04:試験
「それじゃあさっそくだけどちょっとした試験を始めるよん」
握手の後に部長がすごい軽いノリでそう言った。
「試験?」
冷や汗が背中を伝う。試験、その単語には頭を痛ませた記憶しかない。
「そんな苦い顔しなくても大丈夫だよ、軽いし、そもそもペーパーじゃない」
「じゃあなにをするんですか?」
「それは行ってのお楽しみ」
そうしておどけたかと思うと有紀を呼ぶ。
「なんですか?」
「青木君を部屋に連れて行って」
「わかりました、じゃあ青木君、こっち来て」
「頑張ってねー」
俺は部長の軽い応援を背にしながら、有紀についていった。
古びた木製のドアを開けると、同じように古びた部屋が俺達を迎える。隅には椅子が数個重なって置いてあり、部屋の中心には机が一つと椅子が二つある。
しかし、壁も、椅子も、机もが日差しによって褪せている中で、永遠とも思える透明さを持った水晶が場違いなくらいに輝いていた。
「じゃあ、そこに座って」
「座る? 占いでもするのか?」
「座ればわかるよ。いいからほら」
有紀が強引に椅子へ座らせる。すると、俺の意識は黒に染ま--。
無意識の虚を抜け出すと、そこは一面草の海が広がっていた。柔らかな日差しと穏やかな風は、この場所がさっきまでいた場所ではないことを告げてくる。
そして目の前には優梛と有紀と、ボロボロの外套を身に着けた、俺と同じくらいな背丈のなにかがいた。 なにか、というのも外套の中が黒くて見えないからである。ぱっと見た感じは人間に見えるが、外套の下の黒は、それが人間ではないように見えた。
「なあ有紀、あいつは?」
意識しつつ有紀に問いかける。これは予想の内なのか、と。優梛もアレには警戒しているらしい。つり目が少しきつくなっている。
「我か。我はカオス、この水晶の主であり、因果を律する者」
すると、外套の闇から低くガラガラとした声が答えた。不気味だ。
「カオスちゃん、黙っててくれないかな? 青木君はわたしに話しかけているんだけど」
「ごめんなさい」 有紀の注意にカオスが意外にも素直に謝る。その子供のような言葉は場の空気を弛緩させた。
「で、なんなんだあいつは」
今度はため息混じりで有紀に問いかける。
「話が長くなるけどいい?」
「手短に頼む」
「じゃあ。まずはこの場所なんだけど、ここはさっきの水晶の中なんだ」
「水晶の中?」
優梛が問いかける。
「そう。原理はまあ、私もよくわからないからおいといて。なんて言えばいいのかよくわからないけど、目の前のカオスちゃんがこの水晶をコントロールしてるって事かな?」
「そう。僕がこの水晶の主なのだ」
カオスの外套が揺れる。多分、胸を張った、のだろうか?
「そういうこと。わかった?」
「いや全然」
「私も」 全くわからない。
「とにかく、カオスちゃんはこの空間内の主ってこと! こんなだからってあんまりいじめないでよ?」
「ねえ、有紀ちゃん。今さりげなくひどい言葉が混ざらなかった?」
「気のせいじゃない? カオスちゃんは気にしすぎよ」
カオスと有紀が口論を始める。しかし、有紀が優位なのは火を見るより明らかだった。
「扱い馴れてるな」
「そうね。扱い馴れてるわね」
数分後、そこには丸め込まれたカオスがいた。
「……ところで有紀ちゃん、彼ら大丈夫なの?」
若干不服そうにカオスが訪ねる。
「あ……。まあ、大丈夫でしょ」
「投げやりだなあ」
今、不安な会話が聞こえたことにツッコむべきだろうか。
「何かあるのかしら?」
迷っていると優梛が聞き出す。
「あー、優梛さんは大丈夫。問題は青木君だけだから」
さらに不吉な言葉が聞こえた。
「ちょっと待て、いったい」
「じゃあ、試験始めようか。青木君のためにも」
「どうなるんだ」と言おうとするも有紀に遮られる。さっさと始めないといけなさそうな雰囲気に押され、それ以上言葉を紡げなかった。
「じゃあカオスちゃん、いつものお願い」
「はーい」
返事をするとほぼ同時にカオスの周りを靄が包む。それは段々と濃くなっていき、カオスが完全に見えなくなる。
そして、一瞬の内に霧が晴れる。そこに、先ほどまでの正体不明と正反対の異様な存在感をもつ女性が、腰まである銀糸を空になびかせながら立っていた。
黒と明るい灰色のゴシックドレスを着ており、その髪とは対照的な金の双眸は妖しさを感じさせる。貴族、お嬢様といった表現が、当てはまりそうで当てはまらない。
そんな、言葉にできない空気を醸し出していた。
「お久しぶりです、有紀。この度は、何用でしょうか? あら、そこの二人は見慣れない顔ですね。初めまして、私アンゼリットと申します」
すると、一気にまくしたてたかと思えば、丁寧に彼女がお辞儀をする。
「え、ああ初めまして」
