第五十七話 最果ては地獄なら
「……だから、アンナは私を恨んでいます。あの子にとって、私は大好きな両親を奪った仇ですからね」
「エカなんとかも、親が好きだったんだろ。だから苦しんだ。だから―――殺したんだ」
「……」
アンナがエカチェリーナを狙う経緯を聞いた俺は、窓を開けて外に顔を突き出した。周囲に人がいないことを確認すると、タバコを取り出して一服する。車内に煙が入らないように配慮した、というわけではない。本音は、エカチェリーナと顔を合わせづらいから、外を向いてタバコに火をつけたのだ。
案の定、重い話だった。
兵器化以前、ただの人間であった時の「人間としての家族殺し」。そこに兵器だから、戦争だから、国や何かを守るためだから、といった殺人行為の肯定材料も見当たらない。
エカチェリーナは、端的に言えば―――
「―――人殺しなんです、私。好きだったからとか、そういうことは理由にならない、意味のないことです。気に入らないから殺した。それだけです」
「まあ、そうだな。フォローできない」
「ふふ。フォローしようと思っていらしたんですか。ご親切頂いて恐縮です」
「なんて言えばいい。返事に困る話は……むずい」
「嫌だとか苦手だとか言わないあたり、あなたは良い人ですね。やはり敬意を払うべきお方です」
「言葉くらい選ぶだけだ。つーかさ……」
「はい?」
振り返ることはしない。首を傾げるエカチェリーナの姿が想像できた。
煙を吐き出してから、尋ねた。
「なんで俺に敬意を払うの。口癖みたいに言うけど」
「あなたは橘光を守り通しました。だからです」
「お前の仲間、二人殺したけど。AクラスとSクラス」
「アーニャとヴェロニカですね。お見事でした。ヴェロニカを倒したあなたの動きは、私でもついていけない神速の領域でしたよ。霊人としての力、なのですか」
「……恨んでないの。仲間、ぶっ殺したんだけど」
「私たちもあなたを殺すつもりでした。殺されても文句はないつもりですから」
ああ、確かに頭のネジが外れている。エカチェリーナは、常に自分の世界で生きている。そこに彼女以外の存在はあり得ない。家族を自らの手で抹消した彼女に、仲間、友人といった概念は深々と心に根付いていないのだ。
エカチェリーナは、心を失っている。
恐らく、家族を手にかけた時から、ずっと心を忘れている。だから、敵だった俺さえ受け入れる。俺に敵意や憎しみを持てないでいる。
「ふつーさ、俺を許せないで殺しにかかると思うけどな。仲間、ぶっ殺した奴だぜ」
「ですから、それは責められる立場にはないと―――」
「そんな正論が吐けるあたり、あの二人を仲間と思っていなかっただろう、お前さん」
「……」
「誰の存在にも興味はないか。家族すら手にかけた以上、まあそうなっても仕方ないかもしれないな。たださ、エカチェリーナ。お前は俺を許すべきではない。俺に敬意を払うべきではないと思うんだが」
「なぜですか」
「アーニャって方は瞬殺したからよく知らん。けどさ、ヴェロニカだっけ? 友達じゃなかったの。あいつ、お前のことリーナって言ってたろ。親しげに」
「……」
「仮面みたいに張り付いて離れない笑顔でも、それでも出来た仲間、友達だったんじゃねーの」
「だとしたら、なんだと言うんですか」
「友達をぶっ殺した俺を、お前もぶっ殺すべきかな」
「……」
「お前の言うことは正しい。俺を殺しにかかった以上、俺に殺されても文句は言えない。けどさ、そんな正論に従順なほど心って安直なものかね」
「―――ずれています」
「あ?」
はじめてエカチェリーナに振り返った。彼女は身を乗り出して、俺に迫りながら必死に言葉を紡ぐ様子だった。
じっと俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「私はあなたに敬意を払っています。あなたは、自分の仲間を守り切りました。守るために全てを犠牲にしました」
「……」
「私はヴェロニカやアーニャの死に何も思いません。家族すら手にかけた鬼ですからね。私はあの日、笑顔の仮面が外れなくなったあの日―――家族を皆殺しにした日から、誰かを思い大切にすることができなくなりました。あなたの境遇は知らなかった。それでも、それなりに想像さえつかない悲劇のもとで兵器になって、必死に橘光と『アルカサル』のために命を投げ出したということくらい、理解できました」
