禁忌でもいいから #8
王都最西端の街ケルシュ城砦。
王国建国にあたって、重要な役割を果たした場所だ。その名残から、現在でも城壁が四方を囲むように建つ。特別目だったものはないが、王都と他の領地を繋ぐメッソ街道の始点であるため、多くの人々が行き交い、店や宿も多数ある。
「この街は、被害は馬か」
一応、私たちが到着する前に、常駐する地元の第三部隊が軽く捜査をしているらしい。簡単な報告書も貰っているが、詳しくは当人たちに話を聞きに行くことになった。
ケルシュは馬車や馬を貸したり売ったりする業者が多い。ほとんどの馬が殺されたり、自然に倒れていたという。
商売道具は一応小屋や屋根のある場所に置いているといっても、屋外だ。一日中世話をしている訳でもないのだから、魔女や悪魔もさぞ襲いやすかっただろう。
シリルは建物の前で足を止めると、ノックして扉を開いた。
「すみません、第五部隊の者です。引き継ぎをさせて頂きたく」
来訪者は珍しいのか、中の軍人が一斉にこちらに顔を向ける。各地に常駐する第三部隊は、軍隊というより、地元での揉め事を解決する役割を担う。中央と違って皆のほほんとした顔立ちの者が多い。
「ではこちらへ」
応対した男は服がうざったいのか、半裸だった。彫刻にもできそうなすばらしい肉体美である。
「……失礼」
ばっちりと目が合った。女がいるとわかり、慌てたようにシャツを身に纏う。
「やっぱり女の子がいると対応が違うね」
詰所から出るなり、書類を手にしたシリルは、それをペラペラ捲りながら呟く。
「人によるだろ」
「いいや。さっきの男の顔を思い出して。ことあるごとにアウローラちゃんを見て、鼻の下を伸ばしてた」
「いや、あの目つきは……」
「僕が前来たときは、書類を投げつけられたのに」
「何かやらかしたんじゃ?」
「してないってー。誰かの奥さんには歓迎されたのになぁ……」
歓迎……修羅場が思い浮かぶ。が、めんどくさいので何も言わないことにした。
「ひどいな」
報告にあった厩では、辺り一面に馬の死体と凝固した血液が散乱していた。
「……」
「おい、汚れるぞ」
シリルは気にも留めずに血だまりを踏む。仕方なく、後ろを着いていく。
近づくと獣と腐った血肉の匂いで鼻が曲がりそうだった。
「魔術の痕跡は?」
僅かに感じる。
「ここの二頭と……あと、向こうの馬にある。他は何とも感じないが、術者の力が強い場合判断できない」
無惨に切り刻まれた体。肉が繋がっているものもあるが、それでも切り傷がついていて、綺麗な死体は全くない。
「痕跡のなかった馬を調べてみて」
そう言うとシリルは周囲を観察しだす。普段のふざけた姿が嘘のように、黙りこくって真剣な様子だ。
指示通りにするが、集中したところで、魔術が使われた形跡は一切ない。切り傷はおそらく普通の刃物によるものだろう。
「これはどうだ」
横たわる馬の腹に、不自然な穴があった。糸くらいしか通らなさそうな小ささで、武器でこの傷をつけられるものは思い当たらない。
「君を連れていった酒場でのことは覚えてる?」
「あぁ。魔薬とかいう……」
あのあと解毒薬も貰ったのに、数日間体の不調が取れなかった。
「つまりこれは注射跡で、馬も投与されたと」
「そう。当初は錠剤だけしか回収しなかったけれど、前回の例から、液体にできてもおかしくない。可能性は十分にある。ただ、これは推測、一切証拠がない」
「私は十分あり得ると思う。それに、証拠なら残してるはずだ」
魔術で五感を増強する。
嗅覚だけ増やせないのが憎らしい。こんなひどい匂いを発している場所……。
「右手方向に、直線距離でひゃく……50クデ。そこに厩は?」
