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第四話 マジ恋

 ―――ピンク色の固形物が散らばっていた。すぐ傍には、頭の半分を吹き飛ばされた女性の死体がある。脳みそだろう。私はそのグロテスクな物体から興味を失い、再び食糧を求めて歩き出す。未だに鼻につく、鬱陶しい腐乱臭。それは何百人と焼け死んだ結果を物語っている。つい先日までは、人々の阿鼻叫喚で騒々しかっただろう。崩壊した街の中、ただひたすらに足を動かす。死体を何十、何百と見つけた。しつこい。これ以上、自分の辿るかもしれない運命の象徴を見せつけられるのは、非常に腹立たしい。絶望だけを見せつけられて、希望なんてないと言われているようで。 

 首の取れかかっている、子供の死体を見た。抱き合って眠っているような男女の死体を見た。犬や猫の引き裂かれた腸を見た。私は躓く。足元に転がっている、何度と見てきた子供の上半身があった。下半身はどこにいったのだろうか。周りを見渡すと、折れ曲がっている電灯の下にそれはあった。私は取りに行く。持ち上げて、引きずりながら上半身のもとへ戻る。そっと、プラモデルを作るように、下半身を上半身にくっつけてみた。当然、誰も喜ぶわけがなかった。

 私は涙を流せなかった。流す努力はした。しかし、できなかった。心でさえも泣いていなかった。視界に広がるのは地獄だ。死だ。絶望だ。日常で抱えることのできる不満などとは比べ物にならないほどの、不幸だった。私は死に怯えているのではない。不幸に怯えているのだ。誰かの考えと、誰かの考えの摩擦から生じる武力紛争。その中心で無造作に死を叩きつけられた死体の海を前に、ただただ不幸だと、間違っていると、涙を流さずに心で慟哭していた。悲しいを通り越していた。痛みを駆け抜けていた。私の心には、渇望だけが残った。たった一つの、ユートピアを目指す欲求が。私の内側で、それは禍々しい色で静かに咲き誇っていたのだ―――

「私は、戦争に巻き込まれて家族を失った。育った街を失った。戦うのは好きじゃない」

『アルカサル』内にある食堂で、現在は二人で夕食を取っている最中である。俺は、ずっと気になっていた光の生い立ちについて尋ねてみた。そして、食事中に尋ねる内容ではなかったと、随分と遅い後悔をたった今、抱いていた。俺はカレーを食べる手を止めて、水を一杯だけ飲み込んでから頭を軽く下げる。

「すまん。嫌なこと聞いたか」

「別に。もう何十年も前のこと。私は、大勢が巻き込まれる戦争になる前に敵の『殺戮機械少女』を破壊するだけ。だから、弱いのはだめ。私は強い」

「……」

 先ほどまでは、正直、ただの子供かと思っていた。情緒的な反応が際立っていたからだ。しかし、改めて向き合ってみれば、信念や理念といったものが光なりにあることを知った。

「その、踏み込んじまったから聞くが、家族を失った後に当時のソ連で兵器化したのか」

「家族を14歳の頃に失った。その1年後、すぐに軍隊に入った。入隊して2年後、ソ連の確保していた霊石に適合する女性隊員がいるかどうか、実験がはじまった。私は52番目の実験で適性があることが分かった。その前の51人は全員適性がなくて死んだの」

「なるほど……」

 思うに、光の精神年齢は家族を失った頃で止まっているような気がする。その後も、戦時中の過酷な軍隊生活と、17歳にして霊石を埋め込まれて実験と訓練ばかりの生活が始まったのだろう。心の中の時間が、流れていかなかったのではないだろうか。

