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第四十二話 実存は本質に先立つ

「ファースト。私も嫌なんだよね、哲人君が九条幸乃になっちゃうのはさ。私は哲人君が大好きなんだよ。たとえ幽霊みたいな存在でも、魂を持たない空蝉の人でも、私は彼を愛しているもん。だから、君よりも誰よりも強い私が、この霊石を守ってあげるよ。反転なんてさせずにね」

 超人は右胸に埋め替えた、彼の心臓を左手でさすった。

「だからさ、彼が大切なら私に預けてよ。彼を助けたいんでしょ、『方舟』から」

「……」

「聡明な君のことだ。分かってくれたかな」

「……ええ」

 よく分かった。

 嫌というほどに、理解した。私自身のことを。

「さっきも言ったわよね。どうでもいいわ」

 蘇る記憶があった。

 ―――どうでもいいんだ、正直。俺はお前と話すのが嫌いじゃないから、お前と喋る。お前に助けてもらったから、お前のことが好きになってきている。俺は俺のことしか尊ばないから、お前のことなんて知らん―――

「私は彼をからかうのが好き。彼に助けてもらったから、彼を助けるだけ。私は彼のことしか尊重しない。だから、他のことなんて知らないわよ」

 守るべき思いがあった。

 ―――だから、あれだ。またコーヒー飲もうぜ。俺は飲みたい―――

「彼は私とコーヒーが飲みたいのよ。それを守るのが、私の仕事」

「もう少し賢いと思ったけど、そうでもないみたいだね。私に任せた方が、確実に哲人君を『方舟』から守れるのに」

「どうかしら」

「私、最強なんだよ。嫌ってほど、知ってるよね」

「最強ね。それもどうかしら」

 ズプリ、と経験したことのある光景がそこにはあった。霊石で出来た日本刀が、超人の腹部から生えている。

 不意打ち好きの、相変わらずのクソ野郎。

 しかし、私が知る限り、最強と言ってもいい戦闘力を持った存在だ。



「リベンジマッチだ。クソ野郎が」



 アロハシャツにカラーレンズの丸メガネという、ガラの悪い男が超人を背後から突き刺した。そのまま刀を横に振り抜くと、上半身の半分を切り裂いて鮮血が雪原に降り注ぐ。

 さすがに驚いた顔をして、超人は一気に距離を取った―――霊人・九条篤史から。

「はは、やっぱりなあ。この間、俺の霊器が破壊されたのはそういうことか」

「九条、篤史……!?」

 距離を取ったまま動かない超人に、私は初めて戦況が好転したことを感じ取った。

 九条篤史は、ニヤニヤと笑って日本刀についた血を雪原に振り払った。

「霊石エネルギーを血管内に埋め込めば、反転エネルギーの循環は阻害される。つまり、お前の反転エネルギーが俺たちにとって毒であるのと同じで、お前にとっては霊石エネルギーが毒だってわけだ」

「……」

「この間、俺の霊器を真っ先に破壊したのはそういうことだったか。霊石の塊が怖かったんだろ。俺っつーか、霊器を狙った蹴りだとは感じていたんだが。納得納得、すっきりだぜ」

「なんでここにいるのかな。そしてなんで、ここで起こったことを知っているの」

「ぜーんぶ聞いてた」

 九条篤史は、取り出した携帯電話をひらひらと振ってみせた。全てを察した超人は、私のことをジロリと睨んでくる。

「ファーストの携帯と、繋がっていた状態だったわけだ。なるほどねー。戦闘中に話した内容を九条篤史にリアルタイムで流していた、と。仲がいいんだね」

 彼に薬を盛ってロシアまで運ぶ前に、九条篤史に一報を入れておいたのだ。超人を相手にするうえでの保険、といったところだった。無条件で超人と戦うことを快諾する存在を、私は九条篤史以外に知らなかったから。

