第四十六話 兵器は少女に、少年は―――
私たちは、アメリカの秘匿国防組織『アイオワ』に連行された。シャーロットが、今度こそ九条哲人を逃さないように警戒しているのだ。『アイオワ』は地下施設『アルカサル』とは違い、航空母艦の中に設計された秘匿国防組織である。海上という逃げ場のない場所で、私たちを連れた音速機が飛行甲板の上に止まった。
ロシア製とエカチェリーナは、すぐに担架で医務室へと運び込まれた。千凪もそれについていったようだ。私も医務官らしき人物たちから医務室へと誘導されそうになったが、彼と共に音速機の中に残ることを選んだ。
彼は、私の肩に頭を預けて眠っている。
私も着席したまま、ぼうっと窓から見える太平洋を眺めていた。夕日が沈みかかっており、闇に包まれた小さな灯火がはかなげに海に宿っていた。
しかし、それを飛行甲板に降り立ったシャーロットは許さなかった。航空機の中に座っている私と彼を睨みつける。
「降りろ。ファースト」
「お断りよ。私、厳密には無所属の機体だもの。彼だって同じ。国連の機体の指示に従う理由はないわ」
「逃げても無駄だ。九条哲人の霊石には、既に私の『ペスト』を感染させた。いつでも攻撃できる」
「分かってるわよ。疲れたから、動きたくないの。ロシア製やエカチェリーナの治療に時間はかかるし、彼から『方舟』のことを聞き出すにしても、他の秘匿国防組織が集まった前で聴取するんでしょう」
「……」
「だったら、時間はあるじゃない。好きにさせて。この空母からは逃げないから」
「……いいだろう。どのみち、九条哲人には物質Nがある。空母内に入れることは許さん」
渋々といった様子で、シャーロットは軍帽を深く被り直しながら返答する。私と彼に背を向けると、顔を見向きもせずに告げてきた。
「明日の朝、この空母にSクラス保有の秘匿国防組織代表が集まってくる。九条哲人、ファースト、また九条哲人と貴様を匿っていた『アルカサル』代表桜木アリスから事情聴取する。全てを話せ」
「分かったわ」
「ファースト。貴様の寝床は中に入って右の―――」
「ここでいいわ。もう寝る」
ぴしゃりとその背中に言葉を投げてやる。シャーロットは黙ったまま、空母内へと立ち去っていった。
薄暗い機内に取り残された私は、重くなっていた瞼に逆らえなくなっていた。肩に感じる重み。そこから聞こえる安定した呼吸の音に、思わず笑みが溢れた。
一安心。
その言葉に尽きる。
国連の聴取には気を遣うが、そもそも今回の計画は国連の協力を得ることにある。千凪が私にロシアで超人と戦うことを要請した時点で、その本当の目的には気づいていた。騒ぎを起こして、超人と『方舟』の存在を国連に知らしめる。そのために、私はあえて利用されてやった。
私は開けっ放しの機内の扉を閉めようと、彼の頭を肩からどけて立ち上がった。すると、飛行甲板の上に、私を見つめてくる影があることに気づく。
千凪だった。
青い片眼が、こちらをじっと捉えている。眠くて仕方がなかったが、私は機内から出て飛行甲板の上に降り立った。
「なによ」
「あなたを利用したこと、まず謝るよ。すまなかった」
深々と頭を下げてきた千凪に、私はため息を吐いてから言葉を返す。
「分かってやったことよ。気にしないで頂戴」
「……おかげで、未来は大きく変わった。このままなら君は近い未来で暗殺されず、国連が『方舟』を認知するだろう。パパが超人化する可能性は下がったはず。これは恐らく、パパたちにとって良い方向に未来が変化した。ただ―――」
「―――彼の中に超人が寄生するとは、思いもしなかった、って感じかしら」
「……ああ。それに、僕は確かに超人になったパパを見た。なのに、あの少女の話だと、超人になったパパは九条幸乃になってしまうはず……混乱しているよ……」
眉根を寄せる千凪に対して、なんと声をかけるべきか私には分からない。
彼女のおかげで私は命拾いした。未来を変えられた。だから、柄じゃないが、それなりのことはしてやろう。
「超人の脅威を彼の中に閉じ込められた、とも言える結果よ。『方舟』最大の脅威を一時的にせよ無力化した。あの超人は、最後に片付けることができれば問題ない」
「……」
「良い結果なんじゃないの。この私を利用しただけの価値があったと思うけれど」
