第三十四話 兵器は少女に、少女は兵器に
「……事情は把握したわ。それで、あなた、これからどうするの」
千凪が未来からやってきたこと、未来では超人一族以外が滅ぶこと、俺を『方舟』が狙っているから反転霊石の作り方を把握すべきこと、事の真相を全てファーストに話してやった。
返ってきたのは、抽象的な質問だった。
俺は首をひねって答える。
「どうって……。反転霊石の作り方を暴くんだ。具体的なプランはさすがに今はない」
「前提がおかしいわ。なぜ、『方舟』を敵に回して危険を背負いながら、反転霊石の仕組みを暴こうとしているのよ」
「はあ? そりゃお前、奴らを潰さなきゃ未来が―――」
「変わらないから、とでも言うつもり」
「そうさ」
ファーストは大きなため息を吐いた。
嫌悪感すら感じられる視線を千凪に向けて言葉を続けてきた。
「呆れた。あなた、その未来から来た機体を信用しすぎ。私は、その子が『方舟』の刺客で、あなたを『方舟』と戦わせることを促すために嘘をついていると思っているわ。信じるにはリスクが大きすぎる。疑って『方舟』から距離を取るべきよ」
「……まあ、その可能性はなくはない、けど」
「その可能性の方が大きいのよ。どうして反転霊石のことや『方舟』の事情に、そこの小娘は詳しいのかしら。連中の刺客だと考えた方が納得いくわ」
チラリ、と俺は膝の上にいる娘を見た。ファーストの言い分は理解できる。
「大体、超光速移動型兵器というのも怪しいところよ。未来から来たなんて嘘をついた、全く別の能力を持った『方舟』の機体かもしれない」
「……まあ、な」
「あなた、無警戒すぎるわ。さっさと膝からそれを下ろしなさい」
ファーストがたしなめるように言うと、俺が言葉を返すより先に千凪が口を開いた。
「相変わらずだね、殺し屋ファースト。世界で最初に生まれた『殺戮機械少女』だっけ」
「知った風な口をきかないでくれるかしら。―――殺すわよ」
呼吸が無意識に止まった。ファーストのさらっとこぼした一言には、眉間に銃口を突きつけられるような力があった。黒い瞳には何も映していない。千凪に対して、何の感情も抱いていないのだ。本当に命を奪えるだけの目をしている。
ファーストは殺し屋だ。
躊躇なく、男も女も関係なく殺せるだけの少女だということは、俺が一番よく知っている。
漆黒の瞳は、既に千凪の命を奪うことを良しとしている。それが十分に伝わってきたのだ。無機質な殺戮兵器として、破壊すべき対象をいつでも攻撃できるようにロックオンしているのだ。
「おお、怖いね。未来じゃもう少し丸くなっているんだが」
ファーストの殺意の照準は、千凪を捉えて離さない。対して、千凪はまったく無警戒のまま言葉を返した。
その瞬間だった。
俺は咄嗟に千凪を抱きしめてファーストに背中を向けた。銃声が轟き、俺の頬をギリギリで弾丸がかすったことが分かった。
先ほど、千凪の頭のあった位置を正確に撃ち抜いてきた。ファーストの背中から生えている翼の中に硝煙をあげているライフルが一つあった。―――本気で殺しにかかったのだ。
「おいおいおい、さすがにやり過ぎだ、ファースト」
「言ったはずよ。知った風な口を聞けば殺すって」
俺が冷や汗を流しながら言うと、ファーストは俺ではなく千凪を無機質な目で見つめたまま言葉を返してきた。
「やめろ。待ってくれ、頼むから」
「だめよ。これは私の仕事」
「仕事って……」
ファーストは右手で指を鳴らす。
すると、いつの間にか右手には大きなハンドガンが握られていた。その銃口を俺の背中に隠れている千凪に向ける。
「あなたを守る。それが私の仕事でしょう」
「こいつから守る必要はない。俺はこいつが本当に未来から来た娘だと……信じているんだ」
「そう。私は信じていないわ」
「だからって殺すことはねえだろ。ここは『アルカサル』で、お前や俺、光だっているんだ」
「不意打ちで襲われれば戦力差に意味はないわ。どのみち、もう未来について知っていることは全てあなたに話したのでしょう。聞きたいことは聞けた。なら、殺しておいた方が安全よ」
「娘だって言ってんだろ」
「知らない女子高生が『未来からやってきたあなたの娘です』と言えば、全てあなたは納得するのね。おめでたいこと」
「……言い返せないから反論はしない」
