禁忌でもいいから #5
―――懐かしい匂いがした。
「マーティン様!」
「アイビー。お誕生日おめでとう」
差し出された花束はとても綺麗だった。
婚約者は、にっこり笑っている。私も幸せそうに笑っていたことだろう。
「マーティン君、良ければアイビーを遊びに連れていってくれないか?」
「是非」
父親の言葉に頷き返す少年。
「良いんですか!?」
「誕生日だからね。どこにでも付き合うよ」
「やったぁ!約束は絶対ですからね」
嫌な感覚が蘇る。
視界が赤黒く染まっていく。
思わず目を閉じると、そこには誰もいなかった。
「ここは……」
ひとまず立って辺りを見回すと、机上にメモが残されていた。
『おはよう、よく眠れた?僕は別件があるので、今日は他の奴らが君の面倒を見ます。隊服に着替えて迎えが来るのを待っていて下さい』
横にはシリルと同じ、軍服が折り畳まれていた。皺一つないそれを広げ、腕を通す。
なんか違う。
鏡に映る洋服は形が変というか……着方を間違えたか?
「ここ、ボタンがあるの」
「え」
気づくと背後に少女がいた。
後ろのボタンを止めてくれたようで、カチッと音がする。
「感謝す……じゃない、ありがとうございます?」
口調を改めろというシリルの言葉を思い出す。
「敬語は良いわ、新人ちゃん。私キャロンと言うの」
きりっとした眉と目。桃色の髪は短く切りそろえており、軍人というにふさわしい風貌だ。けれど、微笑みを湛えていることで、どこか愛らしさがある。
「昨日あそこにいたんだけれど、外で戦っていたから会うのは初めてね。よろしくね」
「私はアウローラだ、よろしく」
「アウローラね。じゃ、行きましょうか」
「今日から入隊することになったアウローラくん」
「アウローラだ。よろしく頼む」
隊長のウォルモに紹介され、隊員たちの前で挨拶をする。
とはいっても、人手が足りないという言葉通り、目の前には二人しかいない。
一人はキャロン。
目が会うとニコニコ手を振ってくる、かわいい。そしてもう一人は……。
「やっほー。一日ぶりだねえ」
彼の名前は……確かオスカー。やる気のなさそうな奴と思っていたが、今日はしっかりと隊服を来ているし、髭も剃ってある。
昨日が非番だったというだけかもしれない。
「あとはシリルの他に3名いるんだが、任務で遠方にいてね。帰ってきたらまた紹介しよう」
「はい」
三名……だから合わせて七人。人手不足とはいえ、桁が違い過ぎる。これで機能しているのか……?
「隊長!今日はアウローラちゃんと一緒ですよね」
手を挙げてキャロンが尋ねる。
「そうそう。お目付け役として、オスカー。頼めるか?」
「了解です」
「私が問題起こすみたいな言い方、やめてくれません?」
キャロンはむくーっと膨れる。
「違う違う、最近物騒だから何かあったときのための保険」
「俺とが嫌なら、シリルさんと交換してこようか?あの人今日」
「そんな!嫌な訳じゃなくてですね……むしろ、いや、でもお手を煩わせてしまっては……」
「じゃあ決定ね。準備してくるから、キャロンはアウローラちゃん連れて門で待ってて」
「わかりました」
キャロンには道中寮内の場所を案内してもらい、小さな門の前に辿り着いた。
「シリルとはどういう関係?」
どう……とは。
尋ねるキャロンの顔は真剣で、冷や汗をかく。これは、あれじゃないか?私のシリルに、ちょっかいかけて、ただじゃおかないわよ……と。色恋の話はめんどくさい、誤解を解いてすぐ否定しなければ。
「言っとくが何もないぞ!ただ、そのー、両親の店の客で、単なる知り合いだ。恋人であるキャロンに誤解されることは何もない」
「は?今のもう一回」
一瞬にして表情が消えた。
怖いです、キャロンさん。どこで地雷を踏んだ?対応は間違っていなかったはずなのに。
「何もないです、ただの知り合いです」
「そこじゃない、最後」
「えっとー、恋人のキャロンに誤解されるようなことは何も……」
「恋人じゃないわよ!」
「そうなのか?」
「そうよ、ぜぇーったい、ない!あんなスケコマシ。一緒に見回りになった日なんか最悪よ、痴話げんかを見るなら良いほう。誤解されて女どもが私に暴言を吐くわ、水をかけてくるわ、虫を投げつけたり、ビンタまでされたり……こんなのしょっちゅう!それに……」
こんなに恨みを買っているって、あいつそのうち刺されるんじゃ……ま、関係ない。所詮契約しただけの仲。止めてあげる義理はない。
「大変だな」
「わかってくれる!?アウローラも良いように騙されているんじゃないかとただ心配で……紛らわしい言い方してごめんなさい。わかっていると思うけれど、あんな奴に気を許しちゃダメだからね」
「うん」
近い近い。手まで握られて凄い圧だ。
「本当にわかってる?かわいいんだから、……あ、軍にはシリルみたいな嫌な奴もいるけれど、良い人も多いから。恋人募集中なら今度紹介しようか?第一は高嶺の花だから無理だけど、第三にもかっこいい人はいっぱいいるよ」
「ありがとう、今は大丈夫だから」
今どころか一生だが。はしゃぐ姿が年相応で眩しい。
「お待たせ―」
そうこうしているうちにオスカーが現れる。
「オスカー様!お荷物お持ちします」
「いいよいいよ、持たせたら俺何もしない人になっちゃう。その代わりしっかり働いてね」
「はい!」
なんだこの大きな鞄?