「うーん……報告には上がってない場所だね。確か水路の向こう側だから、ほとんど何もない。行ってみようか」
「あぁ」
歩こうとした。が、体が傾く。
まずい。さっきので酔った。
手を後ろに引っ張られる。腰に手を回され、受け止められた。
「少し休憩しようか」
「いや、いい」
「だめ」
「いいって言ってるだろ。それに手がかりが消えたらどうする?」
「……」
つい責めるような物言いになってしまった。
「もう大丈夫だから」
回された腕を見る。そろそろ離してはくれないのか。
「わかった。ちゃんと僕の隣を歩くこと。後ろは何かあっても気づけないから、絶対歩かないように」
「あぁ。それと……悪い、心配してくれたのに」
「ん?こういうときは素直にありがとうでいいんだよ?」
耳元に囁かれて逆毛だつ。
「ちょっ、いい加減離せ」
「ありがとうは?」
「ありがとう!」
叫ぶとやっと手を離してくれた。
うわぁ……なんか耳がぞわぞわする……気持ち悪い……。
橋を渡った水路の向こう側。
家屋はあるが、人が住んでいるのかわからないような廃墟ばかり。栄えていた居住区とは違って、静かな場所だった。
「あそこの建物だ。異臭がしたのと、魔術の痕跡もあったし、多分……」
「そこのおねーさん」
シリルは突然どこかに駆けていった。
見ると、通りがかった女性に話しかけている。相手は一瞬警戒していたが、何を話しているのかにこやかな顔になっていく。女とは手を振って別れると、こっちに戻ってきた。
「あそこは動物専門の治療所みたいだ。入口はこの通り。僕は正面から行くから、アウローラちゃんはこっそり忍び込んで。素直に調べさせてくれない場合、注意を引き付けておくから、君はその間に中を出来るだけ調べる。魔術はそのためなら何でも使っていい。ただ、軍人だとはわからないように姿は変えておいて」
「わかった」
道を曲がって建物の裏側を目指す。
小走りで進みつつ、服装から全て変え、いつものように魔術で認識されにくくする。
あそこか。
窓は……木板とカーテンで塞がれているようだけれど、何とかなる。目を閉じて、体を無くすイメージで……。
入った中は、暗いし獣臭くてあまり長居したくない空間だった。 辺りに誰もいないことを確認してから、音をたてないよう、静かに目の前の扉を開く。
中は机や床に紙が散乱していた。
魔法陣に魔法具に……これは古代文字より以前の文字か?
見慣れた文字もあったので目を通してみると、魔薬の効能が載っていた。
ここは研究施設なのか。
とりあえず、証拠になりそうなものを手当たり次第、衣服にしまい込む。
「やめてもらおうか」
首元に刃が突きつけられる。実際には黒い靄があるだけなのだが、魔術で触れば無事では済まない。大人しく両手を挙げる。
せっかくポケットに詰め込んだ紙は、外に投げ捨てられてしまった。
「魔女がなぜ軍にいる?」
知らん……いや生意気なこと言ったら殺されそうだな。ここは素直に丁寧に答えよう。
「軍の奴に治療したら、案の定魔女だとバレた。そしたら人手不足だと軍にスカウトされた」
「馬鹿なのか?」
同感である。
「それよりこちらも訊きたい。なぜ軍人に?しかも悪魔が」
独特の気迫。悪魔だと何となくわかる。
後ろをちらりと振り返ると、先程……報告書を貰いに行ったときに応対してくれた軍人がいた。
これはびっくり。こちらの動きが全て筒抜けではないか。
「お前の知る所ではない」
刃が首を掻き切ろうとする。
転移。
腕の中から抜け出す。が、魔術のスピードは悪魔の方が断然早い。動きを予想していたようにこちらに眼下に迫る。