「生体電気の扱いに慣れて実戦に出たのは18歳だったと思う。あとは、ずっと戦っていただけ。多くの人を巻き込む前に、敵を倒すしか方法がないから」

 光はナイフを使わずに、フォークだけでハンバーグを大きく切り分けて口に含んだ。

「……負けず嫌いはそこからか」

 聞こえない声量で呟く。

 この子の精神年齢が幼いこと、負けず嫌いなこと、そして何より―――病院から飛び降りて脱出した俺を、ファーストを無視してまで助けてくれた優しさ。

 これまでの言動に、納得がいくようになった。

 教えてもらえて良かった。光を信頼できるようになってくる。

「ん、待てよ。なあ、光はロシア人だろう。なんで、橘光っていう名前なんだ。というか、どうして今は日本を守っているんだ」

「第二次世界大戦が終わって、ソ連と日本は日ソ共同宣言を結んだ。これからは仲良くしようって。そのときに、私は友好の証として、日本に送られた」

「……」

「それで、日本の『アルカサル』にやってきた。名前は、覚えてないからその時にアリスにつけてもらったの」

「覚えてない?」

「うん。名前を忘れた。大戦中にひどい怪我をして、その時から……だったはず。家族のことも、実はあまり覚えてない」

 光はハンバーグを平らげると、俺のカレーをじーっと見つめてきた。まさかと思って、俺はカレーのプレートを静かに光の方へ寄せてやる。光はびくっと肩を跳ね上げて、驚いた顔をした。

「……いいの」

「川で一回、病院でまあ一応一回、そんでもって奥多摩の山で一回、合計3回も助けてもらった。まあ、こんなんでいいなら。タバコ吸えば腹減らないし、食えよ」

「タバコはよくない……満腹効果はあるけど……でも、ありがとう」

「ああ。スプーン持ってきてや―――」

 俺のスプーンでは嫌がるだろうと思ったが、光は躊躇なく俺の使っていたスプーンをカレーと一緒に口に含んだ。

 ……間接キス。意識してる俺が馬鹿みたいだな。

「? なんか、顔赤いよ」

「ああ、いや、別に」

 俺はコップの水を飲んで、会話をぶった切る。

 しかし、光が話題を変えて話しかけてきた。

「あなたは、大丈夫なの」

「身体のことは諦めたさ。何とか受け入れていく。神なんて信じちゃいないが、もしいるなら呪ってやりたいくらいの気分だけどな」

「そっちじゃない。私も、初めて相手の頭を撃ち抜いたとき、しばらく嫌な感じだった」

「……殺しちまった後からが、いろいろありすぎた。お前やサド女、『アルカサル』。化学兵器になったこと。おかげで、あの時の、殺しちまったときの冷たい感覚が弱くなってる」

「それは良くない」

「良くない?」

「―――そうやって、殺しても何ともなくなってくる。殺した後の出来事で殺したことを上書きできるようになる」

「……」

「殺した後に、ご飯を食べて忘れてしまう。殺した後に、テレビで笑って忘れてしまう。殺戮行為が、日常生活の出来事よりも大したことじゃなくなってくる。そうなれば、本当の意味で、兵器そのもの」

「……心は人間でいたいなら、殺した感覚を忘れるなってことか」

「先輩だから、アドバイス。ぶい」

 ピースサインを送ってきた光に、俺は思わず苦笑する。何だ、俺なんかより、よっぽど大人だ。幾度の戦争の果てに戦う理念・信念を光は見出した。それは、大勢を巻き込む前に戦争を終わらせること。そのためには強くあるべきで、しかし敵を殺した現実を常に今のものとして残しておく。『殺戮機械少女』なんて名称は不似合いな、強靭な精神と志で自分の生き方を見出している、理想の人間ではないだろうか。

「……本質を作ったんだな、光は」

「本質?」

「実存主義哲学の考え方の一つだ。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの講演のセリフ。存在には本質がないって考え方だ」

 いつもの癖でタバコを胸ポケットから取り出し、一本をつまみ出して口にくわえた。ライターもジーンズのポケットから取り出しかけたところで、ここでは喫煙はいけないことを思い出す。

 俺はくわえタバコで喫煙欲求を抑えたまま、話を続けた。

「実存は本質に先立つ。椅子は『座るため』という本質が先にあったから、『座るため』の形状・機能を備えて存在する。こんな感じで、通常は本質があって実存がある。本質は実存に先立っているはずなんだ。しかし、人間の場合は存在が先にあって本質が存在しない……って考え方」

「人間は何のために存在するか、皆分からないから?」

「ん。だから、人間の場合は実存が本質に先立っている。そこで、人間は本質を作るために生きていくべき……なんて親父が言っていたんだ」

「生まれた意味を作るために生きろってこと」

「ないからな。作るしかない。だが、そう簡単な話じゃないさ。光はその点、人間兵器っていう極限状態の世界で生き抜いて、そうやって自分の存在理由を確立できているように見えた。光は、自分が生きる理由が平和のためだという本質を見出した。……俺も、そんな風に考えられるようになりたいよ」

