第三十七話 美しさと殺意
超人。
生命エネルギーを発する霊石が反転した、反転霊石をその身に宿す不死身の生命体。その反転霊石からは死のエネルギーが満ち溢れており、死のエネルギーによって生存することのできる特異体質を持つ。死を栄養とすることから、あらゆる攻撃が無意味になる。それは、先日のログハウスにおいて、彼から一応の説明を受けていた。
「『モード・フルオート』」
唱えて指を鳴らす。出し惜しみをせず、翼として展開していた全ての銃火器の引き金を引いたのだ。数百の銃火器からの砲撃は一瞬で超人を覆い尽くし、無限の弾丸と爆撃の豪雨が降り注がれた。
まずは、その不死身の肉体とやらが、どれだけのものなのかを判断させてもらおう。
雪原をえぐりにえぐった結果、雪煙がそこら中に広がった。自然に晴れていくのを待つ。すると、そこには恐竜の大行進でもあったかのように、クレーターだらけになった見る影もない雪原が広がっていた。
「いいね、ファースト。楽しめそうだ」
そして、雪原には口を引き裂いて笑う少女がいた。全身を蜂の巣のように穴だらけにして、上半身を半分ほど欠損させた少女は、血にまみれながらニヤニヤと笑っていた。
しかし、瞬きをした直後、その全身は元の状態に戻っていた。
さすがに息を飲んだ。これほどの超速再生が可能だとは思っていなかった。スペックが想像の遙か先を超えている。
「あらゆる銃火器による、無制限の大火力攻撃。それぞれの銃器によって、破壊力もスピードも攻撃間隔もバラバラだから、相手に読まれることはない。くわえて、君自身は遠く離れた場所で待機できるから安全だね」
「ご丁寧に講評をどうも」
「私とやるには、なかなか相性がいいよ。近接型は五秒ともたないからね。加減ができなくて困っているんだよね」
「反転霊石、だったかしら」
「んー、なんでそこまで知ってるんだろうな。とりあえず、手足をもぎ取って、久々にだるまにしようかな」
超人の少女のドレスが、吹いてきた風に揺れる。
しかし、少女が右手をゆっくりと開くと、ドレスは急に大人しくなった。
全てが静かになる。
大海原の真ん中、深い深い海の底にでもいるような絶望感が、私の全身を支配した。
「『循環状態―――反転』」
少女が何かを呟いたと同時に、私は行動を起こしていた。無意識だった。幾度の戦場を生き残り、研ぎ澄まされた殺し合いの第六感が、勝手に身体を動かしたのだ。
咄嗟に霊石エネルギーを全力で使って、戦闘機に積むガトリング砲―――航空機関砲を五十門、超人と自分の間の空間に製造・配置する。
しかし、防壁のための航空機関砲五十門の設置が完了した瞬間、全てが木っ端微塵に吹き飛んでいた。眼前にあったのは、耳まで裂けた凶悪な笑顔。右手で私の左腕を掴むと、扉でも開くような調子で引っ張ろうとする。―――腕が、取られる。
馬鹿な警戒だと思った。腕を引っ張るだけで抜き取れるわけがない。そう自分に語りかける理性的な自分がいた。しかし、それを私は全力で無視した。
理性で考えるべきではない。
今は殺し合いの最中。理性ではなく、本能に従うべきだ。私は掴まれて引っ張られる引力に逆らわず、少女の傍に一歩近づいた。少し目を丸くした少女の頭上から、生やしていた翼の銃撃を浴びさせる。狙いは、私の左腕を掴んでいる右手だ。白の絵の具でベタ塗りしたように真っ白な細腕をライフルが撃ち抜いていき、肘から先が吹き飛んだ。
私はすぐに後方へ飛ぶ。
同時に、先ほどの密着時の間に仕込んでいた罠を発動する。
「『モード・ガトリング』」
超人の斜め後ろ左右に製造・設置していた、全長五メートル程の特別大きな航空機関砲―――GAU-8 Avengerが始動した。アメリカ軍の航空機搭載機関砲のなかでは最大にして最重、そして最強の破壊力を誇る極上の一品。対戦車攻撃によく使われていて、30mm弾を高初速・高回転で炸裂させる。
紛う事なき、世界最強の航空機関砲である。
その絶え間ない銃撃を背後左右からくらい続ける超人の少女は、十秒と立たずに全身がバラバラになっていく。しかし、私は攻撃の手を緩めなかった。
死なないのなら、殺し続けるしかない。
何度も何度も回復させて、回復の作業を永遠化してやるしかない。激しい銃撃の嵐の中、血飛沫の撒き散らされる雪原の上で、ボロボロになっていく肉塊が笑い声を上げた。
