第四十一話 Sクラス三体vs超人
「『マッハ3』」
エカチェリーナが呟くと、ゴォッッッ!! と大地が大きく揺れた。彼女は一直線に超人のもとへ飛び出したのだ。猪突猛進とでも言うべき、真正面からの攻撃である。
超人には二つ、恐れるべき点がある。不死身の超速再生と、異次元の怪力だ。どちらとも、反転霊石による力の恩恵なのだろう。
真正面から飛び込んだエカチェリーナは、どのような攻撃を当てようとも超速再生の前に無力化される。その後、一発でも拳をもらってしまえばデッドエンドは間違いない―――ただし、それは通常の『殺戮機械少女』に限る話だ。
エカチェリーナはSクラス極超音速機型兵器。
「君、なかなか速いね。でも、さっきの子の方が桁違いに速かったな。まあ、あの速度は連発できないんだろうけど」
エカチェリーナの突き出したナイフの切っ先は、超人の喉元を的確に狙った。しかし、刺さる寸前に右手でガードされてしまい、ナイフは超人の喉ではなく掌を貫いていた。
「『マッハ4』」
「へェ」
感心するように声を上げた超人の背後に、一瞬でエカチェリーナは回り込んでいた。ナイフを逆手に持ち変えて、首の根元に思い切り振り下ろす。
ついに首元にナイフが突き刺さる。
しかし、埋め込まれた刃を気にもせず、超人は背後のエカチェリーナに裏拳を振るった。
そして、それは空振りに終わる。
「あは。おもしろ」
「『マッハ5』」
超人の正面に現れたエカチェリーナは、首元に刺さっているナイフの柄を掴んで、強引に斜め下に引き下ろした。首から左脇腹までを切り開き、莫大な血液が噴出する。
私は即座に両翼から銃撃を与えた。超速再生を防ぐため、心臓周辺の血管の通っている場所に弾丸を埋め込んでいく。
エカチェリーナはいつの間にか超人の前から消えており、被弾する心配などなかった。上半身を引き裂いたエカチェリーナの一撃は、簡単に治ることはなく、ドバドバと傷口から血が溢れていく。
「『マッハ6』」
ついに時速7千キロを超える速度に到達したエカチェリーナは、最初とまったく同じ一撃を繰り出した。一直線に飛び出して、ナイフを突き刺したのだ。単純な攻撃。しかし、その速度は現存する戦闘機のレベルを超えている。
気づけば、超人の喉仏をナイフが貫いていた。
そして、ナイフは火が消えるようにその姿が見えなくなり、気づけば距離を取った場所にナイフを持ったエカチェリーナが立っていた。
一瞬で刺し、一瞬で退避した。
ただ、それだけのこと。それだけのことだが、そのスピード故に超人相手にも通じてしまう。
エカチェリーナの速度は、一時的なものではない点が驚異的だと言える。その恐ろしいまでのスピードが、機動力として常時扱えるのだ。移動、攻撃、回避、その全てを現在のエカチェリーナはマッハ6―――時速7千キロを超える速度で可能にしている。
私は超人の肉体に絶えず銃弾を撃ち込んでいく。
再生の邪魔を継続しながら、ロシア製を見た。
「『プラズマ』」
ロシア製が右手に作った眩しい球体が、どんどん大きくなっていく。それを確認したエカチェリーナが、ぱっと姿を消す。すると、いつの間にかロシア製が超人の目の前に腰を低く構えて立っていた。
エカチェリーナがロシア製を運んだのだ。
まばたきをするより、早く。
ロシア製の右手が、バチバチと青白い火花を飛ばす球体を超人の腹部に押し込んだ。鼓膜を突き破るような轟音と共に、軍艦すら沈む一撃が超人に直撃する。
超速再生が満足に働かない状態で、あの一撃を食らったのだ。かなり効いたはず。攻撃を与え続けて完全に倒れた時、ダメージが回復しないように私が弾丸を永続的に埋めこんでいけばいい。そうすれば、奴は止まる。
超人の心臓がある限り、彼の肉体は滅びない。死なない。彼には悪いが、こちらも全力で殺らないと対処ができないのだ。本気で攻撃させてもらう他にない。
「光学兵器は、さすがに威力が高い。極超音速機は、底知れないスピードで翻弄される。ファーストは、相変わらず的確な射撃で私の反転エネルギーを阻害する」
傷を少しずつ治していた超人は、そう言って私たちの顔を一つ一つ見た。その赤い瞳に睨まれると、当たり前のように背筋が凍った。
「さすがSクラス。こんなに楽しいのは久しぶりだ。気に入ったから、もう少し付き合ってあげるよ」
「追い詰められているのが分からないの。あなたの超速再生は私が封じて、音速の機体が確実にダメージを与える。ボロボロになった頃にロシア製が高威力の一撃を与えられるのよ。あなたには、私たちに対して攻略法がない。さっさとその身体から出ていきなさい」