「……」
「大切に思い守り切る。それは、私にはもうできないこと。それをあなたはやった。私たちは、それに敗北した。私にできないことで、橘光たちを守り切り、結果を出してしまった。あなたは、だから敬意を払うべき人なんです」
「そう違うもんかね」
エカチェリーナから視線を外し、俺はタバコを咥えたまま車のハンドルを握った。
「俺もお前も、他の『殺戮機械少女』も、そう違いはないと思うが。殺しは殺しだ」
「……」
「ラスコーリニコフは、強者は法を踏み倒すだけの権利があると信じて老婆を殺した。だが、結果はどうだった。そんな思想一つで、殺人行為の罪悪感を塗り消すことはできなかった。殺しは罪悪なんだよ。心を持った人間なら、どんな殺しも等しく罪になる。悪になる。お前だけ、ってことはねーだろ。自意識過剰だ」
「ふむ。自意識過剰ですか」
「そうだ。俺もお前も人殺し。俺はたくさん殺して光を守って、お前は家族を殺して自分を守った。それだけだ」
「自分のために家族を殺した私のエゴイズム、正当化してくれるんですか」
「正当化じゃねーよ。等しく罪悪だと言っているんだ。俺もお前も、いつか罪と罰に直面するはずだ。俺は自分を尊重するために殺しを躊躇わずにここまできた。お前も自分のために家族を殺して今を生きている。そこにどれだけ思想や哲学を挟んだところで、ラスコーリニコフと同じ末路が待っているはずだ」
「自分の犯し重ねた殺しの罪悪に、耐えられなくなる。報いはある、と」
「そうだ」
俺は車のクラッチペダルを踏み込んで、ギヤを一速に落とす。ちらり、と車のミラーに映る黒のスポーツセダンを確認する。先ほど、窓から外に顔を出してタバコを吸った時から気になっていた車だ。相当な時間、あの場所から動いていない。
車を少しずつ発進させる。
すると、後ろの黒セダン車も呼応するように動き出す。
「だからな、エカなんとか」
「なんですか」
アクセルペダルを踏み込み、何度かエンジンをふかす。エンジンを温めて、温めて、最高のパフォーマンスが発揮できるようにアクセルを踏み込む感覚を高めていく。
「殺しちまった以上、殺し続けてきた以上、お前にも俺にもラスコーリニコフと同じ未来があると思う。少なくとも、死ねば地獄行きだ。きっと報われる来世はねえだろうよ」
「でしょうね」
「だから、同族の俺から返したい言葉は一つだけだ」
「……なんですか」
助手席に振り向いた。エカチェリーナの、綺麗な横顔がそこにはあった。長い前髪で右眼が見えないが、彫刻のような、美術品のような造形美が、窓ガラスの向こうにある夜の街に映えている。映画のワンシーンのような、そんな美しい現実味のない横顔。
綺麗な奴だ。
美しさにあてられたのか、俺は少し格好つけて呟いた。
「地獄に着くまで、振り返らずに走り続けようぜ。こんなふうに」
「っちょ―――」
エカチェリーナの驚きを置いていくスピードで車を走らせた。アクセルペダルを思い切り踏み込んだのだ。背もたれに押し付けられたエカチェリーナを見て笑った俺は、改めてドアミラーを目で確認する。
黒のセダンがついてきている。
この急発進、急加速についてくる以上、間違いない。黒セダンはだんだんと迫ってくる。目を凝らして運転手を確認すると、俺は舌打ちしてからエカチェリーナに口を開いた。
「お前さんの過去が、取り立てに来てるぞ」
「私の命をですね」
「未来だろ。走り続けて逃げ切らねえと、振り切らねえと、お前に未来はない」
「未来がないことはどうでもいいです。死ぬのは怖くありません。ただ」
「ただ?」
クラッチレバーを操作する。ギヤを二速、三速へと上げていく。
「あの気持ち悪くて大嫌いな妹に殺されるのは、どうも腸が煮えくり返る」
「いいね。それで十分だろ」
「逃げるつもりも振り切る必要もありません。最速で轢き殺します、私が」
禍々しい動機だ。それでも、エカチェリーナは珍しく、笑っていなかった。嫌そうに顔を歪めて、不快感と苛立ちを表情にしていた。
本心を感じ取れている。
それが禍々しくとも、仮面でないことは価値があるはずだ。思わず口元を緩めた俺は、息を一つ吐いてから宣言した。
「オーケー。約束したからな、最後まで付き合うよ」