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(2)委員会活動、スタート

(ついにきちゃった……)

 新学期になり、栞たちは五年生に進級した。クラス替えで半分くらいは顔ぶれが変わったけれど、題とは同じクラスになった。これはもう、一緒に図書委員をやれということなのだろう。

 今日の六時間目は今年度初めての委員会だ。栞たち五年一組は五時間目に委員を決めると先生に言われていたので、みんな休み時間からそわそわしている。

「しおちゃんはもうなりたい委員決めてるの?」

 一、二年生のときに同じクラスで仲が良かった名倉(なくら)和花(わか)が、後ろの席から声をかけてきた。

 三、四年生ではクラスが分かれたが、今年また同じクラスだとわかったとき、栞と和花は互いに手を取り合って喜んだ。栞が珍しくはしゃいだので、たまたまそばにいた題が意外そうに目をみはったくらいだ。

「なりたいっていうか、もう決まっちゃったっていうか」

 栞はぼそぼそと答えて、少し離れた席にいる題をちらりと見た。題は机に腰かけて、男の子たちと話をしている。

 ポケットには、三月に続から受け取った図書委員バッジが入っている。今日までは隠し持っていたけれど、六時間目からは名札につけていくことになるのだ。

「ねえ、サルヤマ。委員どうするの?」

 男の子たちが何かの話題で爆笑したとき、安未果が題に近づいた。

「あ? ああ、まあ、もう決まってるけどな」

「だからどれに立候補するの?」

「何だっていいだろ、別に」

 題が顔をしかめる。

「ええーっ、教えてくれてもいいじゃない」

 そのときチャイムが鳴った。「もうっ」と唇をとがらせて安未果が身をひるがえし、題も自分の席へと向かう。

(八木さんってやっぱり、佐山くんのこと好きなのかな……)

 ぼんやり考えていると題と視線があい、栞はどきりとした。

 あれから何度か図書室に行き、綴り姫と書士や紙魚のこと、『行間』のことなどを続たちから聞いた。

 司書の本田先生が『書の番人』と呼ばれていることも。

 ずっと昔、人間のこぼした不平不満や悪口が災いとなって世を乱したのだという。それは『言霊(ことだま)』と呼ばれ、不吉な言葉を吐いては人々の心を攻めて弱くした。

 そんなある日、力のある術者が金色に輝く網をかけて、一冊の本に『言霊』を封印した。おかげで世界はようやく平和を取り戻したらしい。

 しかし『言霊』はおとなしく鎮まりはしなかった。

『言霊』は『紙魚』を生み出すと、自分がつながれている本の中の世界『行間』から、他の本への侵入を命じた。できるだけたくさんの言葉を持ち帰らせ、その紙魚を食って吸収することで、自分を縛りつけている術者の言葉の力を破ろうとしたのだ。

『言霊』を封じた本の名前は『言祝(ことほ)ぎの書』。その本は現在どこにあるかわからないという。

 そして『言祝ぎの書』を探しながら、紙魚を退治する綴り姫と書士を束ねているのが、『書の番人』だ。

 紙魚が綴り姫を狙うのは、『言霊』を閉じ込めた術者と同じ力を感じるからだろうと言われている。綴り姫を食えば、そのぶん自分の力も増すと『言霊』は考えているのではないかと。

「本にも心があるんだ。その本を一生懸命作った人たちの気持ちがあわさって、文字の中に魂が宿る。でも紙魚に言葉を食いつくされてぼろぼろになると、本は死んでしまう。それは『鬼本』と言ってね、普通は魅力を失って誰にも読まれなくなるんだけど、時々人間を攻撃するんだ。ページをめくっていると指を切ったり、なぜか足の上に落としたり、そうやってけがをする本には、鬼本が混ざっていることがある」

 寂しそうに話す本田先生に、栞は尋ねた。

「鬼本になったら、もう助けられないんですか?」

「うん。残念だけど、焼却処分するしかない」

「だから私たちは、鬼本になる前に本を救わなければならないの。そのためには本の悲鳴を聞いて、少しでも早く紙魚を退治する――それが結果として、『言霊』に力をつけさせるのを阻止することにつながるのよ」