 復讐に生きる男は、右手に持った刀を何度か振って肩の調子を確かめている。

「この間はよくもやってくれたな。不意打ちってのはねえだろ、あぁ?」

「んー、やっぱりあの時、殺しておくべきだったな。まさか、こんな形で邪魔になるなんてね」

「正々堂々やろうぜ。ぶっ殺してやる」

「君さあ、私にボコボコにされたこと覚えて―――」

 エカチェリーナに負けず劣らずのスピードで九条篤史が超人の眼前に迫った。振り上げた刀が振り下ろされる前に、超人は後ろへ飛ぼうと膝を曲げる。

 しかし、遅かった。

 ただの人間のようなスピードだった。豪快に叩き落とされた霊器の日本刀が、左肩から胸あたりまで埋め込まれる。

 目を見開いた超人は、たまらず九条篤史に言葉を漏らした。

「……なにをしたの」

「ファーストがやったことと同じだ。さっきの一刺しで、てめえに霊器を通して霊石エネルギーを送りこんだ。血管に、だけじゃねえぞ。めちゃくちゃに体内にぶち込んでやったんだよ」

「霊器から、自分の霊石エネルギーを『供給』……」

「ああ、それはそうと、必殺技を思いついたんだよ」

 嗜虐的に笑って超人を見下ろす九条篤史は、超人の身体に叩き込んでいる霊器の柄をぎゅっと握り直す。

 直後、刃から目も眩むような光が溢れた。

 九条篤史は呟いた。

「『霊石解放』」

「っ」

 直後、ポップコーンでも弾けるように、超人の左半身がバラバラになる。肉片と鮮血が稲妻のような光と共に雪原へ散っていき、超人はフラフラと後ろへ下がりながら膝を折った。

 目を見開いて、九条篤史を見上げている。

 動揺している。あの超人が、初めて余裕のない表情を見せていた。

「……なに、今の」

「『霊石解放』って言ったろうが。てめえ馬鹿かよ、あぁ?」

「なんで君の身体が、無事なの」

「―――ははっ」

 笑った九条篤史は、白く輝いている日本刀を見せつけた。それだけで全てを理解したのか、超人もまた口を引き裂いて笑顔になる。

「解放した霊石エネルギーを、自分の身体じゃなくて霊器に流し込んだんだね。考えるなァー!! 『霊石解放』の欠点は、大量の霊石エネルギーに肉体という器が絶えられず崩壊する点だ。器を肉体じゃなく、霊器に移し替えることでそのデメリットを克服したのか」

「当然、身体能力の向上は望めねえ。ただ、莫大な霊石エネルギーを霊器にまとめるだけの技だ。だが、てめえには結構響いたろ」

「ああ、うん。やばい。やばいよ。再生が過去一番で全く追いつかない。ぎゃはははははははははっっ!!」

 ブクブクと傷口から肉片が出来上がっていくが、その再生速度は先ほどまでのものとは比べ物にならないくらい遅い。

 気分が高揚しているのか、大声を上げて超人は言った。

「さすがだねェー!! 霊人最強の九条篤史!! いいねいいねェ、こうでなくっちゃねェー!! 『供給』の応用で霊器にこれだけの霊石エネルギーを充填させるとか、エネルギーコントロールがいかれてるよ、すごすぎるよ!!」

「楽しそうだな」

「当たり前だ!! こんなに楽しい一日は今までになかった!! ファーストのおかげで反転エネルギーの循環を乱され、それをヒントに君が霊石エネルギーを使って効果的なダメージを与えてくれる!! さすが最強の『殺戮機械少女』!! さすが最強の霊人!! 最高の一日をどォもありがとう!! 私は今、ようやくエンジンがかかってきたところだよ!!」

