禁忌でもいいから #1
「誰か、助けて……」
降りしきる雨の中、叫んだ。
どんな人でもいい。神様でも、仏様でも、人じゃなくたっていいから。
そんな私に声をかけたのは、悪魔だった。
「助けてあげるよ」
甘い囁きに私は頷いた。
ただ、数年後、私は身をもって実感することになる。この国で悪魔と契約することが、黒魔術が、魔女が、禁忌とされる意味を。
「今日の薬だ」
フードでよく見えない視界。客がいるであろう方向に布袋を差し出す。
「ありがとさん。お代はここに置いておくね」
いつものじいさんか。
声をかけられ、初めて誰か知る。
まあ、薬は偽物だ。誰かなんでどうでもいい。
悪魔と契約を結ぶと、黒魔術が使えるようになる。そういう人は魔女と呼ばれ、その存在は禁忌とされてきた。魔女とバレれば即処刑だが、魔術と魔法の区別なんてできない。使っている瞬間を見られなけれないよう、問題も起こさずひっそりと生活していれば魔女として捕まえられることもない。
ここを訪れる患者には、少しずつ体調が良くなる魔術をかけている。定期的に薬もどきを渡しておけば、薬屋の完成だ。
ぼんやりして客を待っていると、日が暮れてきた。今日は店じまいにしよう。
鍵を閉めて、住居にしている二階へ上がると、顔を覆っていた外套を脱ぐ。身を隠すため纏っていた魔術を解除すれば、鏡には美しい顔が映る。
―――こいつの命を救う代わりに、お前には別人になってもらう。
いつかの悪魔の言葉を思い出す。
悪魔との契約には代償を伴う。
私の場合、別人として生きること。
鏡の中の金髪の美少女のことを、私は何も知らない。
アウローラと名乗れ。
ただ、そう言われた。
「誰かー!いるか!?」
ドンドンドン。
階下が何やら騒がしい。
別に大勢いるという訳ではなく、一人の人物が出した騒音のようだが……ドアを叩いてもこんな音はするのか。
壊れていないか心配で、外套を着て顔に魔術をかけ直す。
営業時間外だというのに店に出るとは。なんて優しいのだ、私は。
ドアを開けると騒がしそうな男が拳を振りかざしていた。
「誰か、」
「やめろ、私にぶつかる」
「あんたが話題の薬師か!?」
喧しい。
「話題かは知らんが。ちゃんと聞こえているから声量を落とせ」
「悪い。こいつを治して欲しくて」
そう言って、呼吸もほとんどしていない、虫の息の人間を差し出される。
衣服は血で赤く染まっているからわかりにくいが、目の前の男と同じ服を身に纏っている。紛れもない軍服だった。
「お断りだ」
「なぜ!」
軍は国を守り、治安を維持する。その業務には、魔女狩り、つまり魔女たちの処刑も含まれる。そんな奴らに魔術で治療なんて。
もしもこいつを治して、はい捕まりましたーとなったら笑いものにもならない。
「お抱えの治療師くらいいるだろう、この街にはお前ら以上に困っている奴らがたくさんいるんだ。いちいち治療している暇はない」
そのまま押し返して扉を閉めようとすれば、男は隙間に足やら手やらを入れ、それを阻んできた。
「待ってくれ、お願いだ、こいつを助けてくれ!」
「手を放せ」
痛くないのか、いや、顔を見る限り痛そうだ。
「治療師もいるが、今は人手不足でこいつは助からない、って後回しに……」
「知るか」
「そうだ!こいつは良いとこの坊ちゃんだ。助けられれば報酬が出る」
「それは脅しか?権力を盾に言うことを聞かせるなんて、軍は野蛮だな」
「そんなんじゃない!」
ふぬぬ……と向こうも私も必死の形相で戦ったが、やはり軍人には叶わず。
力比べで敗北し、扉は開かれた。
「わかった。そいつを寄越せ」
「感謝する……って俺は?」
「待ちたいなら勝手にしろ」
預かった軍人は重かった。一旦壁にもたれかけさせて施錠する。
カーテンも閉めて外から見れないようにすれば、やっと怪我人に向き合う。
どんな攻撃を受けたのかは知らないが、酷い傷だ。特に、腹部からの出血が尋常じゃない。おまけに足首は捻っているようだし、肩の関節は変になっており、骨折も疑われる。
これは薬で治るもんじゃない。
一体、どんな考えで私のもとを訪ねたのか。
薬を処方するばかりで、一階の仕事場にはベッドなんてない。体を宙に浮かせて、自分の寝台まで運ぶ。
完治までしては、魔術を使ったことを疑われる。死なない程度に回復させるのが良いだろう。
いらない衣服を裂き、額の汗を拭うと、顔に触れたときに違和感を覚えた。
まるで、本当は存在しないような。魔法で顔を変えているのだろうか。
どちらにしろ、この男の素性はどうでもいい。
患部に布をきつく巻き付け、肩は正常な位置に戻そうと試みる。
勿論、手で。
失敗すれば腕一本を失うが、たまに生命力で治る場合もある。まあ、命には関係ないし運任せで良いだろ。パキ、と嫌な音をさせた後、魔術の力を頼る。
まずは出血部分の血の巡りを遅くし、皮膚を再生させるようにイメージして目を閉じる。
陣をしっかりと書く魔法と違って、魔術は感覚的なものだ。使えない人からすれば、怖がられるのも当然。それどころか使っているうちに狂っていくのだから、国が禁止するのも頷ける。
しばらくして目を開けると、傷は綺麗にとは言えないが、死なない程度に治っていた。とはいえ、今の魔術で治せたのは一部分だけ。急いで別の場所も取り掛かる。
チュンチュン。
どこかから聞こえる小鳥の囀りに目を開けると、窓から日が差し込み、薄暗かった部屋は明るくなっていた。
私のベッドを盗った男は、腹を上下させぐっすり眠っている。傷は適度に残っているし、上出来だろう。
治療が終わったあと、そのまま寝てしまったようで、額と頬が少しジンジンする。
マントと魔術で赤くなった額を隠すと、最後の仕上げに取り掛かる。
魔術を少しかけると、男を昨夜同様引きずって下りる。外へ出れば、律儀なことに軍人は起きていた。
「やっとだ……どうだ?」
途中で仮眠を取っていたのか定かではないが、明らかにに声量は落ちている。
それによく見れば目元も赤いが、突っ込むのはめんどくさい。
「ほら、お仲間だ」
「シリル!」
声のうるささが戻ってしまった。
私が放り投げた人間を、軍人は大事そうに抱えた。
「これを朝晩傷口に塗れ。この薬は水に溶かして毎晩飲ませろ」
戸棚から取り出したものを投げる。
そこら辺に生えている雑草を潰しただけ、何の意味もない。
「ありがとう、本当にありがとう……」
下を向いているから表情は伺えない。ただ、仲間をきつく、抱きしめていた。
「お代はいくらだ?」
「金貨15枚」
軍人だし、とまあまあ吹っ掛ける。
「これで足りるはずだ」
「ちょっ……」
ぽい、と投げられた麻袋を慌てて受け取ると、ずっしりと重みが伝わってきた。どう考えても、15枚の量じゃない。
返そうとしたが男は既に遠くにいて、こちらを振り返ることはなかった。
まるで春の嵐のように。