 文の熱心な語りに、栞はこくりとうなずいたものの、自分が戦うとなるとやっぱりなかなか勇気が出なかった。

『言霊』は文字だけでなく、綴り姫まで食おうとしている。それがたまらなく怖いのだ。あの『行間』でいつか『言霊』に捕まってしまうのではないかと思うと、泣きそうになった。

「よーし、始めるぞ」

 教室に入ってきた担任の森先生が、のしのしと教卓に向かう。すごく体が大きくて、でも何となくかわいい目をしているので、みんなから『森のくまさん』と呼ばれている森先生は、四十才を過ぎて急にでっぷりしてきたというお腹をひとなでし、教室内を見回した。

「これから委員を決めるが、えーっと、佐山と伊奈は図書委員だそうだ」

 手持ちのメモに森先生が視線を落とす。クラスメイトからいっせいに上がった叫び声に、栞は肩をすぼめた。

「何でですか!? もう決まってるなんて、そんなのずるいですっ」

 安未果が前のめりになって抗議する。森先生は困ったような顔で耳の後ろをかいた。

「司書の本田先生からの指名でな。まあ、佐山と伊奈は去年たくさん本を読んでいたからだろう」

 それでもざわめきはおさまらない。

「図書委員は先に決まるっていう噂、本当だったの?」

「えー、残念。庄司先輩と一緒にやりたかったのに」

「でもなんで、図書委員だけ先生の指名があるの?」

「委員なんて誰がやったって変わんないよねえ」

 次々に飛んでくる棘のある言葉に、栞はうつむいて唇をかんだ。

(代われるなら代わりたい……)

 図書委員になるのが夢だったけれど、あんなことがあってからは、できれば逃げたかった。

 全然違う委員会に入って、これまでどおり図書室に通うほうが気が楽なのに。

 森先生がおしゃべりをやめるよう注意して、黒板に委員会の名前を書いていく。人気のある委員はじゃんけんになり、全員が決まったところで、五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 簡単に終礼をすませてから、六時間目の委員会に向けて移動を始める。栞もランドセルを背負い、後ろの席の和花と手を振りあって席を離れた。

 五時間目の間ずっと感じていた鋭いまなざしのほうを、つい見る。安未果がものすごく怒った顔で栞をにらんでいた。

 どうしようもないことなのにと、栞はうなだれた。

 安未果だったら、きっと綴り姫の仕事も自信をもってこなすんだろうなと思うと、よけいに落ち込んだ。

 題はまだ友達としゃべっている。のろのろと重い足を引きずって先に図書室へ着いた栞がドアを開けようとしたところで、やっと題が追いついてきた。

「伊奈、バッジつけろよ」

 題に指摘され、栞は慌ててポケットから図書委員バッジを取り出した。名札はやわらかいので、バッジの先をあててちょっと強く押すとすぐに穴があく。そうやって栞がバッジをつけると、すでにバッジをつけていた題は満足そうにうなずいた。

「よっしゃ。気合入れていくぞ」

 題が勢いよくドアを開ける。中にいたのは五年生が二人、そして六年生は今年も続と文の二人だけだった。

「ういーっす、ダイキチ。やっぱりお前か」 

 崩れた姿勢で椅子に座っていた男の子が片手を挙げる。

「げっ。何だよ、ヨミ。二組はお前だったのかよ」

 ずかずかと図書室に入っていった題は、あいている机にランドセルを放り投げ、五年二組の図書委員、平野読人(ひらのよみと)の隣に腰を下ろした。

(平野くんも図書委員なんだ……てことは、書士?)

