第三十八話 純粋な殺意
咄嗟に循環状態を発動して飛び出したおかげで、なんとかファーストを守ることはできた。しかし、代償が大きすぎる。胸部から腹部の半分が消えており、溢れ出てくる血と臓物をぼんやりと見下ろしていた。
ファーストが背中から抱きかかえてくれている。
笑えるほどに力が入らない。
「哲人君。ぎりぎりだったよ」
俺を見下ろしてくる超人の少女は、いたずらでもした子供でも叱るような様子だった。
「飛び出しちゃダメだよ。咄嗟に手を抜いたからその程度で済んだけど、危ないじゃん。でも―――」
ファーストに抱きかかえられている俺の前に、膝を曲げて座り込んできた。そのまま俺の落ちていった肉片を拾い上げると、何の抵抗もなく、それを口にしてしまった。
目を細めてうっとりと笑う怪物は、俺の頬に手を添えて言った。
「―――最高だよ。やっぱり、哲人君はこの世で一番美味しい食べ物だね。見て良し、触って良し、食べて良し。私だけのダーリンだよ」
全身が熱っぽく、意識が朦朧とする。
食われている。美味しそうに、無邪気に、俺の落ちていく血肉を拾っては口に詰め込んで笑っている。
俺は、ファーストだけでも逃がさねばならないと思った。だから、無理に首を動かしてファーストに振り返る。
「っ」
そして、息を飲んだ。
ファーストの瞳が、目の前で俺の血肉を貪る怪物を捉えて離していなかった。ねっとりとした、粘着質な殺気が飛んでいる。どす黒い瞳は、一切ぶれることなく標的をロックオンしている。
俺が声をかけようとした、直後だった。
パァン!! と、遠くで銃声が響いた。同時に、超人の少女の側頭部から血が吹き出してバタリと倒れる。そんな彼女を無視して、ファーストは俺を抱き上げて立ち上がった。
当然、俺を連れ去ることを超人は許さない。
「ちょっとちょっと。私のなんだけど。返し―――」
立ち上がりながら喋る超人だったが、その膝が銃声と共に一瞬で砕け散った。ガクンと崩れ落ちた彼女は、怪訝そうな目で遠くの雪原を見る。
「……あはは。これはすごい」
笑った超人は、壊れた膝を再生させて、再び立ち上がる。すると、面白いくらい簡単に再び膝が破壊される。どさりと倒れて、ニヤニヤと笑いながらファーストの背中を見つめる怪物は言った。
「冗談だよね。まだここまでの製造能力があるんだ。くわえて、私の頭蓋骨や膝、急所を確実に撃ち抜く精密射撃を一キロ先から遠隔で行える」
「……」
「スナイパーライフルかな。それも結構な重いやつ。ざっと二百近いライフルが私の周囲を一キロ先から完全に包囲しているんだね」
「……」
「強いなあ。さすがに強い。『殺戮機械少女』の中じゃ、君が最強かもね。霊人でもないくせに、霊石エネルギーの使い方もうまい。無駄なく、必要量だけを扱えているみたいだ。うーん、殺すには惜しいくらい強いなあ。もうちょっと泳がせたら、もっと遊べるおもちゃになるのに」
「私ね、基本的にどうでもいいの」
ファーストは俺を離れた場所の雪原にそっと置くと、超人の話を遮って呟いた。
俺を不思議な目で見つめてくる。
そっと頬に手を添えられた。先ほどの怪物の手は気味が悪いほどに冷たかった。荒々しいほどに、痛みすら感じるほどに冷たい手だった。対して、ファーストの手は冷たいが静かな冷たさだった。まるで、粉雪が優しく降り積もっていくような、穏やかで綺麗な肌触りだった。
「殺すとね、気分がよくなるのよ。だから、別に殺すのはどうでもよくて、問題なのは私が気分よくなれるかどうかなの」
「私もブチ殺すのは大好きだよ。気が合うね。けどさ、仲良くなれる共通点は別として、さっさと哲人君から離れてくれるかな。―――ブチ殺すよ」
「だからね、あなたと違って楽しくはないの。虚しい満足と興奮があるだけ。純粋な楽しいという感情には程遠いわ」
「どうでもいいから。離れてよ。ねえ」
「純粋な感情。楽しいは最近、よく感じるの。それを守るために、今こうしてここにいる」
「あー」
「ただ、ここにいる理由が、たった今変わったわ。予定変更」
「もういいや。死のうか」
怪物が一歩踏み出した。
対して、ファーストは俺を見つめたまま告げた。
「純粋な殺意。あなたは今ここで、確実に殺すわ」
驚愕の現象が炸裂した。
血を流したのだ。口から。雫のような量だが、それでも間違いなく超人の少女が血を口から流した。
一番不可解な表情をしているのは、超人の少女だった。はじめて見る生き物に触れるように、伝っていく血を慎重に指先で拭うと、ランランと瞳を輝かせてファーストを見ていた。
「どォいうこと。なにこれ」
「霊石をプラスとすれば、反転霊石はマイナス。生の力と死の力。当然、生は死に向かう以上、霊石エネルギーでは反転霊石エネルギーには敵わないのでしょう。けれど―――」
ファーストは右手に大きなハンドガンを出現させて、振り向いて怪物に銃口を突きつけた。
