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22. 夏休みの予定

八月。

外を歩くだけで焼けるような暑さに、誰もが日陰を求めていた。


室内はエアコンが効いていて快適だが、雲雀くんは今日も部屋に篭って研究を続けていた。どうやら海外雑誌の掲載審査が通ったらしく、珍しく──ほんの少しだけ──嬉しそうな顔をしていた。


「雑誌掲載祝いに、どこか出かけようよ」と佐山くんが誘ったのも、そんな雰囲気を感じ取ったからであろう。けれど雲雀くんは、案の定その誘いをあっさりと断った。


「雲雀ー。俺たち高校生だよ? 夏休みって、外に遊びに行くもんじゃないの?」

「俺らを普通に当てはめるな、威人。ほら、この論文読め。次はこれな。ヒューズの基礎理論はできても実証できなきゃ意味ない。俺はこれを3年以内に完成させる。頭、動かせよ。」

「お、鬼〜!てか、なんでそんなに急いでんの?」

「言わねー。強いて言うなら生活費。」


「……そこまでカツカツじゃないでしょ、雲雀の家。」


言い合いながらも手は止まらない。

2人の間ではそれが「いつも通り」なのだろう。私は紅茶と焼き菓子を盆に載せて運ぶために部屋に入ったが彼らは相変わらず言い合っていた。


「佐山くんの言うことにも一理ありますよ。そんなに根を詰めていたら、以前のように熱を出して倒れてしまいます。少しは息抜きに外の空気でも吸ってみてはどうでしょうか?」


私は彼の隣に座りながら、静かにそう提案した。

雲雀くんは俯いたまま、紅茶に目をやったが、すぐに視線を戻した。


──この夏、彼はほとんど外に出ていない。

真面目に研究しているので責める理由はないが、それでも心配だった。こんなにも暑いというのに、彼の肌は驚くほど白いままだ。対照的に、佐山くんの腕は少し焼けていた。前に家族と海に行ったと言っていたからだろう。


「創さんもそう言ってるしさ! 俺、映画見たいんだよね! トリシー監督の最新作、『トラベラーズ』!未来人が過去にやってきて、バタフライエフェクトでとんでもないことになる話なんだって!」

「未来人って、阿佐美かよ……。俺はパス。」

「雲雀のケチ……ほんと付き合い悪いよね。創さーん、この捻くれ男どうしたら家から出てくれますか?」

「私に聞かれても困りますよ……」


私は少し考えたのち、彼のある「例外」を思い出した。


──雲雀くんは出不精だけれど、都さんとのお出かけだけは必ず行っていた。

誘われたから、というより「都さんだから」。

彼にとって、特別な人だから。


……それならもしかしたら、私でも。


この前、彼に「俺たちの関係って何だと思うか」と問われ、「家族みたいなものだと思っています」と答えた。

その時、彼は何も言わなかったが、否定もしなかった。それは、少なくとも私を“都さんに近い存在”として受け入れてくれている証じゃないかと思った。


「なら、私となら行ってくれますか? 雲雀くん?」


紅茶をひと口すするふりをしながら、私はできるだけ自然にそう切り出した。

ほんの少しだけ声に柔らかさを加えて。

もちろん、この映画に興味があるというのは明らかな嘘だった。

けれど──これは試してみたかったのだ。


雲雀くんが、私のために外へ出るかどうかを。


「お前……ほんと、そういうところタチ悪いよな。」


彼はジト目で私を睨みながら、苦々しくそう言った。


「じゃあ、行ってくれないなら佐山くんと一緒に行きますね。雲雀くんはお留守番お願いします。」


にっこりと、無邪気に笑ってみせると、彼はほんの一瞬、動きを止めた。バツの悪そうな顔で目を逸らしながら、ぽつりとつぶやく。


「……わかった。行くよ、行けばいいんだろ?」


その一言を聞いた瞬間、佐山くんの顔がパアッと明るくなる。


「流石創さん! もはや珍獣使いですよ!!」

「……どんな例えですか、それ。」

「おい、誰が珍獣だ。」


雲雀くんは顔をしかめながらも、どこか怒りきれないような声だった。


──やっぱり、彼は私の誘いなら断れない。


都さんと同じように、家族として見てもらえている気がして、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