 背が高くてカッコいいと女の子に人気の読人を、栞はまじまじと見た。茶色い髪に白い肌の読人は、よくハーフと間違われるらしい。でも本人はきっちり日本人の親から生まれていて、しかも言葉づかいは乱暴だから、スマートな外見にだまされるとギャップに驚いてしまう。

 そして読人の隣には、背中まで届く髪が軽くウェーブがかっている、本物のハーフの少女がいた。

 名前はたしか村瀬パヒナ。たいてい一人で行動していて、栞たちと同じく図書室の常連だが、四年生の二学期に転校してきたときは、すごく話題になった。噂では、父が日本人で母がスペイン人だという。

 髪は黒いけれど目は緑色のパヒナは、長身でスタイル抜群なので存在感がある。しかも派手な顔立ちの美人で、転校前までは小学生モデルをしていたと聞いた。

(すごいメンバー……)

 こんな人たちと一緒にこれから図書委員をやっていくのか。

「ダイ、伊奈さんが逃亡する」

 思わずくるっときびすを返したのを続に気づかれ、栞はびくりとした。読人としゃべっていた題が「何い?」と腰を浮かす。

「伊奈、何やってんだよ」

「手間かけさせんなよ」と文句を言いながらやってきた題に引っ張り込まれ、栞はよろめいた。題がドアを閉めて栞の背中を押す。

「伊奈さん、こっち」

 続の隣にいた文に手招きされ、栞は緊張しながらみんなの輪に加わった。でもやっぱりメンバーが濃すぎて気後れしてしまう。

「そろったね」

 カウンターにいた司書の本田先生がプリントを持ってくる。配られた紙には図書委員の活動内容と、空欄の当番表が書かれていた。

 これだけ見ていると、ごくごく普通の委員会だ。何となくほっとした栞の様子がおかしかったのか、本田先生がくすりと笑った。

「本当はもう一人、一年生担任の安井先生が図書委員会担当なんだけど、今日は出張でね」

 それから本田先生の勧めで、まず自己紹介をすることになった。名前とクラスを言うだけだったが、堂々としたみんなの雰囲気にのまれ、栞はうつむきがちに名乗った。

「声が小せえぞ」

 読人が机の下をどかっと蹴る。ひえっと首をすくめた栞の代わりに、題が「ヨミ、おどすなよ」と眉をひそめた。

「だってお前、これから一緒に戦うってのに、なんか頼りねえじゃん。綴り姫が紙魚粉使わないと、俺たちは紙魚が見えねえわけだし」

「本当に大丈夫かよ、こいつ」と読人に半目で冷たく言われ、栞はスカートをぎゅっとにぎった。

「伊奈さんの能力は私が保証するわ。大事にしないと痛い目にあうわよ」 

 筆箱から鉛筆を出しながら、文がじろりと読人をにらむ。読人がひゅうっと口笛を吹いた。

「へえー、アヤさんより強いの? 信じらんねえ」

 さらっと名前を呼ばれても文は無反応だったが、読人はそんなこと気にならないようで、にやにやしながら文を眺めている。

(うう……平野くん、怖い)

 顔は確かにいいと思うが、態度の悪さも有名なのに、なぜモテるのだろう。

「いいんだよ、伊奈のことは。お前は自分の心配だけしてろよ」

「おっ、かばうねえ、ダイキチくん」

「うっせえ、ヨミトンボ」

「二人とも、そこまでだ」

 口論になりかけた題と読人を、続がぴしゃりととめる。題はもちろん、読人も意外なほど素直に応じたので、栞は目をしばたたいた。さすがの読人も、続には逆らわないのか。

 それから六人は月曜から金曜までの当番を決め、紹介のために写真をとった。月曜は女子三人、金曜は男子三人で、火曜は六年生、水曜は五年一組、木曜は五年二組だ。

 さらに放課後都合がつく場合は、紙魚の被害を受けている本を少しずつ修復していくようにという本田先生の指示に、栞は胃が痛くなった。そのまま机にうつぶせようとして、はっとする。