「追い詰められるかァ。そうか、私は追い詰められているのか。じゃあ―――」
ニィ、と何度も見てきた死刑宣告の笑顔が咲いた。
直感で、危機を察知する。
「―――本気でやらなくちゃ、だめだよねェ」
ロシア製が即座に動いた。デコピンでレーザーを飛ばしたのだ。
飛ばした、はずだった。
しかし、それよりも早くロシア製の傍に超人が現れて、ぽんと彼女の右肩を叩いていた。まるで挨拶でもするように気軽に触れて、ゆっくりと歩き出す。
「はい。終わり」
直後、ロシア製が、大量の血を吐き出して前のめりに倒れてしまった。ビクビクと痙攣して、焦点の合っていない目が確認できる。
「っ―――『マッハ7』」
エカチェリーナが、再びナイフを喉元に突き刺した。刹那の刺突。再び喉元を貫いたナイフだが、エカチェリーナはすぐに退避しなかった。
いいや、できなかった。
ロシア製にしたように、エカチェリーナの肩に手を置いていた超人は、笑ったまま突き刺さっているナイフを引き抜いた。エカチェリーナは、ロシア製と同じように雪原に倒れ伏した。
Sクラス二体が、完全に沈んだ。
何が起こったかも分からないまま、戦闘不能に追い込まれたのだ。
私の背後で、千凪の声が聞こえた。
震える声が、響いた。
「『供給』……?」
(っ!! そうか、千凪がやったことと同じ―――)
相手の身体に霊石エネルギーを送り込む、千凪の技と恐らく同じだ。超人は反転霊石のエネルギーをロシア製とエカチェリーナに触れて送り込んだのだろう。
くるり、と私に向いた顔は退屈そうな表情をしていた。
「霊石エネルギーを通して、兵器としての力を発動する君たちは脆い。私の反転エネルギーを君たちの霊石エネルギーに一部混ぜるだけで、簡単にその能力は無効化できる。くわえて、反転エネルギーは死のエネルギーだ。超人でもない君たちにとって、それは肉体を死滅させる毒物と同じ。能力は使用できなくなり、一瞬で体内組織がズタボロになる」
「……」
遊ばれていたのだ。
本当に、私たちは彼女にとっておもちゃだった。事実、何度も肉体に接触されていた。その時、反転エネルギーを大量に流し込まれていれば、内側から肉体組織が滅んでいき、死んでいたのだろう。
超人が本気で移動する。触れる。
その工程のみで、こうやって戦況は大きく変わる。
「さて。私はもう行こうかな。十分遊んだしね。君たちは『方舟』を倒すために頑張ってくれる駒だ。ブチ殺すには惜しいから、感謝していいよ」
「……ふざけないで」
ガトリング砲を突きつける。
死にかかっているセミでも見るように、哀れんだような顔で超人は見つめ返してきた。
「痛いよ。反転エネルギー。微量でも、『供給』されると地獄みたいに苦しいっぽいよ」
「彼を、返して」
「何度目かなァ、このやり取り。ファースト、君は一番楽しかったんだ。今までやり合った相手の中で、一番ね。だから、痛い思いは勘弁してあげようって、お涙頂戴の展開にしているんだよ」
分からないかな、と言って首を傾げ、不思議そうに私を見つめてくる。
ああ、挑発でも何でもないのだ。
本当に、言葉通りの意味でしかない。私が一番遊び相手になったから、ささやかな気遣いをしてやろうというだけの話。
私は『殺戮機械少女』の中で、恐らく一番強い。
最初にして最強の機体。だが、それがなんだというのか。最強だろうと、何だろうと、彼を守れないならば意味はない。
「……言ったわよね」
「ん?」
彼の姿をしているから、思わず吐いてしまった。
自分の、止めどない感情を。
「実存は本質に先立つ。だから、何のために生きるか、自分で選べるって」
「何の話?」
「くそったれな、自分さえ良ければいいっていう、自己愛。それがあなたの正体、本質なんだって。だから、私が何者で何をしていようと関係ない、どうでもいいって」
いつかのやり取りを思い出す。
私が救われた日のやり取りを。
私が少女に戻っていくきっかけになった、あの時のことを。
「―――同じよ。私もどうだっていいの」
涙が出てくる。
勝手に、頼んでないのに、意味の分からない涙が出てくる。
「どうでもいいわよ。物質Nを持っているとか、霊人だとか、『方舟』とか、そんなのどうでもいいの。あなたが何者で、何に巻き込まれて、何をしようと、どうでもいいの。勝手にロシア製を命がけで助ければいいじゃない。勝手に未来を守るために『方舟』を倒せばいいじゃない。……どうでもいいわ、そんなこと」
