中編:リケジョ、初デートに挑む
明日の夜の更新で完結予定です!
朝、鏡の前に立った澄子は、自分の姿にどこか他人を見るような感覚を覚えた。髪を低めの位置でくるりんぱしてまとめ、うなじを見せる髪型、きちんと整えられた眉とまつげ。厚すぎず、それでも確かに存在感のあるメイク。服はシンプルながらも大人っぽく仕上がり、昨日までの自分とはまるで別人だった。
部屋を出てリビングに向かうと、新聞を読んでいた父は澄子を見て目をひん剥き、母は察するものがあるのか悪戯っぽく笑っている。
「......おはよう」
「あ、あぁ......」
父がどもりながら返事するのを母はクスクス笑って見ながら、手際よく机に朝ごはんを並べてくれる。
「澄子も大学生だもの!おしゃれ、とっても素敵よ!」
何も聞かずに褒めてくれる母がありがたく、澄子はそっと微笑みを浮かべた。
家族には褒められたものの、クラスメイトの反応が怖く、澄子は教室に入らず廊下で立ちすくんでいた。
(ど、どうしよう......急にこんなに雰囲気変えたら、みんなドン引きかも......でも、変化は大きければ大きいほど、インパクトが大きいと雑誌にも書いてあったし......)
グルグル悩んでいると、ここ数日で急に慣れ親しんだ声がする。
「おー!木下サン、この前の買い物からすぐにイメチェン成功なんて、さすが優等生!感心感心!」
八代翔真である。
「べ、別に今すぐにでもみんなに可愛いと思われたかったわけじゃないから!ただ、サンプルを入手したら試したくなるのが研究者というか......」
「あー、はいはい。みんなに可愛いって早く思われたかったのね。うん、かわいーかわいー」
翔真が適当に相槌を打つのが妙に腹立たしい。
「で、今はせっかく張り切ったはいいけど、みんなの反応が怖くて教室に入れない感じ?ついてってあげようか?」
「はぁ!?そんなわけないでしょう!授業の振り返りを脳内でしてただけ!いま教室に入ろうとしてたところよ!」
小馬鹿にするように言われ、反射的に反論したせいで引くに引けなくなり、澄子はずんずんと教室に向かった。「俺もついてこーっと!」後ろからいけすかない声が聞こえるが無視である。
澄子が教室の扉を開けた瞬間、ガヤガヤしていた空気が一瞬、止まった。数人が顔を上げ、そして――誰かが小さく息を呑む音がした。
「……え? 木下さん……?」
「ちょ、あれ……マジ?」
瞬く間に教室内の視線が澄子に集中する。驚きと戸惑いと、そして確かに――羨望の混ざった視線。
澄子はぎこちなく笑おうとしたが、口元が強張って上手く笑えなかった。
(わ、私、変なことしてないよね……!?)
背後で、翔真がニヤついているのが気配でわかる。
「みんなー、この美人さんは木下澄子さんでーす。拍手ー」
「バカッ! やめなさいってば!」
思わず振り返って小声で怒鳴ると、翔真は肩をすくめながらニヤリと笑う。
「いやー、せっかく変わったんだし、みんなに注目してもらわないと勿体無いかなー、って」
教室の空気が、緩やかに変わっていく。
女子たちの一部はざわざわとした視線を交わしながら「似合ってるよ」と小さく声をかけてくれた。男子たちは、気まずそうに目を逸らしながらもちらちらと澄子を見ている。
見た目が変わるだけで、こんなにも反応が違うのかと思うと、澄子の胸には複雑なものが芽生えた。
でも同時に――嬉しくもあった。
これまで誰にも関心を向けられなかった自分が、確かに“視線を集めている”という実感。
「なぁ、これ、俺のおかげじゃない?」
翔真が後ろから嬉々として声をかけてくる。澄子は少しだけ視線をそらしながら、ぽつりと答えた。
「……まぁ、そうともいえる」
「へぇ、素直じゃん。見た目だけじゃなく、性格もちょっと可愛げ出てきた?」
「は、はあ!? 何言ってんの!」
顔が熱くなるのをごまかすように、澄子はノートを開いて授業の準備を始めた。
……でも、翔真のことばは、悪くなかった。
それどころか、内心では――嬉しかった。
ーーーーーー
それからも澄子は、翔真にアドバイスをもらいながらも、日々努力を重ね(時に野暮ったいメイクだったり、チグハグな服装の時もあったが)次第に垢抜けていった。話しかけてくれる人たちも増え、今まで「ガリ勉の言うことって意味不明」とバカにされてたような発言も、見た目とのギャップが面白いらしく「リケジョっぽい発言が天然でウケる」と受け入れられている。
中身は何も変わってないのに、外見だけで態度を変える周囲に、時々どうしようもない違和感は感じるが、それでも澄子なりに手応えを感じ始めた。今ではクラスの子とカフェや飲み会にも行くようになり、憧れの「リア充」「パリピ」に近づいている気がする……!