「特に五年生はできるだけたくさん経験を積んでほしい――伊奈さん?」

 本田先生が首をかしげる。全員の視線が栞に集中した。

「えっ、あ、はい」

 慌てて返事をする栞に、「寝てんじゃねえぞ」と読人のツッコミが容赦なく入る。

「どこ?」

 文の問いかけに、ぴりっと緊張が走った。栞が声を聞いたことを、文は勘づいている。

 栞は生唾をのんで席を立った。意識を高めて声の出所を探す。

「何も聞こえないわよ」

 パヒナが疑わしげに周囲を見やる。本棚と本棚の間をふらふら歩いていた栞は、ある一冊を目にとめた。

 まだ小さな小さなうめき声だった。でも間違いなく痛みを訴えている。

「……それね」

 そばに来た文が本を抜き取る。

「伊奈さんが見つけたのだから、伊奈さんが救ってあげて」

「でも、私……」

 怖いんです、とつぶやく栞の肩に、文がそっと手を置いた。

「大丈夫。こんなに弱い呼びかけでも聞き取れたのだから。ほら、伊奈さんの助けを待ってる」

「行こうぜ、伊奈」

 題も立ち上がる。

「私も行く」とパヒナがかたい表情で手を挙げ、つられたように「俺も」と読人が言う。

「伝わってくる感じからして被害はほんの少しだから、大勢で行く必要はないと思うけど」

 文は眉をひそめたが、「まあいいよ。図書委員着任後の初仕事だ。一緒に行っておいで」という本田先生の言葉で決まった。

 全員で司書室へ移動する。何度来ても息苦しい場所だと栞は思った。

「今日はダイと伊奈さんがメインでやる。ダイ、本を開いて」

 続の指示に、題がそっと本を開いた。ぱあっとまぶしい光を浴び、栞はぎゅっと目をつぶった。

 ぼこっと一つ泡を吐き出す。目を開けると、三月に初めて見た『行間』の世界が広がっていた。

「何あれ」

 近くにいたパヒナがぷっと笑う。パヒナの袴は赤色だ。そして読人は黒いラインとズボンだった。

「あんなの楽勝じゃない」

 祓串を振ろうとしたパヒナを、文がとめた。

「今回は伊奈さんの仕事よ。私たちは万が一のときのサポート」

 むっとした顔でパヒナが引き下がる。文の視線を受けて、栞は一歩前に出た。

「とっととやろうぜ」

 読人にせかされ、栞は祓串をにぎりしめた。そしておそるおそる横に振る。

 紙魚粉がふわりと散り、本を食害していた紙魚をあらわにする。とたん、続と題は目を丸くし、読人はげらげら笑った。

「何だこりゃ。ちっちぇー」

 文たちとともに立ち向かった紙魚とは比べ物にならないほど小さな紙魚がそこにいた。せいぜい四十センチくらいしかない。

「あれ一匹か? 間違いないよな?」

 あまりにも小さい紙魚にかえって不安になったのか、題が栞をふり返る。栞はうなずいたものの、パヒナや読人に笑われた恥ずかしさに頬が熱くなった。 

「あれならダイ一人でいけるな」

 構えをといた続が下がる。題は拍子抜けしたような様子で剣を抜いた。

 触角には棘がついていたものの、体が小さいのでそれほど威力はない。題がさくっと紙魚を両断し、食われていた文字がぽこぽこと出てきた。

「ニ文字かよ」

 読人はのけぞって笑っている。パヒナも肩をすくめ、馬鹿にしたように栞を見た。

「伊奈さん、仕上げよ」

 文に励まされ、栞は祓串から筆を引き抜いた。ゆらゆらと漂う文字を丁寧に拾っていく。

「回収、終了です」

 一応、文のまねをして宣言する。やってきた苦笑顔の題が手を挙げたので、パチンと軽くハイタッチをした。

「すっげえしょぼい初仕事だなあ、おい」

 読人にからかわれ、栞はうつむいて涙をこらえた。これくらいならまだそんなに怖くないけれど、綴り姫の仕事としてはあまりにも簡単すぎて、達成感すらない。

「伊奈さん、佐山くん、お疲れ様。長居は無用よ。帰りましょう」

 文にうながされ、全員で現実世界へと戻る。

 司書室では本田先生が待っていた。栞は前に文がやっていたように、床の上で開かれている本に近づくと、その手にためていた文字を本へ返した。