「……俺は楽しくねえよ。なにが楽しくて、必要もねえのに幸乃のガキの身体をボコボコにしなきゃならねえんだ―――さっさと出てきて、てめえの身体をボコらせろや」

 冷めた目をした九条篤史は、右手に持った刀をゆっくりと振り上げる。

 対して、超人は口を引き裂いて最高の笑顔を作り出した。

「引きずり出してみなよ、霊人」

「オーケー。感動的に殺してやるよ、超人」

 それは速さというべきか、悩むような現象だった。根本はパワー、だろうか。九条篤史が雪原に踏み込んだ途端、地面一体の雪が飛沫を上げるように舞い上がった。

 瞬間、超人の眼前で刀を振り下ろす篤史がいた。

 先ほどのような莫大な霊石エネルギーを警戒しているのか、超人は初めて必死の回避行動を取っていた。

 上体を横に反らし、一刀をぎりぎりで避ける。

 だが―――そこで、終わらない。

 超人の動きを読んでいたのか、篤史は回避されたと同時に回し蹴りを用意していた。側頭部に着弾した一撃に、超人の身体が雪原を転がっていく。

 転げ回る中、超人は手を雪原について空に飛び上がった。篤史から一旦距離を取ろうとしているのだろう。

「君さあ、前回やった時と全然ちが―――」

「ああ。かもな」

 だが、それを奴は許さない。

 九条篤史は持っていた刀を槍投げの要領で投擲した。風を切り裂いた音が一瞬だけ響き、直後には空から血の雨が降り注ぐ。見れば、的確にみぞおちを貫かれた超人が空に浮かんでいた。

 ドン!! と、派手に雪が舞い上がる。篤史が飛び出して、空から落ちかかっていた超人のもとに接近する。

「実力隠し系男子だから、俺」

「っ……そう、か……!!」

 超人を貫いている刀の柄を握った篤史は、無造作にそれを引き抜いて振り上げた。

 対して、超人は篤史の猛攻に理解が及んだのか、感心するように目を見開く。

「そういう、ことか」

「そーいうことだな」

「霊人最強、すっご」

「照れるだろ。手が滑る」

 グサグサグサグサグサグサグサグサ!! と、逆手で持った刀で超人の身体を無限に突き刺した。襟首を掴んで、刃で貫く。全身に穴を開けるタイミングでも霊石エネルギーを流し込んでいるのか、一瞬で傷口が元に戻ることはなかった。超人の苦悶の顔からして、間違いなく効いている。

 しかし、抵抗しようと超人は篤史に手を伸ばす。

 反転霊石のエネルギーを『供給』しようとしているのだ。しかし、その手が標的を捉えることはなかった。

 なぜなら、篤史は超人を蹴り飛ばして雪原に降り立ち、距離を取って霊器の刀を振り上げていたのだから。

 そして、一言だけ呟いた。 

「『霊石解放』」 

 瞬間、霊石エネルギーと言われる白い光が、刃から四方八方に飛び出てきた。雪原を薙ぎ払い、空に登っていくエネルギーをまとった刃は、超人に届く距離にはなかった。しかし、九条篤史は遠距離から刀を振り下ろす。その刃の延長線上にいた超人の身体に、白い光が三日月のような形で着弾した。

 刀に蓄えた霊石エネルギーを飛ばしたのか。三日月形の光は超人を巻き込んで雪原の彼方まで走り抜ける。山脈の一部に激突すると、ようやく爆散して姿を消した。

「肉体に『霊石解放』を使った。ただし、身体の限界を感じるエネルギー量になれば、霊器に多すぎる霊石エネルギーを漏らした。『霊石解放』は風船が破裂する原理と同じだ。エネルギーが多すぎるから肉体が壊れる」

 篤史はそう言って、ポケットからタバコを取り出した。一本咥えると、ライターで火をつけて煙を吐く。

「そうなる前に、霊器にガス抜きをしてぎりぎりのラインで『霊石解放』を使い続けた。お前の循環状態じゃついてこれないスピードとパワーが必要だったからな。ダメ元だったが、まあいけるもんだな。漏らした霊石エネルギーは刀に宿り、お前に致命傷を与えることができるし、戦術としちゃあこれ以上はねえだろ」

 超人の身体が、雪原に転がっていた。全身の傷口が修復されないまま、ようやくそこに止めるべき脅威が止まってくれていた。

 肩の力が抜ける。

 終わった。終わらせてくれた。

 疲れ切っていた私は、雪原によろよろと座り込んでしまう。地獄のような時間に幕を下ろしてくれた霊人に、思わず本心から言葉が出た。

「……ありがとう」

「てめえの為じゃねえ。うるせえよ」

 気に食わない返事のはずだが、なにも言い返す気にはなれなかった。ただただ、全身からあらゆる力が抜けていくのを感じ取った。

 











