第三十九話 二人の世界を
絶え間なく響いたガトリング砲の轟音が、ロシアの雪原を駆け抜けていった。身体の原型は残らず、再生の予兆すらもなかった。
ようやく引き金から指を離したファーストは、息を一つ吐いて、戦いの終わりを示したようだった。
やってきた静けさに、俺もつい気を緩めた。
その時だった。
「霊石ってさ、心臓っていうか、実際は魂なんだよね」
雪原の上に転がっていた、赤黒い霊石―――反転霊石から声が響いた。目を見開いて硬直したファーストだったが、一瞬の沈黙の後、咄嗟にガトリング砲を反転霊石に突きつけて引き金を引こうとする。
しかし、そのファーストの手首に、そっと骨だけの左手が重ねられた。
溢れたのだ。
雪原の上に転がる赤黒い石から、ぶくぶくと炭酸が泡立つようにして、腕の骨が出現した。ファーストの手を掴んだまま、腕以外の全身の骨が、人の形を持って反転霊石から生成される。あっという間に肉がついていき、見てみると、ファーストの目の前には裸の少女が笑って立っていた。
「霊石はね、その存在を、肉体を形成する核。だからね、私の反転霊石の再生能力は、反転霊石さえ無事なら、一から復活することもできるんだよ」
乳房を隠す長い白髪。
刃物のように細められた赤い瞳。
「死なないんじゃなくて、死ねないんだよ。君がどれだけ強くても、この反転霊石がある限り、私の生は永遠なんだ」
ポキ、と枝が折れる音がした。
超人に掴まれているファーストの右手首から、その音は無邪気にも咲いた。ガトリング砲が雪原の上に落ちる。苦悶の顔を浮かべたファーストは、すぐに左手にショットガンを生成して超人の胸部に弾丸を撃ち込もうとする。
しかし、それはペットボトルを握り潰したような音と共に、無力化された。新しく咲いたのは、グシャリ、という文字通りの残酷な音だった。
ファーストは絶叫を上げた。
右手首が、粉々になったのだ。
握り締められた、それだけのことで。
「言ったよね。―――ブチ殺すってさ」
耳まで口を引き裂くようにして笑った超人は、そのままファーストの腹部に右拳を叩き込んだ。
爆風にでも巻き込まれたような、凄まじい吹っ飛び方をして、最強の『殺戮機械少女』は雪原の彼方へ転がっていく。
見れば、蛇口から水をひねったような勢いで、ファーストは口から血を流して震えている。
もう、立てないのだ。
たった一撃で、Sクラス『殺戮機械少女』が沈んだ。
「おお、やるねェ。咄嗟に左手のショットガンで拳を防いだんだ。もろに食らっていたら、即死だったね」
「っが……ぐぁ……」
「あはは。いいよいいよ。ブチ殺すんだから、何回かはぶたないといけないし」
ファーストに歩み寄る超人は、俺の顔を見ると足を止めた。いや、正確には俺の顔を見てから、俺の傷口に視線をやって立ち止まったのだ。
彼女は眉根を寄せて、顎に手を添える。
「んー、まずいな。哲人君、再生が追いついてないね。私の攻撃だから、まあ仕方ないんだけど。―――そのままじゃ死んじゃうよ。霊石エネルギーを使い果たして」
俺自身、違和感には気がついていた。
霊石エネルギーを全力で傷口に集中させているのだが、一向に治る気配がないのだ。傷口に送る霊石エネルギーが何かに打ち消されているような、そんな感覚があった。例えるなら、川の流れを巨岩がせき止めてしまっているようなイメージ。
恐らく、これが反転霊石の力による影響なのだろう。
「私の霊石解放に触れたからだね。反転エネルギーを存分に込めた一撃だから、体内で反転エネルギーが残っているんだよ。それが、哲人君の霊石エネルギーの流れを邪魔している。さっき、ファーストが私の反転エネルギーの流れを止めたようにね」
超人はファーストから俺に意識を向け変えた。
