第四十四話 仕事
「終わった気でいるみたいだけど、私たちはどうするー? まだやるー? 私は全然構わないよォ」
そうだった。状況は何も変わっていない。この超人が、俺の肉体の支配権を優先的に得ている事実は揺るがないのだ。
咄嗟に心臓の反転霊石を抜き取ろうとする。
しかし、そこで自分の身体がぴくりとも動かないことを理解する。背中から生えて俺を抱きしめている超人の顔が、ご馳走を前にした子供のような笑顔に変わった。
「お父様のおかげで時間が稼げた。ほぼ全回復ってところかな。反転霊石を封じるには、まだまだ霊石エネルギーが足りないよ。さっきお父様が言ったように、完全に再生能力を封じるには反転霊石一つにつき百個以上の霊石が必要なんだ」
「……」
こいつは今、最高に機嫌がいい。一つになっているからか、妙な高揚感や幸福感が腹の底から湧き出てくるのだ。
感覚が共有されているのだろう。
こいつの気分が良いことを俺は知っていた。
(……聞き出せることは聞き出すべきだ。俺の問にしか、恐らくこいつは答える気がない)
生唾を飲み込んでから、俺はあくまでも自然な様子で尋ねる。
「……霊石を反転させるってのは、どうやるんだ」
「おお、おお!! 私に喋ってくれた、何気ない会話を振ってくれた!! 嬉しいよぉー、哲人くぅーん」
すると、一層ご機嫌になったようで、俺の頬に頬を擦り寄せて答えてきた。
「『方舟』には封印されている古代からの反転霊石が五個ある。私が六個目だったんだけどね。複数の反転霊石で霊石を囲み接触させると、中心の霊石が反転霊石化していくんだ。まあ、膨大な反転エネルギーが霊石に感染するってことだよね。その五個の反転霊石で一つの霊石を囲めば、すぐに霊石は反転する」
「……霊石を反転霊石にするには、複数の反転霊石で挟み込む必要がある、か」
「そうそう。ただ、哲人君の霊石は物質Nが不純物として混じっていて、それを取り除いてから反転させないとだめだって言われたんだー、お父様に。だから霊石をかき集めてきたのに……。ぜーんぶ嘘とかひどいよね、おかしいよね」
「そうだな。おかしい」
「うんうん、私の味方。やっぱり私のものだね、君は」
「ああ。もうそういうことでいいよ―――頼みがある」
適当に返事をやって、俺は懇願することにした。弱者には強者に何の権利も発動できない。特に、この超人という少女に対してはなおさらだ。だから、素直に乞い願う他に選択肢はない。
この少女、その気になれば一度俺の身体から出て、篤史やファーストたちを殲滅することもできる。全員を皆殺しにした後、再び俺の中に潜り込めばいいだけの話だと言えよう。
では、なぜそれをしないのか。
なぜ本気で戦わないのか。
それは、篤史やファーストたちが、『方舟』という組織に敵対してくれる都合のいい駒だから、ということだろう。この少女、理由は未だ不明のままだが、俺といることを何よりも優先事項に置いている。そのために俺を消そうとする『方舟』と簡単に敵対し、育ての親だという九条蓮を簡単に裏切ってしまった。
心がない。
良心とか、感謝とか、そういう概念を持っていない。自分の好きなもののために、あらゆる関係や存在を抹消できるのだ。仲間も親も、例外ではない。
こんな奴から、やはり逃げられるわけがない。
小さな声で、決して超人以外には聞こえないように配慮して言った。
「ファーストたちに手を出さず、この場から消えてくれ。お願いだ」
「あはっ。二人きりがいいってことだね」
俺たちのひそひそ話を、一発の銃声が遮った。俺の耳元に口を寄せていた超人の額に、弾丸が命中する。音源を見れば、憎しみすら感じられるような瞳でファーストがハンドガンを手に持っていた。
「危ねえやつだなあ!!」
「危なくないわよ。私、絶対外さないもの」
「あのなあ……!!」
「させないわ。あなたのことなんて、手に取るように分かるもの」
「……」
人のことを言えたものではないが、自分勝手が多すぎないだろうか。俺を元の状態に戻すことしか考えていない殺し屋ボディガードに、俺に取り憑いている超人を殺すことしか考えていない復讐の伯父に、未来を変えるために権謀術数の限りを尽くすタイムトラベルの我が娘……。