「……奇妙な状況だな」

 超人が倒れた直後、空を通った戦闘機から一体の影が降りてきた。アメリカ製のSクラス生物兵器シャーロット。軍服に軍帽を着用した少女で、ショートヘアの黒髪、右目を縦に走る大きな切り傷の跡が特徴的な機体だった。

 彼女は、座り込んでいる私を見ると近寄ってくる。

 見下ろしながら尋ねてきた。

「久しいな、ファースト。余裕綽々な貴様らしくもないな、無様に雪の上に座り込むとは」

「……うっさいわね。あなた達、遅すぎるわ。あなたとエカチェリーナ以外、なにをしているのよ」

「冗談がきついぞ。一時間ほど前に、貴様が暴れている報告が入ったんだ。音速機で飛んでくるにしても、Sクラスの所属する国によっては距離がある。エカチェリーナは例外だ、ハイパーソニックだからな」

「……まあ、いいわ」

「状況を説明しろ。なぜ死んだはずの九条哲人がいる。それと、あのガラの悪い男は何者だ。橘光とエカチェリーナに寄り添っている少女も何だ。―――何があった」

「偉そうな物言い、相変わらずね」

「貴様も大概だ。さっさと言え。おかしな霊石反応の正体は何なんだ」

 私はこれまでの経緯をかいつまんで話してやった。『方舟』という組織があり、その組織の個体とやり合ったこと。その個体は反転霊石を有しており、数ヶ月前に九条哲人と国連が戦った騒動の最中、死んだ『殺戮機械少女』たちから霊石を奪った犯人であること。九条哲人はその組織と戦っており、私も彼も『アルカサル』と一緒に国防のために働いていたこと。その一貫で、今ここで戦闘があったこと。全ての真相は明かさずに、協力を得るだけの説明をしてやった。

「……その超人とやらは、今、どこにいる。そいつが奪った霊石を探すのに、国連は血眼になっているんだ」

「彼の心臓に、寄生している。彼から心臓を抜き出せば、そいつは身体を再生して現れるわ」

「……理解し難い話だ。謎も多い。だが、いいだろう。貴様が戯言を吐くような者ではないことは知っている。橘光やエカチェリーナがやられていること、九条哲人の容貌の変化、などからも信じるには値する」

「あら。国連から逃げて好き勝手生きてきた私を信じてくれるのね」

「それ以前の戦績は、輝かしいものだったからな」

「それはどうも」

 私はフラフラと立ち上がって、とりあえず彼の心臓を入れ替えるために歩き出した。九条篤史が刀を放り投げてくる。これで彼の身体から反転霊石と彼の霊石を取り出して、あるべき状態に戻せということだろう。

 じっと九条篤史を見ると、彼は鼻を鳴らして言った。

「安心しろ。取り出した反転霊石から奴がすぐに再生しようと、俺がなんとかする」

「任せるわ」

 私は刀を逆手に持つと、うつ伏せで倒れている彼の身体に近寄った。

 その時だった。彼の身体から声が聞こえたのは。

「反転エネルギーは、死滅のエネルギー。超人以外には『死』そのもの」

 思わず後ろに跳躍する。

 刀を篤史に投げ返すと、両翼を展開して右手にガトリング砲を生成する。異常事態を察したのか、シャーロットもまた警戒の目でこちらに注意を向けてきた。

「反転エネルギーは、生ある者全てに死をもたらす」

 ぐぐぐ、と荒い息を繰り返しながら超人が顔を上げた。そこには、トラウマになりそうな笑顔が張り付いていた。

「例えば、そう、大地にもそれは当てはまる」

 超人は振り上げた右手を雪原に叩きつける。

 そして、まさかの言葉を呟いた。

「『供給』」

 何が起こるか、見当もつかなかった。

 気づけば私たちの足場になっていた雪原が、バラバラになって崩れ落ちていく。大地に反転エネルギーが流し込まれた結果、腐敗が加速したのか。

 全員が霊石エネルギーを足元から流して飛んだ。ロシア製とエカチェリーナは、千凪が抱えてくれていた。咄嗟に銃口を超人へ向けるが、私が動くよりも早くシャーロットが動いていた。