つま先が、俺に向いた。今度は俺のもとに歩み寄ってくる。
「まずいなあ。すぐに連れて帰って、哲人君の霊石を反転させないと、死んじゃうよ。一緒にいこうか」
「……ふざ、けろ。だったら、ここで死んでやる」
「だめだよ。君は私のものなんだから。一緒に幸せに生きるんだよ―――永遠にね」
目の前にまで迫ってきた超人は、ゆっくりと俺に手を伸ばす。しかし、そこで整った顔に風穴が空いた。発砲音の元を振り返ると、血を吐き出しながら転がっていたファーストが、怒り狂った獣のような目つきで超人を睨みつけていた。
その背中には、銃火器の翼が右側だけ生えていた。もう両翼を展開する力も残っていないのだろう。生えている片翼を構成する一部、一丁のスナイパーライフルから硝煙が上がっている。
「あひゃ」
グロテスクな笑顔と共に、顔に空いた穴を超人は塞いだ。
「君をブチ殺してから、哲人君はお持ち帰りコースかな」
「ま、待ってく―――」
「待つわけないじゃん」
俺の訴えも虚しく、一瞬で超人の少女はファーストの眼前に移動していた。反転霊石による循環状態を使っているのだろう。転がっているファーストの前に現れた怪物は、嗜虐的な笑みを浮かべて獲物を見下ろしていた。
「壊して食べて殺してきた。いっぱいいっぱい。我慢できないからだよ。楽しくて気持ちよくて、イッちゃいそうで仕方ないから、私はブチ殺すのが趣味だから」
そして、右手を開いて振り上げる。
頭をぺちゃんこに叩き潰す気だ。
「最高にイケそうなんだ。寸止めなんてあり得ない―――あヒャ」
頬を赤らめて、荒い吐息と共に、その一撃が振り下ろされる。
ファーストが、死ぬ。
その瞬間、赤い閃光が超人の胴体を貫いた。
一瞬で大爆発が発生し、超人が雪原の上を転がっていく。
見覚えのある、刹那の爆撃だった。
ファーストの後ろに、銀色の影を見つけた。サイドテールにした銀髪を腰まで伸ばし、愛用の白い革ジャンを身につける少女の姿。その右手はデコピンの構えを取っており、無表情な顔に埋め込まれたサファイアのような碧眼が、処理すべき対象を射抜いて離すことはない。
世界で一番目に作られた最強の『殺戮機械少女』を救ったのは、世界で二番目に作られた『殺戮機械少女』だった。
「借りは返した。ファースト」
橘光。またの名は、セカンド。
最強の光学兵器が、ロシアの銀世界に現れた。
「遅くなったね。パパ」
雪を踏みしめて目の前に現れたのは、未来からやって来た俺の娘、千凪だった。黒いコートに身を包んだ彼女は、俺の身体を抱き起こして肩を支えてくれる。
「さあ。一旦離れるよ。僕達も巻き込まれる」
「……なに、にだ」
「ファーストの霊石エネルギーがロシアの『トリグラフ』のレーダーに引っかかった。結果、未確認のエネルギーも同時に確認されて、国連全てのSクラス機体が今ここに集まってきている」
「……そういう、ことか」
千凪の目論見に予想がついた。ずばり、超人の存在を国連に正式に認めさせて、『方舟』を「世界共通の敵」として認知させたかったということだろう。
そのためには、誰かと超人をぶつけて発見されるように仕向ける必要がある。ただし、これには条件があった。超人と一定以上の戦いができるだけの強い機体でなければならない、という点だ。
また、超人や『方舟』のことを理解している機体の必要性もある。『方舟』の存在を知っているのは、現状、『アルカサル』メンバーのみである以上、超人をおびき出して戦闘を行える機体は光しかありえない。もしくは、『アルカサル』に協力しているファーストだけだった。
千凪は、大命をファーストに委ねた。
ファーストは手紙に書かれた三つ目の内容によって、その役目を受け入れて超人と戦い、ロシアが超人の存在を捉えるまで時間を稼いだのだ。
