第四十三話 河野裕二
見覚えのある顔だった。
夢で見た、あの男だ。九条幸乃の頭を撫でていた、あの美しい男。九条篤史は、その男の正体をはっきりと口にしていた。
河野。
河野裕二。
つまり、俺の―――
「―――父親。あんたが」
「ああ、うん。そうそう。僕が父親、君の」
ひらひらと手を振ってくる男は、中性的な顔立ちをした日本人。黒髪のショートヘアーに、黒い瞳。暖かそうなミリタリー系のコートを着て、グレーのマフラーを巻いた、どこにでもいる格好をした奴だった。
「死んだんだろ」
「息子への愛ってやつかな。生還ハッピーエンドってやつだ。ハグでもするか、愛しい我が息子よ」
笑顔になって両手を広げる河野裕二を前に、俺はといえば呆然としていた。九条篤史は、確かに河野裕二だと言った。ならば、この男は間違いなく、俺の父親だということになる。
生きていた。
なぜだ。生きていたとして、なぜ今ここに現れる。
その時、俺の疑問を全て消し飛ばすように、激しい血飛沫の音が響いた。見れば、九条篤史が河野裕二の背中に日本刀を突き刺している。
「クソガキ。騙されるな」
躊躇なく、親友だった男を篤史は刺した。
そして、努めて冷静に言った。
「こいつはお前の父親じゃない。河野は死んだ。河野はただの人間だったんだ。生きていても、あの時とまったく同じ容姿は不自然だ。寿命でくたばっているべき時間が過ぎた。何より、お前が生まれる前に死んだ河野が、どうしてお前が実の息子だと判断できる」
「おっさん」
「それに、だ。俺には分かる。見た目も声もそっくりだが、こいつは河野裕二じゃねえ」
刺されているのにまったく気にした様子もなく、河野裕二は首を背後の篤史に向けて言った。
「どうしてそう言い切れるんだ」
「―――親友だったからだ」
篤史は言い切って、突き刺した刀を引き抜いた。さらにそれを振り上げると、河野裕二を縦に一刀両断しようと振り下ろす。すると、確かに河野裕二ではないことが証明される。
「一切の疑いなく斬り殺しにかかる、か。キモいなー、なんで分かるの。友情ってやつ?」
背中を刺された人間が、振り下ろされた九条篤史の一太刀を片手で受け止められるわけがないのだから。九条篤史は虫でも見るような情のない目で、河野裕二の形をした何かを睨みつけていた。
「誰だ、てめえ」
「親友じゃないのか。君の」
「オーケー。殺す」
循環状態を発動したのか、一瞬で九条篤史の姿が消える。相変わらず早い。目では追いきれない速度で河野の背後から現れた篤史が、横薙ぎに太刀を振るった。
それをひょいと首を振って回避した河野が、右足を軽く上げた。瞬間、篤史の頭に回し蹴りが炸裂する。直撃したはずだが、篤史は首の骨をコキリと鳴らして余裕そうに言った。
「やっぱり人間じゃねえな。てめえ」
「さすがに強いなー。わざと避けなかったでしょ」
「……『方舟』のトップは、てめえだな」
「そりゃーそうでしょう。このタイミングで出てきたんだから。まあまあ、話をしよう。痛いのは勘弁しておくれ」
ヘラヘラと笑って、河野裕二は再び俺のことを見つめてくる。いや、正確には俺の胸部を見ていた。顎に手を添えて、まじまじと興味深そうに眺めてくる。
「薄情な娘だねー、まったく。完全に裏切ってるじゃんか。僕の狙いに勘付いたんだね。キモいったらありゃしない」
「……お父様ってのは、あんたか」
俺が尋ねると、河野は小さく頷いた。
親しげに微笑みを返してくる。
「ああ。娘がごめんね、いろいろと」
「謝意ゼロの謝罪をどうもありがとう。娘さんには迷惑かけられっぱなしだ」
「ああ、キモいよねーあいつ。君のストーカーだからさ。超人としては完成しているんだけどね」
でもさ、と付け足した河野は俺を指差した。
「君を守っているのは事実だ。あのキモ娘を相手にして、君の霊石を反転、九条幸乃を復活させるのは至難の業だと言える。今は勝ち目がないよ」