「なるほど。確かに異次元の存在だな。捕えるべきだろう」

 滞空したまま、シャーロットが右手を振るう。すると、禍々しい黒い粒が彼女の全身から溢れていき、陽の光を完全に隠してしまうほど大量に広がっていく。

 ペストの生成・使役。

 それがシャーロットの能力。ペストは人類の歴史を通じて最も致死率の高かった伝染病だ。適切に治療した場合の死亡率は約10%だが、治療が行われなかった場合には60%から90%にまで達する。1300年代にヨーロッパで流行した際には、約6年の期間でヨーロッパ人口の約3分の1が死亡したとされる。症状は発熱、脱力感、頭痛、肉体の壊死などがある。感染者の皮膚が内出血して紫黒色になるために黒死病とも呼ばれる。

 彼がロシア製のために国連を敵にした時、真っ先にシャーロットと戦闘していれば、その命はなかったと言える。彼の物質Nは体内からの攻撃に関して弱い。病原菌の侵入を許した時点で、彼の全身は黒く染まっていき壊死していったはずだ。

 黒雲のような塊が、超人の全身を包んでいく。

 しかし、驚愕の現象が炸裂する。

「生物兵器か。私と相性が悪いねー」

「……なん、だと」

 シャーロットは、戦慄した様子で固まった。それもそのはず。ペスト菌の集合体は確かに超人を捉えたが、その全てが蒸発するように消えていったのだ。

「反転エネルギーは生物にとって死滅のエネルギー。病原菌は、一応生物だよ。反転エネルギーを『供給』しちゃえば、簡単に死んじゃうんだよね」

「……なるほど。『方舟』と超人か。確かに、国連全体で対処すべき存在のようだな」

 シャーロットは唸るように呟いた。超人相手では彼女の力が役に立たないことを知り、私は舌打ちをしてガトリング砲を炸裂させようとする。

(もう一度、反転エネルギーの体内循環を邪魔して―――)

「ああ、ファースト。それももういいよ。飽きた。君が引き金を引く前に、終わらせればいいだけだからね」

 だが、見てしまった。

 死を覚悟した、あの一撃の前兆を。

 ドス黒いエネルギーが、雪原を駆け抜けていき、一瞬で超人の肉体に戻っていく。

「『霊石解放―――反転』」

「っ!! ―――『霊石解放』」

 横から、九条篤史が迎撃のために刀を振り上げたのが見えた。それでも、恐らく超人の一撃を食い止めることはできないと、私は悟った。

 しかし、思わぬ邪魔が超人に入った。



「もういい、ファースト」



 超人は言った。

 いや、超人ではなく、彼が言ったのだ。私に向かって微笑んだ笑顔は、私の大好きな笑顔だった。

「……あなた、なの」

「ああ。―――みたいだな」










 状況を理解できない私に、彼は自分のボロボロになった身体を見下ろして口を開いた。

「おっさんが霊石エネルギーをバカみたいに打ち込んできたから、多分、反転霊石の活動が勢いを失った。一時的なんだろうが、今は俺の霊石の方が影響力が強くなってるんだろうな。だから意識が俺に戻った」

「……なら、早く。早く心臓を戻して。そいつの霊石を取り出して」

 私はすぐに地上へ降りていき、彼のもとに駆け寄った。走り寄ると、彼は手を突き出して接近を制した。そして、力なく笑うと首を横に振った。

「だめだ。反転霊石を俺の体内から抜き出せば、あいつはまた一から復活する。全開状態で、だ。そうなれば勝ち目はねえだろ。怒り狂ったあいつに皆殺しにされるかもしれない。俺の中に閉じ込めておく他ない」

「ふざけないで。知らないわよ、そんなこと。私は、あなたを守るだけ。さっさと心臓を戻して、そいつの霊石を捨てなさい。その後のことは、その後に考えるわ」

「お前らしくもねえな。論理的に、冷静に考えろよ」

 彼は失われている左半身を見下ろして、ため息を吐いてから言った。

「あいつは俺に受肉しているから、能力が制限されているんだ。今は霊石エネルギーを打ち込まれて、回復能力が下がっている状態だ。だけどな、一から全身を作り直せば、そんなことは帳消しになる。俺の体で、一から全身を作り直せば俺の存在は消える。だから、あいつはそれをしない」