「むう。私が賢いということは分かった」

 面倒な話に付き合わせてしまった。俺は熱くなっている自分を落ち着かせるために、喫煙所で一服しようと席を立った。

 そのとき、光が俺の背中に声をかけた。

「テツヒト。離れちゃだめ」

 片言の発音に、俺は笑って振り返る。カレーを平らげた光が近寄ってきた。

「哲人って、呼びにくいよな。テツでいいぞ」

「じゃあ、テツ」

 光は隣に並んで歩きながら、明日の天気を尋ねるような気軽さで問を投げた。

「テツは、何のために生きているか分からないの」

「……今は、タバコのため」

「吸ったあとは」

「……酒。晩飯」

「朝起きた後は」

「……タバコ。あとバイク」

「むう。いっぱいあってずるい」

「―――」

 息を呑んで、立ち止まった。

 親を失い、意味も目的もなく生きてきた。人を殺して、化学兵器になった。今後の人生など想像もつかない絶望感が、胸のうちにあった。

 けれど、いっぱいあった。

 俺の生きる意味は、価値は、本質は、いっぱいあったじゃないか。

「く、くくく。そうだな、ああ、いっぱいだ」

「? 何がおかしいの?」

「いやなに、あれだ、タバコ吸いたいんだよ。……無性にな」

 ありがとう。光の純粋さに、俺は心底救われてしまった。

 確かに自己愛かもしれない。だが、それが何だというのか。俺は好きなものを嗜み、飲み、食らう。これからも、そうやって生きていく。そうやって生きていたいと、生への欲動に突き動かされている。だから、俺は生きていけるのだ、まだこれからも。

 ろくでもない理由かもしれない。けれど、人間は空っぽのまま存在しているのだとすれば、どのような生きる意味を持ってどのように生きようとも、いいではないか。俺は大切にしたいんだ、生きていたいという、この単純な欲動を。

 そして、確かな事実がここにはある。光となら、これからやっていけそうだということだ。

「なら一階の喫煙所まで行く。あんまり離れちゃだめ」

 光に手を取られた俺は、やたら距離感の近い彼女にドキッとしてしまった。照れ隠しで冗談を返す。

「あざす、先輩」

「ん。私は先輩。敬語を使って」

「そういや、機械兵器科って他に誰がいるんだ。俺と、光と、部長アリスと……」

「だけ」

「……そう」

 忙しない日々が待っていることが、たった今、確信に変わった。







「え」

 喫煙者が少ないのか、喫煙所そのものがコンパクトだった。一階廊下の突き当り、自販機が2台並んでいる横、換気扇の下に長方形の灰皿だけが設置されている。

 しかし、俺が声をあげてしまったのは、その点ではない。

 片手でスマートフォンをいじりながら、タバコを吸っている女性がいた。長い金髪を一本に縛った、巨乳のヨーロッパ系美女がそこにはいた。背が高い。ファーストもかなり高かったが、それ以上だ。俺は177センチあるのに、目線がまったく同じである。俺と同じくらいあるぞ……。というか、大きいのは背よりも……。

 下半身に自衛官の迷彩柄ズボン、上半身は白Tシャツ一枚だからこそ、シンプルで無駄のない格好だからこそ―――胸が、すごい。

 まずい。タイプなのだ。高身長で金髪で巨乳の喫煙者が、昔から俺のストライクゾーンそのものなのだ。別に日本人か外国人かはどうでもよい。俺の本能が、高身長で金髪で巨乳の喫煙者と結婚しろと命令を伝達する。だから、思春期の頃はえっちな本も外国人の女性ばかりが載っているものを好んで……。バックンバックン、バックンバックン。