優梛が少し困惑の色を出しつつお辞儀を返す。
「初、めまして」
困惑しつつ、つられて俺も礼をした。
「それで有紀、彼らは新参者でございますか?」
「うん、そうだよ。これからテストをするんだけど、多分なにも知らないだろうから教えてくれないかな?」
「わかりました、私でよければ」
「うん、よろしく」
「では。言葉で覚えるより、体で感じた方が早いでしょう。お二方、右手を前にだしてください」
アンゼリットに言われた通り、右手を出す。なにが始まるのだろうか。
「その手に、意識を集中してください」
言われた通り、右手に集中してみるがなにも起こらない。
「あら? おかしいですね。適当にやっても出てくるはずなのですが」
アンゼリッテが不思議そうに首を傾げる。
しかし、俺の右手は特別変化している様子はない。隣を見ると、優梛の手には光が集まっていた。
「すこし、よろしいですか?」
アンゼリッテが俺の正面に立つ。そして彼女は俺の胸にてを添えた。
「痛みますよ?」
その瞬間、鈍い痛みが胸に広がる。すると、視界によくわからない幾何学的な模様が見えた。見回してみると俺を中心に二つの輪っかが回転しているようだった。その動きや質感は、CGを見ているようで現実味を感じられない。
「ふっ!」
それをぼーっとみていると、アンゼロットがその輪っかをつかんで、引っ張った。
すると何か割れるような音をたてて模様が引きちぎられ、砕ける。俺の体に鋭い痛みが走った。
「何を、したんだ?」
「いえ、すこしばかり封印を解いてみただけです。やり方は強引でしたが」
封印? 今日は封印解除デーなのだろうか。それより、なにを封印していたのだろう。
「酷く困惑なされたお顔をしていますね。今は考えなくてもよろしいでしょう。おそらくそれをかけたのはあなたの親でしょうから、時間がとれる時に聞いてみては?」
「親……」
お袋と親父の顔がおぼろ気に浮かぶ。なんのために……?
「ね、そろそろ始めない?」
考え込んでいると、有紀がその思考を中断させる。
「あ、ああすまん」
とりあえず謝っておく。
「とりあえず、もう一回右手に集中してみてよ」
右手に集中すると、力が集まるのが感じられた。
そして、俺の右手には半透明の光の球が浮いていた。
「これか?」
「そう、それ。あとは自分の好きな形を思い浮かべればその形になるから」
言われて考える。なにを出そう。そして至ったのは--。
消しゴムだった。
「うわー貧相」
有紀が呆れ顔でこちらを見る。
「悪かったな貧相で」
「まあ、いいんじゃない?」
有紀が溜め息混じりに言う。馬鹿にしてる。
「で、話を本題に戻すけど、どうする?」
有紀が聞いてくる。
「どうするって、なにをするんだ?」
「私と戦うの」
「クーリングオフは適用されるか?」
「されません。さあ、どうする? 優梛さんと二対一? それとも一人一人やる?」
優梛と戦うか。でも、女の子相手に二対一は卑怯に思える。
「いや、ひとりでやるよ」
なので、一対一を選んだ。
「了解、準備はいい?」
有紀はそう言うと、右手に青い斧を出す。
「いいぞ」
右手に集中し、俺はなんとなく両刃剣を出して、構える。
「じゃあ、アンゼさんよろしく」
「はい。では、はじめ!」
アンゼリットが右手を振り下ろすと同時に有紀が迫ってきた。
「いくよっ!」
有紀が斧を縦に打ちつける。
「くっ」
それを剣の腹でなんとか防御するが、柄に重さが伝わって腕が痺れる。
「ほらっ!」
しかし有紀は容赦なく左から横になぐ。
「うおっ!」
それをなんとか防御するが、たたらをふんで後退してしまう。
「おっやるじゃん」
有紀は追撃せずに軽口を叩く。
「そりゃどうも……」
今度は俺から仕掛けて見る。踏み込んで、力いっぱい一文字に剣をなぐ。
しかしバックステップされ、振り終わりのラグに有紀が肉薄してきた。
「はっ!」
斧を消した有紀の右拳が、俺の胸を軽く叩く。そして、勝敗は決した。
「私の勝ち。弱いねー」
「今までケンカすらした事無いからな」
言い訳をしてみる。
「平和だったんだね」
が、軽く流されてしまった。
「じゃあ、次は優梛さんね」
「優梛ー有紀は強いぞー」
「なんで棒読みなのよアンタ」
負けたしな。しかも女の子に。しかし、口には出さない、出せない、出したくない。意気消沈していると、アンゼリットが口を開いた。
「では、準備はよろしいですか?」
「うん」
「ええ、いいわよ」
お互いが顔を見合い、糸が張ったような空気に変わる。
「では、はじめ!」
それは、アンゼリットが始まりを告げても続いていた。
風がふく。草原が揺れ、ハイライトが踊った。
風がやむ。草原はゆるやかに静止する。
草の時間が完全に止まると同時、両者は弾かれたように動いた。