 つまり、と続けた彼は地上に降りてきた全員の顔を見ていく。最後に九条篤史を捉えると、その握っている刀を指差した。

「おっさんが霊石エネルギーを打ち込んで対抗しようと、あいつは一から全身を作り直して無力化しちまう。今の戦法が、俺の身体から出た奴には通じない」

「……」

「くわえて、奴の『霊石解放』は無制限だ。不死身の肉体だから、肉体の崩壊っていうデメリットがない。本気になれば『霊石解放』を連発してくるぞ。勝ち目はねえだろ」

「しつこいわ。勝ち目とかどうでもいいの。さっさと元に戻しなさい。今しかチャンスがないのよ」

 私の援護をするように、九条篤史が口を開いた。 

 持っている刀の先を彼に突きつける。

「おいクソガキ。俺の目的は復讐だ。さっさと超人を外に出せ。俺がぶっ殺してやる」

「頭に血が登りすぎだろ、おっさん。さっきも言ったが、多分あんたは負けるぞ」

「―――ふざけろ。幸乃と河野を追い詰めたクソ女だ。『霊石解放』を肉体に使って死んでも殺してやる」

「あんたが惜しみなく霊石を使えば、確かに追い詰められるだろう。だけど、不死である以上、こいつに敗北はない。無理だ」

「……」

「殺す方法を考えてから、復讐しろよ。今は意味ないぜ。俺を今、助ける必要はない。こいつが俺の身体を使う限り、こいつの脅威も下がる。こいつを倒すために『方舟』から反転霊石の仕組みを暴いて戦ってくれ。俺のことは、今はいいよ」

 彼はそう言って、私の目を見つめてきた。

 初めて見る顔だった。

「だめ」

 なんだ。なんだ、その目は。

 全てを受け入れたような、大人ぶった目は。どうして、そんな目を向けてくる。やめて。それはやめて。

「だめよ。絶対にだめ」

「仕方ないだろ。俺の中に置いておくべきだ。お前らはさっさと逃げろ」

「……聞いていたの」

「あ?」

「超人と私のやり取りを聞いていたのね」

「……」

 黙った彼に、私はガトリング砲を突きつける。

「『方舟』の狙いが、九条幸乃の復活だという超人の話を聞いたのね。自分の存在が本質的にないことを、知ったのね」

「……ああ」

「あなた、今、何を考えているの。超人の話を信じるならば、このままだと、あなたには三つの未来しかないわ。超人に肉体を預けて守ってもらい、全てを片付けた後、そいつの言いなりになって生きる未来。その前に、私たちが超人の攻略法を見つけてあなたを助ける奇跡の未来。『方舟』に捕まって九条幸乃復活の生贄になる未来」

「……」

「どうでもいいって面ね」

 彼の顔には見覚えがあった。全てを受け入れた気になって、自分の人生を俯瞰して見ている顔だ。あらゆる不幸を仕方ないと片付けて、仕方ないと片付けたことを後悔しないよう、必死に自分を取り繕っている顔だ。―――昔の私と、同じ顔だ。

「あなた、自暴自棄になってる。だめよ」

 ああ、まったく似合っていない。

 そんな顔は、あなたにまったく適していない。

「実存は本質に先立つ。生きる意味なんて、理由なんて、今のあなたが作っていくんでしょう。あなた、そう言っていたじゃない」

「分かってる。嘘じゃない」

「なら、その顔はなに。なんなの。喧嘩売ってるのかしら」

「違う。そうじゃない。別に俺が本質的に存在しないとかは、どうでもいいんだ。たださ」

 力のこもっていない瞳で、私を見てくる。

 その表情に、ぐっと胸が締め付けられた。 

「実存は本質に先立つ。言い換えれば、悪いものだって理由なく意味なく、本質なんて関係ないまま、この世に存在しているはずだ。なあ、ファースト。俺ってさ、存在していていいものなんだろうか」