「って、うるせえなあ!! 俺の心臓!! バックンバックンじゃねーよ!!」

「え?」

 あまりにも心臓が激しく動くので、変なテンションで声をあげてしまった。

 結果、気づかれた。

「……どちらさん?」

「あ、いや、その……」

 俺に怪訝な目を向けた彼女は、俺の隣にいる光を見つけて微笑んだ。なにそれ、綺麗。夕焼けより朝焼けより満点の星空より綺麗な笑顔。やばい、まずい、結婚したい。

「光じゃないか。チャオ」

「エマ。チャオ」

「で、そっちの子は?」

「クジョーテツヒト。私の後輩」

 ちょっと偉そうに胸を張った光を見て、何か思い出したようにエマさんは口を大きく開いた。

「あー!! あれだ、姉さんの言っていた、男の化学兵器君だ」

「は、はい」

「そうかいそうかい。なるほど君がね。ん、君はタバコを嗜むのかい」

「は、はい」

「おお、嬉しいねえ。今じゃ『アルカサル』には私しか喫煙者がいなくてね、肩身が狭い思いをしていたんだ。一緒に煙に包まれようじゃないか」

「ぜひっっっ!!」

 最高のスタートダッシュを決めて、俺は全速力でエマさんの前に駆け寄った。震える手でタバコを取り出すと、震え過ぎてポロポロとタバコが落ちていく。床に全部ばらまいてしまったが、とりあえず全部かき集めて、まとめて口にくわえ込んだ。急いで火をつけて吸い込むと、尋常じゃない重みが体にのしかかってくる。

「っぐぉ……!!」

「おおー、ワイルドだねえ。六本同時になんて。あはは、面白いなあ君は」

 え、待って、俺は今、六本同時に吸ってるの。

 普通に死んじゃうんだけど。まあいいや、エマさん面白がってるし。なんか頭クラクラしてきたけど、まあいいや。

「え、ええええええエマさんは、僕のことを知ってくれていただけているんですか!?」

「うん。まあね。ファーストとやり合ったんだっけ、君。よく生き延びたものだよ、すごいじゃないか」

「え、エマさんに出会うためなら、あんなサド女余裕です余裕全然へっちゃらでした!!」

「あはは。君、冗談上手いね。仲良くできそうで嬉しいよ、哲人君」

「―――」

 バタン!! と、俺は口から大量の煙を勢いよく放出してぶっ倒れた。まじかよ、惚れてる。俺は完全にこの人のことを好きになってしまっている。思考が、まとまらない。恥ずかしくって、顔が熱くて、冷静じゃいられない。

「テツヒト」

「はっ」

 エマさんの声じゃない声で名前を呼んでもらえて、正気に戻った。俺はくわえていたタバコを一旦灰皿に捨て置くと、音源を振り返る。

 そこには、じーっと蛇のように睨んでくる光がいた。

「テツヒト」

「な、なんだよ」

 光の頬が少し膨らむ。

「む。テツヒト」

「だから、なに」

 ぷくぷくぷくーっと、さらに光の頬がフグのように膨らむ。

「むう……!! テ・ツ・ヒ・ト!!」

「だ・か・ら、なーに!?」

 俺も光のテンションにつられて大声を返すと、なんだかよく分からない言葉が返ってきた。

「……なんで倒れないの」

「はい?」

「エマがテツヒトって言ったら倒れた。なのに、私がテツヒトって言っても倒れない」

「そ、それは、お前……」

「エマのこと好きなの?」

「ば、ばばばっばあんばっばばばばばっばば、ばっか、ばっかじゃねーのおおおおおおお前!! 会ってすぐだぜ!? まっさかあああああ!!」

「……むう」

 不満げな光の顔に、エマさんが笑った。

「あはは!! 光と哲人君はすっかり仲良しなんだね」

「お、俺はエマさんとも、仲良くなりたいです!! いっぱいいっぱい仲良くなりたいです!!」

「嬉しいね。喫煙者同士仲良くしよう。私は桜木エマだ。よろしくね、哲人君。光がいれば、普通に接していいんだよね。はい、握手」

「は、はい……!! って、え。桜木って」

 差し出された手を恐る恐る握った俺は、聞き逃がせない単語にフリーズする。

「……まさか」

「君たちの部長、アリスは私の姉だ。あんなんだが、仲良くしてあげて欲しい」

「……」

 嘘だろう。エマさんと結婚したら、あの鬼上司が義姉になってしまうのか。いや、壁は乗り越えるためにある。エマさんを幸せにするために必要な試練ということだ。愛が、試されている。あの桜木アリスを乗り越えなければ、エデンには至れない。