有紀が短槍を出して突く。優梛はそれを半身でかわすと槍を掴んだ。
有紀が素早く槍を離し後ろに跳ぶ。しかし、優梛は槍を握ったまま止まっていた。
棒立ちしている優梛を見逃すはずもなく、有紀は再び槍を作り優梛に突進する。
しかし優梛の指に穂先が触れた瞬間、有紀の動きが空中で止まった。
その瞬間俺の横にいたアンゼリットが疾走し、優梛を脇腹から吹き飛ばした。優梛は足を数歩ずらし、たたらを踏む。
すると有紀は止まっていた時間が動き出すように前に突進し、対象を失って前のめりになるがなんとか踏ん張り、倒れはしなかった。俺にはなにが起きたのか、今どういう状況なのかがわからなかった。すると、アンゼリットが口を開く。
「有紀、あなたは負けたのです。目の前に私がいるという意味、わからないわけじゃないでしょう?」
どうやら、勝敗は決したようだった。
「そう。私は、負けたのね」
へたれこみ、なにか悟ったように有紀が呟く。
「それと、優梛さん」
語気を強めながらアンゼリットは優梛に正面を向ける。
「な、なに?」
優梛は少しひるんだようにアンゼリットを見返す。
「あなたの力は強すぎます。今後、絶対に人に向けて本気を出さないでくださいね?」
「ええ、わかったわ。でも、なにが起きたのか説明してくれないかしら?」
アンゼリットの目は、明らかに怒っていた。端から見ているこっちが恐怖を覚えるというのに、優梛がそれに怯んだ様子は無かった。 アンゼリットは「わかりました」と言って、一拍置いた。そして
「あなたは有紀さんを殺しかけたのです」
そんな、非現実的な事を言った。
「殺す? 私が、有紀を?」
「はい。あなたの属性は……」
「はいストップ! もう帰るよ! 早くしないと青木君が大変だ」
変なところで、いきなり有紀が割って入ってくた。
「そうですね」
アンゼリットも頷いた。なにが大変なのかはよくわからないが、大変なのだろう。
「ちょっと、まだ私の事聞いて無いわよ?」
優梛が叫ぶようにアンゼリットにつっかかる。
「では、簡単に。あなたは全力を出さないでください。それは大きすぎる力です」
「そんな適当で納得するはずないでしょ?」
優梛はさらに威圧してくる。しかし、アンゼリットは涼しい顔をしていた。
「じゃあ、アンゼさん、よろしく」
有紀がまたもや割って入る。
「了解しました」
アンゼリットも機械的にそれに応え、右手を前に出した。
「ちょっと!」
優梛が詰め寄っていく。しかし、彼女に届く前に俺達は吹き飛ばされ、意識が暗転した。
「痛っ!」
俺は、全身にはしる激しい痛みで目が覚めた。目の前を見ると、有紀が向かいに座って寝ていた。褪せた教室の景色を見る限り、どうやら帰ってきたようだ。優梛は多分、またペンダントの中に入っているのだろう。しかし、あの奇妙な風景は一体なんだったのだろうか。その疑問は、痛みによって中断された。筋肉痛のような痛みに、思わず前屈みになる。
「あ、青木君、おはよー」
頭の先から声が聞こえてくる。どうやら有紀が起きたようだった。
「なあ、体が痛いんだが」
「うん、水晶の中に初めて入った人はそうなるの。時間が長引けば痛みも比例する。まあ、慣れればそのうち痛く無くなってくるよ」
「そうなのか」
「立てる? 随分長くいさせちゃったしね。肩くらいなら貸すよ?」
「ああ、でも大丈夫……」
椅子から立ち上がると太腿に新たに痛みがはしった。
「ほら言わんこっちゃない。ほら、捕まって」
藁にもすがる気分で雪の肩に腕を回す。有紀に支えられながら、俺達は部屋を後にした。
「やっほーおかえりどうだったー?」
行く前と変わらぬテンションで部長が歓迎する。
「見ての通りですよ」
あのテンションは今は疲れる。
「なになに? 有紀ちゃんとなにかあったの?」
「いえ、なにも」
「まあ、割と長かったよね。初めにしては。真面目に、なにかあった?」
その真剣な問いは俺ではなく、有紀に向いていた。
「はい。優梛さんに負けました」
部長はそれを聞くと笑い始める。よくわない人だ。
「あっはははは! 負けたかー! ドンマイ有紀」
「青木君は、どうすればいいですかね?」
有紀が話を無理矢理変える。確かにいつまでも有紀に迷惑はかけていられない。
「いいぞ、もう大丈夫だ。自分で立てるさ」
「そんなわけないでしょ? 辛うじて立てるくらいで歩けないくせに」
強がりはあっさりと見抜かれ、腕を外されないように強く握られた。水晶のフィードバックとやらのせいで腕が痛い。
「まあ、そこらへんにのソファに寝かせといたら?」
「わかりました。」
そうして俺は古ぼけたソファに寝かせられる。体の痛みも幾分と和らいで、眠くなってきた。
そして俺は、そのまま闇の世界にご案内された。