「……」

「ここまでの事態になって痛感した。超人も、『方舟』も、全部俺を理由に暴れている。お前らの脅威になっている。おっさんだってそうだ。俺が生まれなければ、九条幸乃が死ぬこともなかった。俺が生まれてきてから、おっさんも、超人も、『方舟』も、全てが動き出している」

「……」

「実存は本質に先立ってしまう。俺は本来、存在しないほうが良かったんだ。それでも生まれて来ちまった。存在してしまった」

「……そんなの、一緒よ」

 ポツリと、本音を漏らした。無意識だった。珍しく、弱気になって疲弊している彼を前に、私は思っていることをぶちまけてしまった。

「私が生まれて来なければ、殺される兵士の数は少なかったかもしれない。私が生まれて来なければ、不幸になる人は少なかったかもしれない。似たようなことを私だって考えたわ」

 彼の言っていることに、間違いはない。

 反論など、私にはできない。

「その通りなのよ。世の中には、私やあなたみたいに、客観的に見て生まれて来なければ良かった奴がいるのよ。私が生まれてなければ、戦争で散った命は少なかった。戦争も早く終わっていたかもしれない。あなたが生まれていなければ、九条篤史たち兄弟は三人一緒に過ごしていたかもしれない。あなたの母親は健在で、幸せに生きていたかもしれない」

「……」

「私やあなたは、明らかに悪い影響を世に与えすぎる存在だと思うわ。影響力が大きすぎる。だから、ええ言ってやるわよ。あなたも私も、きっと生まれない方が良かったのよ。世の中には、存在しない方がいい命があるんだと思う。私やあなたは、その一部」

「……ああ」

「それでも、理由なく生まれてこうして生きている。あなたが言ったんじゃない。何のために生きるかは自分で決めるんだって。自分を尊重して生きるんだって。自分を尊ぶだけの生き方を選んだんでしょう。私はそんなあなたを尊ぶ。あなたを尊重する」

 面倒くさいったらありはしない。私にとって、本当に心の底からどうでもいいことばかりだ。超人とか、魂がないとか、『方舟』とか、未来とか、いい加減飽き飽きする。これまでも、今も、これからも。まったく意味を感じない。まったく価値を見いだせない、そんなことばかり。

「私が助けてあげるから、笑って生きなさいよ。いつもみたいに、馬鹿みたいにはしゃいで、笑っていてよ」

「……」

「私が守るから。だから、あなたはあなたの為に生きてよ。私が何とかする。超人だって、『方舟』だって、何とかするわよ。仕事だもの」

「ファースト……」

「ちゃんと守るわ。絶対に何とかする。国連に戻って他の機体と協力だってしてやるわ。だから、任せてよ。あなたは、あなたのことを考えて。全部私が、守るから」

 らしくない顔は、もう見たくない。

 そんな顔をさせるために、私は死ぬ気で戦ったのではない。

「今、あなたは何がしたいの。さっきのは告解のつもりかしら。なに、あなた熱心なカトリック教徒なの」

 イライラしてきた。

 いつものあなたを取り戻すために、ここまでやったのに。

 いい加減にして欲しい。うっかり引き金を引きそうになる。

「私は聞き上手な司祭でも、ましてや神でもないわ。ただの、あなたを守る殺し屋よ」

「……」

「あなたは、何がしたい。何をしていたいの。そいつのペットになりたいの。どうなの」

「―――たい」

 彼がボソリと呟いた。

 ぼうっと私を見つめながら、ようやく本音を溢してくれた。

「なに。聞こえないわ」

「プロポーズしたい。エマさんに」

「……相変わらず素直な人ね。普通、そこそこシリアスな状況に、そんなゲテモノを混ぜ込むものかしら」

「お前が言ったんだろ。何がしたいかって。叶えてくれよ、俺の願い」

「あなたを守るだけよ。そんな馬鹿らしい願いどうでもいいわ」

「お前、人の恋路をゲテモノとか、馬鹿らしいとか、言っちゃだめだろ……」

「他には、なにがしたいの」

「タバコが吸いたい。あと、今日はやけ酒だ。散々な目に合ったからな。他にも、千凪には説教したいし、光たちにも礼は言いたいな。全部やったら、バイクに乗りたいなあ。朝からさんざん走り回って、夕方くらいに帰ってくるんだ」

