21. 特訓の成果
7月26日。
今日も梅さんは、特訓のために我が家を訪れていた。
とはいえ、いつもとはどこか様子が違う。真剣な表情でノートを睨みつけ、唸っている。
「うーっ……当日何を作るか決まらない〜!!」
テーブルに突っ伏して、ぐるぐると頭を抱える。彼女の目の前には「誕生日料理ノート」と大きく書かれた分厚い冊子。
「お兄のすきなハンバーグも、餃子も、唐揚げも……ぜーんぶ作ってあげたいのにー!!どうしましょう創さん!? お兄を横綱レベルの胃袋にしないと全部食べきれませんよ!!」
わりと本気で心配しているらしい。
彼の誕生日は明後日、7月28日。その準備に、彼女は一ヶ月前からコツコツと料理の練習を重ねていた。
私はふ、と微笑んで言った。
「……全部食べてもらうっていう考えじゃなくて、一つ一つを小さくしてみてはどうでしょう?全部作りたいならビュッフェ形式にして。佐山家は六人兄弟なんですから、余った分は次の日に食べればいいですよ。」
「流石創さん!! そうします!!」
即決だった。
だが、私はもう一つ彼女のノートに目をやり、ある懸念を口にする。
「でも、それ以上に問題がありますよ?」
「……えっ?」
不思議そうな顔をする梅さん。私は、ページの中央にびっしりと並んだメニューに指を差す。
「ハンバーグ、餃子、スープ、サラダ、唐揚げ、ケーキ、バケット、炒飯……品数が多すぎて、梅さん一人では作りきれますか?」
「……あ、えーと……い、いけます!!」
妙に高い声で答える梅さん。
「……本当に? 私、当日お手伝いしなくていいんですか?」
「はい!やり切ってみせます!!」
言い切った。
その瞳はきらきらと自信に満ちていて、少しだけ、無謀にも見えた。
「それに……」
「それに?」
私は首を傾げた。
すると、梅さんは顔を真っ赤にして、
「あっ、えっと、なんでもないですっ!!」
両手でノートをバタンと閉じてごまかす。
「そういえばなんですけど、創さん。来栖家って、毎年誕生日はどんな感じなんですか?」
キッチンに立ちながら、梅さんがふと聞いてきた。
「うちの……誕生日、ですか?」
私はヘラを止めて少し考える。
「そうですね。都さんは忙しいので、いつも当日は会えなくて……。それで、雲雀くんとふたりで電話越しにお祝いしてましたね。」
「へぇ、電話越しで……」
梅さんは興味深そうに耳を傾ける。
「ちなみに雲雀くんの誕生日はクリスマスと一緒に祝ってました。」
「えっ!? 合同で!?」
「はい。都さんは別にしようって言ってましたけど、雲雀くんが『そんな近い感覚でケーキ二回も食いたくない』って言って拒否したんです。」
「くふっ……雲雀くんらしい〜!!」
明るく笑う彼女の声に、私の頬も緩む。
「佐山家はどんな感じなんですか?」
私の問いに、梅さんは少し胸を張って答える。
「えーと、我が家は6人兄弟だから、誕生日ってけっこうあっさりしてるんですよ。でも……お兄とお母さんの誕生日だけは特別で。兄弟みんなでお小遣い寄せ集めてプレゼントを贈るんです!」
「素敵ですね。」
「えへへ、ありがとうございますっ」
たわいない会話を交わしながら、私たちは当日の準備を進めていく。
「……事前にやるべきことは、分かりましたか?」
「はいっ!生地は事前に準備しておく。ハンバーグ、唐揚げ、餃子は前もって作って、当日は焼くだけにしておく、と!」
「喜んでくれるといいですね、佐山くん。頑張ってくださいね、梅さん。」
「はいっ!!頑張ります!!」
彼女は元気よく頷くと、ふと手を止めて言った。
「ちょっとお手洗い、行ってきますね!」
そう言って、階段を軽やかに登っていった。
……?
(あれ……?)
来栖家のトイレは一階にもある。むしろ今いるダイニングからなら、一階の方が断然近い。
なぜ、わざわざ二階へ?
