禁忌でもいいから #3
「パン一つ、胡椒と塩を一袋ずつ」
人間腹は空く。
野菜や果物は山で採れるし、肉も狩れば何とかなる。
ただ、主食や香辛料まではどうにもならず、麓の街まで週に一度の買い出しに来ていた。
普段の恰好では私は魔女だと言っているようなものだ。もちろん魔術は解いている。
「はいよ、お嬢ちゃん可愛いからおまけしておくね」
「……ありがとうございます」
荷物が重くなってしまった。
「君可愛いね」
来た道を戻ると、いつの間にか二人組の男に両隣を挟まれていた。
悪魔に変えられたこの顔は、良すぎて目立つ。
通りを歩いているだけでも目線を感じるし、このように絡まれることも日常茶飯事だ。
「重いでしょ、持つよ」
「ついでに休憩していかない?あそこの話題のカフェとかどう?」
「結構です」
横から伸びてくる手を躱しつつ、歩くスピードを速くする。
「つれないこと言わないで」
しつこい奴らだったようだ、運が悪い。
暫く無視して歩き続けるもずっと着いてくる。仕方なく、小走りで脇道へ逸れる。
「あ、逃げないでよー」
追いかけてきたようだったが、少し道を進んで物陰に隠れていると気配はなくなった。しかし……。
「ここ、どこだ……?」
出歩かないから、土地勘のない場所。おまけに方向音痴。闇雲に歩けば、迷うに決まっていた。
手汗で滑る袋を何度も持ちかえつつ歩を進めると、前方に教会らしきものが見えた。
誰かに道を訊ける。象徴たる三角屋根を見て少し安堵する。
門の中に入るが、なぜか人の気配は感じられない。辺りは暗いし、場所が不便だから信者もたいして来ないのか。
「危ない!」
教会の入口へと続く階段に足をかけたとき、嫌な予感がすると同時に何者かの声が聞こえた。
背後を振り向くと、青い炎が眼前にあった。咄嗟に防御しようとしたところ、透明な壁が現れる。さっきの声の主のものだろうか。
姿は見えないが人はいるのだ。魔術を使わなくて良かった。
状況がいまいち分からず、そのまま突っ立っていると腕が引かれる。
「は、早く扉を!」
「わーかってますよ」
二人組のうち、神父の格好をした男が騒ぎ立て、もう1人は素早く閉めた扉に魔法陣を描いた紙を押し付ける。その紙は一瞬光り、淡く溶けて消えていく。
「急に引っ張ってごめんね。怪我はない?」
問いかけたのは四十歳くらいの男性か。
少し長い黒髪を結い、ボタンを開けているシャツからは引き締まった筋肉が見える。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
「あちゃー、服が」
頭を下げようとすると、服が白くなっていた。
引っ張られたときに体勢を崩して袋の中身をこぼしてしまったのだろう。
「叩けば問題ありません。ところで、先程は何が……?」
呑気に道を尋ねられない程、事態は異常だ。
「んー、何て言えば良いんだろね、ていうかどこまで言っていいんだっけ?」
首を傾げて呟く男性から目線を外すと、神父と目が合った。
「では私から」
コホンと咳払いし、少し出た腹を揺らしながら話し出す。
「数刻前、魔女の仕業により、お祈りに来ていた一人の方の身が突然炎に包まれました。そして……」
要約すると、魔女が人を襲って軍が助けに来てくれたけど、僕らは逃げ遅れちゃって、その騒ぎに君も巻き込まれたんだ、ということだそう。
「軍人さんだったのですね」
「まあ、仕方なくね」
心底嫌そうな声だ。だらしない服装からもあまりやる気は感じられない。というか、軍服を着なくていいものなのか?
「お、どうでしたか?」
軍人は遠くへ声をかける。
見ると、奥の焼け焦げた部屋が開いて見覚えのある顔が出てきた。
「サミーのおかげで皆息はある」
なんか見たことがある。だが思い出せん。
「あとで治癒師に診て貰わないとだけど、ここに転移魔法が得意な奴もいるし、大丈夫」
あぁ、取引を持ち掛けに来た軍人だ。
朧げだった記憶の顔と目の前の顔が一致し、輪郭を取り戻していく。
今日は外套を被っていないのだ。本来の姿を教えたくはないので、初対面のふりに徹しよう。
「本当ですか!?なんとお礼を言ったら良いか……!」
「俺には何にもないの?」
「勿論オスカー殿にも感謝申し上げます!」
やりとりを静観していると、こちらに視線が向いた。
「ところでその可愛い子は?」
「先程教会に来まして。外は危険なのでとりあえず中に入れました」
「初めまして、僕はシリル。君のお名前をお伺いしても?」
軽い。
「えっと、初めまして。アウローラです」
以前はとことん歪な笑顔だったのに、今はその影もない。普通の好青年、といった感じだ。魔女ではなく、普通の女相手だとこうも対応が変わるものなのか。
「アウローラちゃんか、名前まで可愛いね」
「はあ」
なんなんだこいつは。
「ところで外の状況は?」
「今の所、キャロンが持ちこたえていますが、いつまで続くか」
手持無沙汰にしばらく立っていると、神父が荷物を置くよう勧めてくれたので、その好意に甘える。
おまけにどこからか出してきたお菓子をくれ、これは最近話題のものでね、などととりとめのないことを話し出す。この異常事態で、年若い娘の不安を少しでも和らげようと気遣ってくれているのだろう。
会話が途切れたタイミングで二人の方を見ると、何やら会議は終わったようで、シリルが扉に手をかける。
