第四十話 災厄の受肉
私は何もできなかった。
身体の底から湧き上がってくる熱と鉄臭い味に、ずんと全身が重くなっていて、何もできなかった。
何もできずに、彼の身体に怪物の心臓が埋め込まれたのを見ることしかできなかった。
約束したのに。
契約したのに。
彼を守るという、少女としての最初で最後の仕事を全うできなかった。
「あひゃひゃ。ああ、こんな形で一つになれるなんて。嬉しいなァー、すっごく胸がキュンキュンするよォ。そうだそうだ。治さないとだったねェ」
彼―――彼の身体と意識を奪ったのだろう超人が言った直後、彼の上半身の半分を食らいつくした傷跡が一気に再生される。義手だったはずの左手も元に戻っていた。彼の死が免れた。妙な安堵感の後に、いきなり海の底に突き落とされるような感覚がやってきた。
私は悲しくて泣きたくて、横溢する感情に飲み込まれた。呆然としてしまった。対して、ロシア製は正反対の反応を示した。
右手から莫大な電流が溢れていく。
雪原を四方八方に飛び回り、ビリビリと空気を焼きながら電流が氾濫する。
「テツヒトに、なにをしてるの」
彼女の心に溢れかえった感情は、怒りのようだった。そのまま怒りの激流に飲み込まれて、流されていくような様子だった。
「テツヒトを返して」
悲しみに支配されれば、立ち尽くす。それでは何も変えることはできない。ならば、せめて怒りに支配されて行動を起こそう。
そうだ。
自分の無力さに悲観するな。絶望するな。そんな後ろ向きな感情は切り捨てろ。
私は今、殺戮兵器として戦っているのではない。少女として、人間として、ここにいる。大事な彼を奪った相手に、少女の私はどうするべきだ。
大切な人を奪われたら、どう感じるべきだ。
怒り、憎み、戦うべきだ。奪い返すべきだ。
戦争のように、大事なもののために闘志を振るうべきだ。
無感情に、自己陶酔のための殺戮ではない。兵器としての自分を受け入れる戦いは、この場において求められていない。しかし、悲しみに暮れて戦意を失う弱さも、ここには必要ない。むしろ邪魔でしかない。
人として、大事な人を守るための闘志。
殺すための、戦うための、殺意と憤怒。
それだけの感情が、大切なのだ。
「嫌だよ。だって私のだもん。私が守ってあげるんだ、ずーっとね。『方舟』を潰して、最後は君たち『殺戮機械少女』をブチ殺す。あとは人間だけが残った世界で、私はこの身体から出ていくの。そうして、二人きりの楽園を作る」
「返して。テツヒト」
「さっきからしつこいなあ。そもそも君のものじゃないんだって。さっきも言ったんだけど、霊石は魂なんだ。この身体に埋め込まれている心臓の霊石と、私の反転霊石。より強い影響力を持った霊石が、魂が、肉体の舵を取って意識を得る。それだけのことだよ。返す返さない以前に、私のモノなんだよ」
「テツヒトの傷は治った。もう、あなたがテツヒトの身体にいる必要はない」
「あるさ。守ってあげるんだ、『方舟』から。いいや、全てから。私が哲人君を、ずーっとね。君たちじゃ彼を守ってあげられないんだから―――すっこんでろよ」
超人の一言に沸点が来たのか、ロシア製が飛び出した。なかなかのスピードだった。一気に超人の眼前に迫ると、先ほど反転霊石を埋め込まれた右胸に、電流をまとった右手を突き刺そうとする。
反転霊石を抜き取るつもりだ。
私は咄嗟にロシア製の援護に回った。彼の傷は修復された以上、超人を彼の肉体から引き離すことに問題はない。
残っていた右翼を構成する銃火器のうち、遠距離攻撃が可能なライフルを使って彼の両膝を撃ち抜く。
結果、それは無意味な援護に終わる。
ロシア製も咄嗟に後ろへ飛んだ。超人から距離を取ったのだ。
物質Nによる自動体温上昇。
物理的攻撃に対して、三千度以上の体温による絶対必殺の守りがあった。
彼の身体に着弾した直後、溶けて消えていった弾丸の様子から、ロシア製は反転霊石を抜き取ろうとした腕を引っ込めた。もしも彼の胸に手を突き刺していれば、骨までなくなって取り返しのつかない傷を負っていたことだろう。
「残念だったね。血管には物質Nが通っている。あくまでも肉体と意識を奪っただけだから、スペックは最強の化学兵器、九条哲人のままだよ。全ての攻撃に意味はない」
そして、と付け加えた超人は右手から黒いエネルギーを現した。墨汁が、ポタポタと垂れるように黒い光源が溢れていく。それは、先ほどの戦いにおいて見せた反転エネルギーの量とは比べ物にならないほど、弱々しい輝きと量だった。
