20. これからは一緒に
「結局なんの相談にも乗れませんでしたね。」
柚月さんは宣言するなり意気揚々と帰っていった。丁寧に頭を下げられ、「話を聞いてくださってありがとうございました。」と言われたけれど——
私は本当に、話を“聞いていただけ”だった。
「まぁ、いいんじゃないですか? 柚月、満足そうに帰っていきましたし。」
佐山くんが、微笑む。
ほんの少し肩をすくめながら、悪戯のあとのような笑みで。
その静かな時間を破るように、玄関の扉が開いた。
「あっ、雲雀くん。お帰りなさい。」
「ただいま、創。思ったよりいい文献が多くてさ、つい読んでたら遅くなった。」
そう言いながら彼は重たそうな紙袋を手にぶら下げていた。中にはおそらく文献、雑誌、学術書の類。一冊一冊が辞書のように分厚くて、それを10冊以上持ち帰る気力と腕力には正直驚く。
「佐山も、待たせたな。行こうぜ。」
「うん、それ今から読むのかー...」
いつものように、二人はそのまま応接間へと入っていった。きっと今日も泊まりの流れになるだろう。明日は土曜日だし、夜更かしもできる。私はスケジュールを確認しようとカレンダーを眺め、ふと——
“そういえば”と思った。
佐山くんの誕生日って、いつなのだろう?
気づけば梅さんに料理を教え始めて1カ月が経とうとしていた。
梅さんは佐山くんの誕生日にご馳走を振る舞いたいと言う理由で特訓を始めたのだが。その誕生日をまだ聞いていなかった。
それに、佐山くんとは3年近い付き合いなのに、私は誕生日を知らなかった。
勿論だが佐山先生の誕生日も私は知らない。
彼のいいところを沢山知っていて、好きな食べ物は知っていて、家族構成もだいたい知っているのに、誕生日という最も基本的な情報を知らない。
次の日、まだ我が家にいた佐山くんにそれとなく聞いてみることにした。
「佐山くん。……つかぬことをお聞きしますが、お誕生日は、いつなのですか?」
「誕生日? ……ですか?」
一瞬不思議そうに見つめられた後、彼は「そういえば」と呟いて笑った。
「そっか。そういえば言ってませんでしたね。俺たち知り合ってもう3年ですよ。ホント創さんって、興味ないことにはとことん興味ないですよね……」
「そんなことない」と反論しかけたが、思い返せばいくつも心当たりがあり、私は口を閉じた。
——3年も一緒にいて、誕生日ひとつ知らないというのは、客観的に見ればかなり“変”だろう。
「創、俺の誕生日は?」
そのとき、部屋の奥から雲雀くんの声が響いた。
彼はドアに寄りかかるようにして私を見つめていた。口元はどこか楽しげに緩んでいる。
「……12月26日です。いつもクリスマスと一緒にお祝いしていますね。」
「ほらな。」
雲雀くんは、なぜだか誇らしげに笑った。それは、“勝者の笑み”に近かったかもしれない。
「……ホントそういうとこだぞ雲雀……」
佐山くんは明らかに拗ねた顔で、雲雀くんを恨めしそうに睨む。
——なんだか、かわいい。
「あ、で、結局お誕生日は?」
私が改めて聞くと、佐山くんは一拍おいてから、ちょっと頬を赤らめながら言った。
「7月28日です。」
ぽつりと、佐山くんが答える。
私は反射的に今日の日付を確認した。
7月21日。
——あと一週間ではないか。
それだけでも軽い驚きだったが、それ以上に、その“日付”そのものが私を強く揺さぶった。
「一緒だ。」
思わず、口にしてしまっていた。
「? 何がですか、創さん?」
佐山くんがきょとんとして、首をかしげる。私は慌てて首を横に振った。
「あっ……いえ、気にしないでください。ただの、独り言です。」
焦ってごまかす声が、少しだけ上ずる。視線を逸らして誤魔化したが、内心はずっとざわめいていた。
——7月28日。
それは、私の“誕生日”だった。
正確には、「誕生日」と呼べるようなものではないのかもしれない。
私はヒューズ——人工的に作られた個体であり、生まれ落ちた瞬間は存在しない。けれど“起動日”という概念がある。私が初めて目を開け、思考を始め、世界を知ったその日。
7月28日。
それは私の起動日であり、同時に、佐山先生が私を「創」と名付けてくれた日でもある。
毎年、その日が来ると、あの人は必ず、私のことを祝ってくれた。
花を用意するわけでも、ケーキを焼くわけでもない。だってそれは私が必要としていないとわかっていたから。先生はあえて用意しようとしなかった。人間の普通の誕生日の祝い方ではなかったが。
7月28日、先生はいつも、優しくこう言うのだ。