「……一発、ぶん殴るからな」
「だから言えなかったんだ。ファーストを囮に、超人の存在を国連に察知させようだなんて。パパはきっと反対する。止められる」
「他に、方法は……あったはずだ」
「ないさ。僕の世界では、『方舟』を『アルカサル』だけでどうにかしようとして、結果的に敗北した。未来を変える方法はただ一つ―――世界中のSクラス『殺戮機械少女』の協力を得る、ということだと未来で僕たちは考えた」
「……たち、ねえ」
沈黙する千凪は、否定しなかった。
俺はぼうっとする頭で独白を続ける。
「俺と、ある人の願いでお前はこっちに来た。―――ある人が言ったのか。ファーストと超人をバトらせて、国連から超人と『方舟』を認知させろって……」
「ああ。そうさ」
「光にだって頼めたことだ。それをお前は最初からファーストに決定してファーストを囮にした。そんなもん、未来であらかじめ囮役を決めていたからに違いねえ」
「僕を恨むかい」
千凪は伏し目がちになって、ポツリと言葉を漏らした。
「……お前にはお前の事情がある。一方的に責めはしねえよ」
未来の俺は、その計画をよく了承したものだ。今の俺には、到底受け入れられるものではない。
ファーストは死にかけた。
あと少し、千凪と光の到着が遅ければ、確実に死んでいた。
「ありがとう。とにかく、お叱りは後だ。今は、さっさとこの場を離れるよ」
「どうやって」
「ロシアから未確認の霊石エネルギーをキャッチした報告が国連の全秘匿国防組織に通達された。だというのに、どこの機体よりも早く、僕と橘光がこの現場にたどり着けたのはなぜだと思う」
「光速移動型兵器……」
千凪の能力が、光の速度による移動であることを思い出した俺は、思わず呟いてしまった。頷いた千凪は、俺を背負うために膝を折って屈んだ。
「御名答。さあいくよ、パパ。パパの存在まで世界に認知されるのは避けるべきだ。あの超人の狙いもパパのはずだし―――」
言葉が途切れた。
千凪の口が固まった理由に、俺は十分な心当たりがあった。先ほどの一瞬では気づかなかったのだろう―――俺の傷口がまったく治癒できていない事態に。目を見開いた千凪は、何かに気づいたように自分の右手に視線を落とした。
彼女は、小さなため息を吐いた。
千凪の指が、雪原を透かしている。手が、半透明になりつつあるのだ。
「超人の存在を国連に知らしめたところまでは御の字。だけど、これはよくないな。パパが死にかかっているから、僕の存在までなかったことになりつつある」
「……俺が死ねば、やっぱりお前も消えちまうのか」
「そうだな。存在しなかったことになる。ひどい証明のされ方だが、これで改めてはっきりしただろう―――僕は、あなたの娘なんだよ、パパ」
「ハナから疑っちゃいないよ」
苦笑いを返して、俺は雪原に膝をつく。
万事休す。ここで俺だけ戦線離脱して超人から逃げれば、世界中のSクラス『殺戮機械少女』が超人と戦うことになる。勝ち目があるかは分からないが、少なくとも超人の存在と『方舟』の存在を国連が認知して、今後の戦いにおいて世界中のSクラス機体の協力が求められるだろう。
だが、俺は死ぬ。俺が生き残るためには、恐らく超人の少女が言ったように、心臓の霊石を反転させて超人になる必要がある。しかし、それでは『方舟』の思う壺であり、未来において最も避けるべき展開だろう。
くわえて、俺が死ねば千凪も死ぬ。
俺の命は、俺一人のものではないのだ。簡単に死ぬことを受け入れるわけにはいかない。
千凪も葛藤しているのだ。
俺を連れて逃げれば、俺は傷口の修復ができずに霊石エネルギーを使い果たして死ぬ。しかし、ここに残っていれば、超人にさらわれて霊石を反転させられるかもしれない。
