16. 梅とご飯
週に一度。私は佐山くんの誕生日に向けて、梅さんに料理を教えている。最近では肉じゃががうまく作れるようになってきた。味の染み具合も、火加減も、合格点だ。
梅さんはめきめきと実力を伸ばしているのだ。
そして今日は、佐山くんの好物「ハンバーグ」の特訓日。
「創さんこんにちは! 今日はハンバーグの作り方教えてください!!」
元気な声と共に、梅さんがエプロン姿で現れる。
白い生地にネイビーのストライプが入った清潔なエプロンだ。似合っている。
「こんにちは。梅さん、確か佐山くんはチーズが好きでしたよね。……なら、チーズインハンバーグにしましょうか。」
「おおっ! 流石です! それにします!!」
私たちはキッチンに並んで立ち、玉ねぎを刻み、ひき肉を練る。料理というのは手間がかかるが、そのぶん気持ちを込められる。誰かのために作るときほど、そう思う。
――しばらくして、ふと梅さんが口を開いた。
「あのー、創さん。」
「なんですか?」
「創さんって……海外の方って本当ですか?」
その質問に、私は思わず包丁の手を止めた。
どこから聞いたのだろうか。
いや、それ以上に、懐かしい記憶が胸の奥をくすぐった。
そう。私は“昔”、中国の貧民街で都さんに拾われたことがある。あのときは本当に焦った。未来から日本に飛ばされるはずが、目標座標が大幅にずれて中国に着いてしまったのだ。
途方に暮れた私は、とにかく日本へ行くための資金を得ようとした。手段を選ばなかった。そのとき、ひとつの財布に手を伸ばした。高価な装飾がついた、きらびやかな金色の財布。
――その持ち主が、都さんだった。
後から聞けば、都さんは偶然にも中国出張で現地を訪れていたのだという。当然、スリはすぐにバレた。私は捕まり、地面に叩きつけられ、怒られた。激しく、
でも――どこか、温かく。
「……ふふっ。」
私は思い出し笑いをしてしまった。佐山くんが不思議そうにこちらを見る。
「どうしたんですか?」
「いえ、ちょっと思い出してしまって……。確かに私は昔海外にいましたよ、その時危うく犯罪者になるところだったことを思い出してしまって。つい笑ってしまいました。」
「ええっ!?」
「今となっては笑い話ですよ。その時きちんと、叱ってくれる人がいたおかげで、私は今こうしてチーズインハンバーグを作れるようになったわけです。」
そう言うと、梅さんは少し驚いたように笑った。
「ははっ、創さんってほんとに面白い人ですね。……その人って、もしかして雲雀くんのお母さん?」
ハンバーグを成形する手を止めずに、梅さんが笑った。
「はい、都さん。懐かしいですね。」
私は静かに頷く。
ふと、遠くで小鳥の鳴く声が聞こえた。晴れた昼下がり。窓から差し込む光が、キッチンにやさしく降り注いでいる。
「なんかレアですね~。昔の創さんの話が聞けるなんて。もしかして、雲雀くんも知らないんじゃ……?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、梅さんは言った。
「……確かに。聞かれていないので言っていないですね。雲雀くんも、わざわざ私の過去など興味ないでしょう。」
「ふーん、そんなこともないと思いますけど。」
「……そうですか?」
「はい。雲雀くんは多分、創さんが思ってる以上に創さんのこと好きですよ。
だから――創さんが言おうとしないのを察て、あえて聞いてないだけなんだと思います。」
その言葉に、一瞬だけ、胸の奥が揺れた。
雲雀くんは、昔と変わった。
幼い頃の彼は、幼いながらも世界に、大人に絶望していて、誰も信じていなかった。
だけど今は違う。
人を遠ざけていた彼が、自分から関わろうとしている。
――都さんを失ったあの日でさえ、私を受け止めてくれた。
あのとき、彼は泣きも怒りもせず、ただ「一緒にいろ」と言ってくれた。
「……もしかしたら、雲雀くんは“大人”になったのかもしれませんね。」
ぽつりと私がそう言うと、梅さんは少しだけ目を細めた。
「そうですかー?今でも結構子供っぽいところあるけどなー。」
少しの沈黙。
やがて、彼女はおずおずと口を開いた。
「……あの、創さん」
「はい?」
「気になります? 私の昔の話」
「……え?」
「気になります!!