「……」
「だから、少しの間だけ手を引こう。停戦宣言だ。今日はそれを伝えに来たんだ」
「目的はなんだ。なぜ九条幸乃を復活させるんだ。あんたは、何者なんだ」
河野裕二は苦笑を浮かべて、俺を指していた人差し指を折りたたむ。代わりに親指を立てて、自分の首元を掻き切るような動作を取った。
そして、『方舟』の目的を明かした。
「えっとね、まあいろいろあるけど……。九条幸乃を復活させて君を完全に殺すことが、僕たち『方舟』の目的の一つかな」
「……は?」
「あはは。まあ、そういう顔になるよ。聞いて聞いて。教えてあげるから」
俺の顔を見ながら手を叩いて笑った河野は、愉快そうに語り始めた。
「……」
「うんうん。黙って話を聞けるのはいいことだ。じゃあ続けよう。もう三百年以上も前に、九条一族で一族殺しがあった。あれは僕たち『方舟』がやったわけだが、まあ理由があるんだよ」
「……」
「順を追って説明しようか。反転霊石の始まりは、死産した赤子の心臓だったんだ。肉体なんて残らずに死んだはずの赤子。脳もなにもかもがない赤子。死んでいるはずなんだ。けれど、肉塊の中に埋まっている赤黒い霊石から、ブクブクと肉体が出来上がっていった。死を克服した謎の霊石を九条一族は大昔に発見した」
「……」
「以来、この反転霊石を持った霊人が生まれた場合には、その復活を阻止することを九条一族は取り決めた。超人という脅威の存在を消すための組織を、九条一族は大昔から裏で用意した。それが、『方舟』だよ」
「あんたらは、超人を生み出させないために活動する、九条一族の秘密組織ってわけか」
「そう。超人はね、霊石百個分くらいを身体に埋め込むと封印できるんだ。反転霊石のエネルギー―――反転エネルギーの量を霊石エネルギーの量が上回り、反転エネルギーによる再生力が働かない。つまり復活できなくなる」
先ほどの超人とファーストたちの戦いぶりを見ていれば納得のいく話だった。反転エネルギーの循環状態を霊石エネルギーで作られる弾丸によって打破したファースト、霊石エネルギーを大量に体内へ流し込んでダメージを与えた九条篤史、の例から考えて信じるに値する話である。
「だから、もしも超人が生まれてしまった際には、霊人百人を犠牲に超人を封印してきた。三百年以上も前に起こった一族殺しは、生まれてしまった一人の超人を封印するために行ったんだ」
「……こいつか」
超人という存在を一人しか知らない俺は、自分の胸部に手を添えて尋ねた。河野裕二は、俺の緊張感など無視した明るい笑顔で頷いてきた。
「ああ。そうさ」
「こいつを封印するために、百人以上の霊人が犠牲になった。こいつは封印されたはずなのに、なぜこうしてここにいる」
「大戦前に、人類は世界中で霊石を発見した。もう分かるかな」
「―――こいつの封印を解いた奴がいて、それを世界中にばらまいたのか」
「そう」
面倒くさそうにため息を吐いた河野は、忌々しそうに俺―――ではなく、俺の中にいる超人を睨んだ。
「封印が解かれた反転霊石から、次第に赤子が出来上がった。ああ、もうこれ成長しちゃうなーと思って、僕の娘だと思い込ませて育ててきたんだ。飼い慣らして、なるべく悪さをしないように監督してきた」
「『方舟』は、超人の誕生を阻止ないし封印する組織。こいつの封印のために一族を百人以上犠牲にした。そうまでして封印したが、何者かがこいつの封印を解いて大量の霊石を世界中にばらまいた」
「文句のないまとめだね。それでオッケー。じゃあ、ここで本題。―――馬鹿らしくないかな。九条一族は、超人が生まれてしまう度に、君の中にいる怪物を封印するために、毎回百人以上も犠牲にしていくのかな。これからもずっと」
「霊人からすれば、馬鹿らしい話だな」