そして、翔真も同じことを思ったようだった。
「さて、デートはいつにする?」
「......は!?デート!?」
「えー!木下サン、まさか俺との約束忘れちゃったの!?プロデュース成功したら一回デートの約束じゃん。俺、もしかして弄ばれた!?」
悲劇のヒロインぶって泣くふりをしているが、翔真の口元には笑みが浮かべられている。
澄子は約束は決して忘れない義理堅い性格だ。約束はもちろん覚えていたが......
(デートって何すればいいの!?本当にするの!?っていうか、なんで八代くんは覚えてるのよ......!)
「……覚えてるけど、その……本当にするの?お礼に、何かご飯ご馳走するとか、そういうのでいいかな?」
「え、マジで言ってる?ご飯奢ってほしくてデートって言ってるわけじゃないんだけど。違う場所にしようぜ」
「……なら、博物館は?今ちょうど『あなたの知らない細胞の世界』って特別展やってるんだけど!」
「……それ、デートっていうか課外授業じゃん。しかも、木下サン、絶対俺のこと忘れて自分の世界に入るよね?却下」
即答された。
「いいじゃない、知的で実りのある休日って感じで」
「いやいや、俺だって博物館自体は嫌いじゃないけど、もっとこう、普段木下サンが行かないようなところにしようよ。映画館とか、カフェとか、水族館とか……!」
「……それって、完全に普通のデートじゃない!」
「うん。だから“デート“でしょ?」
ニッと笑うその顔が、いつもより少しだけ近くに感じて、澄子は視線を逸らした。
(なんか、すごく本気っぽくない?……え?私、自意識過剰過剰??)
「じゃあ、水族館にしましょう……言っとくけど、別に水族館デートに憧れてるわけじゃないからね!」
「はい、ツンデレいただきましたー。じゃあ、今度の日曜ね。詳細はメッセージ送るから、お楽しみに」
「べ、別に楽しみになんてしてないし!」
そう言いながらも、澄子の声は少しだけ弾んでいた。
ーーーーーー
日曜日の朝、日差しが柔らかく部屋を照らし、澄子はカーテンを開けて静かに深呼吸をした。
(デート、ね)
クローゼットの前には、この日のために購入した薄いラベンダー色のワンピースと白いカーディガンが掛かっている。おずおずとワンピースに袖を通し、いつもより柔らかいメイクに仕上げた。
駅前で待ち合わせた翔真は、いつもの軽薄な雰囲気を抑えた、落ち着いた私服姿だった。淡いグレーのシャツにベージュのチノパン。シンプルながら、服装に気を配っているのがよくわかる。そして、いつも待ち合わせ時間の10分前に来る澄子を見越していたかのように、澄子より早く集合場所にきていた。
「……早くない?」
「おっ!木下サンおはよ〜……たまには時間前行動したけど、そっちこそ早いじゃん。なに?そんなにデート楽しみだった?」
「違うし!相手を待たすのは失礼でしょう!だから、早め早めの行動してるだけよ!ただの!マナー!」
「俺、木下サンのそういう律儀なところ、すごくいいと思うよ。服も可愛い」
いつもの揶揄うような調子ではなく、素直に褒められて澄子は顔を背ける。
「あなたこそ、服、いつものチャラチャラしたのと全然違うじゃない」
「チャラチャラって……結構普段から気を遣ってるんですけど。今回は、木下サンに合わせて、少し落ち着いた感じにしてみました」
そう言いながら、翔真はさりげなく澄子の隣に並び、自然と歩き出す。電車に揺られながら、学校のこと、水族館のことを話すうちに、少しずつ緊張が和らぎ、気づけば水族館についていた。
館内は親子連れやカップルで賑わい、天井から吊るされた青い照明が幻想的な雰囲気を作り出している。海中トンネルをエスカレーターで登りながら、澄子は魚の群れに圧倒されていた。