収集がつかない。
この場の全ての命は、超人の気分でどうとでもなる。それを忘れないで欲しい。自分勝手は謹んでくれ。いや、本当に俺が言えたことではないけれども。
「状況は未だ掴め切れない。だが、なるほど。超人とやら、貴様は九条哲人の身体を奪って我々とは別行動を取りたいということか」
確か、シャーロットという機体だったはずだ。数ヶ月前に、光のために敵に回した国連所属Sクラスの一体だったはず。
軍帽から鋭利な刃物のような視線を飛ばした彼女は、俺の右肩に顎を乗せる超人に尋ねた。超人は被弾したはずだが、既に傷一つない状態で笑っていた。
「うん。そうだよー、生物兵器」
「そして、貴様の言動からして、あくまでも九条哲人の命が優先ということでいいか」
「そうだね」
「ふむ。なるほど」
軍帽を深く被り直したシャーロットは、ファーストや篤史を押しのけて前に出た。
隻眼から飛んでくる殺気に、思わず俺は息が止まった。
「『方舟』とやらのことを洗いざらい国連で吐いてもらう。私と別行動は許さない。貴様ないし九条哲人を捕獲する」
「生物兵器じゃ、相性悪いって言ったよね。私の霊石は死滅のエネルギーなんだよ」
「貴様を倒す必要はない」
「はあ?」
「―――『感染』」
疑問の声を上げた超人に対して、シャーロットは指を軽く鳴らした。
瞬間、超人の顔色が変わった。
俺の霊石を埋め込んである右胸に視線を落とし、大きく見開いた目からシャーロット以上の殺気を漏らした。
「なにしたの。ブチ殺すよ」
「私の『ペスト』が、ただの生物兵器だと思ったか。貴様の霊石にダメージはないようだが、やはり九条哲人の霊石に影響はあったようだな。先ほどの私の攻撃で、九条哲人の霊石に『ペスト』が混じったのだろう」
自分の身体の支配権を超人に握られている俺は、何も違和感を覚えられない。しかし、超人の顔に余裕の色がなかった。黙り込んで、じっとシャーロットを見つめている。
何が起きた。
何をされた。
「ただの生物兵器であれば、『殺戮機械少女』相手に大した意味はない。霊石エネルギーで、ある程度の治療が『殺戮機械少女』は可能だからだ。そもそも、肉体のほとんどを改造されている以上、たかだか病にかかった程度で大した致命傷にはならん」
「……」
「私が生物兵器としてSクラスに位置づけられているのは、霊石を病にかけることができる点だ。私の『ペスト』は霊石にまで感染する。霊石は次第に黒く変色していき、その霊石エネルギーの量は次第に弱まっていく。結果、『殺戮機械少女』は兵器としての能力を失っていく」
「……ああ、そういう違和感か。なるほど」
ボソリと呟いた超人は、俺の右胸に手を添える。
ニヤリと笑って、シャーロットに言った。
「だったらさ、一度哲人君の霊石を取り出して、私が君の『ペスト』を反転エネルギーで殺菌すれば―――」
「貴様の霊石エネルギーは、純粋な霊石に毒なのだろう。九条哲人の霊石を絶対無事のまま『ペスト』を殺菌できるのか」
「……」
「もう一つ言おう。対象の霊石に感染させた『ペスト』は、遠隔で私が操ることができる。つまり、九条哲人の霊石に感染している病原菌の強さを、今すぐ最大限に引き上げることも可能だ」
「……」
「五秒だ。五秒以内に、九条哲人を元の状態に戻せ。さもなければ、九条哲人の霊石に私は攻撃を仕掛ける。九条哲人が大切ならば、言うことを聞け」
「……」
「五」
「……」
「四」
「……」
「三」
「……はあ。分かったよ。負け負け」
カウントダウンの途中で、超人は大きなため息を溢した。名残惜しそうに、俺の頬にキスをする。
「哲人君に何かあったら嫌だからね。今はいいよ。君たちのところに返してあげる。とりあえず、ね」
超人は俺の中に姿を消す。
瞬間、ぐらっと視界が揺れた。意識を失うことが、これまでの戦いの経験から分かった。最後に聞いたのは、決してこれがハッピーエンドではないことを示す言葉だった。
―――大丈夫。ずっと見ているから、安心してね。
