10. 1人は寂しい
高校生になった雲雀くんたちは、私の目には少し遠くなったように映る。
中学時代よりも、さらに家にいる時間が減った。朝は早く、帰りは遅く、夕食も時々は研究所で済ませるという。
理由は簡単。
彼らは忙しいのだ。
ヒューズ細胞の研究、つまり“私”のルーツに関わるあの作業に、彼らは青春を捧げている。
……私の元となる存在に雲雀くんを盗られて、ちょっとだけ、複雑な気分だ。
「いってきまーす。」
今日も、雲雀くんは私の作ったお弁当を持って、足早に玄関を出ていった。
……暇だ。
家の中には私ひとり。
音は冷蔵庫の微かな駆動音と、遠くで鳴く鳥の声だけ。
こういうとき、人間だったらどうするんだろう。
友達と遊ぶとか?
ゲームするとか?
家出……は違うか。
……でも、ふと思ってしまった。
私は、最近佐山くんが羨ましい。
だって四六時中研究を理由に雲雀くんと一緒にいるのだから。
彼はいつも雲雀くんの隣にいて、私の知らない“雲雀くん”を知っている。
なんだか、むかつく。
ふと、私はあることを思いついた。
「そうだ、学校に行ってみましょう。」
***
「――というわけで、編入生を紹介するぞー。淡路創さんだ。」
教壇に立つ担任の声が教室に響く。
私は黒板の前に立って、周囲からの視線を浴びていた。
漫画資料などでしか見たことないようなシーン。
「高校には通ったことがないらしくてなー。お前ら、困ったことがあったら教えてやれよー」
先生の軽い口調に、教室中がざわつく。
その中で、ひときわ大きな声が響いた。
「は、はぁぁぁぁぁ!? な、なんでこいつがここにいるんだ!?」
雲雀くんだった。
五倍くらい大きな声を出して、椅子から立ち上がりかけていた。
「"来栖"くん、先生を驚かせちゃってますよ?」
私がひそりと笑って囁くと、雲雀くんは眉をひくひくさせながら、真っ赤な顔で黙った。
「おー、来栖。もしかして知り合いか? じゃあ、淡路のことよろしくなー」
先生が無責任にそう言い放ち、私はそのまま雲雀くんの隣の席に案内された。
*
教室に座っていると、周囲から生徒たちがどんどん話しかけてくる。
人間関係とはなんと騒がしいものか。
「わー! 淡路さん、すっごく可愛い〜!! ねっ、連絡先交換しない?」
「えっ!? 淡路さん、年上なんだ!? まじか、見えねー!!」
「来栖くん、すっごい驚いてたな〜! あれめっちゃ面白かったよ!」
……彼らはどうやら、私のことを好意的に受け入れてくれているらしい。
人間関係とは、見た目と初動がすべてなのかもしれない。
私は「ありがとうございます」とにこやかに返しつつ、横目で隣の席に座る雲雀くんを見る。
彼は、頬をひくひくさせながら、私から少し顔を背けていた。
そんな彼に、私はつい保護者のように話しかけてしまう。
「"来栖"くんは、学校ではどうですか?」
――その瞬間、周囲にいた生徒たちがどっと笑った。
「淡路さん、それめっちゃ保護者っぽい!」
「彼女かお母さんかどっちかにしか聞こえねぇ!」
「来栖、超恥ずかしそう! 顔真っ赤じゃん!」
「マジでやめろ、創……!」
怒ったように目を逸らすその表情が、なんだか可愛くて。
思わず笑ってしまう。
*
放課後の教室には、もうほとんど人影がなかった。夕陽が差し込む窓から伸びる光が、机の上に長く影を落としている。
その中で、雲雀くんが私をじっと見つめてた。
「……なんで、相談しなかったんだ?」
彼の声は低く、少しだけ苛立ちが混じってた。
驚かせたかった――というのも、少しはある。
けれど、それだけじゃない。
「学校に通いたいって言ったら、きっと高校じゃなくて大学に行けって言われると思ったんです。」
私の返事に、雲雀くんは眉をしかめる。
「……真っ当な意見だろ。お前の年齢的に。それに、なんで今さらだよ。お前、小中も通ってないのに。」
その通りだ。
ど正論だ。
けれど、私ははっきり言った。
「今さらなんてこと、ありませんよ。高校生活……ずっと夢に見てたんです。」
「……ほんとは?」
雲雀くんの目が鋭くなる。
今日はなんだか、彼の観察力が冴えている。
これは、誤魔化しても無駄だ。きっと本当のことを言うまで、追及されるだろう。
私は小さく息を吐いて、正直に口を開いた。
「……羨ましかったんですよ。」
「は? 何が?」
雲雀くんは不思議そうな顔をして、私の顔をのぞき込む。
「……雲雀くん、最近特にお家に帰ってこないじゃないですか。朝早く出ていって夜は遅く帰ってきて。夕飯もここ数日一緒に食べれてません。だから、学校に行けば、見守れるし、一緒にいられる時間が増えるかなって。」
私の言葉に、雲雀くんはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
そして、ちょっとだけ赤くなった顔をそらしながら、ぶつぶつと何かを呟き始める。
「……は? そ、それってつまり……いや、まさかな……あの鈍感創だぞ?」
「……?」
「んん!! まぁ、ともかく……」
彼は無理やり話題を戻して、少し気まずそうに言った。
「創、寂しかったのか?」
ー寂しい。
そう、たぶん、それが正しい言葉だ。
都さんがいなくなったこの屋敷は、どこか空虚になっていて。
そして、その上、雲雀くんと一緒に過ごす時間も減っていった。
あの大きなお屋敷で私はひとりぼっちで。
私は、ひとりきりで、寂しかった。
「……はい。寂しかったです。雲雀くんが、ほとんど家にいてくれないから……」
私は基本、素直な方だと思う。ただ、わざわざ言葉にしないこともある。でもこれは、言葉にしたほうがいい気がした。
雲雀くんは目を見開き、しばらく黙っていた。そのあと、ゆっくりと視線を落とし、低い声で呟く。
「……そ、そうか。……それは……ごめん。なんか、必死になっちまってたな。」
彼は、まるで懺悔のように言葉を続ける。
「……ほら、うち母さんいなくなっただろ? お金は残してくれたけど、それにも限界があるし。創は雇われて、うちにいてくれてるから……焦ったんだよ。俺はまだ稼げねぇし、自分にできることで――創が、一生食っていけるくらいの規模の研究を、って。」
「……ヒューズ細胞の権利ですか」
「そう。研究が形になれば、インタビューとか、本とか、印税とか……そういうので稼げるようにって思ってた。けど、創のこと……ちゃんと見れてなかったな。本当、ごめん。」
彼の声音は、いつになく優しく、申し訳なさそうだった。
「これからは、ちゃんと見るから。……そんな拗ねんなよ。」
彼は小さく笑った。
珍しく、雲雀くんが真っ直ぐに、私のことを“見て”いた。
まぁ、今回は雲雀くんに免じて許してあげましょう。
*
――帰宅後
「創、やっぱり同じ高校はやめてくれ...」
雲雀くんからそう懇願され、私の高校生活は転入日の1日で終了した。
だけど、その代わりに。雲雀くんと夕食を囲む時間は、以前よりずっと増えた。
まぁ、それで十分。
もう寂しくない。