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17. 君はまだまだ子供

ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ。


電子音が静かな部屋に鳴り響いた。

体温計の表示は、38.4℃。


「熱ですね。」


私がそう告げると、雲雀くんは気だるそうに顔をしかめた。


「うげー、マジかよ……今日もやること、山積みなのに。」


机の上には、研究資料が山のように積まれている。どうやら、ヒューズ細胞の第一弾レポートが大詰めを迎えているようだ。


彼は海外の大学と提携し、実験と実証を繰り返し――ついにヒューズ細胞の「核」となる部分を実用段階まで持ち込める形にしたらしい。

本人曰く、「まだ仮説段階に過ぎない。医療現場にはまだまだ遠い」とのことだが、それでも十分すぎる進展だった。


けれど――そのスケジュールを詰めすぎた結果、彼は体調を崩してしまった。


「おい、創。海外の大学の教授に連絡入れといてくれ。今日明日は返信できそうにないって。」

「承知いたしました。他に何か、お手伝いできることは?」

「……後は、佐山に、この実用段階に至るまでの準備資料の原案と、海外大学から送ってもらったマウス実験のデータの精査を……ごほっ、ごほっ。」

「こんな時にまで研究ですか? 本当に研究バカですね。」

「うるせー……とにかく、頼んだぞ。」

「はい、わかりました。……でも、雲雀くんがその身体で研究し始めたら私が困りますからね。」


私は少し強い口調で言った。


「最近は特に根を詰めていたのですから。今日くらいは、ちゃんと休んでください。この前も――海外に行っていたのでしょう? 一言くらい言ってください。」


少しの沈黙。

そして、雲雀くんはぽつりと、目を伏せて言った。


「……創が、どんどん母さんみたいになってる。」

「……都さん?」

「そう。俺がまだ、部屋にこもる前の話。何でも興味持って、勝手にどっか行っちゃうから……いっつも母さんに怒られてた。」


彼の声は、少し懐かしむような色をしていた。


「『もう、ひばり!勝手にいなくなったらダメって言ってるでしょう?』って、さ。……うるさいなって思ってたのに、今は……うるさくされることが、ちょっと嬉しい。」


「……」


私は返す言葉を探せなかった。


雲雀くんにとって都さんは、ただの母親ではない。幼い頃、神童と持て囃され、汚い大人たちに利用されそうになった彼を守った。

雲雀くんが中に篭っても責めはせず、ただ見守った。

それでも希望を持って欲しくて。

諦めず、幼い彼に手を伸ばし続けた存在。


「……雲雀くん。」

「ん?」

「お薬を飲んで、横になってください。

寝汗をかいたら着替えもあります。水分もちゃんと摂って、解熱剤も一応置いておきます。」

「おい……完全に母さんじゃねーか、それ。」

「君はまだまだ、子供ですから。」


私がそう言うと、雲雀くんは目を丸くして、それからふっと、笑った。


「……わかったよ、創。今日は休む。だから、そばにいてくれ。」

「はい。ずっといます」


今日の彼はどうやら素直だ。

熱はまだ高く、表情はしんどそうだったけれど――その横顔は、どこか安心しているように見えた。

彼が大人になっても、守るべき何かが、まだここにあるなら。私はきっと、それに手を添え続けたいと思う。

それが、かつての任務とは違う形であっても。


とりあえず、佐山くんに連絡をしよう。

端末を取り出し、登録されている番号に発信する。


「おはようございます、佐山くん。朝早くからごめんなさい。」

『おはようございます、創さん! どうかしましたか?』

「雲雀くんが熱を出してしまって。佐山くんにお願いしたい資料がいくつかあるので、受け取っていただきたくて。」

『え!? 大丈夫なんですか、あいつ!? わ、わかりました! 学校帰りに寄らせてもらいます!! 創さん、わざわざありがとうございます!』


ガチャリ。

電話が切れる。


***


夕方、彼は予告通り家に現れた。

――余計な男も連れて。


「なんで貴方がいるんですか?」


私は眉をひそめ、ドアの外で手を振る男を睨みつけた。


「ははは、いーじゃん別に。心配だったんだよ、雲雀くんが熱で休みだったからさ? ほーんと、めんどくさいねお前。」


にやにやと笑いながら言うのは、阿佐美あさみ しゅう。言動の軽さと悪ノリの多さで、私はどうにもこの男が苦手だ。


「ごめんね、創さん。俺が見舞いに行くって言ったら、ついて行くって聞かなくてさ……。うるさそうなら、すぐ帰らせるから!」


佐山くんが申し訳なさそうに頭を下げる。


「なっ、佐山くん、味方なの? まあ、いいけど。……じゃ、雲雀くんの弱ってる姿でも見に行くか〜」

「貴方って人は本当に……癪に触りますね。」


私は溜息をつきながら、二人を雲雀くんの部屋へと案内した。


「わざわざ来てもらって悪いな、威人。……で、阿佐美はなんでいるんだ?」


布団にくるまりながら雲雀くんが面倒そうに目を細める。


