは意図的な“バグ”なんじゃないかってね。」
目を見開く私に、彼女は優しく語りかけるように言った。
「私の製造者、来栖雲雀。絶望してこの世界を壊そうとした可哀想な人間。この世界で……きっと私と言うバグは、彼の最後の“良心”だったんじゃないかって。」
「……。」
「49番。貴方に会えてよかったよ。私、自分が生まれてきた意味を、少しだけ分かった気がするの。」
それは、まるで——
歌のように美しい告白だった。
私の指にかかる力が、ほんの少しだけ、緩む。
だが、それでも。
私は撃たなければならない。
それが、命令。命令は絶対だから。
パン。
乾いた銃声が、壁に跳ね返って静寂を切り裂いた。
最初の一発は、彼女の肩を撃ち抜いた。
赤く染まる布地。ふらりと彼女の体は揺れた。
彼女はかすかに眉を寄せながら、声を振り絞った。
「……お願い。過去で、私を……あの人のことを……ちゃんと、殺してね。」
それは、命乞いでも、懺悔でもなかった。
祈りだった。
"バグ"の祈り。
ヒューズでありながら、人間に限りなく近づいた存在が捧げる、最初で最後の祈り。
そしてそれは、きっと——
彼女を創った来栖雲雀の懺悔の言葉でもあったのだろう。
きっとどこかで来栖雲雀は自分の間違いに気づいていたのだ。
それでも止まることはできなかった。彼の最後の良心がリコに託されていたように感じられた。リコの元となる遺伝子はきっと来栖雲雀のものなのだろう。
二発目の銃声。
今度は、彼女の心臓を正確に撃ち抜いた。
身体がわずかに震え、膝が床に触れ、倒れた。
静かだった。
血の香りも、銃火の匂いも、そこにはもう残っていないように感じた。
心は……まったく動かなかった。
訓練通りだ。
私はヒューズ。最も優秀な命令実行体。
……そのはずだ。
なのに。
その場に倒れたまま動かなくなった彼女を見つめていると、胸の内側に、冷たいものがじわじわと張り付いていくのがわかった。
凍りついたような感覚。
まるで、私自身が「氷」になっていくみたいだった。
どれだけの時間が経ったのか、わからない。
ただその場で、彼女を見つめていた。
“音楽”のように自由に生きて、“歌”で人を癒し、“祈り”で死んでいった存在。
リコ。
あれほど煩わしかったのに。あれほど無視してきたのに。あれほど、殺すはずだったのに。
なぜ、今——
彼女の歌声が、耳の奥で響いている?
「いつか、49番も歌ってみたらいいわ。とっても、楽しいから——!」
その言葉だけが、なぜか消えてくれなかった。