魔術の発動には数秒時間を要する。再び魔術を使う余裕はない。急いで護身用の短刀を取り出し、攻撃を受け止める。刃がぶつかりあう音はしない。ただ、風を切る音だけがする。
本来、軍人としては悪魔は倒すべきなのだろう。しかし、1人だけではどうにもならない。戦ったところで負けるのは明白だ。ならば逃げの一択。
背中が壁に触れる。辺りを煙に巻き、周囲に衝撃波を放つ。
そのまま壊れた壁から後ろに退く。あとは逃げるだけ。
「なっ」
「悪いね、効かなくて」
悪魔が立ちはだかっていた。
さっきの術は、昔とある男から教わったものだ。攻撃が来ると予想した敵は一歩下がるか動きを一瞬止める。煙を張っておけば、次の攻撃に備えようと警戒するから、その隙で逃げることができる。
気づかれるにしても多少の時間稼ぎにはなる。一切騙すことができないのは初めてだった。
……とんでもなくまずい相手だ。
ブンッ。
振りかざした剣も撥ね退けられてしまう。
相手の魔術がこちらに来る。これを避けてもどうする?勝ち目はないし、逃げることも許されない。
ぎゅっと目を瞑る。
「困っちゃうなー、後輩を取らないでくれる?」
のんびりとした声が聞こえた。
庇うようにシリルの背中があった。
カキーン。
シリルは一気に踏み込む。よく見ると、いつも持っていた剣とは違う。刃は潰れていて殺傷能力がなさそうだが、多分魔法具の一種だろう。魔術の軌道を変えて無効化しているのだ。
「魔法は任せたよ」
はっとする。そうだこの男、魔法が使えないんだった。魔術の流れ弾に当たらないように気を付けつつ、魔法で追い風を作る。
「シリルと言ったか……貴様、ものすごく人に嫌われているな」
「えー、心当たりはいっぱいあるけど、誰だろう。教えてよ、僕が嫌いな人だったら嫌がらせをするから」
「下らない」
「それぐらいしか楽しみがないから」
戦闘は止まない。どちらも怪我をすることもなく、永遠に続くように思われた。
シリルの胡散臭い笑顔に対して、悪魔は苦虫を嚙み潰したような表情になっていく。
「用ができたので、ひとまず帰る」
一気にこちらと距離を取った。
手にはどこからか転送させてきた輪っかつきの魔女たちだ。シリルがすでに捕まえていたのか……?
「ちょっと待ってよ」
踵を返そうとした悪魔を呼び止める。
「魔女1人くらい置いてってくれない?上からいろいろ言われちゃうの」
「……」
「無理なら僕たちは代わりの成果をあげなくちゃいけない。徹底的に調べるけれどいい?誰が君を軍に手引きしたか……とか。証拠隠滅は面倒じゃない?」
そう言いつつ剣を鞘にしまっている。今攻撃が来たらどうするんだ。警戒を緩めず成り行きを見守る。
「……こいつは好きにしろ。それでいいか?」
「ありがとう」
悪魔は、一人の捕虜を差し出し去っていった。
「さあ、この様子で、向こうにも脅しをかけに行こう」
「向こうとは?」
「第三だよ、内部に悪魔がいたなんて醜聞どころじゃない。本来なら小隊長の首が飛ぶところだ。そこを黙っとくから仕事をお手伝いしてもらおうと。アウローラちゃん、やってみる?」
なんだか楽しそうだ。
相手の望むものを渡して、代わりに自分が欲しいものをもらう。悪魔みたいな手法だけど、一線は超えないずる賢さ。
「なあ」
「ん?なぁに……」
私の表情を見てシリルは硬直する。察しが良いことで。
「この間の、演技だろ」
「この間の、って」
まだしらばっくれるか。
「教会では魔女相手に苦戦していたくせに。今見たらすごーい、はやーい。悪魔にも対抗できるなんて、ほんとびっくり」
つまりは、魔女にやられそうになったフリをしただけ。
「情に訴えて仲間にしよう、っていう算段だったんだろ。さすがに私も人を見殺しにしたら夢見が悪いからな、よくわかっていらっしゃる」