……っていうか、実はずっと聞いてみたくて。でも失礼になるかも知れないし……って、ずっと迷ってて……。」
「構いませんよ。どうぞ。」
「……じゃあ、聞きますね。創さんって――ご両親はいたんですか?それと、友達とか……。私や兄さんは、日本に来てからの創さんしか知らないから。」
私は手を止めた。
ひき肉のぬくもりが、掌から静かに消えていくようだった。
ご両親、という単語は、今も少しだけ胸に刺さる。
「両親ですか……」
ハンバーグを練っていた手を再び動かし、私は少しだけ目線を落とす。
「血のつながった家族はいませんでしたけど……父のような存在は、いましたね。」
「……そうなんですね。どんな人でしたか?」
梅さんが、手を止めて私のほうを見る。
好奇心だけじゃない、ほんの少し、心配も混じった眼差し。
「――お人よしで、甘くて、臆病者で……誰よりも優しい人でした。すぐ人に騙されるんですよ。ほんと、困っちゃう人でした。」
少し笑ってしまった。
思い出すその人の顔は、今の佐山くんの表情に重なる。
佐山先生は誰よりも優しかった。
あの機関の人間は皆ヒューズが嫌いだ。だから私たちは駒同然で。利用価値があるから活かしてもらっている道具で。
そんな中彼だけが、先生だけが私に温かい言葉を与えてくれて、私の頭を撫でてくれた。
「だからこそ、血の繋がらない私にも優しくしてくれた。……今思えば、本当の娘のように、接してくれていたんだと思います。」
未来の、貴方のお兄さんのことだけどね。
――とは言えない。
けれど、口にするだけで胸があたたかくなる。あの人の手は、いつも不器用で、それでも私を包んでくれていた。
「……そんなお人よし、お兄以外にも存在するんだ……」
梅さんがぽつりとつぶやく。
気恥ずかしさをごまかすように、笑って言った。
「ふふふ。確かに、その人と佐山くんは似てますね。」
「……でも、なんか分かった気がします。」
「……何が、ですか?」
梅さんは、包丁を置いてこちらを見つめた。
真剣なまなざしで、でもやわらかく微笑みながら。
「その“創さんのお父さん”のおかげなんですね」
「……?」
「創さんが、優しい理由」
「――私が、優しい……?」
一瞬、思考が止まる。
私は、自分を優しいと思ったことがなかった。優しさは、曖昧で不確かなもの。
プログラムでは定義できないもの。
ましてや、任務を抱え、感情の欠落を抱えた私が持っているとは、思えなかった。
「うん、優しいです。いつもそう思ってます」
「……私は、雲雀くんの使用人として恥ずかしくない行動しているだけですよ。」
「それでも、です。」
梅さんはきっぱりと断言する。
「たとえ“理由”があったって、誰かを思って動ける人は、やっぱり優しい人だと思うんです。」
その言葉に、胸の奥が静かに揺れた。
かつて、あの人が私に言った言葉と重なる。
――「誰かのために動けるお前は、もう立派に“人間”だよ。」
先生があまりにもご飯を食べなさすぎるので気づいた私が彼にレーションをあげた日彼が言ってくれた言葉。
あの時は信じられなかったその言葉が、今になってまた胸を叩いた。
「……ありがとうございます。梅さん。」
私はそっと目を伏せて、気持ちを整えるように玉ねぎに再び包丁を入れた。
「私、お父さんいないから、いいなぁ……そんな優しいお父さんがいて。」
にっこりと、梅さんが微笑む。その表情に、少しだけ寂しさが滲むのがわかった。
――そういえば、佐山家は母子家庭だったか。
「でも、お父さんがいなくても――うちにはお兄もいるし、百人力の母さんだっているし!」
そう言って、彼女はパッと明るく笑った。
「きっと私、幸せ者です!!」
とびきりの笑顔。
まっすぐな、どこまでも人を照らすような光。
「はい。梅さんは、幸せ者ですよ。」
私も、つられて微笑んでしまう。
「創さんもね?」
「……私も?」
「はい! だって“家族”、雲雀くんがいるじゃないですか!!」
――雲雀くんが、家族。
暗殺対象だった彼。
私は、彼を殺すためにやってきた存在。家族とは、正反対の関係。
でも、今は――もう違う。
彼は私を受け入れてくれた。都さんを失ったあの日も、私が私であることを、否定しなかった。少し動悸が揺れる。
「雲雀くんは、雲雀くんですよ。……私はただの使用人です。」
「ちぇー、釣れないなー創さんは……」
梅さんがほっぺをふくらませて言う。
「雲雀くんだったらここで『創と俺が家族!?変なこと言うな!!』って、すっごい面白いリアクションしてくれるのに!」
「……梅さんは、私に何を期待してるんですか。
」
私たちは、ハンバーグの生地をこね終えて、それを冷蔵庫に入れる。
あとは寝かせて焼くだけ。手は止まっても、会話は止まらない。
「少し休憩しましょうか。そういえば――さっき、梅さんがしてくれた質問に、もう一つ答えましょう。」
「?」
「私にも、お友達がいましたよ。初めてのお友達。」
「――!」
「でも今は、増えました。……梅さんっていう、元気で、可愛らしい女の子が。」
「なっ!? は、はじめさん!?!」
思わず身をのけぞらせた梅さんの顔が、見る見るうちに真っ赤になっていく。
「さ、さすが……あの捻くれ男を落とした人だ……」
「? 何か言いましたか?」
「な、なんでもっ!!」
慌てて顔を背ける梅さんの背中越しに、私は少しだけ、声を出して笑ってしまった。
未来から来た私は、もうとっくに感情を持っていたのかもしれない。
それはきっと、こんな風に誰かと料理を作りながら、笑い合う日常のなかで育つものなのだ。
冷蔵庫の中のハンバーグの生地が、じんわりと旨味を蓄えるように、私の中にも、新しい“あたたかさ”が、少しずつ、積もっていく気がしていた。