やはり、反転霊石の力が扱えないのだ。
彼の化学兵器としての力も厄介だが、反転霊石の力と比べればよっぽどマシだ。
「私の反転霊石は、この肉体において心臓に位置していない。だから、血管を通して扱えないけど、君たち『殺戮機械少女』が埋め込まれた霊石を扱えるように同じ要領で反転エネルギー自体は少しだけ利用できる。傷口を再生させたようにね。だけど、やっぱり血管を通して扱えないと不便なんだね。迅速に反転エネルギーを供給できない。―――席替えだね」
「……待って。まさか」
私の心配は的中する。ロシア製は、その光景を前にして立ち止まり、歯を食いしばっていた。
怪物は、彼の心臓を右手で抜き取り、右胸に埋め込んだ反転霊石を左手で抜き取った。そして、位置を入れ替えた。右胸に彼の霊石を、胸部中心に、心臓の位置すべき場所に反転霊石を埋め込んだのだ。
「あひゃ」
短い金髪の色が落ちていく。
彼の頭が徐々に真っ白な白髪へと変わっていき、その肌の色も怖いくらいの色白になっていく。極めつけは、瞳の色だった。
綺麗な黒い瞳だったのに。
素直な心の持ち主だと分かる、大きな瞳だったのに。真っ直ぐに相手を見つめてくれる、真剣な瞳だったのに。
「あっひゃはははははははははははっっ!! うん、やっぱりこうじゃないとさ、気持ち悪いんだよねェ!!」
鮮血で目を洗ったかのような、残酷な無邪気さに溢れた赤の瞳に変わってしまった。
心臓を入れ替えて、完全に身体を乗っ取った。
物質Nの力はない。しかし、代わりに超人が完璧な形で再来した。彼の肉体を纏って。
「さァて。この霊石をお父様から守らないとね」
右胸を左手でさすりながら、超人は口を引き裂いて笑った。彼の顔で、化け物みたいな笑顔を浮かべた。子供を頭から丸かじりして、むしゃむしゃ食い散らかすような、残酷と幼さでしか成り立っていない顔をしていた。
「なんで」
ロシア製が呟いた。
無表情になって、底の見えない殺意の瞳と一緒に、デコピンの構えを突きつける。
「あなたみたいなのが、生きているの」
超人としての力は、先ほどまでと同じ。
しかし、身体は九条哲人であり、こちらは攻撃することに積極的になれなくなった。事実、殺したくてたまらないだろうに、彼の身体であることに躊躇してロシア製はレーザーを放てなかった。
(状況は悪化。最悪ね)
彼を人質に取られた。先ほどの超人ですら敵わなかったというのに、これではますます対処の仕様がないように思える。
(逃がすわけにはいかない)
右手に大きなハンドガンを生み出した。私の武器は、右翼を構成する銃火器と、右手のハンドガンだけ。これ以上の銃火器の生成は不可能である。
私一人では、彼の身体から反転霊石を取り出すことは不可能だと言えよう。だから、自分の仕事を自分一人で果たせないことには不満があるが、なりふり構っている場合ではない。
「―――光」
「っ」
ロシア製の名前を呼ぶ。
初めてかもしれない。『殺戮機械少女』の名前を呼ぶなんてことは。
目を見開いてこちらを見つめてくるロシア製に、私は肩の力を抜いてから言った。
「協力、してくれるかしら」
「……」
言うことは言った。視線をロシア製から超人に向け変えると、ハンドガンの銃口を突きつける。超人は受肉した身体の調子を確かめているのか、首や手首を回して、関節の音を鳴らすことに夢中になっている。
雪を踏み鳴らす音が、左隣から響いた。
振り向くことはしなかった。
「何かいつもと違う。いきなりキモい。してあげる」
「本当、あなたとは特に仲良くなれる気がしないわ」
憎まれ口を叩き合うと、ロシア製が本題に入ってきた。
「どうするの」
「他のSクラスが来るまで、持ちこたえる。反転霊石を抜き取ることは考えないで。恐らく、この戦力じゃ不可能よ。まずは仲間を集めるわ」
「理解した。援護して」
「してあげる」
「む」
同じ台詞を返してやると、口下手なロシア製は頬を膨らませてから飛び出した。満足に動けない私も、引き金を二回引いて超人の両膝を撃ち抜いた。
霊石エネルギーをできるだけ込めた弾丸。それを血管内に埋め込まれるように着弾させる。
膝をついた超人が再生する前に、ロシア製がレーザーを照射した。爆撃によって超人を吹き飛ばす。しかし、宙でくるりと回って着地したその身体は、既に傷一つない状態に戻っていた。