 ならば越えよう。

 やってやるよ。俺はやる。覚悟など一目見惚れた時から決めている。

「え、エマさん」

「なんだい」

「べ、ベトナムかインドネシア、どちらがお好みですか」

「んー、ベトナムかなあ。ご飯が好きなんだよ、ベトナム料理。フーティウとか。麺料理でね、豚骨や味噌ベースの甘みのあるスープが最高なんだ」

 ―――運命だ。俺もベトナムが好き。エマさんもベトナムが好き。もう迷うことはない。俺の気持ちを、覚悟を、ここで伝えよう。

「絶対、俺がベトナムに連れて行きますから!! 俺、頑張りますから!!」

「本当かい。それは楽しみだ。美味しい料理が食べたいよ」

「か、稼ぎます。毎日食べさせます」

「ま、毎日? よく分からないけど、いつか連れていってくれるのを楽しみにしているよ」

「……神に誓って」

 その時、俺とエマさんの間を赤い一閃が走り抜けた。壁には小さいがとても深い穴が空いている。

 レーザービーム……。光だ。

「って、おい!! 危ないだろ!!」

「神なんて信じてないはず。嘘つき」

「たった今から神を信じたんだ!! 何が悪い!!」

 エマさんと出会えたのは奇跡で、神なくして奇跡は神代より語れない。だから、神がいることを俺は悟れただけだ。何が悪い。

「……むう」 

「あはは。私が哲人君を奪っちゃったから、嫉妬しているのさ。光、ちゃんと返すよ、大丈夫」

 奪ったままで結構です。

 というか、俺の心はあなたに奪われたままです。

「私は自衛科の者でね、周辺住民の避難と君たちの到着まで、侵略者の足止めが仕事だ。現場でも顔を合わせるだろうから、よろしくね」

「は、はい。自衛科ってことは、自衛隊の方なんですよね」

「うん。保安科は警察、自衛科は自衛隊から抜擢された人間でできているよ」

「たいへんそうですね……」

「あはは。まあ、相手が『殺戮機械少女』だからねえ。保安科は死なないようにしながら周辺住民の避難、自衛科は避難完了と君たち機械兵器科の到着まで、死なないように戦って時間を稼ぐのが仕事だ。死なないように、っていうのがたいへんな部分かな」

 でも、と付け加えて、煙を吐き出したエマさんの姿に、こんなに煙の似合う女性はいないと確信した。 

「ファーストや光レベルの『殺戮機械少女』っていうのは、そうはいない。特別強い個体以外は、意外と皆、死なないで応戦できるよ」

「ファーストと光って、やっぱりすごいんですか」

「うん。……あー、知らないのか。『殺戮機械少女』にもレベルがある。兵器としてのレベルがね。上から順に、Sクラス、Aクラス、Bクラス、Cクラス。Cクラスは、陸上兵器を有した自衛官複数人で倒せるくらい。Bクラスは、自衛官だけじゃなくて戦車や爆撃機が必要かも。Aクラスは、日本中の自衛官と武器兵器が必要。Sクラスは、核兵器ガンガン打ち込んでトントンって感じ」

「日本中の自衛官……兵器……核兵器……無理じゃないですか」

「そう。実際に日本中の隊員や兵器を集めたり、核兵器で応戦なんて、非現実的極まりない。だから、光みたいな存在が必要なんだ。光はSクラス。間違いなく、最高級『殺戮機械少女』だと言える」

「すげー……」

 じとーっと、俺とエマさんを睨みつけている光は、褒められているのに珍しく喜ぶ様子がなかった。

「ファーストもSクラスですよね。そうなると」

「だね。Sクラスの個体は、世界中でも十機しか存在しない。光、ファーストを含めて、たったの十体だ。……いや、非公式ではあるけれど、君で11になるのかな」

「……え、俺ってそんなにやばいんですか。核兵器とトントンなの」

「うん。物質N。正確には、ナチスが作ったと言われる三フッ化塩素のことだね。燃やす、という点において世界最強の物質のはずだよ。レンガやコンクリートだって燃やし消すことができる。あはは、レンガとコンクリートが燃えるとか意味分からないよね。普通は燃えないよ」

「改めて言われると、えぐいですね」

「世界大戦中に誰も扱えきれなかった怪物みたいなものだからね。だから、光ちゃんの言うことをちゃんと聞くんだよ」

 エマさんは吸っていたタバコを俺の唇に挟み込むと、ひらひらと手を振って立ち去っていった。

「これからよろしくね。今度はご飯でも一緒にしよう」

「……絶対好きにさせてみせる」

 俺がタバコをくわえて棒立ちになっていると、光がいつの間にか目の前にやってきていた。俺の吸っているタバコを引っ掴み、ぽいっと灰皿に投げ捨てやがった。―――ふざけんな何してんだお前。

