禁忌でもいいから #7
「ア゛ァ゛ァァァ!」
魔女が茂みから現れた。
さっきの魔女じゃない、もう少し若い。あの魔女は追いかけてきてない?というか、狂人ってこんなにいるものなの……?
「アイビー、少し下がっていて」
「戦うんですか?」
「悪いけれど、多分逃げ切れない。何かあったら叫んで教えて?絶対守るから」
そう言うと魔女のもとへ走って行ってしまう。
なんだか、その背中を見て嫌な予感がした。
二人がぶつかれば炎が上がる。マーティン様の魔法みたいで、傷ついてはいない。狂人は恐れて一歩下がる。次にマーティン様が打った火の玉は、狂人を燃やすことはなかった。代わりに燃えた木は、二人の間に倒れる。
動きを止めぬまま、鞘から剣を抜く。炎を帯びた剣は、すごい火力で木を燃やし魔女の体に近づく。
木に開いた穴から、向こう側が見えた。剣に気を取られる魔女に、後ろから迫るマーティン様。魔法で、魔女の体を燃やした。
「―――」
魔女は口を開くけれど、何を言っているのか聞こえなかった。断末魔なのだろうか、と思う間もなく、異変を感じる。
さっきの枯れ木のような魔女が、空を飛んでいた。
そしてそのままこっちに近づいてくる。私を殺そうとしているんだ。多分マーティン様は追いつけない。自分でどうにかしないと。でも戦うなんてできない。どうしよう……。
『アイビー。襲われそうになったら叫ぶんだ』
『何を言うんです、お父様。みんながいるから平気でしょう?』
『もしみんながいなかったときのためだ。可愛くじゃない。頭がおかしくなったように振舞うんだ。人は自分が理解できない物事を恐れる』
これは魔女にも適用されるのかどうか。わからないけれど……。
「うおぁぉー!うーっ、ぐう、がああぁぁ!」
頭も振って、髪を乱す。目の前の魔女の様子を見る訳にもいかなかった。多分バレちゃうから、下にうずくまるようにして、顔を隠す。
「……」
何で無言!?何かしら反応をしてくれない?
しばらくして恐る恐る辺りを見ると、魔女は倒木の向こう側に行っていた。
うずくまった体勢のままマーティン様を覗き見る。
「う゛う゛……―――」
また魔女は何かを呟くけれど聞こえない。
でも、マーティン様の様子が変だ。何を言われたの?魔女の言葉に耳を傾けないで。声をかけたくても遠くて、自衛もできないから黙って見るしかなかった。
この魔女は強いようで。力を使う度、黒い影がマーティン様を襲う。近づこうとすると、マーティン様は動きが遅くなる。これも魔術のせい?おかげで傷一つつけることができていない。マーティン様の体力が削られていくばかり。これじゃマーティン様が持たない。
立ち上がって倒木の上によじ登る。
「えいっ!」
石を投げつけた。
街で見たことがある。処刑される魔女が断頭台に上がると、人々は石を投げつけるのだ。この魔女には仲間はいたのかな。嫌な感情はあったのかな。
中々魔女のところまで届かない。投げ続ける。一瞬引き付けたら隙が出来て、マーティン様の助けになるかも。無理だったら、また叫ぶ作戦……?二回目も通用するとは思えないけれど。
「キァァァ!」
狙い通り、魔女がこちらに動き出した。
その時。
魔女の背後にいるマーティン様と一瞬目があった。にこりと、いつものように微笑まれた。
次の瞬間、マーティン様は魔女に飛び掛かる。燃え上がる体。いくら向こうが暴れようとも、腕を絡めて離れようとしない。両者は火の玉に包まれる。
「何、これ……」
捨て身の策。
守るって自分はどうなってもいいってこと?こんなの……。こんなことをさせてしまって……。
揺れる炎をただ、見ていた。火が消えるまで。
魔女は黒く焦げて、もはや動かない。マーティン様も、魔女同様ひどい状態で、倒れた。
はっとして駆け出す。
「マーティン様!」
「も……大丈夫。いいかい?きみは……僕を置いて、伯爵家まで……って応援を呼んでくるんだ」
「だめです」
マーティン様の体にしがみつく。全身が熱かった。
涙が溢れて止まらない。泣くな、泣きたいのは私じゃない。怪我1つしていない私に、何もしていない私に泣く資格はない。
「アイビーの、せいじゃないからね」
「なんでっ、そんなに優しいんですか」
誰が見ても、私が元凶だった。
マーティン様の焼け爛れた手を握りしめると、そっと振り払われた。
「僕の、代わりなんて……でも君は違う……君を守れて良かった。幸せ……なってね」
「マーティン様と!あなたと一緒じゃないと、幸せになれません!」
「そこまで……嬉しい、な……今までありが……アイビー」
瞼が閉じられた。
「マーティン様、マーティン様…」
反応がもうない。辛うじてお腹が上下に動いて息をしている。でも、もうすぐ止まってしまうだろう。
「誰か!誰か助けて!」
治療師かお医者さんか……あぁ、魔法を使える人が、近くにいるかも。こんな森にいるはずないのに、願わずにはいられない。
「ぐすっ、マーティン様……ねえ!置いてかないで!」
目を覚まして。
この血がトマトソースだって、からかわれていたとしても怒らないから。
「誰か、助けてよ……」
神様、仏様、誰だっていいから。
頬に冷たい感触が伝わる。マーティン様の体を冷やすように、雨が降り出した。
『助けてほしい?』
雨音に紛れて。声が、聞こえた。
「は、はい!助けてください!」
急いで顔をあげるけれど、辺りには誰もいない。
『じゃあ、聞こう。代わりに何を差し出せる?』
異変に気づく。耳からではなく、頭に響く。男の人にしては高いけれど、女の人にしては低い声。
これは人じゃない。魔女でもない。もっと邪悪な……悪魔だ。
さっき私は何を願った?人じゃなくていい―――差し出された手が悪魔でも、喜んで手を取ろうとした?