「……うん。ありがと」
「私はボディガードとしての務めを果たす。あなたは、未来を変えるためにやってきたのなら、きちんと未来を良い方向に変えなさい。文句も愚痴もいらないわ」
「……ああ。それにしても、まさか手紙と薬を渡した直後にパパをさらって超人と戦うとは予想外だった」
「びっくりしたかしら」
「当たり前さ」
「なら良かった」
「……ああ、なるほど。いい性格してるよ。一泡吹かせられた」
「気に入らなかったからね。あなたのこと。少しスッキリしたわ」
苦笑を浮かべて肩を竦めた千凪は、私を見ると驚いたような顔をした。正確には、私の後ろに視線をやっているようだった。気になって振り向くと、飛行甲板の上に太平洋を見下ろしている彼が立っていた。
千凪が顎で彼を指し示し、空母内に立ち去っていく。
私は完全に闇に溶け始めた太平洋を見つめる背中に歩み寄ると、声をかけた。
「まさか、あなたよね」
「……ああ。俺だよ。いろいろ悪かった」
「仕事よ。当然のことをしただけ」
「そうか」
返事を聞いて安心した私は、ポケットに突っ込んでいたソフトパッケージのタバコを取り出した。隣に並んで、胸に押し付けてやった。
「はい。預かりもの」
「……」
無言でタバコを受け取った彼は、早速一本を口にくわえてライターで火をつけた。
静かに煙を吐くと、一言だけ呟いた。
「そこそこうまい」
「そ」
「こっちの銘柄に変えようかな」
「タバコの違いなんて、私には分からないわね」
「……ファースト」
「なによ」
いたって自然な様子だった。
いつも通りのテンションだと思った。いつも通りの所作だった。
だから、度肝を抜かれたのだ。
闇に慣れてきた目に映った彼の顔は、どうしようもなく冷たい目をしていたから。
「殺すよ。『方舟』を」
「……そう、ね。あなたを狙う以上、戦いは避けられないわ」
「ああ。だから殺す。全員殺すよ。殺される前に―――」
口の端を釣り上げた彼の顔が、一瞬、あの恐ろしい超人の笑顔と重なった気がした。
「―――ブチ殺す」
背筋が凍った私は、すぐに言葉を返せなかった。そして、笑いながら殺意を明らかにした彼に、どうしようもなく悲しくなってしまった。
そんな目をしていただろうか。
そんな笑い方をしていただろうか。
「……ねえ」
「ん?」
「お願いだから、それはやめて」
分かる。
彼の目が、命を奪うことを求めているのが。それはまったく私と同じ顔だったから。戦場を蹂躙していた頃の私と同じ表情をしているから。
自分の存在を納得するために、殺戮を求める機械の顔だ。
「あなたは怪物かもしれない。いいえ、怪物だと思う。あなたが自分が何者なのか、存在していいものなのか、心の底では悩みに悩んでいるだろうことは予想がつく」
「……」
「けれど、だめよ。命を率先して奪うようになったら、私と同じで永遠に救われないわ。殺して殺して、自分の生きる理由を得ようとしているわね。―――これだけあっさり殺せる命とやらに、何の意味や価値があるのか。命に意味や価値はない。だから、怪物の自分だって等しく無意味に無価値に生まれただけなんだ。自分は生きていていいんだ、そうやって自分を受け入れるつもりでしょ」
「っ」
動揺したことが分かった。
ああ、ようやく会いたかった彼に会えた気がした。あなたに、そんな顔はまったく似合わない。そうやって、感情豊かに変化する、素直な顔がぴったりだ。
「命を奪うことは、否定しない。殺される前に殺す。まったくあなたの言うとおり。私も協力してあげる。だけどね―――」
殺られる前に殺る。
生きるために殺す。それは、仕方のない摂理だ。変えようのない生物の真理だ。
殺して食べないと生きていけない。
殺される前に殺さないと生きていけない。
だが、自己肯定のための殺しは、間違いなく間違った殺しだと言える。
「―――自分を受け入れるために戦うことは許さない。殺し続けないと自分を保っていられなくなる」
「……怖いんだ」
「なにが」
「俺が、わからないから。俺が生きていることを、俺が素直に受け入れられなくなってきた」
「そう」
多分、泣いている。