「え、エマさんのタバコをお前っ!! 持ち帰れねえだろ!!」

「お前じゃない。光。タバコならもう吸った。行くよ」

「な、なんか怒ってないか、光」

「……別に」

 視線を落とした光は、踵を返してスタスタと歩いていってしまう。俺は慌ててその背中を追った。

「待てよ、一緒にいなきゃだめだって、俺たち」

「……むう」

 光の頬が膨らむ。

 少し嬉しそうに見えたのは、気のせいだろうか。

「テツヒト。私の部屋に行く」

「部屋って……まさかお前と一緒か」

「お前じゃない。光。もちろん一緒の部屋で寝る」

「だよな」

 俺は女の子の部屋に泊まる事態に緊張してしまって、思わず頭をかきながら目線を逸らしてしまった。

 しかし、そこで気になった点が一つ。

「呼び方、テツでいいって。言いにくいだろう」

「うるさい。私もテツヒトって呼ぶ。むう」

 ……また頬が膨らんだ。これは、ちょっと不機嫌な方の膨らみ方な気がする。何で怒っているのかは知らんが。







 翌日、俺は研究科の検査室で身体中を調べ尽くされていた。病院にある、レントゲン検査のようなものを受けさせられた。現在はその結果待ちで、待合室にて光と一緒に待機している最中である。

 光は俺を見ることはせず、そっぽを向いたままだった。

 これは昨晩からずっとだ。エマさんと別れて夕食を食堂で取った時から、まともに話してくれない。光の部屋にお邪魔してテレビを見たときも、全然感想を言い合ってくれない。そのまま俺は敷布団で、光は自分のベッドで寝たときも、おやすみすら言ってくれはしなかった。

 絶対怒ってるな、こいつ。

「なあ、光。何にそんな怒ってるんだ。謝るって」

「怒ってない」

「怒ってるやつはそう言うんだよ……」

 いつファーストが攻めてくるか分からない中、これは由々しき事態だ。あと、単純にこんな状態でこれからもずっと一緒にいるのは気が引ける。胃に穴が開く。

 言葉での謝罪には意味がないと判断した俺は、一つ提案をしてみた。

「なあ、光。自衛隊のバイクって、借りられるかな」

「……大丈夫、だと思う。テツヒトは、一応『アルカサル』自衛科の自衛官としての身分登録がされているから。……なんで」

「後ろに乗っけて、どっか連れて行くよ。光の好きなところ」

「……私の好きなところ?」

「ああ。外に遊びに行ったり、しないのか」

「しなかった。任務以外で」

 伏し目がちになった光は沈黙する。どこに行きたいか、考えてくれているのだろうか。

「……海」

「海?」

「ん。海に行きたい」

「いいぜ。けど、なんでまた海なんだ。まだ寒いから泳げないぞ」

「海は、私がたくさん殺した人が眠っている。航空機をレーザーで落とした。数え切れないくらい。あと、軍艦も。だから」

「……なるほど」

 過去の戦争を忘却しないために、ということか。光の凄いところだ。思い出したくないだろう記憶を、必ず思い出そうとする。

 だが、それは良いことだと思うが、それだけはよくない。

「じゃあ、まずは海だな。他にも、海鮮を食おう。伊豆あたりでさ」

「……ご飯」

「ああ。伊豆の海鮮はうまいぞ。わさび丼もうまい。あとは、そうだな……。富士山でも見に行くか。富士五湖っていう湖も綺麗でな、それを回ろう。ついでに温泉でも入ってくるか」

「……楽しそう」

「だろ。静岡から山梨をぐるーってさ。日帰りでいけるかなあ。無理そうだったら宿でも取るか」

「……うん。約束だよ」

「お、おう」

 わずかに微笑んだ光の顔に見惚れてしまった。サイドテールの綺麗な銀髪が頬にかかり、なんだか少し色っぽく見えた。青い瞳に吸い込まれる。夏の海のようにキラキラとした深くて濃い瞳に見入ってしまう。