「退治が必要な紙魚であんなに小さいのは、初めて見たな」

 息をついた続は、栞が涙目になっていることに気づいて微笑んだ。

「ほめてるんだよ。たったニ文字食われただけのものを見つけられるなんて、相当感覚が鋭い証拠だ」

 あれだけ小さいと斬るほうも楽だしねと言われ、栞はほんの少し気持ちがやわらいだ。

「まあ確かに、紙魚がでかいと本の損傷も激しいってことだもんな。書士としては張り合いはねえけど、このまま早期発見していったら、修理もあっという間に終わりそうだ」

 この調子でいこうぜ、と題が親指を立てる。

「合同でするときはもう少し大きな紙魚を相手にするから、伊奈さんはそれとは別に、今日みたいに小さな声を聞いて処理していって。大変だろうけど、伊奈さんならできるわ」

 題と文からも優しい言葉をかけられ、栞はようやく幾分自信をもつことができた。

『行間』で小さな紙魚に笑い転げていた読人は、上級生の意見を聞いて認識を改めたのか、ふうんという顔で栞を横目に見ている。そしてパヒナは、苦々しい顔つきで栞をにらんでいた。

 


「まだ宿題の漢字ノートを出していない人は、放課後までに出しておけよー。山本、川上、伊奈」

(え……?)

 次の週の金曜日、給食の準備が整って、みんなでいただきますを言う前に森先生が口にした指示に、栞はびっくりした。

「しおちゃん、出してなかったの?」

 四人が机を向い合わせにした席で、隣の和花が意外そうに尋ねる。正面に座っている戸坂(とざか)省吾(しょうご)からも「伊奈が忘れるなんて珍しいな」と言われた。

「ううん、出したはずだけど……」

 どういうことだろう。登校してすぐ、教卓に乗せられていたみんなのノートの上に重ねて置いたのに。

 それとも出したつもりになっていたのか。この頃紙魚退治で疲れているから、ぼうっとしていたのかも。

 いぶかりつつ給食を食べた後で栞は机やランドセル、ロッカーをのぞいてノートを探したが、見つからなかった。

(やっぱりない……もしかして家にあるのかな)

「伊奈、漢字ノートないのか?」

 掃除時間の始まりを告げる音楽が鳴り出したとき、教室に戻ってきた題が声をかけた。

「うん……出したと思ったんだけど、勘違いだったのかも」

「八木、お前、ノートを持っていくとき、全員そろっているか確認しなかったのか?」

 毎日の宿題はいつも学級委員が集めて職員室に持っていく。題と同じ教室掃除で女子学級委員の安未果は、冷やかに栞を見た。

「知らないよ。時間が来たら持っていくだけだから、いちいち数えたりなんかしないし。それにしょっちゅう忘れてる人になら注意もするけど、伊奈さんはまじめだから、ノート出してないなんて思わなかったよ」

 棘のある言い方に傷ついたが、出していないのは自分なので、栞はぐっと我慢した。

「漢字ドリル持ってるか?」

 題の問いかけに、首を横に振る。

「今日は国語がないから……先生に借りてくる」

「俺の貸してやるよ。計算ドリルと間違えて持ってきてるから」

「サルヤマ、ボケボケじゃん」

 安未果がぎゃははと笑う。間違えたというのに全然気にしていない題に、栞も吹き出した。

「返すのは明日でいいからな」

 題が自分の机から漢字ドリルを持ってくる。

「ありがとう」

 栞は素直に受け取った。安未果の視線が痛かったけれど、もう音楽が鳴り終わりそうだったので、掃除場所の音楽室に急ぐ。

 休み時間と放課後で、漢字を書いて先生に提出しないといけない。昨日の宿題だった漢字はけっこう量があったので、もう一度書くとなると大変だ。

 そして掃除をすませて、自分の席で五時間目の準備をしていたときだった。

「イナゲ! おい、イナゲ!」

 何となく聞き覚えのある声が誰かを呼んでいる。

「そこでアホ面してる伊奈栞!」

 その人物にフルネームを叫ばれて、栞はぎょっとした。周囲を見回し、教室のドアのところに立っている読人に気づく。

「無視してんじゃねえよ。さっさと来い」

(わ、私だったの……!?)