「まーまー、気になさらず。雲雀くんのお見舞いに来た、いいクラスメイトなだけですよ?」

「……ふーん、あっそ。で、威人。引き継いでほしい資料の件だけど。」


彼が話題を切り替えると、すぐに佐山くんとの研究トークが始まった。用語の羅列と仮説の応酬。部屋が研究室の空気に包まれていく。


結果、私と阿佐美は――取り残された。


「……」

「……」


間が持たない。

私は黙って立っている。

阿佐美はと言えば、少しつまらなさそうに天井を見ていた。


「ねえ、創?」

「……なんですか」

「雲雀くんのこと、好き?」


突然の問いに私は言葉を失う。


「なんの話ですか。私はあの方の――使用人です。」

「そっか。でもまあ、ちょっと母親っぽいよな、お前。それに、雲雀くんはまだお子ちゃまだからなー。そのくせ、誰よりも人のこと見てる。」


阿佐美の声は、普段の軽口に比べてどこか静かだった。


「……意外ですね。」

「ん?」

「普段からふざけてばかりの貴方が、そんな風に雲雀くんを見ていたとは思いませんでした」

「……そう? 俺だって一応、友達だし。たぶん。」

「“たぶん”?」

「さあね。アイツ、昔から人のことあんま見てないだろ?興味持たない奴にはとことん興味ない性格。そのくせ、ほっといたら全部自分で背負って倒れるタイプだし。……正直、見てるとイラつくんだよね。」


ふざけているようで、でもその目はどこか真っすぐだった。私は少し意外に思いながら、彼を見つめ返す。


「なら、どうして見舞いに来たんです?」

「……だから、それが“イラつく”ってことなんだってば。放っとけないの。」

「……」


その時、雲雀くんのくしゃみが部屋に響いた。


「っくしゅ! ……誰か悪口言ったな。」

「当たり。創さんが“雲雀くんってすーぐ無茶して熱出す子供ですよね”って言ってた。」

「言ってません!!」

「……っはは、子供扱いかよ。くそ……薬効いてきた。」


布団の中から小さく笑った雲雀くんの顔は、どこか安らいで見えた。



佐山くんは、用事が済むと帰っていった。理由は、「兄弟たちのご飯、俺しか作れないから」だった。残りたそうにしていたその背中には、子どもじみた責任感と、微かに残念そうな気配があった。


一方で――

阿佐美は、まだ居た。


「なんで貴方、まだいるんですか?」


私は彼を正面に見据えながら、湯気の立つティーカップを静かに置く。


「なんで? か。俺、アンタともうちょっと話したかったんだよね?」

「私は貴方と話すことはありません。それに、私は貴方が嫌いです。」

「ああ、それ前も聞いた。俺もアンタ、嫌い。」


にやにやとしたその顔は、何を考えているのかわからない。

けれど――妙に隙がない。


「じゃなくてさ、聞きたいと思わねーの? なんで俺がここに来たかーとか、なんでー」

「興味ありません。それに、私に関係あります? その話。」

「ふーん。……そんな態度取るんだ。」


阿佐美はカップを口元に運び、わざとらしく息をふきかけた。


「貴方は“機関”の人間です。何を言ったとしても信用に値しません。」


その言葉に、彼の口元が一瞬、皮肉に歪む。


「じゃあ俺が知ってる話が――全部、佐山先生から聞いたって言ったら?」

「……は?」

「おっ、やっと食いついた。……でも、タダで教えるにはちょっと割に合わないしな。一応、俺とアンタは“別陣営”だし?」


その言い草に、胸の内に渦巻いていた疑念がざわつく。

わかっている。彼は“敵”だ。

この男が何者かは、正確には把握できていない。だが、感覚的にわかる。


“ヒト”をやめたのは、私だけではない。


それなのに、彼は語らない。なぜこの任務に自ら赴いたのか、なぜ人間としての枠を捨てたのか。本来なら問いただすべきだった。

けれど――私は怖れている。

聞いてしまったら。

彼の正体を知ってしまったら。

私は、雲雀くんの隣にいる資格を、失ってしまうのではないか――そんな予感。


……だから、聞けなかった。


いや、聞きたくなかったのかもしれない。


それに、阿佐美秀という男は、語らないことで“揺さぶってくる”。その目は獣のように、私の警戒と不安を見透かしている。


「……教える気なんて、ないんでしょう?」


私がそう言うと、彼の眉が――ぴくりと動いた。


一瞬だった。


それでも私は見逃さない。


「……あーあ。そういうとこ、ほんとムカつくんだよなアンタ。」


彼は続けて言う。


「流石、最終候補生だな。というか、あの中で選ばれただけある。……あのクソみたいな施設の生き残り。」


阿佐美秀は、カップをゆったりと口に運びながらそう言った。薄く笑うその顔には、どこか諦念のようなものが滲んでいた。


私は視線を外す。

“施設”――あの言葉を耳にするたび、胸の奥がざらりと逆撫でされる感覚を覚える。


あそこは、佐山先生が殺された後に私が収容された場所。来栖雲雀暗殺計画を遂行するための、ヒューズたちの選定施設。感情を捨て、命令に従うだけの道具としてふるいにかけられた日々。冷たい床、無機質な天井、そして……終わりのない命令とテスト。