「うわー……きれい」
水槽の中を泳ぐ魚たちの鱗に光が反射し、キラキラと輝いている。無意識にエスカレーターから身を乗り出す燈子を、翔真は黙って見つめていた。
「やっぱり、今日ここにしてよかったな」
「え?」
澄子が振り返ると、翔真は少しだけ目を細めて、穏やかな笑みを浮かべていた。
「いつもの木下サンって、なんか気を張っている感じがあるけど……今はめっちゃ素の感じ」
「え、もしかして変な顔してた?」
「違うって。いい意味でだよ。リラックスしてるっていうか……口開けてぽけーっとしてるっていうか」
「それ、だめじゃない!」
顔を真っ赤にして抗議する澄子に、翔真は声を立てて笑った。
(こんな風にこの人と笑いあえるなんて思ってなかった。いっつもチャラチャラしてて、軽薄で、苦手なタイプだと思っていたけど、人を見かけで判断しちゃダメね。こんなに楽しいならもっと早くーー)
澄子がそう思った瞬間、翔真がふと、一つの展示の前で足を止めた。
「……あ、これ」
その展示には、古代魚から現代の魚までの進化の過程が描かれていた。澄子の目が思わず輝く。
「あ、これ知ってる!ティクターリクっていう、両生類と魚類の中間的な種で、陸に上がれる構造を持っている、まさに進化の“途中“の種なのよ!」
「予感はあったけど、木下サン、化学だけじゃなくて生物もいけるクチなのね、さすがだわ。じゃあもしかして、アノマロカリスとかハルキゲニアとかも知ってる?あのあたりの生物もめっちゃロマンあるよなー。一見グロいんだけど、“設計途中“みたいな生き物、妙に惹かれない?」
「えっと、確かカンブリア爆発の?」
「そうそう“生命の実験場“みたいな時代。あの時代の復元CGとか見てるだけで興奮するよな〜」
そう言って翔真は目をキラキラさせるが、澄子はその姿に驚いた。
「……その見た目で、意外と地味な趣味なのね」
ぽつり、と澄子が呟くと翔真の笑顔がほんの僅か、揺らいだ。
「あー、ごめん。俺っぽくないよな、こういうの」
「え……?」
「いや、ごめん。つい熱入っちゃったけど、こういうのつまんないよな……木下サンならいいかなって、思ったんだけど」
笑って誤魔化すように言い、翔真は辺りを見回すと「あ!あっちにペンギンいるって!行こう」と澄子に声をかける。その無理した振る舞いに、澄子の胸がズキンと痛んだ。
(私、やっちゃった……人を見かけで判断しちゃだめって、思ったばかりだったのに)
どう謝ろうか、頭をグルグルさせていると、翔真が小さな袋を鞄から取り出す。
「そう言えばこれ、ちょっとしたプレゼント……イメチェン頑張った木下サンへのご褒美ってことで」
「え……」
澄子が戸惑いながら袋を開けると、中には淡い紫色のヘアクリップが入っていた。小ぶりながらも品のあるデザインで、今日の澄子の服にも不思議なくらいピッタリだった。
「……どうして?」
「この前の買い物の時、こういう色の小物に何度か手を伸ばしてたから好きかなーって思ったんだけど、違った?」
その瞬間、澄子の胸の奥に、じわりと何かが滲んだ。
嬉しい。でも、それ以上にどうしようもなくーー苦しい。
(なんでこんなに優しくするの。私はいつも八代くんに何かしてもらってばっかりで、でも私は何一つお返しできてない)
今日のデートは、約束の「お礼」だった。翔真に感謝を伝えたくて来たはずなのに。
「……ありがとう。すごく、嬉しい。あと、服とかメイクとかも、面倒見てくれてありがとう……本当に嬉しかった。なのに」
震える声で、澄子はポツリと続けた。
「八代くんは、私のこときちんと考えてくれたのに、私は八代くんの見た目で決めつけて、地味な趣味なんて言っちゃって、悪かったと思って」