「だよね。超人一人に犠牲が大きすぎる。けれど、超人が生まれる可能性は今後も否定できない。だったらさ―――」
両手を大きく広げた河野は、そのまま空を仰いだ。
はっきりと、結論を述べる。
「―――九条一族が、みーんな超人になっちゃえばいいよね」
自分で言ったことに自分で満足しているのか、軽く頷いてから微笑みを向けてきた。
同意を、求めているのか。
「極論だ」
「だけど、これで九条の者は超人の誕生に怯える必要はない。みーんな超人なら、ね」
「……」
「あはは。素直だね、言い返さないか。うん、そうなんだよ、名案なんだよ。超人が一人生まれてしまって、封印のために君の大切な人が犠牲になったらどうする。家族が、仲間が死ぬんだよ。君の中にいるキモい怪物一匹のせいでね」
「だからって怪物に成り下がるのか。全員が」
最低最悪の解決策だ。
唾でも吐きつけたくなるような、イカれた発想だと思った。
「九条一族、家族の命を守るためには最も効果的な判断だよ。大体さ、超人一匹の封印に、同族殺しをするのは僕たち『方舟』なんだ。こっちも精神的に限界が来るって」
「……この間、霊石を大量に盗んだのは」
「霊石を反転させて、蘇生するんだ。霊石の持ち主を復活させる。超人のために死んだ九条一族の犠牲者を生き返らせる。超人としてね」
「……超人は、その大量に盗んだ霊石で、俺の霊石から物質Nを取り除くとか言ってたが」
「嘘だねー。君のため、っていう理由付けをしないとあいつ動かないから。適当にでっちあげた嘘だよ」
「……なるほど」
「九条一族全員の超人化、これが僕たちの目的だ。そのために、『殺戮機械少女』に使われている霊石は全て回収、反転させて復活させる。九条篤史のように生きている霊人も超人にする。まあ、こんな感じ。質問を受け付けようじゃないか」
「九条一族全ての霊石を反転させて超人にする。その目的のために、なぜ九条幸乃を復活させる必要がある」
「九条幸乃も家族だから復活させるだけさ。ただー、まあ、彼女に関してはそれだけじゃない。九条哲人という存在を抹消するため、という意味がある」
「俺……?」
「君さ、君の霊石がないのに、なんで自我を持って生きているわけ」
逃げ出した問が、再び突きつけられた。
霊石は魂だ。そう超人は言っていた。俺は自分の霊石―――魂を持たないのに、意識を持って、自我を持って存在している。
「おかしいんだよ。霊人にとって霊石は心臓にして魂。自我や意識の根源なんだ。それは、君の中にいる超人の戦いぶりからも分かってくれると思うんだ」
「……」
「九条哲人。単刀直入に聞くよ」
河野の形をした霊人は、眉を潜めて尋ねてきた。
逃げられない、哲学的な問を。
「君、何者なの」
霊人にとって霊石は魂。俺は母親の魂を持って存在しているが、自我や意識は母親ではなく俺のものだ。二十年以上の人生において、母親の九条幸乃の人格が現れたことなどは一度もない。
俺は、あくまでも俺として生きてきた。
違和感など、なかった。
「九条哲人。君は出産時、霊石が小さくて死にかかったらしいね。けれど、少し考えてみると、それは死産児になりかかっていた状態なんじゃないか。死にかかっていた君は、言い方を変えれば半超人化していたと言える。そして、君の霊石が抜き取られて九条幸乃の霊石が埋め込まれて生還した」
「……」
「推測だけど、君は恐らく超人になりかかったんだ。生まれて死にかかっている君の霊石は、霊石と反転霊石の中間に位置したんだろう」
「俺が完全に死産児―――超人になる前に、母親の純粋な霊石が埋め込まれた、と」
「うん。だからね、君って『変異種』なんだよ。超人になりかかって、霊人の霊石に取り替えられて、半超人の状態で霊人になった存在。それが、君ってわけ」
「……」