首を傾げているとキャロンが説明してくる。
「オスカー様の魔法はね、大がかりなの。今日は使わないと思うけれど、楽しみにしててね」
なんだか得意気だ。
「あ、オスカー様。この間の合同任務、かっこよかったです」
「そう?ありがと」
キャロンはオスカーのことが、好き……なのか?
「あ、今日の任務をまだ説明していなかったよね。今日は街の見回り」
「見回り?」
王国軍には大きく分けて五つの隊がある。
第一部隊は王族の警護を務める。その他の領地を持たない貴族、主に元王族やその親族を護衛する第二部隊。民間犯罪の第三部隊は各地に駐留しており、規模は一番大きい。残る第四部隊は牢の管理や尋問を担い、ここ第五部隊は悪魔や魔女狩りを行う。
人手が足りないのなら、第三部隊に任せてしまえばいいような気がするが……。
「不思議そうな顔だね」
「顔に出てたか?」
「もう、こーんな感じ」
オスカーに頷き返され、キャロンには顔真似をされた。
「ははっ、ひどい間抜け面だ」
「でしょ?」
「今は疑問かもしれないけれど、すぐにわかるさ」
二人とも深刻そうな、少し影のある表情だ。
一体何が起こっているのか。
第五部隊の宿舎から歩いて30分。一番大きい市場ではないそうだが、やはり王都というだけあって、人も多く、活気に満ち溢れている。
「きゃーっ!」
「強盗ー!誰か捕まえて!」
後ろから悲鳴と叫び声がした。
見ると、人だかりの合間を縫って男がこちらに向かってきている。胸には女物の鞄を抱えており、それが盗人であることは明らかだった。
ちょうど横を通ろうとした強盗に対して、キャロンは足を出す。
「てめえ……!」
引っかけて転びかける男。反撃がくるより前に、服を掴むと男を投げ飛ばす。
「強盗さん、鞄から手を離しましょうねー」
キャロンは私よりも頭一つ分くらい小さい。体が大きくもないのに、どこにそんな力を隠しているんだろう。
「奥さん、何かなくなっているものはありませんか?」
「……いいえ、あるわ。本当にありがとう」
「それなら良かったです。気を付けてくださいね」
他にも、道端で転んでいる人を見かければ……。
「大丈夫ですか?よければ治癒所まで送ります」
「ありがとうねえ」
軍人は厳めしくて近寄りがたいイメージがあったけれど、二人は気さくに話しかけに行く。良いことだけれど、何だか街の便利屋の気分で本来の業務とはかけ離れていた。
拍子抜けするほど平和な業務内容。悪魔も魔女の気配すらない。いや、魔女はここにいるが。
上空からバサバサッという音が聞こえてきた。
「鳥?」
白い鳩の大群か何かか。
地上に近づいてくるとその正体が判明する。生き物ではなく、大量の紙だった。
「……まずいなあ。キャロン、ここは頼む」
キャロンは頷き、オスカーはどこかに駆けていった。
「アウローラ、この紙を片付けられる?」
キャロンは氷で階段を作った。
「すごい……」
一瞬で、建物の屋根まで足場が出来ている。氷は日の光を反射して虹色に輝き、幻想的な光景だった。
「感心してないで、薄いからすぐ崩れちゃうわよ」
早くも一段目にひびが入っていた。
「あ、ああ。感謝する」
焦って建物の上を目指す。
「また?」
「この脅迫文誰のいたずらなんだ」
「皆さん!建物の中に入れる方は建物に!その他の方はここに集まって、紙には触れないようにお願いします!」
キャロンは混乱する市民たちに避難を呼び掛け、氷の屋根を築く。
ただ紙の量があまりに多く、そのうち街が埋もれそうな勢いだ。足は止めずに風を吹かして紙束を手元に手繰り寄せる。
ふと紙を見ると、何か文字が書かれていた。思わず目で追ってしまう。
「十年前の騒動を、再び」
古代語で書かれた文字だった。
十年前の騒動。この国の人間なら、誰もがピンとくるはず。
「うわぁ、何なのこの紙!」
下からの悲鳴でハッとする。
「なんか動くし」
「おもしろーい」
屋根に上ると地上の様子がよく見えた。
まだキャロンの手が届いていないところでは、異様な光景が広がっている。行進する白い物体。踊り出す物体。気味が悪いことこの上ない。これがただの紙であればいいが。魔女として同族の考えそうなことはよくわかる。何か細工をしているはずだ。