「あひゃ、あっひゃはははははははははははははははっっ!! 銃器の製造速度が半端じゃないね!! 製造可能な銃器のレベルも高い!! 君をブチ殺せたらァー、絶頂できそうだァ―――あははははははははははは!!」
「あらそう。殺すのが好きなのね。でも、残念」
「―――っ」
肉塊になっては再生し、肉塊になっては再生する少女の周囲一体に、お望みのGAU-8 Avengerを百門設置する。最強の航空機関砲を百門製造するのに、私は一秒もかからない。
さすがに驚いたのか、超人の少女は目を見開いてこちらを見つめてきた。
「『エターナル・ガトリングフィールド』」
指を鳴らして、撃鉄を鳴らす。
30mm弾を毎分3,900発、1,200mの有効射程距離から発射できる最強の機関砲。それを百門、破壊対象の半径五メートルに円形に設置して始動させた。
つまり、戦車などの重機を破壊する30mm弾が、毎分40,000発も至近距離で永遠に全方位から降り注ぐということだ。
不死であろうと。永遠に回復しようと。
より永遠に、死に続けることを強制する、銃殺地獄の完成だ。
鼓膜を突き破るような轟音の中、ピクピクと痙攣するだけになった肉塊を見て、つい本音を漏らした。
「私も殺し合うのは好きだったんだけど、最近はコーヒーを飲んでいる方が楽しいのよ」
勝負あった。
この無限ガトリング砲地獄は、私の霊石エネルギーを全て使えば、残り三十分は維持できるはずだ。戦闘をはじめて十五分。莫大な霊石エネルギー利用して強力な銃火器の製造を連発した。となると、三十分も足止めできれば十分だ。
私は振り返って、洋館のニ階にいる人影を見る。窓から顔を出す彼に手を振った。すると、彼もほっとしたように大きなため息を吐いていた。
本当は、参戦したかったはずだ。
私の命を彼は無下にしない。他者の命を奪うことで、兵器として生きる養分にしてきた。そんな、死神よりもたちの悪い私の命だけれど、彼は大切にしてくれる。
だから、死にたくない。
もう少しでいいから、彼と一緒に、なんでもない日常の中に浸っていたい。きっと最後の、私に許された幸せだから。人としての、少女としての私として生き直せる、唯一の居場所だから。
こんな残酷でくだらない私を許してくれる、最後の人。あなたと共に生きられない未来を許せなかった。そして、私は未来に打ち勝った。これで私は暗殺されず、彼もまた『方舟』に超人化させられる可能性が大きく下がったはずだ。
彼から、自分の左腕に目を向ける。
(あの時……腕を掴まれた時……判断をミスしていれば、間違いなく私が殺されていた)
賭け事に近い勝負だった。
それでも、勝ったのは私だ。左腕に落としていた視線を再び彼に上げると、その表情が実に奇妙だった。口を大きく開けて、呆然としているのだ。咄嗟に指をこちらに向けてくる。しかし、私はその行動の意味するものに気づけなかった。
とりあえず、彼の突きつけている方向、背後に視線を向けようとした。しかし、その時、視界の端に『見てはいけないもの』を見てしまった。
どす黒い大蛇が、私の真横を通っていった。
禍々しく、毒々しい、黒の光だった。
深海の闇が命を得てはしゃいでいるように、無邪気な黒いエネルギーがそこら中の雪原を跳ね回っていた。
遅い、とは分かっていた。
だが、その黒い光の根源を見ずにはいられなかった。怖いもの見たさだったのか、脊髄反射による行動だったのか、それは分からない。しかし、間違いないのは、振り向くことなどせずに全力で逃げるべきだったということ。
最強の航空機関砲による集中豪雨の中に、真っ赤な水たまりが出来上がっていた。肉体の原型などない肉の塊から、墨汁でも溢れるように黒いエネルギーが漏れ出ていた。
「『霊石解放―――反転』」
銃撃の音で、何も聞こえなかった。彼の忠告の声が、何も。聞こえていたら、回避に移れたのだろうか。無事だったのだろうか。今となっては分からない。
死ぬ。
それだけは、しっかりと理解できた。
ああ、全て。後の祭りだ。
最初に抱いた感情は、落ちていく海の夕日を見るような思いだった。はかないからだろうか。消えていく命が美しいからだろうか。思えば、半世紀前の戦時中でも、文学や絵画などの文化物から戦死することを美化する運動があった。若者は日本のために死ぬことを、桜が散るように美しいことだと思い込まされた。戦争賛美の運動によって、人は人を殺すために躍起になった。
ある作家がいた。詩を作っていた。
彼は戦争賛美の文学を作ることで、人々を戦地に赴かせ死なせたことを後悔していた。