「君は霊人や超人よりも、謎が多い生命体なんだ。だから、君を殺すべきだと僕たち『方舟』は考えている。救われるべきは霊人だ。霊人が超人に生まれ変わるべきなんだ。九条幸乃が超人として生き返って、君はさっさと消えるべきなんだよ」
超人になりつつあった状態で、霊人としての命を吹き込まれた。俺に魂はないのに、俺は俺としての自我を持って存在している。
何者、か。
何者だというのか。いよいよ考えざるを得ないところまで来たのかもしれない。実存は本質に先立つなんて言葉で、無視をして済むレベルではなくなったのかもしれない。
俺は何だ。
どうして、どうやって、存在している。
「てめえこそ、なんなんだ。河野の格好をした霊人」
響いた声に顔を上げる。
九条篤史が雪を踏みしめて、ゆっくりと河野の傍に近寄っていく。
「いいかクソ野郎。そこのクソガキは俺の甥っ子、それ以上でも以下でもねえ。九条幸乃の子供。それだけだ。―――てめえも馬鹿正直に話を聞いてるんじゃねえよ、あぁ?」
「おっさん。だが……」
「一番得体の知れない奴の話なんざ、まともに聞く価値はねえ」
言い切って、篤史は刀をぎゅっと握り直す。
さらに河野の傍に歩み寄る。
「てめえこそ、なんなんだ。霊人なのは分かる。九条一族の者だ。『方舟』が九条一族の秘密組織で、『超人』の対処に当たっている存在だという話も信じちゃいねえが理解はしてやる。だがな、てめえ、なぁーんで俺の親友の面ぁ被ってんだよコラ」
「好きで河野裕二の格好をしているわけじゃないよ。僕は被害者だ」
「……被害者、だと」
「君さ、親友親友って言うけど、河野裕二のこと分かってないよね。キモいよ」
「あ?」
「九条哲人は、得体の知れない生物だ。半超人化した状態で霊石を心臓にされた、霊人なのか超人なのか分からない存在。その父親がまともな人間だと、本気で思っているのか」
「……」
篤史の足が止まった。
じっと河野の顔を見つめている。
「河野裕二は人間のフリをしていただけで、実態は程遠い化け物なんだよ。知ってる?」
「知らねえな。あいつは良い奴だった」
「あはは。良い奴、ねえ」
謎の霊人は笑った。
直後、過去最高に異様な光景が見えた。
「これでも、そう言えるかい」
河野裕二の背中から、人の手が寄り集まって出来た翼が生えた。色白の肌に全身が変わっていき、その黒髪だったショートヘアも白髪へと変わっていく。
口が耳までブチブチと裂けていき、人間にしては多く鋭い牙が見えるようになる。赤くなった瞳が九条篤史を捉えた。
「僕が河野裕二の身体を使っている、とでも思ったかい。違う違う。逆なんだよ、九条篤史」
「……なんだよ……そりゃ……」
「河野裕二の肉体が、僕の身体を飲み込んで、僕の霊石を宿しているのさ。キモいよねーこれ」
禍々しい怪物は、自分の右手を見つめながら話を続ける。
「河野裕二は、九条哲人の中に潜むキモ娘が、大戦後あたりで勝手に殺したんだ。河野裕二を殺せなんて指示、出しちゃいないよ。キモ娘が、勝手に独断で動いて殺した。僕はすぐに現場に駆けつけて、死体になった河野裕二を発見した。ただの人間だと、そう思ったさ。ただの人間殺しやがった、ああこのキモ娘本当に何なんだよ死ねよって思ったさ」
だけど、と霊人は付け足した。
手に落としていた視線を上げて、固まっている九条篤史を見る。
「河野裕二の死体が、突然僕を『食った』んだ。この背中から生えている手の翼があるだろう。こいつが死体からいきなり伸びてきて、僕は死体の中に引きずりこまれた。超ホラーだったよ」
「……」
「河野裕二の正体を知っているのは、恐らく河野裕二を勝手に殺したキモ娘だけ。―――騙して親子ごっこはもうできないからね。好きにしてくれ。ただ、最後にこの身体のことを教えてくれないかな」
河野裕二の肉体に囚われた霊人が、俺に向かって言葉を投げる。すると、俺の首元に痛いほどに冷たい両腕が巻かれた。