「燃えてるぞ!」
手元の紙きれが赤く炎を上げだした。
「きゃー!」
「水で消そう!」
広場の噴水に誰かが紙を入れた。
鎮火すると思われたが、赤色は青色に変わり、更に火の勢いが増すだけだった。
「消えない、なんで!」
パニックになり始めている。
十年前の騒動を、再び……。文字通りに騒動で終わるはずがない。人を殺し傷つける。今日をその第一歩にさせてたまるか。
急いで紙をかき集め、誰の手にも届かないような高さまで浮かす。
「誰か、マッチは持っていないか!?マッチじゃなくてもいい、火が点いたものが欲しい!」
「マッチ……?」
「何言っているんだ、あいつ」
「ここに!」
周囲はどよめくが、幸い優しい人がいた。
「感謝する!」
近くにあった木の枝を風で捥ぎり取り、マッチで強力な火種にする。
火は消えないように、それでいて早く。集めた紙束に近づける。
「うわ!何してるんだあいつ」
ここには悪魔や魔女の気配はない。
恐らく、これは事前に魔術に組み込んだものだ。
予告状を大量発生させ、その後燃えさせる。
私ならそのときに水で消せないようにする。そうした方が人間が慌てふためくことは明白だからだ。術者がいて力を使い続ける限り、ただの水では火を消せない。それに対抗する協力な魔法や魔術があれば別だけれど、魔法の使い手なんてそこそこいない。私ならそこは大丈夫だが、魔女であることがバレて、初日で文字通り首を切られてしまう。
ただまあ、火はいつか消える。それは、元手の物が灰になったとき。
「キャロン!もっと氷張って」
喉を張り上げたが、今にも暑さでやられそうだ。
「無茶言うわね」
「出来ない?」
「見くびらないでよね、何年魔法でご飯食べていると思ってるの」
一か所に集中させれば、火の粉が降りかかる場所も限定される。そこをキャロンの氷で守れば、延焼は防げるはず。
熱い。
このまま紙が全て燃え尽きるまで。燃えるものがなくなるまで。周囲の風も制御して、絶対に落とさないようにする。
手が痛い。
でも。
「なくなった……?」
「やったぞ!」
長かった。
完全に炎が消えたことを確認してから下に降りる。
「アウローラ!」
「わっ」
後ろから思い切り抱き着かれる。
「新人なのに大手柄ね!」
「ちょっと。重い、暑苦しい」
「失礼な」
寒さを感じる季節になってきたというのに、今は本当に暑くて堪らない。
「はい」
「まさかの氷塊」
とはいえありがたい。
道に置かれた氷を、暖炉のように手を近づけて涼む。
「そうだ、オスカーは?」
「紙が向こうにも行っていたでしょ」
キャロンは左の方角を指さす。
「ここからじゃ見えないわね。あそこには王族だったかしら?詳しくは知らないけれど高貴な方の住居があってね。警備は最低限しか配置していないみたいで、万が一のときはすぐ様子を見に行くことになっているの」
「ふうん」
面倒なことだ。
「さっきの号外配りみたいなやつ、よくあるのか?」
「うん。これで何回目?って感じなのよね。魔女も毎回捕まえているんだけど、性懲りもなく現れて。予防しようにも場所が読めないから無理だし」
「全然知らなかった」
「まあ、王都だけみたいだし、他所から来たなら知らなくて当然よ。そうだ、お腹空いたでしょ?ちょっと待ってて」
キャロンが離れると一人になった。
さっきの騒ぎは被害も出なかったようで、人はいつものように戻ったようだ。様々な人が行きかうが……かなり見られている。
もうすぐ冬だというのに、謎の氷の前で佇む少女。完全に不審者だ。
早くキャロン戻ってきて……。
「はい!」
願いが届いたのかキャロンが帰ってきた。良い匂いのする包を差し出してくる。
「これは?」
「スパナコピタ。あれ、でもあなたビスクロから来たんじゃなかったっけ?あそこにもあったでしょう?」
「あぁ……あまりお金がなくて、外食は控えていたから」
言われてみれば、街でそういうものが売られていたかもしれない。食にこだわりはないから、買うどころか見向きもしなかった。もう少し知識を仕入れておくんだった。変だと思われてはいないよな……?