「クソみたいな場所」という彼の言葉には、確かに同意する。思い出すたび、喉の奥が苦くなるような場所だった。


「機関の奴らはまともなのいないからな。」

阿佐美は、続ける。

「残された最後の“人類”ってだけで、プライドだけは天より高い。ろくに人間の心もないのに。」


私はゆっくりと首をかしげる。


「……貴方、機関の人間ですよね? なのに、機関の人たちが嫌いなんですか。」

「そー、嫌い。」

彼はまた一口、茶を啜りながら、にやりと笑った。

「お前と同じくらいには。」


言葉のトゲは明確だ。彼がなぜここまで私を嫌うのか、分からない。まぁ、知りたいとも思わないが。そんな無駄な感情に時間を費やすつもりはない。


阿佐美はふと立ち上がり、ソファの背もたれに手をかける。


「……俺の知りたいこと、教えてもらえなさそうだし。もう帰るわ。」

わざとらしく肩をすくめ、私の顔を覗き込むようにして言った。

「じゃーね、創。せいぜい、雲雀くんと仲良くな」


その言葉だけを残して、彼は部屋を後にした。



玄関の閉まる音を聞いたあと、私は立ち上がり、氷枕を新しくするために雲雀くんの部屋へと向かった。


ドアを静かに開けると、部屋の中は夕暮れの光に満たされていた。ベッドの上で眠る雲雀の姿があった。寝息は静かで、まるで子供のように穏やかだ。


(……初めて会ったときに比べて、随分大きくなった)


身長も、声も、目つきも変わった。でも寝顔だけは、あの頃とちっとも変わらない。


「……創?」


不意に、目を閉じていたはずの雲雀が、うっすらと目を開ける。

その声にはまだ熱がこもっていた。


「そういえば、帰りましたよ。阿佐美くんも佐山くんも。」

「そっか……」


彼は微かに微笑む。

熱のせいでぼんやりとした目で、私を見ていた。


「早く良くなってくださいね、雲雀くん。……雲雀くんは、もう少し自分を大切にしてください。だって、私にとって貴方は――」


その先の言葉が、喉に引っかかった。なんと言おうとしたのか、自分でも分からない。

心臓が、速く打ち始める。


「貴方は?」


雲雀が、いたずらっぽく問いかける。


「……わ、私の大切な……雇用主、ですから。」


なんとか言葉を繋げたものの、語尾は震えていた。

「……熱で気だるげな雲雀くんも、かっこいいですね。早く元気になってください。それでは」


久しぶりに彼に軽口を叩いた気がする。ずいぶん鳴りを潜めていた私のお得意の口説き文句。でもその言葉はいつもよりも早口で。

私はその場を離れようとする。


――がしっ。


手首を掴まれた。


その手は熱く、力強い。


「へぇ……雇用主、か。傷つくな、それ。」


静かに、けれどはっきりとした声。


その言葉の余韻に、私はパッと手を振りほどいた。まるで火に触れたかのように。


「び、病人は安静にしてください!」


わざとらしい語気になってしまった。思わず顔を背ける。冷静を装おうとすればするほど、言葉が震えていく。


「はぐらかすの?」


彼の声は低く、からかうような響きを帯びている。私は唇を噛み、ほんの一瞬だけ、息を吸い込んだ。


――逃げてばかりじゃ、きっと何も伝わらない。


「た、確かに『雇用主』は、少し……他人行儀でしたね。訂正します。」


言いながらも心臓の音がうるさい。自分の中で爆音のように鳴っているのに、外には聞こえていないだろうかと不安になる。


「……か、家族のように思っています。」


そう口にした瞬間、胸が詰まった。


「いつの間にか、ここが私の“第二の居場所”になっていました。」


それは、嘘偽りのない本音だった。

与えられた使命も、造られた体も、過去の全てを含めて、ようやくここで安らげるようになった。

たとえそれが一時的な幻想だとしても――


「……今の私の、精一杯です。それ以上の言葉なんて……私には思いつかない。」


そう呟いたあと、沈黙が降りた。

彼の目が私を見ている。感情を探るような、意地悪で、けれどどこかあたたかい目。


「ふーん、そ。嬉しいけど。まぁ……いいや。今はそれで。」


雲雀は、にたっと笑う。その笑顔は、いつも私の弱いところを突いてくる時の顔だ。まるで、からかうために感情を読まれているような気さえする。


「“家族”ねぇ……」


その口元が含みを持って緩む。


私は、それ以上聞くのが怖くなって、くるりと踵を返した。


「っ……!」


自分でも驚くほど大きな音を立てて部屋を飛び出す。冷静さを装っていたつもりが、今ではもう完全に崩れていた。

足音が廊下に響く。普段の私なら許せない乱れた足取り。でも、そんなことに構っている余裕はなかった。


――うるさい。


作られたはずの心臓が、まるで本物のように大きな音で鳴り響いていた。


その音が、どうか、彼には届いていませんように。

そう願いながら、私は走り去った。

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