ちょっと気に食わない。演技を見抜けず、まんまとこいつの掌の上で転がされてしまった。
「騙してごめん……」
「全部計画か?」
「いや、たまたま君がいたから、ちょっと思い付きで……すいませんでした!」
ムカついたので額を指で弾いてやった。
「いった!」
もちろん魔術で威力は数倍になっている。
「怒ってます……?」
「怒ってない」
「いや怒っている人はみんなそう言う……」
黙れ。
「失礼します。報告に上がりました。あなたが小隊長さんですか。お会いできて光栄です」
先程の詰所に戻り、隊長室に乗り込む。
「あ、あぁ」
「お宅にも魔女が侵入していたそうで。いえ、魔女狩りに特化していないのですから、わからなくて当然です。こちらで処理しておきましたので、後程報告書で詳しくお伝えしますね」
「そ、それは……」
シリルの予想は当たっていたらしい。渋る様子を見せる。
「あぁー、でも私たちー、これからポイスチアやイービにも行かなくちゃいけないんですよ。忙しくて報告書を書く暇がないなー」
「それなら、我々第三が。報告書も今お伝えいただければ、代理で書かせて頂きます」
「「じゃあお願いします」」
かかった。
「……あ、そうだ。この案件とこれと、これ……ちょうど近くなんですよ。ついでに頼めます?」
「も、もちろん!」
向こうはああは言っているが、目が笑っていない。
「恨まれたな、お前」
「まあこれくらい大丈夫でしょ」
馬車を留めておいた場所まで歩きで向かう。
「ちなみに軍にも派閥がある。ケルシュとボイスチア、イービはどちらも第三の副隊長派。同じ派閥のところにならある程度は融通が聞くから、同じことをしたいなら覚えておくといい」
第三は最近になって隊長が代替わりをした。貴族でコネで入ったようなものだったらしく、隊員の評判はよろしくない。副隊長と隊長を支持する人たちとで、完全に隊内で派閥ができてしまっている。とはいえ、副隊長は温厚な人らしいし、争いもなく時が経てば纏まっていくだろう。
「ところで、私が魔女だといつ気づいた?」
治療しているときも姿は見せていない。可憐な美少女であるこの私を、恐ろしい魔女だと思う人はいない。
「最初から。盗蝶器って知ってる?」
「あぁ……会話を盗み聞くやつか」
魔法具の一種だ。一般人じゃ高価で買えないけれど、軍や貴族を対象に売られている。
「そう。名前を文字って蝶の形になっていて、あちこちに忍びこませて、話を盗み聞く」
体のどこかにつけたということか?どこだ。
全身を触っても、何も異物は見つからない。
「ふふっ、足を見てごらん」
「なるほど、足の裏か……ってぎゃーー!!」
靴を脱ぐと、シリルの顔面目掛けて放り投げる。
形は蝶に似ている。でも鮮やかな色合いではなく、全身茶色。
「蝶じゃないだろ、それ!」
「これは特別版。その名も盗蛾。もともとある盗聴機能だけじゃなくて、画、つまり映像も見れるんだよ。といっても今回は足の裏だったから、床しか見えなかったけど。協会ってわかりやすいもんだね。あんな白くて綺麗な床はなかなかない。たまたま靴底にくっつけばいいかな、と思って君のお家に捨ててきて…。近くにいないと効果はないのに、急にオスカーたちの声が聞こえ出したんだもん、びっくりしちゃったよ。偶然ってすごいねぇ」
なんかスイッチを押してしまった。恍惚とした顔で、私の靴を拾って見つめている。
蛾は……というか虫全般得意じゃない。
この靴、草臥れてきたし買い換えよう……こいつとお仲間から貰った大金、使っていいかな。
今度の休みは靴屋に行くことが決定した。