バタリ、と彼は雪原の上に倒れた。瞬間、髪の色が黒髪になっていく。恐らく、心臓が彼の霊石に戻ったことを意味しているのだ。
反転霊石は、奴は、外に現れなかった。
あくまでも、シャーロットとの約束は九条哲人を戻すこと。彼の身体の中から出てくる気は一切ないらしい。いや、もしも九条哲人に何かすれば、いつでも自分が出てきて殺してやる、というメッセージというわけか。
兎にも角にも、私は真っ先にシャーロットに声をかけた。
「あなたが来てくれて助かったわ。さすがね」
「……貴様が素直に礼を言うとは。そこまで大事か、あの『殺戮機械男子』が」
「別に。仕事よ」
「……」
黙り込んで踵を返したシャーロットは、無線機を取り出して耳に当てた。恐らく、アメリカ軍と連絡を取っているのだろう。このまま彼を『アルカサル』に連れて戻る、というのはさすがに無理があるか。
私は彼の傍に歩み寄る。
今度こそ、その身体に触れた。抱き起こしてみると、全身の怪我が完全に治っており、気を失っているだけだと分かった。
ただし、一つだけ見逃せないものがある。
右胸に埋め込まれている、赤黒い霊石だ。小さな石ころのようだが、これがあの超人の核ということになる。
禍々しい石を抜き取りたかった。
雪原に叩きつけて、あるだけの銃弾を叩き込んでやりたかった。
「……物質Nだの、母親の霊石だの、怪物の霊石だの、あなたの身体なのにあなた以外のものでいっぱいじゃない。なに、あなたって馬鹿なの」
膝の上に後頭部を乗せてやる。静かに呼吸する彼の顔を見て、ようやく嵐が過ぎ去ったことを確信した。
肩の力が抜ける。
そのまま、彼の身体を抱きしめた。ほとんど無意識に、抱きついてしまった。
(……よかった)
涙はもう出ない。声も綺麗に通らない。
それでも、悲しくて、叫びたくて、仕方なかった。
「ファースト」
背後から声がかかった。
振り返ると、九条篤史が私と彼を見下ろして立っている。タバコをくわえて火をつけると、煙を胸いっぱいに吸い込んで吐き出した。
「俺と協力しろ。『方舟』に関して、いろいろと調べておいてやる。掴んだ情報は惜しみなくお前に送る。連絡先、変えるなよ」
「宛はあるの」
「……あるさ。一人、『方舟』や九条蓮の関係者に心当たりがある」
「そう。あなたからの連絡は受け取る。他には、何をすればいい」
「……情報をやる。その代わり、近い内に手を貸してくれるか」
「分かった。やるわ」
「安請け合いはやめろ。お前には、めちゃくちゃ強い機体とやり合ってもらうかもしれねえんだ」
「超人以外なら、勝てるわ。それが兵器なら私以上に強いことはありえない」
「……頼もしいこった」
九条篤史は、そう言ってポケットから何かを取り出した。ソフトパッケージのタバコ箱だ。それを雑に眠っている彼の腹部に放り投げると、歩き出した。
「そいつにやる。吸いたがってたろ」
「……前から思っていたけど、あなた彼に対して妙に優しくなってないかしら」
「気まぐれだ。一応、伯父だしな」
「そう。まあ、なんでもいいけれど」
タバコを吐き捨てると、九条篤史は振り向かずに言った。
「今のうちにトンズラする。―――成長しろって伝えとけ、そのクソガキに」
瞬間、姿が消える。霊石エネルギーを使った高速移動というやつだろう。循環状態、だっただろうか。
シャーロットがアメリカ軍とのやり取りに夢中になっている間に九条篤史は消えた。残ったのは、気を失っているロシア製とエカチェリーナ、千凪にシャーロット、私と私の膝で眠っている彼だけになる。
しばらくすると、遠くからアメリカの音速機が飛んでくるのが見えた。シャーロットの指示の下、この場にいる全員アメリカに連れて行かれる流れのようだ。
私は彼を抱き上げて、シャーロットに言われるがまま音速機の中に入っていく。特に文句はない。アメリカだろうと、どこだろうと、何も不満も不安もありはしない。
どうでもいい。
成すべきことは決まっている。腕の中に眠る青年を守る、それだけだ。
私は彼のボディガード。
私は彼を守る殺し屋だ。
仕事さえできるなら、なんでもいい。