(しくじった)
血管内に着弾させられなかった。
まずい。集中力が切れてきている。
「っていうかさー、見逃すって言ってるのに、どうして私に構うの」
「あなたはどうでもいい。テツヒトを返せ」
叫んだロシア製が右手に電流の剣を生み出すと、一気に間合いを詰めて超人に斬りかかった。身体を反らして、簡単に避けられる。ロシア製は持っていた剣をくるりと回して逆手に持ち直した。
切っ先が、彼の腹部に向けられる。
次の瞬間、電流の剣が凄まじい速度で延長した。電流で出来た剣に追加の電流を流し込むことで、その刀身を伸ばしたのだ。
雷のような速度で突き刺さり、超人の動きを止めた。
「ごめん。テツヒト」
さらに、刀身から電流を送り込んだのだろう。超人の身体から青白い光が溢れていき、辺りの雪原を焼き散らして暴れていく。
だが、まったく身体に傷がつかない。
彼の顔で嗜虐的に笑った超人が、電流を流す刀剣に刺されたまま、ロシア製の目の前にトンと歩み寄った。
「君、前から気に入らなかったんだよね」
超人は貫通している電流など気にもせず、左手で作ったデコピンをロシア製の右肩に突きつけた。
そして、憎たらしげに告げて指を弾く。
「この腕で、私のモノに抱きついてたのかな」
ドサ、と私の横にそれが落ちた。
それは腕だった。ロシア製の右腕だけが、こちらに吹き飛んできたのだ。
ぎょっとしてロシア製を見れば、右肩から血飛沫を撒き散らして後ろにふらついている。しかし、倒れることはなかった。雪を踏みしめて、ぐっと持ち直した彼女は、超人に残っている左手でデコピンを向けた。
「へえ。根性あるね」
「テツヒトを―――かえせ」
怯まない。
片腕が消えようと、気にしない。
ロシア製はお返しにレーザーを至近距離で炸裂させる。しかし、爆撃の煙が晴れると、そこには何の傷も負っていない相変わらずの姿があった。
「まだやるなら、さすがにブチ殺すよ。君のこと、すっごく嫌いだし」
「『プラズマ』」
「……うっざいなァ」
左手からバチバチと青白い火花が散っていく。電流が溢れかえって、そこら中を飛び回り、気づけば目も眩むような電気の球体が出来上がっていた。
あの一撃を、再生能力を落とした状態で食らわせれば、時間がかなり稼げるはずだ。
私は右翼の銃火器を全て使って超人を攻撃する。血管内に弾丸を埋め込んで、反転エネルギーの流れを妨害してやる。しかし、絶え間ない銃声の雨が届く前に、超人は全身から黒いエネルギーを溢れさせた。
あれが来る。
まずい。弾丸が、届かない。
「『霊石解―――』」
だが、超人が動くギリギリのタイミングで、ぱっとロシア製の姿が消えた。驚いた顔をした超人は、キョロキョロと辺りを見渡すと、私の背後に視線をやって感心するように口笛を吹く。
振り向くと、そこには千凪がロシア製を抱えて立っていた。彼女は落ちているロシア製の右腕を拾い上げると、そっと傷口に戻した。そして、片手をロシア製の胸部に添えて呟いた。
「『供給』」
ロシア製の傷口から白い輝きが溢れ、みるみる内に腕が元通りにくっついていく。
その光景を前に、思わず私は言葉を零した。
「霊石エネルギーを、他人に与えることができるの」
「ああ。できる霊人は、そうはいない。僕の特技だ」
千凪は私のもとに近寄ってくると、背中にとんと手を当ててきた。
耳元で響いたのは、悔い改める懺悔のような声だった。
「無理な役回りを押し付けてごめんなさい」
「いいわよ。大体分かるから」
「……僕は光速移動型の機体。光の速度で移動できるが、一回の移動に膨大な霊石エネルギーを使う。連続使用も不可能。はっきり言って、戦闘向けの機体じゃない」
「でしょうね。光の速度で移動するなんて、一回の霊石エネルギーの消費量もチャージの時間も相当かかるでしょう」
「ああ。だから、その―――」
「望むところ。さっさとなさいな」
そこから先は、気遣いで遮ってやった。彼女は、これ以上の負担を私に強いるのを躊躇ったのだろう。
だから、先回りして言ってやった。
私に降りかかるはずだった、死という未来を一時的にせよ回避できたのは、間違いなくこの子のおかげ。
だから、これくらいなんてことはない。
それに、何よりも―――
「―――これは、私の仕事なの。あの人を守るのは、私の役目だから」
「分かった。頼んだよ」