「まあ確かにちょっと値が張るものね」
大丈夫そうだ。
「というかこれすごく美味いな!パイ生地もサクサクで、チーズもいい塩加減」
「でしょう?」
「もう食っといてなんだが、オスカーなしでいいのか?」
あれだけオスカーに心酔しているのなら、彼が食べるまで何も口にしません、なんて言うかと思っていた。
「うちは忙しいから、食べられる暇があるうちに何でもかきこみなさい、って方針なの。食べないと力も出ないし、特にあなたはさっきので疲れてるんだから。オスカー様も先に食べたくらいで気にするような、小さな人じゃないわ。別に咎められないから、安心して」
「ああ」
「そろそろ行きましょうか。オスカー様と合流しないとだし」
お屋敷というには狭くて、暗い、どちらかというと牢獄のような塔がそびえたっていた。
使用人によると、とっくに戻っていったよ、と言われた。
「道中すれ違ったのかもな」
「そうねえ」
キャロンは懐中時計らしきものを取り出す。しかし、数字は書かれていない。どちらかというと、方位磁針に似ているような……。
「いや、ちょっと待て。それなんだ?」
「えーっとぉー……追跡用の魔道具で、付属の丸いボタンみたいなやつの位置が近くにあると反応するの」
つまり、それをオスカーに取り付けていた、と。
「許可、取ってないだろ」
「えへへ」
シリルを嫌っている割に、言動も誤魔化し方も瓜二つだ。
「ここ、かな……?」
魔法具は路地を示していた。
正直こんなところにいるのはおかしい。
異変を感じたキャロンは一目散に走り出すと、悲鳴が響き渡った。
「オスカー様!」
オスカーはうつ伏せで倒れていた。家と家の間の、人一人が辛うじて通れるような場所なので、周りも気づかなかったのだろう。
「多分気を失っているだけだ」
「でも、でも……!」
オスカーの容態は悪くはなかった。それよりも、キャロンの取り乱しようがすごい。
「落ち着け。ほら深呼吸。すーっ、はー。すーっ、はー」
「すーっ、はー。すーっ、はー」
いや何をやっているんだ私らは。
「とりあえず、近くの治癒所に行こう」
「あ、うん」
オスカーを担ぐと、キャロンは駆けだす。
「いや、病人はあまり動かさないほうが……」
既に声が届かないほど遠くに行っている。
ふと、下に落ちたブローチが目に入った。
蜂蜜色の宝石がはめ込まれた、それなりにお値段がしそうな品だ。オスカーのものかもしれない。一応ポケットに入れて、キャロンを追いかけた。
成人男性を背負い、歩いて10分。こじんまりとした治癒所だが、近くにあったのは幸いだった。
「どれどれ……。大丈夫そうだね。しばらく安静にしていれば起きるさ。目が覚めるまで、ここは使っていていいよ」
治癒師はオスカーを診察する。大事はなく、魔法による治療は必要ないと判断したようだった。
「ありがとう」
代金を支払うと治癒師は去っていった。
「屋敷周辺は特に被害もなく無事でね。すぐに広場に戻ろうとしたら魔女と思われる人物を確認して。追っていたら、途中で倒れていたみたい」
目覚めたオスカーから倒れたときのことを聞く。
「魔女の黒魔術で、ということか?」
「いや、後ろから誰かに首を叩かれて。あと少しで捕らえられる、ってとこだったから、背後にまで意識がいかなかった。すぐ気を失っちゃって、残念ながら、その後の魔女と協力者の足取りはわからない」
「オスカー様……ごめんなさい、ぐすっ。オスカー様が大変なことになっている間、私たちはご飯を食べてました」
「え、うん……ほら、泣かないで?この通り元気なんだから」
「はい……」
慰める様子は、兄と妹に見えるような、見えないような……いまいち二人の関係性は謎だ。
「ちょっと、目冷やしてきます」
一通り泣いて、涙が収まったキャロンが退出する。着いていこうとしたが、用を思い出す。
「そうだ。これ、オスカーのか?」
拾ったブローチを見せる。
「……どこにあったの?」
「倒れていた近くにあったぞ。大事なものなんだろう?見落とさなくて良かった」
「これは……いや、なんでもない。ありがとう」
「ああ」
なんか、様子が変……気のせいか?