 ほんの数秒、そうやって見つめ合っていた俺たちに声がかかった。

「ひ、光ちゃん、機嫌なおった?」

 声をかけてきたのは、研究科で『殺戮機械少女』の研究を専門としている、研究員の秋乃雫あきのしずくさん。光の健康診断や、霊石の検査などもこの人が担当しているらしく、今回は俺の検査業務を引き受けてくれた。美人な女性なのだが、いかんせん臆病な性格らしい。長髪の黒髪ストレートが美しいのだが、前髪で左目が隠れてしまっている。綺麗な顔を拝見しずらいのが残念だった。ヨレヨレの白衣を着た彼女は、俺と光の対面に着席して長机を挟んで向かい合った。

「なおった」

「やっぱり怒ってたんじゃねーか……」

 光に聞き取られないように、小声で呟いた。

 秋乃さんは苦笑しながら2枚のA4サイズの紙を机に広げた。

「えっとね、九条くん。右の方が君の霊石についての結果。左が、霊石を含めた肉体状況の結果だね。まずは霊石の結果から見てほしいの」

「はい」

 写真が一枚あった。心臓のレントゲン写真だ。特に石っころのようなものが見当たらないが……。

「あれ……霊石っていうのは……」

「九条くん、君の霊石は―――心臓だよ」

 目が点になった。隣の光に視線を移すと、彼女も珍しく口を半開きにして仰天している。

 固まった俺たちに、秋乃さんが優しい声で語り始めた。

「心臓がね、言ってしまえば、そもそもないの。九条くんには。普通のレントゲンだと、君が見たように心臓があるように見える。けれど、これは『心臓サイズの巨大な霊石』なの」

「……俺には心臓がない。代わりに、巨大な霊石があって、その霊石のエネルギーで生きていたってことですか」

「なぜこんな状態で生きているのか、申し訳ないけど、誰にも分からない。……ごめんね。これから検査と研究をやっていって、結果が出ればいいんだけど……」

 俺は自分の心臓のあるべき場所に手を添えた。心配そうに光が顔を覗き込んでくるので、大丈夫だと意味を込めた笑顔を返した。

「ただね、まだ異常な点が2つあるの。一つは、大きさ。普通、霊石はどんなに大きくても直径5センチあるかないか。『殺戮機械少女』の強さは、一説では霊石の大きさに比例するっていう考え方もある。ただね、これ、心臓と同じくらいの大きさなの。九条くんの拳くらいのサイズ。こんなに大きな霊石、歴史上初だよ」

「なるほど。2つ目は?」

「霊石には特殊なエネルギーがあるんだけど、そのエネルギー量が大きければ大きいほどすごい兵器化がしやすいの。エネルギー量が少ないと、再生能力も落ちちゃうから、身体を改造する限界が来る。でね、九条くんの霊石のエネルギー量が、Sクラス『殺戮機械少女』のエネルギー量の平均値より、3倍以上多いのよ」

「体内で銃器の製造ができるファースト、生体電気を強化利用できる光もめちゃくちゃな身体してますけど、俺はその3倍くらいやばい改造ができるということですかね」

「ざっくり言えばね。例えば、ファーストが君と同じだけの霊石エネルギーを持っていたら、陸上兵器の製造だけじゃなくて、爆撃機や核爆弾クラスの兵器を体内製造できたかもしれない」

「霊石が大きいと、霊石エネルギーも多いんですか」

「そういう考え方が有力だね」

「……とりあえず、霊石が心臓になっていて、でかすぎること。霊石エネルギーが多すぎるってことが事実である、と」

「そうだね。次に、そんな霊石を持った肉体全体の様子」

 俺は左に置いてあるプリントを見る。見たこともない計算式や専門用語だらけで全く分からない。

「九条くんの体内では、物質Nが霊石から生み出されている。生み出されたNは、主に血管を通って全身に充満しているの。それでね、ここからが覚えて欲しいところ。血管にはNが充満していて、外部からの強い衝撃を肌が感知すると一瞬で体温が3千度以上になる。もしかしたら、もっと熱くなるかもしれない。光ちゃんの電磁波バリアが効いていないときは、この点に気をつけて欲しい」

 ファーストにも似たようなことを言われたが、本当だったようだ。俺が彼女の攻撃を受けても、傷一つ負わなかった所以はここにあった。

「それで、物質Nは血管をパスして流れているから、筋肉に力を込めると込めた部分から漏れてしまうの。力を込めた場所から、水鉄砲みたいにね。九条くんには、この『漏れ方』の法則を掴んでほしい。一直線に漏れるパターン、拡散して漏れるパターン。いろいろなパターンが掴めれば、実戦では十分に効果的な攻撃ができるから」

