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9. 変わったのは私



都さんを失った日から、私の中で何かが変わった。


ー「雲雀をよろしくね。」


都さんが最後に遺した言葉。

それは命令でも指示でもなかった。願いだった。

心から、母としての願いだった。

創はその言葉を何度も思い返していた。

そして気づいた。

――自分はもう、雲雀を殺せない。

それは命令に背くとか、使命を放棄するとか、そういう話ではなかった。

ただ、どうしても殺せなかった。

元々悪になるかどうか見極めてから殺そうと考えていた。ターニングポイントを超えてからの出方を様子見していたのだ。

しかしからは壊れなかった。

親を亡くしたと言う喪失を経験したのにも関わらず。

私にとって雲雀くんは、もはや“暗殺対象”ではなくなっていた。


「……私が、未来を変える。雲雀くんを殺さずに、救ってみせる。」


そう決めた瞬間、世界の輪郭が変わった。

淡路創というヒューズが、初めて“誰かのために生きる”ことを選んだ瞬間だった。


***


都がいなくなってから、来栖家は雲雀と創の二人暮らしになった。来栖家は静かになった。

夜になると、広すぎるリビングに私と雲雀くん、二人だけ。寂しいとか、悲しいとか、そういう言葉で表せない空虚がこの家全体を包んでいる気がした。


でも、雲雀くんは立ち直った。


雲雀は驚くほど早く立ち直った。いや――立ち上がった。泣かなかった。倒れなかった。母親を失ったというのに、彼はまっすぐ前を見つめていた。

彼は母の死を機に、高校進学と同時に佐山くんとともに医療分野の研究に没頭するようになった。


「人を救う技術があれば、誰も悲しむことなんてないから。」


そう言った雲雀の背中は、どこか遠くなっていた。私は思う。彼は少し変わってしまったのか、大人になってしまったのだろう、かと。


――案外、そうでもなかった。


夜遅くまで研究して疲れ果ててソファで眠る姿。朝、寝癖のままぼんやりとトーストをかじる姿。そして、実験がうまくいったときに見せる、少年のような無邪気な笑顔。

それを見るたびにほっとしていた。変わっていない。雲雀くんはちゃんと都さんの死に向き合えたんだ。

だけど、わかっている。


未来では、雲雀くんは世界を壊した。

ヒューズを率いて、多くの命を奪った。

その引き金が何か、わからなかった。

ずっと「都さんの死」がそのトリガーだと、思い込んでいた。


けれど、それは違った。


都さんがいなくなっても、雲雀くんは壊れなかった。むしろ強くなった。まっすぐに、生きようとしていた。


彼が世界を壊すトリガーは、まだ現れていない。

それがいつなのか、何がきっかけで歪むのかは、わからない。


まだ、何かが──彼を壊す“出来事”が残っている。それを見つけて、阻止する。それが今の私の「任務」だ。

暗殺者としてではなく、都さんの“もう一人の娘”として。雲雀くんの“そばにいる者”として。

私は誓った。


「絶対に、そんな未来にはさせない。私が雲雀くんを守る。……今度は、私が“殺させない”側になるんだ」


そして、私は初めて雲雀を一人の“人間”として意識するようになった。


人間くさい。

子供っぽい。突然くしゃみをして鼻をかみ、イチゴジャムの瓶を開けられず唸る。そうかと思えば、研究で医療用ヒューズの新理論を編み出して喜びを隠しきれず鼻唄を歌っていた。


……そんな雲雀くんに、私は何度も、“かわいい”と思ってしまった。

 

彼は、変わらない。

母親を失っても、人を信じることをやめていない。それがどれほど、尊くて、奇跡みたいなことか。


「創、こいよ。」


ふと、名前を呼ばれるたびに。

返事が少し遅れるようになったのは、たぶん私のせいだ。

雲雀くんが変わったんじゃない。変わったのは、私だった。

 

 

「創、今週末は研究室、来るのか?」

「もちろん。助手ですから。」

「いやお前いつから俺の助手になったんだよ、一応メイドだろ?」


そう笑って言う雲雀くんに、私の心はざわついた。その笑顔が、都さんと同じに見えた。


ああ、このままがいい。

このまま、平和で穏やかで、未来を考えないでいられる日々が続けばいい。


そう願ってしまう私は──もう、完全に壊れているのかもしれない。

 

 

「……雲雀くん、」

「ん?」

「なにか……欲しい未来って、ありますか?」

「あるよ。あるに決まってるじゃん。そうだなぁー、俺の好きな人たちがずっとそばにいてくれて、研究が完成して、誰も泣かなくてすむ世界。そんな未来を、俺は欲しいし、選びたいな。」

 

その言葉は、願いだった。

未来なんて、選べない。そう思っていた。私は選ばされる側だと。

でも──雲雀くんは違った。世界を壊すような彼が、本当は「誰も泣かない未来」を選びたいと言う。

その言葉を、本気で信じたいと思った。

目の前で笑う彼が、傷ついたまま自分の未来を壊すような結末に向かわぬよう、守りたいと思った。

都が遺してくれた家で。

母を失い、それでも前に進もうとする彼と。感情を持たぬはずだった自分が、抱いてしまったこの温かな痛みに震えながら。

願った。


ターニングポイントなんて来なくていい。


何かが壊れる前に、全て守りきりたい。


そう、私は初めて──「世界を守るために雲雀を殺す」ではなく、「雲雀を守るために世界に抗う」と思った。

 

それが、淡路創という人間の、最初の“選択”だった。

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