「じゃあ、オスカーは転移魔法の準備な」
「まだ病み上がりなのにそっちで大丈夫ですか?」
「俺にとっては走る方が性に合ってるから。そっちは頼んだ」
オスカーと呼ばれていた男はシリルを見送るとこちらに向き直る。
「軍の拠点に送るからお二人もどうぞ」
「魔法陣ってこれで合ってたっけ……?」
元々神父たちの休憩室だという部屋へ移動すると、狭い場所に人がひしめき合っていた。
負傷者の中には重体の者もおり、すぐに適切な治療を受けさせたいのだそう。魔術による転移と違って、転移魔法は距離が限られるし、発動者の負担も大きい。ここから一番近い、治療師がいる場所ということで、軍部が選ばれた。
魔法陣が完成すると皆はその上に立ち、オスカーは陣の外へ出る。
「君、本当に良いの?」
「はい」
送られる先は隣町にある軍の拠点だ。
そのまま帰らせてくれるだろうが、もし軍人がたくさんいる場で魔女だとバレれば……。
そう思い、隣町は家から遠い、帰る金もない、と言い訳を重ねまくり、飛んで火にいる夏の虫、または鴨葱状態を回避した。
「わかった。じゃあやりますか」
オスカーは陣の内部にいる仲間と目配せした後、目を閉じる。
2分いや、1分程過ぎた頃、やっと陣が光り始める。中にいた人間もその光に包まれ、やがて消えた。
「成功かな」
伸びをするオスカーの額には若干の汗が滲んでいる。
黒魔術を使ってしまえば、私も簡単に移動できるが、魔法となると大変なのだろう。
パリンッ
遠くでガラスが割れるような音が聞こえ、オスカーは顔色を変える。
「ごめん、ちょっと外の様子を見てくるね」
張っていた結界が割れたのだ。
ここに隠れているようにと言い残し、オスカーは去る。
正直早く帰りたい。
ただ、このまま姿を消すようなことがあれば、襲撃してきた魔女と共犯だと捉えられかねない。
床に胡坐をかいて座っていると、閉まっていた扉が軋んだ音を立てて動く。
魔女でなく、オスカーだといいが。
「お、人いるじゃん」
残念。
近くにあった窓を素早く開けてそこに身を投げ出す。
地面に足が着いた瞬間、必死に足を動かす。
外に何人軍の奴らがいるかわからないから、魔術を使いたくはない。
ただ、誰かが助けてくれなければ自分を助けることができるのは自分だけ。
繰り出される魔術を避けていたが、限界はそろそろだ。
「うがぁっ!」
魔術を使うしか道はない。そう思ったとき。
背後で呻き声が聞こえた。
逃げる足は止めずに後ろをちらりと見れば、剣を持った軍人が魔女の左腕を刎ねていた。
「このまま逃げて!ここには戻らなくていい!」
シリルだ。
「は、はい」
後ろを振り返りつつ走る。何となく気がかりで見ていた両者の戦闘は、あっという間に視界から消える。
勘でいくつか角を曲がれば、通りに出ることが出来た。
そこはさっきまでの深刻な雰囲気とは異なり、いつも通りの穏やかな日常があった。
助かった。
「お母さん、何でお兄ちゃんは魔法を使えるのに、僕は使えないの?」
「あなたは魔力がないの。でも……」
通りすがりの母子の会話が聞こえる。
魔力がなければ魔法は使えない。憧れる子に宥める母親。よくある光景だが、ふと、シリルの姿が頭に浮かんだ。
魔女相手に魔法ではなく、剣で立ち向かう。
そもそも、いくら発動が大変な転移魔法といえど、悪魔と戦うことに比べれば何倍も簡単だ。しかし去り際、心配するオスカーから提案された役割交代を受け入れず、戦闘を選んだ。
そして先日。
私が魔術を使うことを確認したいのであれば、私に攻撃すれば良い話。なのに、自分を刺した。
あのとき、無駄に大きなテーブルのおかげで私たちには距離があり、魔法や魔術ではないと届かない距離にあった。剣で自身を刺すことこそが、魔女である私に対抗できる唯一の手段だったのではないか。
どれも決定打にはならない、わずかに違和感を憶える程度のもの。だが、シリルが魔法を使えないと仮定すれば納得のいく話だった。
「っ」
考えるより先に体が動いた。
何で。あそこに戻っては、彼と契約しなくてはならなくなる。魔女とバレる。けれど、自分を助けて貰って死なれるのは……!
「シリル!」
戻ればまだ二人は戦っていた。
シリルはさっきよりも傷を増やしている。
ちらりと辺りを見回す。見る限りは誰もいないのだから、念のため結界を張れば大丈夫。
手に力を込めると、二人がいた地面が割れ、魔女は体勢を崩す。
こちらに気づいた魔女は炎を放つ。防御しつつ割れた地面から蔓を出す。四方八方から魔女を捕らえるように動かせば、近づく蔓に魔女は火を点ける。
「君お仲間か……邪魔しないでくれる?」
魔術には人それぞれ特性がある。
広く簡単な魔術を操れる者もいれば、特定の高度な魔術を使える者もいる。
私はどちらかというと前者、こいつの場合後者で火しか扱えない。
さっきよりも大量の蔓を出し、魔女の体に近づける。
魔女は火をつけて消そうとするが、蔓が灰になる前に急いで魔女の体を包む。魔女が動けなくなったタイミングで燃えることのない金属で体を拘束する。
「殺すか?」
体力の限界か、座り込むシリルに問いかける。
「そのままで。というより、君は一体……」
「熱烈なお誘いをくれたのに、忘れたのか?」
声を魔女の状態に戻すと、向こうも気づいたようだった。
ここまで来たら、もうやけだ。
「お前の脅し、聞いてやる」
シリルは口角を上げた。