わが詩をよみて人死に就けり
爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
電線に女の太腿がぶらさがつた。
死はいつでもそこにあつた。
死の恐怖から私自身を救ふために
「必死の時」を必死になつて私は書いた。
その詩を戦地の同胞がよんだ。
人はそれをよんで死に立ち向つた。
その詩を毎日よみかへすと家郷へ書き送つた
潜航艇の艇長はやがて艇と共に死んだ
本は好んで読まなかった。それでも、私のような兵器ではなく、ただの人間に対して戦場に美意識を見出させて突撃させた者の後悔に興味があった。私のような殺戮兵器を作るに至った戦争とは、どのようにして出来上がりどのようにして加速化したのか、気になって仕方なかった。だから、その男の本は全て読んだ。ああ、こうやって人間は人間を戦地に赴かせて、戦争を作り上げていくのかと、理解はした。
あの作家にとって、死はいつでもそこにあった。死の恐怖から自分自身を救うために、戦争賛美の詩「必死の時」を書いた。結果、人はその詩によって死に立ち向かう勇気を、生き方の美しさを得て、はかなくも散っていったのだ。
理解はした。しかし、納得はできなかった。
私は命に十分な価値を見いだせなくなった。敵兵の命などもちろん、自分の命すら、家族の命すら、何も感じることはなかった。戦場で死ぬことに、命が散ることに、感動などありはしない。心に響くことなどありはしない。
だが、どうだ。
目の前で、私の前に両手を広げて立っている青年の姿は。
上半身の左半分を失い、臓物を雪の上にこぼしていく背中は。
どうしようもなく、きれいだった。
涙で何も見えなくなるくらい、悲しみが溢れて止まなかった。
心が、感情が、動いたことを自覚した。
(ああ、そういうこと)
ふらりと、私の胸に崩れ落ちてきた背中を抱きとめる。虫の息だった。すぐにでも死んでしまうことが分かる、大怪我だった。傷口に淡い光が灯っていた。霊石エネルギーだろう。霊人である彼は霊石を心臓としており、霊石エネルギーが血管を通って損傷部分の修復を行おうとしているのだ。
しかし、これは助かるのだろうか。
上半身の半分が、完全に消えていた。蛇口で水をひねったように、ドバドバと血が溢れていく。
死んでしまう。
私を庇って、死んでしまう。
(誰かのために戦場で散る命。そんなものを美しいなんて感じたことはなかった)
人間たちは、戦って死ぬ命に心を動かされていた。それを利用されて、戦争賛美の術中にはまり、戦争は激しくなった。人の命に価値がないと分かっていた私には、何一つ共感できない文化だと思っていた。
それでも、それが人間だ。
人間は人間の死に涙する。大切な人の命を守りたいから、戦場に散ることも躊躇わなかった。その行動原理は、命に価値を見出して動くことは、きっと間違ったことではなかった。その人が人を大切に思う心の仕組みを利用した、戦争賛美のやり方が悪質だっただけで、きっと人の心そのものに問題はなかったのだ。
ぎゅっと抱き寄せた彼の命が、弱まっていくのを感じる。
守ってくれて嬉しかった。けれど、同時に悲しかった。
私のために死んでほしくないと思った。
私の心は、私のために死にゆく命を前に、大きく揺らめいていた。
(あなただから。あなただったから、私は泣いている)
あなたじゃなかったら、私は泣けていただろうか。感動―――悲しいとか、嬉しいとか、死んで欲しくないとか、感情に心は動いたのだろうか。
散りゆく命に、悲しくて不幸な美しさを見出せただろうか。
(考えるまでもない)
溢れる涙は、その答えを教えてくれていた。
私は数え切れない命を奪ったが、泣いたことはない。大切だったはずの家族の命すら、病に散っても涙を流さなかった。
流さなかったのか。
流せなかったのか。
そんなことすらも、やはり分からない。しかし、ただ一つだけ、はっきりと分かることがある。
あなたの死には、涙を流さないなど無理だった。
あなたの命には、涙を流せないわけがなかった。
見上げると、ボロボロのドレスを着て笑う少女がいた。じっと見つめて、その顔を死んでも忘れないように脳裏に焼き付けて、私はボソリと呟いていた。
「―――ぶっ殺してやる」
いつぶりだろうか。
相手の命に奪うだけの価値を見出して、殺意のままに戦うなんてことは。我を忘れて、銃を手に取ったことは。
「必死の時」 作者・高村光太郎