暗闇でよく見えないが、彼は自分を許せなくなって泣いている。存在することに理由はない、と考えていたくせに、その根本が崩れかけている。自分という存在は、果たして理由なく生まれたからといって、存在していて良いものなのか。そうやって自分の生きる権利を奪おうと必死になっている。
自暴自棄になるなと言ったのに、これか。
それは私を心配してのことか。ロシア製や『アルカサル』、仲間を思ってのことなのか。
そこまで深くは察しがつかない。だから、私は彼に一つの答えを示すことしかできない。
くわえているタバコを右手で取り上げる。
呆然としている彼の襟首を左手で掴んだ。
「いいわよ。キスくらいなら」
言って、そのまま引き寄せて彼の唇に唇を重ねてやった。どんな顔をしているのか、闇でよく見えないのが残念だった。
しばらくすると、慌てたように肩を持って引き離された。
「お前、なにを―――」
大きな声を出した彼の口に、タバコの吸口をねじ込んだ。煙を吸い込んでむせる。その姿を見て、思わずくすりと笑った私は、彼の疑問に答えてやった。
「だってあなた、私にキスして欲しいって言っていたじゃない」
「……言ってねえよ」
「今、目が言ってた」
「っ」
息を飲んだ彼に、畳み掛けてやる。
私を働かせすぎだ。全く。
「怖いんでしょう。だったら、私に言えばいいじゃない」
「……」
「私はあなたを守る殺し屋。―――私が出会ったあなたを守る殺し屋よ。私の知っているあなたを守る。それは、あなたが霊人とか、超人とか、怪物とか、そういうことは関係ない。だって、あなたと契約した時、私はあなたの正体なんて知らなかったんだから」
「……お前の言う、俺ってのはなんなんだ」
「自分の幸せのために、生活のために生きるだけの、どこにでもいるちょっと変わった男の子かしら」
タバコを持ったまま動かない彼に、私は端的に教えてやった。
九条哲人。
あなたは、本質に囚われず自由にあるべき人。
「素直で変わったあなたしか、私は知らないわよ」
「……」
「生きることに全力なあなたが好き。生きる意味や理由に囚われず、真っ直ぐに歩いていくあなたが好き」
「……」
「私が守るのは、そんなあなた」
「……」
動かない彼は、何を思っているのか。何を考えているのか。私の今の言葉すら、彼が彼自身を見失うきっかけになったかもしれない。
それでも、私は信じている。
私の知っている彼こそが、本当の彼なのだと。
「……ああ」
ぼやいた彼は、持っていたタバコをくわえて思い切り煙を吸い込んだ。勢いよく大量の煙を吐くと、案の定だが辛そうに咳き込んでしまう。
そして、彼は闇と同化した太平洋に向かって叫んだ。
「ぶっ殺してやらぁぁあああああああああっっ!!」
先ほどのセリフとは違った。
禍々しさの感じられない、暴力的なセリフだった。
「てめーら全員ぶっ飛ばす!! なにが『方舟』だ!! 木製の船が大洪水に耐えられるわけねーだろ腐って溺れろバーカぁぁあああああああっ!!」
「あら。木製なの、ノアの方舟って」
「ああ。ゴフェルっていう木でつくられたらしいぞ、聖書曰く」
「へえ。それじゃ腐るわね」
「だよな」
「―――ふふ、あはははは!!」
「……なんだよ」
タバコをふかしながら、嫌そうに尋ねてきた彼に、再び笑い出してしまう。ああ、そうそう、そういう感じだ。私の知っているあなたは、そうやって素直に怒って変に物知りで、素直に何でも話してくれる、そういう面白い男の子だ。
「いや、いやいや。あなたらしくって、ついね」
「意味わかんねーよ」
「キスして目覚めてくれたのかしら。王子様」
「……ぽんぽんキスするなって言ったのに」
「あなたが頼んだのよ」
「目は頼まねーんだよ」
「あら。ツンデレってやつかしら。なに、私のこと好きなの」
「……」
「ああ、結構好きなんだっけ。私のこと」
「黙ってくれ」
「私はそんなに好きじゃないわよ」
「うるさい」
「ふふ」
「……ファースト」
「なに」
月が出てくる。
雲間から漏れてきた光に、太平洋の姿がわずかに顕になった。彼の顔がよく見えるようになる。頬を真っ赤に染めて、視線を落としながら照れ臭そうに彼は言った。
「ありがとう」
「―――ええ。いいわよ、あなたを守るくらい」
私も、視線を落として顔を背けた。
月明かりが、私達を照らしすぎていたから。