小さな違和感が頭に残ったけれど、私はそれ以上、深くは考えずに、その日はスルーした。
***
7月28日。
今日は、佐山くんの誕生日。
なのに。
「……雲雀くん、どこ行ったんだか。」
朝、目が覚めたときにはもう彼の姿はなかった。メモも置き手紙もなし。行き先も言わずに出て行ったのは、これが初めてではない。
「まったく……」
ため息をつきながらも、私は特に追及しようとは思わなかった。どうせ――図書館か、研究提携している大学の研究室か、もしくは海外。だいたいそのどれかだ。むしろ、いちいち聞く方が野暮というもの。
午前中はいつも通り、家事をこなして、静かな時間を過ごした。世間の学生たちはすでに夏休みに突入している。だけど、雲雀くんに「高校生らしい夏休み」を求めるのは無意味だ。彼は時間があれば研究、それ以外のことは基本的にどうでもいい。
──なのに。
都さんに旅行に誘われると、絶対に行くんだよな。あの人。
人付き合いを避けるようで、家族には従順な彼。研究以外に興味がないようで、家族サービスは欠かさない。そんなところが、なんだかちょっと、可笑しい。
……もしかしたら、誘われ待ちの人間なのかもしれない。
そう思った瞬間、ふっと口元が緩んだ。
本人に言ったら、間違いなく拗ねるだろう。だから、黙っておく。
ゆったりとした時間が過ぎていく。静かな午後。
気がつけば、壁の時計は午後5時を指していた。
もう、佐山家の誕生日会……始まってるはず、梅さんは大丈夫だろうか?
と、そのとき。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
──梅さん、だ。
(何かあった……?)
私は通話ボタンを押す。
「はい、創です」
「創さん!!助けてください〜!!ケーキの生地失敗しちゃって〜!!頼れるの創さんしかいないんですー!!」
梅さんからの電話は、案の定、SOSだった。
「分かりました。佐山家に向かった方がいいですか?」
「うぅ、はい……すみません。来てもらえると助かります……」
その声は情けなくて、でもどこか、嬉しさが滲み出ていた。私はすぐに支度を整え、家を飛び出した。
*
佐山家の玄関先。ドアが開いた瞬間。
「創さん!!お誕生日おめでとう!!」
ぱん、ぱんっ!!
クラッカーの音が、乾いた空気に弾ける。
目の前には、佐山くんの家族、梅さん、そして佐山くん自身。
そして──
「雲雀くん!?」
「やったー!雲雀くん、サプライズ大成功だよ!!あの創さんが、ちゃんと驚いてる!!」
「言ったろ。創はこーいうの、弱いんだよ。」
得意げに笑う雲雀くん。
その表情が、いつもの彼よりずっと年相応に見えた。
「創さん、騙しちゃう形になってごめんなさい……!でも、お兄から創さんが同じ誕生日って聞いて、どうしても祝いたくて……お世話になってるし。」
「びっくりですよね。あの雲雀が、こんな俗っぽいことするなんて。」
佐山くんがくすくすと笑いながら言う。
「……佐山くん、お誕生日おめでとうございます。」
「うん、ありがとうございます。創さんも、おめでとう。」
リビングに通されると、テーブルの上にはたくさんの料理が並んでいた。
明らかに、梅さん一人で作れる量ではない。
「もしかして……雲雀くん、お手伝いしたんですか?」
「……そ。創に何あげるか悩んでたら、梅がよかったら一緒に料理しないかって言ってくれてな。……俺も、頑張ったんだよ。」
誇らしげなその言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
……忘れられてるんじゃないかって、少し、拗ねそうだったのに
普段、来栖家の食事番は交代制度で、雲雀くんに料理を作ってもらう事自体は特別なことじゃない。でも今夜、誕生日に目の前にある料理と、笑い声と、雲雀くんのプレゼントがどうしようもなく嬉しかった。
「すみません……佐山くん。あなたの誕生日なのに、私まで混ざってしまって。」
「いやいや!!俺、創さんのこと祝いたかったし! それに、こんな日に一緒に祝えるのって、なんか──すごく特別って感じ、しますから!」
彼の言葉は、素直で、まっすぐだった。
初めてだった。
佐山先生の誕生日を、祝うことができたのは。
自分の誕生日を佐山先生以外に祝ってもらえたのは。
他人の家庭の一員として、何気ない輪に混ざって、笑って、拍手して。
「ちょっとだけ……嬉しいです。」
ぽつりと呟いた声が、自分でも思ったより素直だった。
「これから毎年祝ってやるから覚悟しろよ。」
雲雀くんが悪戯に微笑む。
「……雲雀くんの誕生日は、覚悟しておいてくださいね。」
「……お前、何する気だよ。」
少しだけ睨むように、けれど笑いを堪えているような表情で返される。
その反応が、少しだけ可笑しくて──思わず笑った。
佐山家の食卓は、賑やかだった。笑い声と会話と、時折響く箸の音。誰かの手で作られた料理の温もりと香りが、空間をやさしく包み込んでいた。
梅さんの作った料理は、どれも本当に美味しくて。あの特訓の成果が、しっかりとテーブルの上に並んでいる。
「……上手くできたじゃないですか。梅さん。」
「えへへ……創さんのおかげです!」
照れたように笑うその顔を見ながら、私はそっと頷いた。