 五年生では有名人である読人の登場に、クラスメイトがざわつく。しかもとんでもない呼ばれ方をした栞は真っ赤になりながら、これ以上怒鳴られないように読人のほうへ飛んでいった。

「お前な、まだ使いきってないノートを捨てるなよ、もったいねえ」

 読人が手にしていたノートでパシッと栞の頭をはたく。たたかれたことにも驚いたが、ノートが見つかったことにも栞はとまどった。

「え、これ……どこに……?」

「靴箱の前の掲示板んとこにあるゴミ箱の中。掃除のときに捨てに行こうと思ったら入ってたぞ」

 栞は目をみはった。

(嘘……なんでそんなところに?)

 栞の表情の変化を見た読人が、眉をひそめる。

「なんだ、わざとじゃねえのかよ。ま、いいや」

 去ろうとした読人を、栞は慌ててとめた。

「あの、平野くん、ありがとう」

 読人が目を細める。そのまま二組の教室へと歩いていく読人を、栞は見送った。

 ノートを胸にかかえて自分の席に戻る。

 やっぱり今日はちゃんと持ってきていたのだ。でも、どうしてゴミ箱の中に入っていたのだろう。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、冷静に考えられない。そして何かに導かれるように視線をめぐらせた栞は、安未果と目があった。ぷいとよそを向く安未果に対して、疑念がふくれあがる。

(まさか……そんなこと……)

 いくらなんでも、そこまでひどいことをするだろうか。

(だめ……変に考えちゃ……)

 実際に目撃したわけではないのだから、安未果を疑うのは悪い。

(でも……)

「なんかよくわかんねえけど、とりあえず見つかってよかったな」

 栞の隣席の省吾と一緒にいた題がほがらかに笑う。題にそう言われると不思議ともやもやした気分が晴れてきて、「うん」と栞もうなずいた。

「あ、これ、ありがとう」

 借りたばかりの漢字ドリルを題に返す。「おう」と短く返事をして受け取る題に、省吾があきれ顔になった。

「なんでお前、漢字ドリルを持ってきてんだよ」

「漢字の勉強をするからに決まってるだろ」

「嘘つけ。どうせ計算ドリルかなんかと間違えたんだろう」

 さすがに友達だけあって、よくわかっている。感心する栞の前で、題と省吾の話題はどんどんずれていく。展開の早さについていけなくなり、授業の用意に戻ろうとした栞を、省吾が思い出したようにふり返った。

「しっかし、伊奈、ヨミにすげえあだ名つけられてんな」

「え? あ……!」

 省吾に苦笑され、数分前の記憶がよみがえる。せっかく回復した気持ちが一気に急降下し、栞はへこんだ。

 もともとその名字なら気にならないが、あだ名となるとイナゲはあんまりだ。しかも読人とはまだほとんど話したことがないのに。

「あれ? そういえば村瀬ってヨミにもうあだ名で呼ばれてたっけ?」

 題が首をかしげる。

「ううん、まだだと思う」

 それがどうかしたのかと尋ねる栞の前で、題がショックを受けたような顔になった。

「へええー」と省吾がにやにやしたので、ますますわけがわからない。

 五時間目のチャイムが鳴り、題も自分の席に帰っていく。あきらかに不機嫌になってしまった題を気にしながら、栞は教科書を机の上に出した。


 

 週明けの月曜日は文とパヒナと栞が当番の日だ。給食を食べてすぐ図書室に行った栞は、しばらくはカウンターで貸し出しや返却の手続きをしていたけれど、返却本がだんだんラックにたまってきたので、本棚に戻す作業に取りかかった。