「にしても、ほんっと雲雀ってわかりやすいよねー」


茶化すように言う佐山くん。

その言葉に、雲雀くんは「うるせー」と短く返しただけだったが──

なぜか彼の頬が、ほんのり赤くなっているのがわかった。

それを見た佐山くんが、ニヤニヤと笑う。


──さて、映画当日が少し楽しみになってきた。


話し合いの末、映画には次の日に行くこととなった。しかし、そこでひとつ、大きな問題が発覚した。


──外出用の服が、ない。


私はいつもメイド服を着ている。朝、掃除をする時も。昼、食事を用意する時も。夜、ベッドメイキングをする時も。

ほとんど毎日、ずっと同じ格好で生活してきた。

だから、他の服を買う必要なんて、今まで一度もなかったのだ。

クローゼットの中にあるのは、使用人用の制服シャツと予備のエプロン、そしてパジャマと数枚の下着類だけ。


──さすがに明日、メイド服で映画館に行くのは、まずい。


そんな常識くらいは、私にもある。

都さんと外出する時は「使用人」として同行していたので、これまで不都合はなかった。

けれど、今回は違う。これは「お出かけ」なのだ。メイド服で行ってしまうと変に目立つに違いない。


──思えば。


私は過去に来てから数年が経つが、誰かと「遊びに行く」なんて経験は一度もなかった。

そもそも未来には「娯楽」など、ほとんど存在しなかった。


唯一あったのは──音楽。

あらゆる文化が廃れた未来でも、歌唱用ヒューズは特例として保護対象となり、文化継承の役目を担っていた。

私の知るヒューズにもひとり、歌うために作られた彼女がいた。

私は彼女の歌が好きだった。今でも家事の合間、彼女がよく歌っていた旋律を脳内で再生することがある。

──再生は正確だ。

記憶媒体としての私の脳は機械製だから、失われることはない。その点だけは、ヒューズであって良かったと思える部分だった。


──さて。話を戻そう。


服がない。映画は明日。買いに行く時間は、ない。


思案の末、私はある人物に電話をかけた。


『柚月さん、お久しぶりです。淡路です』

『あら、淡路さん。珍しいですわね。あなたが私に電話をかけるだなんて』


久々に聞く、どこか余裕を帯びた声。

前に一度、恋愛についての相談を受けたことがあり、その時連絡先を交換しておいたのが幸いした。


『その、大変厚かましいお願いになってしまうのですが……柚月さんのお洋服を、一枚お借りできないでしょうか? もちろん、お借りしたお洋服は買い直して返しますので……お願いできますか?』


ほんの少しの沈黙の後、彼女は言った。


『別によろしいですけれど……それと、わざわざ買い直す必要はありませんわ。洗って返してくだされば。』


『にしても──突然ですわね?何かあったのかしら?』


電話の向こうで、柚月さんはやや呆れた口調で問いかけた。私は、今の状況と明日の予定、服がないこと、そして映画に出かける経緯をかいつまんで説明した。

彼女は話を聞いてから、納得したように息をついた。


『なるほど。お話はよくわかりましたわ、淡路さん』


そして、すぐに提案してくれる。


『淡路さん、今から少しお時間いただける?』

『今から……ですか? ええ、夕食も終えておりますので、時間は大丈夫です』

『でしたら、こちらで車を手配いたします。私の家までいらしてくださる?服を貸すにしても、きちんとサイズを合わせた方がよろしいでしょう?あなたのご自宅と私の家は、そう遠くもありませんし』


丁寧でありながらも抜け目のない申し出だった。


『ありがとうございます……。このままでは、メイド服で行くところでした』


そう言うと、彼女はくすりと笑った。


『それに関しては──あの男たちが可哀想ですもの。貴女が私を頼ったのは正解だと思いますわ』


言葉の端に含まれる、微かな皮肉と優しさが感じ取れた。



迎えの車に乗っておよそ十分──辿り着いたのは、どこか時間の流れが違うような静かな屋敷だった。

堂々たる和風建築の母屋、その奥には、手入れの行き届いた庭と、ぽつんと佇む一軒家。


「いらっしゃい、淡路さん。わざわざ来てくれてありがとうね」


柚月さんは、扇子を片手に涼しげな笑顔を浮かべながら現れ、私を案内してくれた。


「部屋が……家になっているなんて。さすがですね」


思わず口にすると、彼女はくすりと笑った。


「来栖くんのお家だって、十分立派なお屋敷でしょう?でも、そうね──うちは祖父が庭園にこだわっていたから、そのために敷地を広く取ってあるのよ」


言われてみれば、道すがら見えた庭は美術品のように美しく整えられていた。やがて辿り着いた柚月さんの“部屋”──とは名ばかりの、洋風の一軒家の前で彼女は立ち止まる。


「ここが私の部屋。さ、時間もないことですし、急いで決めましょうか」

「決める……?あの、服については私が勝手に選びますので、柚月さんのお手を煩わせることには……」


そう言いかけたところで、ぴしりと指を突きつけられた。


「ダメに決まってるでしょう!淡路さんのことだから、どうせ適当にワンピース一枚借りて、さっさと帰るつもりだったのでしょう?」


……図星だった。私は目をそらす。


「まったく。ほんとにオシャレの“お”の字も知らないのね。あなた、素材はいいんだから、もっと自分を飾ることに興味を持ちなさいな」

「興味、というか……必要性を、あまり……」

「はぁ……。じゃあ、せめて明日くらいはちゃんとめかしこんでいきましょうよ」「……めかしこむ、とは?」

「来栖くんの嬉しそうな顔、見たくありませんの?」


その言葉に、私は小さく息を呑んだ。

「……見れたら、いいなとは、思いますけど」


自分でも驚くくらい、小さな声だった。

柚月さんは、その返しに満足したらしく、ふっと微笑んだ。


「決まりね。明日の朝、またうちにいらっしゃい。当日のヘアメイクも私がやって差し上げますわ」

「い、いえ、そんな……服を借りるだけでも十分です。それ以上お世話になるなんて──」


言いかける私に、柚月さんはぴしゃりと畳みかける。


「あなた、今さら“お世話になる”とか言って遠慮するような仲じゃないでしょう?私だって貴方にお世話になった、と言うか現在進行形でお世話になっているわ。私のお話を聞いてくれるじゃないの。そのお返しだと思ってくださればいいわ。それとも私の手を借りるのが、そんなに嫌?」

「……いえ。嫌では、ありません」

「なら、素直に甘えなさいな。たまには、誰かに綺麗にしてもらうのも悪くないものよ?」


少し楽しげな声色で彼女はそう言った。


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