「お誕生日おめでとう、創。」
それがどんなに特別だったか、今になってわかる。
あの人は、自分のことをとことん話さない人だった。研究のこと、過去のこと、自分自身の感情でさえ、他人に明かすことはなかった。
——自分の誕生日でさえも。
彼は私に、すべてをくれた。
名前も、人生の意味も、そして“その日”すらも。
誕生日まで、私に譲ってくれたのだ。
今ここにいる佐山くんが、未来の“彼”とまったく同じ人ではないとわかっていても——それでも重なってしまう。
あの人の温かい声と、隣で微笑むこの少年の姿が。
私は黙って、佐山くんを見つめた。彼は、不思議そうにこちらを見返してくる。
「……忘れませんよ、佐山くん。7月28日、ですね。今度お祝いさせてください。」
私がそう言うと、彼は少し驚いたように笑った。
「なんだか、照れますね。でもありがとうございます、創さん。」
心のどこかが、すこしだけ温かく、そして痛かった。
「……実は、私の誕生日も同じなんです。7月28日」
言うつもりはなかった。でも、自然と口が開いていた。
「は⁈」
驚いたような声を上げたのは、雲雀くんだった。
それも無理はない。
私はこれまで、自分の誕生日は知らないと、ずっと言い続けてきたから。
この事実を知っていたのは、佐山先生と私だけ。
雲雀くんにさえ、私は何も話さなかった。
けれど今はもう、隠す理由がないように思えた。
言ったほうがいい。
そう感じた。
「ん? どうしたの雲雀。驚いちゃって。にしても……知りませんでした!! 本当に偶然ですね!! 同じ誕生日だなんて!」
佐山くんは心から嬉しそうに笑う。
「いやいやいや、俺、初めて知ったんだが?」
「えっ⁈ 雲雀、知らなかったの?」
「おい佐山、嬉しそーにすんな。 ……そーだよ、知りませんでしたよ。」
雲雀くんは少し拗ねたように口を尖らせる。
私が教えた理由を、彼は知らない。
でも、それでいい。これは私の中で、少しだけ過去と向き合った結果なのだから。
私にとって、7月28日はずっと特別な日だった。命を与えられた日。名前をもらった日。
何者でもなかった“私”が、“創”になった日。
あの人は——佐山先生は、毎年欠かさず「おめでとう」と言ってくれた。私の存在を祝うように、命を認めるように。
その重さを、私は今ならわかる。
あの日々の意味も、自分の誕生日を後回しにしてでも私に与えた優しさも。
だから、私は今——
「自分の誕生日を、誰かに祝ってほしい」と、初めて思った。
それも、雲雀くんに。
彼なら、きっと忘れないでいてくれるような気がしたから。
それに、私の誕生日は、“私だけのものじゃない”。佐山先生が私に与えてくれた日であり、そしてこれから——雲雀くんとの思い出になる日。
「あの……当日、祝わせて貰えませんか? 創さんの誕生日。」
佐山くんのその言葉は、胸の奥に静かに沁みた。
……嬉しかった。
とても、とても嬉しかった。
今さらながら、私は思う。
——先生に、「祝ってくれてありがとう」って、せめて一言くらい言っておけばよかったな、と。
あの人がどんな気持ちで、私に“誕生日”というものを与えてくれたのか、今となってはもう、わからない。
けれど、きっと。
私のことを、誰よりも愛してくれていたんだと思う。
その気持ちが、なぜだか確かに感じられた。
だから私は——
「……はい。祝って、欲しいです。」
つい、素直に頷いてしまった。
「……創が⁈」
一番驚いたのは、やっぱり雲雀くんだった。
「なんですか、雲雀くん。何か文句でも?」
「いや、お前、自分から何かしたいとか、して欲しいとか、言ったことないし。それに母さんに誕生日祝ってあげたいって言われた時でさえ、必要ないからいらないって断ったくせに...」
拗ねているのか、呆れているのか、雲雀くんはぶつぶつと文句をこぼす。
私は少し微笑んで、でもまっすぐ彼を見て言った。
「……祝ってもらいたくなったんですよ。……あなたに。」
「なっ……⁈」
その瞬間、雲雀くんの顔が明らかに真っ赤になった。
「なーんてね。」
冗談めかして軽く笑ってみせると、案の定。
「おい、佐山!! 創がおかしいぞ!! なんかすごく意地悪だ!!」
「雲雀……まぁ、気持ちはわかるけど、動揺しすぎね。」
佐山くんは、呆れたように笑っていた。
それでも——雲雀くんの反応は、見ていて悪くない。
私の誕生日。
誰かに祝ってもらえる日。自分から「祝って」と言える日。
佐山先生、私に誕生日をくれてありがとう。