霊石エネルギーが流れ込んでくる。銃火器の製造、弾丸の製造、生成した銃火器の使役、そのために必要な霊石エネルギーが私の霊石に充填されていく。右腕の傷もほとんど癒えており、再び全力で戦えることが分かる。
「ファースト。援護のままでいいよ。私がやる」
隣に並んだロシア製が、右腕の調子を確かめながら言ってくる。右手でデコピンの構えを作ると、バチバチとその手が電気を飛ばし始める。
「ロシア製の雑魚じゃ相手にならないわ。私がやるから援護なさい」
「む。雑魚じゃない」
頬を膨らませた彼女を一瞥して、私は背中から銃火器の翼を展開する。両翼を構成する銃火器の銃口を目標にロックオンし、右手には航空機関砲最強のGAU-8 Avengerを生み出した。
「へェ。また全力の君とやれるんだ。しかも、光学兵器のおまけ付き。これはもう一回遊んでおこうかな」
「反転霊石を取り出すわ。今なら、私たちだけで十分にやれるかしらね」
「舐められたもんだね。あれだけボコボコにしたのに、まだ諦め―――おっと」
私に言葉を返した超人の左足が、いきなり切断される。転がりそうになる足をキャッチして、すぐにくっつけて治癒した超人だったが、今度はその右腕が肘から切断される。
ついに転がった腕を見て、拾うのを面倒だと判断したのか、一瞬で肘から先を再生させた超人は背後の影に振り返った。
「やはり生きておられましたか。金髪の方がお似合いでしたのに。残念です、九条哲人」
黒いスーツを着た、一人の少女だった。灰色がかったセミロングの髪をしており、右目が長めの前髪で隠れてしまっている。持っているナイフについた血をハンカチで拭っており、ゆったりとした動作が上品な女の子。
久しぶりの再会に、私は少女の名を呼んだ。
「エカチェリーナ」
「あなたが名前で機体を呼ぶとは、珍しい。―――お元気そうですね、ファースト。さて、うちの国で『妙な霊石エネルギー』を持った相手とやり合っているみたいですが、ご説明をお願いできますかね」
Sクラスの極超音速機型兵器。
『殺戮機械少女』において、最速の機体である彼女がやって来た。
「まあ、九条哲人がおかしいことと、彼を止める必要があるのは、何となく分かりますが」
「エカチェリーナ。端的に言う」
ロシア製が隣から声を上げた。
「テツヒトの中に、『妙な霊石エネルギー』を持った化け物が寄生している。ファーストはそいつと戦っていた。そいつを捕える必要がある」
「うちで好き勝手に暴れた愚か者が、九条哲人に寄生している……。なるほど、とりあえず九条哲人を捕えることに協力しましょう」
「いいの」
「いいですよ。九条哲人の人となりは、それなりに知っています。正気じゃないことも、彼じゃないことも分かる。橘光、あなたを傷つけるような真似を彼がするはずもありません。あれだけのことをして、あなたを守った彼が」
微笑んだエカチェリーナは、今度は私に視線を向けてきた。
「ファースト。あなたもしばらく活動が確認されていませんでしたが、なるほど『アルカサル』と行動していたんですか。改心して古巣にようやくお戻りですか」
「『アルカサル』なんて知ったことじゃないわ。仕事よ」
「何のですか」
「……彼のボディガード」
「ははー。橘光だけじゃなく、あなたもですか。『殺戮機械少女』に好かれる能力でも持った兵器なんですか、彼」
「もってなによ。勝手に完結しないでもらえる」
「ジャックナイフだった頃のあなたが、すっかりらしくな―――」
ゴォッッッ!! と、一体の雪が吹き飛んでいった。エカチェリーナの目の前に現れた超人が、思い切り右足を振り上げたのだ。その蹴りの風圧によって、雪が視界の端まで吹き上がっていき、世界の全てを奪うような吹雪が出来上がる。
激しい雪の雨が晴れていくと、私とロシア製の前にエカチェリーナが無傷で立っていた。
「九条哲人よりも早いですね。あれで本気じゃないのなら、手強いかもしれません」
「さすが最速の機体。あれを避けるのね。彼の心臓を取り出すから、あなたも協力しなさい」
「心臓ですか」
「ええ。あの厄介なスピードについていけるのは、間違いなくあなただけ。私は遠距離からのサポート、ロシア製とエカチェリーナは、ひたすら殺す気で攻めなさい。特にロシア製、この中で一番大火力攻撃ができるのはあなたよ。ガンガン攻めてちょうだい」
頷いた二人に、ガトリング砲の引き金を引いて合図を送る。
残りのSクラスが揃うまで、しのぎ切る。