翔真は目をパチパチさせている。
「え、そんなこと気にしてたの?木下サンは真面目だな〜。全然気にしてないから大丈夫だよ」
そう言って笑ってはくれるが、見慣れたその笑顔も、先ほど好きなことを語っている時の笑顔を見た澄子にとっては「貼り付けた笑顔」でしかなかった。
「私、本当に悪かったとーー」
「あー、いいってそういうの。今日は楽しく行こうよ。じゃあ、次はイルカのショー見にいくかね〜」
話を無理やり切り上げるようにして、翔真はぐんぐん歩いていく。
(私、全然変われていない)
翔真のおかげで、見た目は可愛くなれた。でも、中身は変わっていない。独りよがりで自分の世界に夢中で……。今まで友人らしい友人があまりいなかったから気づかなかった、自分の欠点。
(どうしよう)
水族館の出口を出ると、夕焼けが街を朱に染めていた。少し歩いた先のベンチに並んで腰を下ろし、2人はしばらく黙っていた。けれど、嫌な沈黙ではなかった。水の中の幻想のような時間が、まだ体の奥に残っている気がした。
「今日の写真、後で木下サンにも送るね」
「あ、うん。ありがとう」
そう返した澄子の声は、思ったよりもずっと小さかった。
「木下サン、見た目は確かに変わったけど、見た目のこと関係なく、木下サンは自分で思ってるより、ずっと魅力的だよ」
不意に言葉を投げれれて、息が詰まる。
ふざけているようにも聞こえた。でも、それ以上に真っ直ぐだった。翔真の横顔は冗談を言う時のそれではなく、真剣で、少しだけ不安そうだった。
(何、それ)
澄子は言いかけて、思いとどまった。
胸の奥に、ヒヤリとしたものが流れる。どうして、そんな顔でそんなことを言うの。あなたは、軽くて、適当で、誰にでも優しくて……そんな人じゃなかったの?
「……やめてよ、そういうの」
自分でも、何を言っているのかわからなかった。それでも、澄子の口は止まらなかった。
「そういうのって?」
翔真の声は静かだった。責めるでも、戸惑うでもなく、ただ真っ直ぐに確かめようとする、凛とした声だった。でも、澄子はその声を受け入れられなかった。
「……みんな、私のこと、ガリ勉だ、ダサいって馬鹿にしてたじゃない。八代くんだって、私のこと、地味女が頑張って、ってバカにしてたんでしょ」
「っ違う、俺は本当に……!」
「だって、あなた、最初に『面白そう』って言ったじゃない」
「え……?」
「コスメ指南するつもり?って私が聞いた時『だって面白そう』って言ってたじゃない!地味女が努力するのは、さぞ面白かったでしょうよ!」
翔真が悲しそうな顔をした。
澄子だって、本当はわかっている。翔真はそんな人じゃない。
それでも、見た目は変わっても中身は変わらない自分。地味で、自分の世界に夢中で、他人を気遣うこともできない。そんな自分を、翔真が「魅力的」というのが信じられなかった。いや、信じるのが怖かった。だって、もし信じて、本当は違ったと言われたら、澄子はきっと泣いてしまう。
だったら、最初から否定する方が楽だった。
「ごめん。ちょっとした弾みでいっただけだ。木下サンのことバカにしたことなんて、一回もない、でも、そう思わせてるのは、きっと俺自身だね」
気まずい沈黙が流れる。
夕焼けの色が、いつの間にか群青に変わりかけていた。2人の間にあるのは、もう幻想のような水槽の光ではなく、夜の始まりを告げる冷たい風だけだった。
ブクマ、評価、リアクションよろしくお願いします。
異世界恋愛もの「セカンドガールの私が学園のプリンスをざまぁします」も書いてます!第二章まで完結済みです。
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