 まずはラックの中で大ざっぱに本を分類し、本棚ごとにまとめる。そうしたほうが、本棚をあちこち移動しなくてすむからだ。

 まだ背の低い一、二年生にぶつからないよう、注意しながらラックを押していく。そして順番に本を本棚に戻していると、文がやってきた。

「手伝うわ」

 さすがに昨年一年間やっているだけあって、手際がいい。本を差し込みながら周辺も整とんしていく文の動きに、栞は見とれた。

「――あ、その本」

 文が手にした本に、栞はつい声を漏らした。

「ああ、これね。もう読んだ?」

「まだです。ずっと読みたいなって思ってて……でも分厚いから、夏休みとかに借りようかなって」

「そうね。でもこれ、読みだしたらとまらないから、たぶん二日もあれば読めるんじゃない? 寝不足覚悟になるけど」

 文が本の表紙をそっとなでる。

「真ん中あたりで主人公が一つの決断をするんだけど、そこからはもう泣きっぱなしだったわ」

「糸川先輩も、本を読んで泣くんですか?」

 言ってから失礼だったと気づき栞はあせったが、文はくすりと笑った。

「泣くわよ。悲しければ泣くし、おもしろければ笑うし、登場人物が意地悪されたら腹が立つし……伊奈さんもそうでしょ? 図書室で本を読んでいるときの伊奈さんを見たら、今どんな展開なのかわかるもの」

「ええっ、顔に出てました?」

 ずっと観察されていたのかと、栞は恥ずかしくなった。

「いいんじゃない? 本ってそういうものだと思うから」

 文の声ははずんでいる。本当に本が好きなのだ。

 めったに笑わない人だと噂されているけれど、全然違った。一緒に仕事をしていると、文はちゃんと笑顔を見せてくれる。

 図書委員の役目だけじゃなく、紙魚退治が始まってからも困ったことはないかと時々聞いてきて、相談に乗ってくれる、頼もしい先輩だ。

 同級生のパヒナとまだ親しくなれていないだけに、文の心づかいが栞には嬉しかった。

「村瀬さんも、たまには本の返却をしたらいいと思うんだけど」

 文が眉根を寄せてカウンターを見る。パヒナは本田先生と何か話をしていた。

「カウンターのほうも大切だけど、こうして本に触れることって、けっこう大事なのに」

 さわれば本とコミュニケーションを取りやすくなる。それに、本棚をまわることで紙魚に食われかけている本を早めに見つけることもできるのだ。

 でもパヒナは返却を面倒だと考えているのか、当番の日はいつもカウンターの仕事ばかりしている。

「村瀬さん、去年は昼休みによく図書室に来てましたよね」

 だから綴り姫の能力に目覚めたのだろうか。

「そうね。でも伊奈さんみたいに本が好きだからというより、居場所がなくて来てたようだったわ」

「それは……転校してきたばかりだったからじゃないですか?」

 しかもパヒナの外見は派手で目立つ。瞳の色も違うから、廊下を歩いていてもすぐ注目を集めてしまう。さらに読人と同じ委員になったことで、クラスの女の子たちから悪口を言われたり、仲間外れにされかかっているようだと、栞も耳にしていた。

(好きで同じ委員になったわけじゃないと思うんだけど……)

 パヒナだって、読人のことで文句を言われても困るだろう。 

「合同作業はうまくいってる? 佐山くんと二人のときは、だいぶ慣れてきたって聞いたけど」

 文に尋ねられ、栞は口ごもった。

 委員会初日に文から指示されたとおり、紙魚に食われはじめたばかりの本は、題と二人で修理するようになった。

 おかげで小さな紙魚なら何とか怖がらずに退治できるようになってきたが、大きな紙魚はまだ抵抗がある。だから五年生の四人で一緒に『行間』へ向かうのは本当なら心強いはずなのに、本音を言うととてもやりにくかった。