『言っとくけど、さっきの狂人とは無関係だから。敵を見誤るな』
一瞬耳を傾けそうになるけれど、慌てて頭を振りその考えを捨てる。何を考えていたの、私は。話を聞いちゃだめ。
『はあ……。その男も阿呆というか。こんなちんちくりんを庇って勿体ない。一人で逃げれば良かったものを』
そんなの、自分が一番よくわかってる。
『あーあ、薄情な奴。もうすぐ死ぬぞ。死んだら流石に俺も助けられないなあ』
これが最期のチャンス。マーティン様は死なせるか、私が禁忌を犯すか。
「……わかったわ」
耐えられなかった。多分私はこのままでは生きていけない。死んだも同然の人生を、過ごさなきゃいけなくなる。
マーティン、お父様、お母様ごめんなさい。妹も……。未だに名前が決まっていないのよね。お母様が提案する度、もっと良いのがあるはず、ってお父様が駄々捏ねて……お父様のバカ。名前を呼べずに終わっちゃったじゃない。
腕の中のマーティン様を見つめる。
やるしかない。今、マーティン様を救う手段はこれしかない。覚悟を決めるの。
「私が持つものなら、何でもあげる。命でも、体でも、お金でも、全部でも構わない。ただし、条件があるわ」
『ふうん?』
「一つ。他の人の命を奪ったり、それと同等のことを私はしない。だからそういうことに利用しないで。二つ。マーティン様……そこの人や、私の家族、使用人……私が関わった人全ての私の記憶を消して」
魔女はその家族も罰せられてしまうことが多い。街中を歩くと、そういう光景を見る。赤子やどう見ても魔女とは思えない人まで、首をはねられる。
これは私が勝手にしていること。絶対に、今度は皆を死なせたくない。
『……いいだろう。2つ目の条件は好都合だし、特別サービスな』
「うっ」
心臓に痛みが迸ると同時に、マーティン様の体が黒い靄に包まれる。
『お前には別人になってもらう』
体の自由が効かなくなり、視界が真っ暗になる。
全身が痛い。特に、顔が焼けるような痛みだった。
『終わりだ。アウローラ、これがあんたの名前だ』
いつの間にか雨が止んでいた。
『時が来たら、迎えにくる。それまでは大人しく暮らしていろ』
水溜まりを覗き込むとそこに私はいなかった。
あの日、アイビー・ハリスは死んだ。
「アウローラちゃん?」
「悪い、少しぼーっとしていた」
嫌なことを思い出してしまった。
「被害が出たところと騒動が起こった場所は一致しているのか?」
「関連性はない。一致してところもあれば、家畜は殺されても人は無事だったところもある。逆もまた然りだ」
記憶を手繰ってみるが、ハリス領内では動物が死んだという話は聞いたことがなかった。まあ、子供が得られる情報なんて当てにならないが。
「着いたみたいだ」
馬車の揺れが収まり、シリルは地面に降り立つ。
「どうぞ」
当然のことのように、手が差し出された。
「……お嬢様じゃないんだ、いらん」
自力で降りようとしたが、シリルが出入口の目の前に立って妨害してくる。
「どけって」
「アウローラちゃんって口が悪いよね。もう少し柔らかい口調で話してくれてもいいなじゃない?」
「余計なお世話だ」
「教会で会ったときはおしとやかだったのにー」
「ではシリル様。お邪魔ですので、道を開けて頂けますでしょうか」
訳はさっきと変わらず、邪魔だからどけ、だ。
「やっぱ他人みたいだからなしで」
「はあ……」
何がしたいんだ、こいつは。
面倒になって手を重ねる。
「これで満足か?」
「うん」
なぜかにこにこしている。ふと、あの人の姿と重なった。呼び起される寸前の記憶を振り払う。
「ねえ。アウローラちゃんは十年前の犯人を捕まえたい?」
「……まあ」
「じゃあ頑張ろうね、新人ちゃん」
肩を叩かれた。
「あれ、これってまずい?」
「何がだ?」
「上司に身体的接触をされると、女の子は嫌だって聞いたことが」
「いちいちそういうことを考えられる方が気持ち悪いと思う」
「気持ち悪い……」
言葉選びを間違えたか。
「頑張ろう、って意味だろ?伝わっている」
肩を叩き返した。