 ようやくいつもの調子を取り戻した彼に、私は頬が緩んでいった。見たかったのは、その少年のような顔だ。感情がそのまま表情になってくれる、分かりやすくて見ているだけで飽きない顔。

「そんでさ」

 その顔に夢中になっていて、油断した。

 不意を突かれた。

「お前のコーヒーを、お前と飲みたい」 

「……そう。なに、私のこと好きなの」

「ああ。結構好きだぞ」

 それは純粋な笑顔だった。屈託のない笑顔だった。そこには、明るい感情以外に不純物がないことが分かった。

「ファースト。お前の言うとおりだ。俺は良い奴じゃない。前にもそう言ったな」

「ええ」

「こいつに支配されるのは嫌だ。やりたいことが何もできやしねえ。だから、全部お前に任せる。俺は俺を優先する。なんとかしてくれよ、まじで」

「久々に聞いたわね、クズ哲学」

「おい」

「ふふ、いいのよ。そういうところも、嫌いじゃないわ」

 彼は、ようやく自分の心臓に視線を落とした。右手が上がる。しかし、ピタリと静止する。固まってしまう。まだ、言葉とは裏腹に躊躇しているのだ。

 何が自分を優先する、だ。

 何が自分しか尊ばない、だ。

 まったく矛盾した生き方をしていて、よく言える。いいや、そうやって自分のためだと言い聞かせる、面倒くさいお人好しなのだろう。

 今は、今だけは、本当に自分のことだけを考えて欲しい。私はガトリング砲を突きつけて言った。

「さっさと抜き取って、自分の霊石を戻しなさい。助けてあげるから」

「……」

「ベトナムでバイク便をやって、酒を飲んでタバコを吸って、退廃的な快楽に浸るんでしょう。休みは海で日焼けをして、酔っぱらってつい寝てしまう。そして変な日焼けをするんでしょう」

「お前……」

 呆然と私を見つめてくる。私は微笑みを返した。

 初めて出会った日のことは、よく覚えている。あんなに笑った一日は、本当に久しぶりだったから。

「そいつが復活しても、もう少し時間を稼げば全てのSクラスが集まるはず。それまで持ちこたえるわ」

「それでハッピーエンドになる根拠がねえんだよなあ」

「ベトナム、行くんでしょう」

「……行きてえな」

「変な日焼けはしないでいいの」

「……したいな。まじでいい加減ベトナム行きたい。結局行ってないからな」

「なら、さっさとなさい」

 彼の右手が、改めて胸の中心に伸びていく。心臓になっている反転霊石を取り出そうとする。

 ああ、きっと私たちのせいだ。

 出会ったばかりの彼は、自分の人生を優先するだけの生きる意識を高く持っていた。それなのに、私やロシア製といった関わりができる中で、彼は次第に自分を切り捨ててまで私たちを助けるようになった。

 それは、九条哲人という存在が本質的に存在しないからか。自分のために生きることが、魂のない彼にはできなかったからか。 

(どうだっていい。ああ、まったく本当にくだらないわ。彼がなんだろうと知ったことじゃない)

 緩んだ口元から、ゆっくりと息を吐いた。完全復活するだろう超人に備えて、深呼吸をする。

 死ぬ気で止める。

 彼を逃がすだけの時間は稼いでやる。

 そうやって覚悟を決めた瞬間、彼と私の前に男が現れた。あまりにも自然に、道を通っているだけのような様子で、そいつはやってきた。

 彼に向き合うと、そいつは言った。

「キモいねえ。反抗期とか超キモいよ」

 誰だ。

 いつ、どこからやってきた。中性的な容姿をした男は、彼以外には目も向けない。ひらりと彼に手を振って、優しげな微笑みを浮かべている。

 奇妙な状況に、場が静けさで包まれる。

 私の横にいた九条篤史が、ポツリと名前を呟いた。

「……河野?」






 

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