「なるほど……」

「基本的にはこれだけかな。あとは、Nの性質をきちんと把握しておくことが大切。Nはそれ自体が空気に触れるだけで超高温物質になるけど、水と混じれば大爆発、火種を通せばとてつもない業火が生まれる。他にも、吸引するだけで致死性の毒ガスにもなるから。今度、Nの基本情報をまとめた資料を作ってお渡しするね」

「ありがとうございます。……やっぱり、力を入れるかどうかだったのか」

 感覚的に使い方を把握はしていたが、確かにNの漏れ方を正確に把握できなければ意味はない。光まで巻き込んだ攻撃をしようものなら取り返しがつかない。

「何か質問はあるかな」

「……あ。俺って飛べるんですか」

「飛行能力だね。んー、できるとは思うよ。ファーストも光ちゃんも、霊石エネルギーを足元に放出して、その勢いで飛んでいるからね」

「霊石エネルギーを放出……ジェット機とかロケットみたいに?」

「そう。目には見えないけど、意図的に霊石エネルギーを扱えるようになれば、同じようにできると思うよ。光ちゃんにやり方を教わっていけばいいんじゃないかな」

「飛んでみたい……。分かりました。飛べないといろいろ不利っぽいし、飛べるようになるのと、Nの漏らし方をとりあえずマスターしてみます」

「分かった。とりあえず今回の結果と、今後の訓練プランをメモしてアリス部長に提出しておくね」

「お手数をおかけしてすいません。これからもお願いします。俺も秋乃さんに専任で診てもらいたいです」

 俺は頭を下げて、秋乃さんにお礼を言った。

 秋乃さんは長い前髪をいじりながら、恥ずかしそうにする。

「そ、そんな。お仕事だし。全然、うん。任せてね、光ちゃんと一緒に、やってあげるから」

「秋乃さん、優しくって安心します。検査って怖かったけど、全然そんなことなかったっす」

「……ホント?」

「はい!! 綺麗な人に診てもらうのは男なら皆嬉しいですし!!」

「じゃあ、とりあえず結婚しようね。そしたらずっと診てあげるからね」

「分かりまし―――え?」

 何だか、脈絡のないワードがあった気がする。

 ケッコン、とかなんとか。

「ふ、ふふふ。三十路前の女に、綺麗とか優しいとかこれからよろしくとか言うって、もうそういうことだよね!! そうじゃなかったら残酷だもんね、九条くんはそんな人じゃないよね」

「え、えっと、秋乃さん?」

「九条くん、じ、実はね。まだ検査が残ってるの。ちょっとね、服を脱いでもらってね、下着だけで奥の部屋のベッドにいてね。私もすぐ行くからね」

「ま、待ってください、俺はそんなつもりじゃ―――」

「そんなつもりもないのに、おばさん褒めちぎったりしないよね。あんなこと言われたら、おばさん期待しちゃうの分かるよね。結婚したいってキュンキュンするの知ってるよね。……騙したの?」

「だ、騙す!? 何を!?」

「騙したのね。あはは。騙したんだ。九条くん、期待させて裏切られた三十路前の女を見るのが趣味だったんだ。死んじゃうなー、おばさん死んじゃうなー」

「なんで睡眠薬が出てくるの!? しまってください早く!!」

 白衣のポケットから取り出された透明のボトルには、大量の睡眠薬が入っていた。なぜ睡眠薬と分かったかというと、これ見よがしにボトルには睡眠薬の大きな文字がラベリングされていたからだ。

 俺はボトルを取り上げて、瞳の輝きが完全に消えているメンヘラ研究員から後ずさる。

「光。説明を」

「雫は優しい。けど、大学院で研究ばかりしていたら、気づけば恋愛経験ゼロのまま『アルカサル』に来て、ここでも研究ばかりしていたら完全に婚期を失って病んでしまった今年三十の女。気をつけた方がいい。男に見境ない獣。年下好き」

「俺は絶好の獲物ってか!!」

「付き合わないと死ぬって脅してくるから、気をつけた方がいい。皆怖がってる」

「そりゃ怖ぇーよ!! 俺も怖いもん!!」

 俺は光を連れて死んだ目をした秋乃さんから逃げ去った。専任での検査や診察をお願いした件は、アリスに言ってなかったことにしてもらおう……。なかったことになるよね……?

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