「ちょっとキャロンのところ行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
「失礼します。……はあ」
お貴族様たちの叱責が終わり、オスカーとウォルモは溜息を吐く。
貴族はまだいい。他の部隊の連中は何もしない癖に責める。なら少し手を借りようとすれば責任や危ない仕事から逃れたがる。外野よりも身内のほうが敵だ。
「困ったことになりましたね」
「これから忙しくなるよ」
外は昼までの晴天が嘘かのように、雷鳴が轟いた。
十年前。各地で魔女による暴動が起こった。
悪魔から力を借りる魔女は、意思をなくし無差別攻撃を始めることがある。言葉も通じず、死ぬまで魔術を乱発する狂った姿から、狂人と呼ばれている。狂人の出現は時折あること。でも、なぜか十年前は、各地でたくさんの狂人が現れた。軍だけでなく、領主、つまり貴族たちも私兵を用いて魔女狩りを行い、事態は二日で収束した。二日は短いようで長かった。かなりの数の魔女を狩ることには成功したものの、多くの命が犠牲となった。
我々は、二度とあの悲劇を繰り返してはならない。そのためにも、日ごろの魔女狩りを徹底し、そしてその元凶である悪魔も処刑していく。
「調べ物?」
「わ!」
びっくりして持っていた資料を落としてしまった。
「帰ったのか、シリル」
「本来なら昼頃には終わらせる予定だったんだけどね、もうすっかり夜だ」
あれから、オスカーは回復を待ってからということで残り、キャロンは念のため街の見回りをすることになった。キャロンと同行しようとしたら、初日だからと帰されてしまった。正直落ち着かない。
なぜ、あんなものが。疑問はいっぱいあったが、みんな忙しそうで訊ける雰囲気でもなく、寮内の資料室で本を読み漁っていた。
「シリル、あの紙はなんなんだ?」
「見た通り、脅迫状だよ。今年に入ってから、度々繁華街でばら撒かれている。発見が確認されたのは、ノール、ウォリア、ゴト、フォルテオ、そして王都」
「……どれも王家の直轄地だな」
「んねー、おかげで王様とかお偉いさんはカンカン。今日も隊長とオスカーはこってり絞られてきているんじゃないかな、何度も何度も騒ぎを起こさせて、早く魔女か悪魔を捕まえてこい、って」
オスカーは回復したあと、そのままの足で王宮に報告しに行ったようだ。少しくらい配慮してくれても、と思うが、軍のトップは団長の上に王がいる。下の者の都合なんて構っていないのだろうし、年齢的にオスカーがあの場での責任者ということで、私たちが代わりに赴く訳にもいかなかった。
「本当に、十年前のようになるのか?」
「半年も経つのに何も起きていないから平気、っていう人もいるけれどね。僕はまた起きると思う」
「……」
脳裏に、血を出して倒れる人が浮かぶ。
「暗い話はあと、夜ご飯は食べた?」
「いや」
「じゃあ、一旦これはあと。報告書なんていつでも見られるから」
シリルに押されて部屋から出ると、雨が降っていた。
あの日と同じ、雨だった。