「―――死に向かう力に対して、生きる力を混ぜたら、それはそれでよくない影響が出るのね」
「さっきのライフルの弾丸を、高純度の霊石エネルギー仕様にしたんだ!! なるほどねェ、異物感半端じゃないよォー!! 回復にすっごい時間かかるねェーこれ!!」
子供のようにはしゃぐ怪物は、撃ち抜かれた膝をさすって、目を見開いて第二の驚きを得たようだった。
「霊石エネルギーを込めた弾丸を、私の血管に正確に着弾させている。だから、私の血管を流れる反転エネルギーを君の弾丸から溢れる霊石エネルギーが一時的に阻害するのか。へえ、こうなると回復力が少し落ちるんだ。霊石エネルギーの処理に反転エネルギーが使われて、肉体再生の力が落ちるってことかな」
「あら。やっぱりそうなのね。良かったわ、運任せの攻撃だったから」
「ん?」
ファーストはハンドガンの引き金を連続で引いた。リズムよく響く発砲音の後に、超人の少女は再び膝をついて雪原に座り込む。
「反転エネルギーが血管を通っている、と言ったわね。あなた、やっぱり心臓が反転霊石なのね。霊人と同じ仕組み、ということでしょう」
「あ。そっか、反転霊石が心臓かどうか、知らなかったのか。まずいなあ、口は災いのも―――」
ごぽり、と超人の口から今度こそ大量の血が吐き出された。見るからにダメージとして効いていることが分かる。
ファーストは、超人の少女が霊人と同じで、反転霊石を心臓としている可能性にかけた。そして、霊石エネルギーをたっぷり込めた弾丸を超人の血管に撃ち込むことで、血管を通る反転エネルギーの流れを妨害したのだ。
ファーストはそれを簡単そうに成し遂げたが、どれだけ難易度の高い戦法だっただろうか。
「うわ、すごいね。今のも全弾、的確に血管の中に撃ち込めるんだ。最初の翼の攻撃とか、ガトリング砲の攻撃は、血管に弾丸を埋め込むだけの威力調整の目安だったのかな」
超人もまた、俺と同じ気持ちらしい。
超人の少女の血管に弾丸が埋まるように、製造する銃火器の威力を調整して製造する。そして、確実に血管へ着弾させる狙撃能力が必要不可欠になる戦い方だ。
超人の少女が言ったように、霊石エネルギーを使った銃火器の製造と使役の能力が、達人レベルで高すぎる。
「あひゃひゃひゃ!! ぜーんぜん血が止まらない。回復しないじゃん。循環状態が血管内の弾丸のせいで機能しない。私の天敵かもなあ」
そんなことを言いつつも、超人はフラフラと起き上がってみせた。あれくらいのダメージでは、機能停止にまでは至らないようだ。
「やっぱり君は殺すべきだね。血管内に阻害物を埋め込む神業、君以外には不可能な芸当だ。言い方を変えれば、君さえ殺せば、他のSクラス『殺戮機械少女』に警戒の必要はないし、計画も簡単に進むか―――」
絶え間ない発砲音が炸裂する。散歩でもするように超人のもとへ歩いていくファーストが、右手のハンドガンの引き金を引きまくっているのだ。再生することなく、フラフラと後ろに下がりながら弾丸を埋め込まれる超人だったが、ついに奥の手を発動させた。
黒いエネルギーが首元の傷から溢れ出てくる。
反転霊石の解放だ。もう俺は盾になれない。
あれを食らえば、確実にファーストは死ぬ。
(……え?)
しかし、俺の緊張の糸が、複数の発砲音によってかき消された。見れば、超人の首から溢れていた反転エネルギーが増幅せず、霧が晴れるように消えていく。
超人の胸元に弾丸を撃ち込んだファーストが、どうでもよさげに言った。
「反転霊石が心臓で、血管を通して反転エネルギーが送り込まれる。その黒いエネルギーが反転エネルギーなんでしょう。だったら、反転エネルギーが溢れた場所に心臓から伸びている血管部分を破損させれば、血管からの反転エネルギーの供給は止まる」
背中から倒れていく怪物は、呆然とした顔でファーストを見つめていた。対して、ファーストはやはり事務的な口調で攻略法を解説する。
「くわえて、今のあなたに超速再生の力はない。だから、その反転エネルギーを使った大技は、簡単に無力化できるのよ」
「……強いなあ」
笑いながら言葉を返した超人は、仰向けで倒れたまま動かない。近寄ったファーストは、持っていたハンドガンをその辺に投げ捨てる。そして、右手で指を鳴らすと、全長五メートルを超えるガトリング砲―――GAU-8 Avengerを生み出した。それを軽々と片手で持って、銃口を超人の胸部に至近距離で突きつける。
「今から全身を肉片に変えるわ。そして、中にある反転霊石を拾い上げる。肉体から完全に反転霊石が抜き取られれば、心臓を持たない肉体は滅ぶだけ」
「ああ、それはさすがに死んじゃうね」
「なら良かった。私、あなたが死んでくれないと―――気が済まないのよ」
最強の航空機関砲が回転する。
それは反転霊石の発掘作業が始まる合図だった。