背後から抱きつかれている。
しかし、足元を見ても誰の下半身も見えやしない。
「あは。お父様、やっほー」
耳元で聞こえた少女の声に、俺は確信を持った。背中に感じる重みからして、超人の少女が俺の背中から生えているのだ。
柔らかい胸の感触を背中に感じる。俺は何も言えなかった。動けなかった。それは恐怖のためではない。こいつから逃げることはできないという現実を前に、思わず膝をついたような感覚だった。
諦め。
絶望感で、全身が満たされる。
首元を舐め上げられた。頬を撫でられ、頭をよしよしされる。好き勝手に愛でられる。そして、右耳を甘噛みされて、飴玉のように舐められて、とどめを刺すようにして囁かれた。
誰にも聞こえないように、ひそひそと宣告された。
「私の哲人君。もう永遠に離さないからね」
肩から伸びた顔と目が合った。
白い前髪に隠れていた真っ赤な瞳が、妖しく輝きを放った。俺を少しの間見つめると、超人はようやくお父様とやらに顔を向け直した。
「ああ、それで何だっけ。好きにしていいんだっけ」
「都合のいい耳だな。相変わらず人の話を聞きやしない。好きにしていいから、なぜ河野裕二を殺したか、最後に教えてくれないかな」
「だってそいつ、私より私の匂いがしたんだもん」
「……匂い。反転霊石の匂い、超人の匂いってことか」
「うん。殺した理由なんて、それだけ。正体なんて知らないよ。ただ」
スンスン、と俺の首の匂いを嗅いでくる。やっぱり、と超人は呟いた。
「似てるんだよねー、哲人君の匂い。薄いけど、わずかに同じ匂いがする」
超人の言葉に、河野の顔は苦虫でも噛み潰したような表情を浮かべる。
「……なるほど。やはり超人に関わる存在か。太古の超人の成れの果て、はたまた超人の進化形……分からないねえ。まじでキモいよ」
「……」
俺が沈黙していると、河野裕二に食われた霊人が再び口を開いた。
「九条哲人。君は、この怪物の子供。この身体でさえ手に余るのに、息子の君という怪物予備軍を生かしておくべき理由がない。君の霊石は反転させて九条幸乃に直してあげよう、いつかね」
「その身体、明らかに強いだろ。さっさと俺を倒して、霊石を奪っていけばいいじゃねえか」
「いやー、確かにこの身体は強いと思うよ。だけどね、実はこの身体を動かしているのって僕じゃないんだよね。僕、意識だけある状態で、身体は勝手に動くんだよ」
「……河野裕二が、身体を動かしているってことか」
「多分ねー。まあ、強引に動かされるのは、攻撃されたり危ない時だったりで、他は気にならないくらい自然に動いてくれるんだけど。だからさ、僕の意思じゃ戦えないんだ」
「じゃあ、ここに来たのは」
「君の父親、河野裕二の意思によるものだね。勝手に足が動いてこんな場所まで来るんだ、びっくりしたよ。―――君に会いたかったんじゃないか。一応君の父親なんでしょ、こいつ」
「……」
「おっと」
人間の腕が寄り集まって出来た翼が、大きく上下に揺れ始めた。謎の霊人は、申し訳なさそうに頭を軽く下げて告げる。
「ごめんよ、河野裕二がもう帰るってさ。今日はここまで。とりあえず、そのキモ娘が君と一体化した以上、迂闊に手を出すことはやめだ。そのキモ娘もろとも倒すための算段を付けてから行動する。しばらくは何もしないから、まあ気楽にしててよ」
「……あんた、名前は」
俺の最後の問に、謎の霊人はふっと笑みを溢した。徐々に飛び上がっていきながら、俺ではなく、篤史を見て答えた。
「九条蓮。じゃあ、キモい娘をよろしくね。願わくば、一緒にくたばってくれることを。アーメン」
停戦宣言を告げに現れた、九条一族秘密内部組織『方舟』のリーダーは、最大の謎を残して消えていった。
河野裕二とは何だったのか。
その息子の俺―――九条哲人は、何者なのかという謎を残して。