 なぜなら、パヒナばかりが祓串を振ったり文字を回収したりして、絶対に栞にさせないからだ。

 早い者勝ちとでも考えているのか、パヒナはいつも栞より先に行動に出る。出遅れる栞は見ていることしかできず、遠くから栞たちのほうへ向かってくる紙魚の気配を感じてびくびくするだけだった。

 でも、それを文に言うのはためらわれた。何だか告げ口みたいで気がひける。

「佐山くんがいれば大丈夫でしょうけど、無理せず頑張っていってね。それから、絶対に一人で行かないこと。向こうに住んでいる紙魚は相手をしなくてもいいけど、本についていた紙魚だけは退治しないと、『行間』から出られないから」

「はい」

 文からもらった温かい言葉と忠告に、栞は笑みを返した。



「おい、何ぼけっとしてんだよ、イナゲ!」

 せっかく文に励まされて前向きになれたのに、結局今日もパヒナに綴り姫の役目を奪われた栞は、ざわざわと近づいてくる紙魚の大群に気をとられていたところで読人に怒鳴られて、はっとした。

「暇だからって遊んでんじゃねえぞ。てか、少しは仕事しろよ」

(だって……)

 栞はちらりとパヒナを見たが、パヒナはふんと鼻を鳴らした。

「やる気がないなら図書室で待っていれば? 小さい紙魚を探すの、得意なんでしょ」

 綴り姫は一人いれば十分だと言われたようで、栞はしゅんと落ち込んだ。合同でするときは、栞は本当に全然役に立っていない。

「だったら、たまには伊奈にやらせろよ。帰るぞ」

 題がむすっとして帰還する。読人もパヒナも戻り、栞は泣きそうになるのを我慢して『行間』から抜け出した。

 司書室で、パヒナが回収した文字を本へと返していく。

「終わりました」とほこらしそうに報告するパヒナにうなずいてから、本田先生は四人に微笑んだ。

「お疲れ様。修復が早くなってきたね」

「簡単ですよ、これくらい。もう合同じゃなくてもできると思うわ」

 パヒナが笑って司書室を出ていく。読人も去り、栞と題だけが残った。

「あ、えっと……じゃあ私も帰ります」

「待てよ、伊奈」

 今日も何もできなかったことに沈みながら帰ろうとした栞を、題が呼びとめた。

「先生、明日から五年生も別々でやらせてください」

 題の提案に栞は目をみはった。

「できるのかい?」

「さすがにでかいのは無理かもしれないけど、小さい奴なら俺と伊奈もちゃんと回収できてるし、伊奈は紙魚の大きさが先にある程度わかるから、見栄をはって難しいのを選んだりしないと思う。そうやって伊奈のペースで少しずつレベルアップしていきたいんです」

「君たちはそれでいいとして、平野くんと村瀬さんはどうかな」

「ヨミは俺とほとんど同じレベルだし、村瀬は……十分自信あるみたいだから」

「なるほど」

 黒縁眼鏡の奥の瞳を細くして、本田先生は微笑した。

「まだ四人とも突発的な危機に直面したことはないね。念のため応援組をここで待機させておくということで、挑戦してみるかい?」

 栞は返事につまったが、題に背中をたたかれた。

「やってみようぜ。お前は絶対俺が守るからさ」

 任せろと言う題に引きずられ、迷いながらも栞は承知した。

 一緒に図書室を出て靴箱へ向かう。しばらく無言で栞の前を歩いていた題がくるりとふり返った。

「さっきも言ったけど、お前ができると思ったレベルからやっていけばいいからな。実力以上のものに手を出しても、やられるだけだし」

「う、うん」

「伊奈は能力あるんだから、がしがしチャレンジしていこうぜ」

 あの二人には負けてらんねえとこぶしを突き上げる題に、栞は笑みをこぼした。

「佐山くん、ありがとう」

 いつもパヒナばかりが祓串や筆を使っているのを題は気にしてくれていたんだと思うと、栞は胸が熱くなった。

「おう。じゃあまた明日な」

 片手を振って、題が駆けだす。栞はずり落ちかけたランドセルを背負いなおすと、少し遅れて靴箱を目指した。 

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