禁忌でもいいから #2
「お待ちどーさん」
「っす」
目の前の少年は働き詰めでろくに食事もせず、栄養失調になったのだったか。薬を受け取ると忙しそうに去っていった。
にしても、あれから数日何もない。
軍のことだから、魔術の痕跡に気づくかと思ったのだが。
見殺しは嫌だと助けたおかげで、魔女として追われるかも。そんな心配も杞憂で済んだのなら良しとしよう。
「すみません」
「何だ?」
外を見ると、嫌なものが目に入った。
「少々お話したいことが。中に入っても?」
薬を受け渡すためだけの小さな窓だ。そこから見えるものはわずかだが、判別は難しくない。
紺色の上質そうな布地、所々に見られる金の刺繍、そして国家の紋章。紛れもなく、軍服であった。
残念ながら、心配事は現実となってしまったようだ。
「今開ける」
重い腰を上げ、普段は閉ざした扉に鍵を差し込み回す。
これから攻撃してくるであろう奴を出迎えるのも癪だ。
そいつが入ったことを確認する前に、階段を上がる。仲間を連れてきているかもしれない。上へ行く方が視界の確保が出来る。逃げるか戦うか。どちらにしろ、魔法じゃ空を動くには限度があるし、飛べるこちらの方に分があるはず。
「話をする気があるのならどうぞ」
窓際には小さいテーブルがある。一応椅子は二脚あるが、ほとんど一つしか使わない。もう一方の埃を軽く払っておく。
「では失礼します」
「茶も出せず悪いな。独り身なもんで、必要最低限のものしか買わないんだ」
「いえ、こちらこそ押しかけて申し訳ないです」
男は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「お話したいことはいくつかありますが、一先ずお礼を」
「お礼?」
「覚えていらっしゃいませんか?」
短く切りそろえられた銀髪、燃えるような赤い瞳。よく観察してみれば、先日瀕死だった男もそんな容姿だった気がする。
「ああ……治りが早いな」
魔術を使ったと疑われないため、治療したのは、まだ一か月くらいは安静にしなければいけない状態までだった。しかし、目の前の男は特に怪我があるように見えない。こいつの生命力の賜物か?
「先日はありがとうございました。軍に戻ってから少し治療を受けたとはいえ、息を引き留めることができたのはあなたのお陰です。何か困っていることがあったらお手伝いさせて下さい。追加のお金などでも……」
そう言うと男は胸元から何かを取り出そうとする。
すごいチャリン、という音が聞こえる気がするんだが。先日貰った金ですら手つかずのままなんだから、いらない。
「あんたの仲間から代金……どころかかなり余分に受け取っている。礼はいらない」
「ですがあの程度の額では到底返しきれません」
わざわざここに来たからには、私が魔女だと勘付いているはずだ。なのに、何もしてこないどころか、表面上のやり取りなんて、気味が悪い。
「本題は何だ」
このままでは埒が明かない。周りに仲間が来ないか神経を尖らせつつ、男を観察する。すると男は銀に光るものを取り出した。
ナイフだ。
身を守るため手に力を込め、黒魔術を展開する。しかし、男は自身の胸にそれを突き刺した。
「な……」
発動した魔術はナイフが軌道から逸れたことで、壁を黒く燃やす。
「魔法だと火は黒くないんですよ、知ってました?魔女さん」
男の体からは血が染み出してきていた。
「……何が目的だ」
このまま放置すれば死ぬというのに、男は笑みを湛えている。
「あなた方お得意の契約をしませんか?」
どういう意味だろう。
「軍に所属してもらい、ごほっ。僕の手足として働いて欲しいのです」
「断る」
この間にも男の命は、削られていく。
見ていられず、腰を上げて階段へと向かうと、自然と背を向ける形になった。
「これは軍は関係なく、僕の独断です。だから、っ」
男は声を出すことが限界なようだった。
「はぁ……お前がここで死ねば、私に捜査の手が及ぶ。もし、ここで私がお前を治しても、黒魔術を使ったことを目撃される。どちらにしろ、断れば私は軍に捕まる、ということだろう?」
振り返ると、男は肯定するように笑みを深めていた。
自宅を事故物件にしたがる奴はいない。
仕方なく男の胸に手を当てる。
「それは契約ではなく脅しと言うんだ。こちらにメリットが全くない」
魔術によりナイフは抜かれ、瞬く間に傷は修復した。
「そうでしょうか?真っ当な仕事は得られますし、宿舎付き、高収入。簡単なものであれば魔術と魔法の区別なんてつきませんし、僕も周囲にバレないよう協力します」
男は治療したばかりだというのに、よく口を動かした。
「そんなものに魔女は釣られない。強制するのなら抵抗する」
「残念ですね。なんとなく予想は出来ていましたが。ああ、安心してください。今後あなたに接触はしません」
男は何事もなかったのかのように、帰ろうとする。
「捕まえないのか?」
「魔女を捕まえるのがどれほど大変か。人に危害を加えていなければ、魔女でも悪魔でも野放しで良い、というのが僕の持論です。まあこんな考え少数派なので、他の人は容赦ありませんよ。警戒は怠らないよう」
はあ。捕まらないのなら、喜ぶべきなのか……?
「本日はお邪魔しました。迷惑料とでも思って受け取って下さい」
男は席を立つと、胸元から小袋を取り出し机に置いた。
いやいらない……ってもう断るのすら面倒だ。関わりあいたくない。
「……どうしてこの取引を持ち掛けた?魔女を引き入れたら、お前もかなりの罪に問われるはずだろう」
ふと、気になって声をかける。
「断ったあなたに教える必要が?」
振り返った男は、さも当然のことを言う。
「それもそうだな」
「なんてね、命の恩人ですしお教えしますよ。……何が何でもこの仕事を辞める訳にはいかないから、ですかね」
赤い瞳がこちらを真っ直ぐ見る。くすんだ宝石のように、光はなく揺るがない。その瞳は何かの決意の現れか。
「気が向いたらご連絡下さい。軍の宿舎の受付で、シリルはいるかと聞いていただければ」
「ああ」
今度は引き留めず、シリルとやらは階段を下っていく。
久しぶりに人とまともに話した気がした。
いつも以上に静かな部屋で残された小袋を開けて確認する。昨日押し付けられた金よりも数倍はあるな、これ。
何だったんだろう。
死神のような、とことん気味の悪い男だ。きゅっと紐を縛り直す。置物と化した銭袋は2つに増えた。