「哲人君。早く行こう。そのままじゃ死んじゃうよ」
「……」
光の攻撃も実際の意味はない。あれだけの爆撃を食らっても、綺麗な裸がそこにはあった。怪物は長い白髪をかきあげて、ニヤニヤと笑いながら俺のもとに歩を進めてくる。
「反転霊石にすれば、全部元通りだよ。さっきの私みたいに、肉体を一から再生させることもできる」
「……そいつは、嬉しいね」
「だよね。だからさ、一緒に帰って、超人になろう。そして、治らない身体なんて一度壊して、もう一度全身を創り直せばいいよ。そうしたら、今度こそ私と一緒に―――」
はじめて、見る顔だった。
歩を止めて、怪物は呆然という様子で立ち尽くす。その視線は、珍しく俺の顔ではなく、目ではなく、胸部に対して注がれていた。
世界は分岐路に立たされている。俺が超人になって、自分の命を守る世界か。千凪と一緒に死んで、方舟から未来を守る世界か。
二者択一である。
しかし、そこに新たな世界線の花が芽吹いた。
「そっか。お父様、そういうことだったんだ」
「……?」
超人はボソボソと独り言に夢中になっている。俺の心臓を一点に見つめながら、無表情のまま雪原に右足の踵を叩きつけた。
鼓膜を突き破る轟音を上げて、雪原がクッキーのように割れた。視界に広がるだけの大地が、雪を割れ目に滝のように落としていきながら二つに分断されていく。
「なァーんだ。嘘だったんだ。私と哲人君が、永遠に一緒にいられるっていうの」
「……な、なにを言ってるんだ、お前。さっきから」
「ああ、ごめんなさい。怖かったよね。でも、もう大丈夫。私、これ以上はお父様に付き合えないなァ。これは許せないからなァ」
怪物は頭をガシガシと掻きむしり、大きなため息を吐いた。
何だ。
何か、彼女にしては珍しい、怒りの感情が伺える。
「哲人君を超人にするのは、なるほどそういうことだったのか。私と哲人君で超人一族を作るっていうのは、『ついで』の目的だったのかな」
「……」
「ってことは、私は用が済んだら消されるんだろうね。哲人君がいなくなったら、私が許さないことをお父様はよく知っているはず」
「……君が、『方舟』から消される?」
「うん。ファーストには礼を言うよ。彼女に追い詰められなかったら、私はお父様の目的に気づかなかったかもしれない。まあ、無関心すぎた自分の責任もあるか」
超人はパンと両手を叩いた。
ファースト、光、千凪を順番に見ると、微笑みながら宣言する。
「君たち、ブチ殺さないであげるよ。『方舟』を倒すために、これからも頑張ってね」
「……どういう意味だ、怪物」
千凪が眉を潜めて言葉を返す。
『方舟』の刺客が、『方舟』を倒す俺たちを見逃そうと言い出したのだ。先ほどまでは、笑って殺しにかかってきた脅威の荒波が、波紋一つない穏やかな水面に変わった。
「言葉通りさ。私は『方舟』に協力しない。やめた」
「なぜだ。僕達がにわかにそれを信じられるわけがない」
「私はね、哲人君と一緒にいたいんだ。ただ、それだけ。それを叶えるためには、私は個人的に行動せざるを得なくなった」
だから、と続けた超人は姿を消した。
一瞬で俺の目の前に現れると、舌を出してぺろりと頬を舐めあげてきた。超人は自分の胸部に手を突き刺して、赤黒く発光している石を抜き取った。
そして、ご馳走を前にした肉食獣のような顔で、俺を覗き込んで呟いた。
「二人だけの世界を作ろう。私と君以外、なぶって殺して食べるだけの世界を」
最後に見たのは、そう言って笑う怪物の顔。
直後に、熱い接吻を交わされる。
そして、感じたのは右胸あたりへの異物感。超人の抜き取った反転霊石が、俺の肉体へと埋め込まれたことを理解する感覚だった。