ああ、だめだ。
追い詰められて、打つ手がなくて、どうしようもなくなったから、こんなことになっている。
「そんなこと、どうでもいい。だけど―――」
ボロボロと溢れていく涙は、私の純粋な思いを隠していた、我慢の氷を溶かしていくようだった。
「―――いなくなるのだけは、やめてよ」
私の前から、いなくならないで。
一緒に、何でもないあの時間を過ごして欲しい。それだけは、奪わないで欲しい。あなたが誰を好きになろうと、何をしようと、どうでもいいから。
だから、せめて私の前から消えないで。
コーヒーを飲む。あのウッドデッキで。一時間くらい他愛のない会話をして、ゆっくりとコーヒを飲むだけでいい。気づけば話に夢中になって、からかって、変わっていくその表情を眺めて―――私のコーヒーはいつも冷めきってしまう。
そんな私の世界を奪わないで。
消さないで。
守らせて。
「守る。守るから。絶対守るから。だから、いかないで」
「……あァ、そういうこと。哲人君に喋ってるんだ」
超人は目を細めると、つまらなそうに言った。
「意味ないよー。君の声が届いて、哲人君の意識が戻るみたいな泣ける展開はありえない」
「……あなたは逃さない。彼は返してもらうわ」
「んー、分かった。じゃあ、君にだけは教えてあげよう。楽しませてくれたからね。君と戦っていなかったら私も気づけなかったし」
パンと両手を叩いた超人は、優しげな微笑みを浮かべた。そして、まるで駄々っ子をあやす母親のような調子で妙なことを告げる。
「九条哲人なんて、本当はどこにも存在しないんだよ」
「……え?」
言葉を聞き取ったが、意味が分からなかった。
そんな私に、超人は話を続けた。
「んーとね。さっき、君に肉体を粉々にされて、一から肉体を作り直したじゃない、私。あれって実は初めてやったんだよね。でさ、あの時にも言ったけどさ、霊石はその肉体の魂で、反転霊石さえ残っていれば元の肉体は完全に再生できるんだよ」
「それが、なによ」
「九条哲人の心臓の霊石を反転させて、反転霊石にする。そして、九条哲人の肉体を私がしたように一から作り直したら、さてどうなると思う」
「……あ」
気づいてしまった私は、思わず千凪に振り返った。彼女もまた、超人の言わんとすることに気がついたのか、口を半開きにして呆然としている。
「反転霊石によって再生される肉体は、九条幸乃。『方舟』の狙いは、哲人君の霊石を反転させて、九条幸乃を復活させることだよ」
超人は悲しそうに視線を落として、そう言った。
すると、千凪が大きな声で疑問を投げかけた。
「パ―――九条哲人は、お前と一緒に超人一族を作るんじゃなかったのか!?」
「ああ、結婚するって言ってたよね、私。そう言い聞かされてきたよー。けど、それは九条幸乃復活という目的の前にある、寄り道みたいな目的かな。哲人君と私で超人の子供を残して、超人一族を作っていく。だけど、それって別に哲人君じゃなくて、九条幸乃にでもできることだよね。適当なタイミングで、お父様は私を消して哲人君を犠牲に九条幸乃を復活させるんだと思うよ」
「九条哲人は、どうなるんだ。九条幸乃が復活すれば、どうなるんだ」
「反転霊石によって一から肉体を再生させれば、脳も何もかもが九条幸乃のものになる。意識すらも、ね。哲人君は消えると思うよ」
「そんな……はず……。なら、僕が見た未来のパパは、あの恐ろしいパパは、一体……」
千凪の動揺が痛いほどに伝わってくる。超人になった彼は彼でなくなるはずなのに、千凪は超人になった彼を見ているのだ。
どういうことだ。いや、今はそれどころではない。
超人は無表情になって、今度は私を見つめてくる。
言いたいことが、分かってしまった。
「哲人君は、そもそもいないんだ。本質的にはね。だって、彼の霊石が彼にはないんだから。今の哲人君は、言ってしまえば九条幸乃の魂を借りて肉体を動かす、かりそめの人間なんだよ。反転霊石で肉体をアップデートすれば、すぐに分かる。―――九条哲人なんてものは、実は最初から本質的に存在していないってね」
「……」
「ああ、まったく君の言うとおり―――」
沈黙する私に、超人は口の端を釣り上げてから言った。
「―――実存は本質に先立つ。九条哲人は、本質なんてないまま存在してしまっているんだ。彼には本当に、お似合いの言葉だよね」