「素直ね。そういう所、嫌いじゃないわよ」
さあ退きなさい、とファーストは俺を真っ直ぐに見つめて告げた。
俺の身の安全を考えれば、なるほど、ファーストの言っていることは正論であり最善である。
しかし、それを認めるわけにはいかない。
この少女の娘としての言動は作り込まれている。ニーチェの話にまで付き合えた上、俺がエマさん好きだということにも精通していた。俺のことをよく知っていなければ、成立しない会話が多かった。そのような客観的な事実に加えて、俺はファーストに反論すべき点に触れる。
「こいつは俺のことを知っている。それは間違いない。だからといって娘だと、未来から来たと信じられるのか。お前はそう言うだろう」
「当たり前よ」
「だが、逆に疑問には思わないのか。こいつが『方舟』の刺客だとして、なぜ未来から来たタイムマシンだなんて設定を選ぶんだよ」
「……」
眉根を寄せて不服そうに傾聴するファーストは、何も言い返すことなく沈黙する。攻撃するつもりはない目をしていた。ファーストがため息を吐くと、右手に持っているハンドガン、背中に展開されていた銃火器の翼、それらが大量の蛍でも飛び散っていくように消えていく。一安心した俺は立ち上がって、ウッドデッキに座り込んでいる千凪の手を引いて起こしてやった。
「そんな奇想天外な設定にする理由がない。それこそ、『方舟』から亡命してきた機体だとか、幽閉されていた機体だとか、そういう嘘の方がよっぽど真実味はあるだろ」
「……」
「なんだよ。まだ文句あるのか」
「いいえ。なら、勝手になさい」
私も勝手にやるから、と呟いてファーストはコーヒーカップを持って席を立った。俺は千凪に微笑んで、先に俺の部屋に行くように指示を出す。気まずい空気に苦い顔をしていた千凪は、小さく頷くとログハウスの中から俺と光の部屋に戻っていった。
俺もログハウスの中に戻り、キッチンに向かう。ファーストが新しいコーヒーを作っており、その明らかに不機嫌なオーラの漂う背中に声をかけた。
「あのさ、ファースト。心配してくれてありがとうな」
「別に。仕事だもの」
振り返ることなく、素っ気ない言葉が返ってきた。
俺は苦笑して言った。
「お前、良い奴だよな」
「っ」
手動のコーヒーミルでコーヒー豆を挽いていた手が止まった。振り返ってくれないので、その表情は見えなかった。しかし、どうやら俺の話を聞いてくれるらしい。
「お前と戦わないで手を組んで良かった。あの時の選択は正解だった、と思うんだ」
「……」
「何度もお前に助けられた。『ナチスの一族』の機体とか、この間の国連との大戦とかな。お前は本当に良い奴だ。だから、千凪のことも許してくれた。折れてくれた。……ありがとうな。あと、悪かった」
「―――違うわ」
怒りでもなく、悲しみでもない、プレーンな感情のこもった声が響いた。事実を機械的に述べたような、温度のない、寂しい言葉のように感じた。
俺は少し驚いてしまって、言葉を紡ぎ出せなかった。
間があって、ようやく話し出した。
「あー、その、すまん。知った風な口を聞いて……。良い奴、だと思っているだけだ。お前の自己分析の結果とは食い違うんだろう」
「いいえ。私は良い奴よ。あなたにはね」
「……? じゃあ、何が違うんだ」
「あなた以外には、まだ良い奴にはなれそうもないわ。さっき分かった。なるほど、変わった気でいたけれど、普遍的な変化には程遠いわね」
ようやくファーストは振り返ってくれた。いつもの凛々しい表情がそこにはあった。
だが、なぜだろう。
いつものファーストなのに、何か違和感があるのだ。
何だ。言葉にはできない、不思議な感覚だ。俺はファーストをいつものように認識している。それなのに、何か不純物がこの空間には存在し、俺とファーストを取り囲んでいるようだった。
「私もね、私って良い奴になってきたな、と思っていたのよ。あなたに助けてもらった時から、あなたと契約した時から、少しずつ金銭感覚によって人の生死を奪える自分がいなくなった気がした。いや、実際にいなくなっているはず。私はもう、あなたの契約以外に仕事を請け負う気はないのだから」
「それは……『殺し屋』から足を洗うってことか?」
俺が尋ねると、ファーストは穏やかな笑顔を浮かべて大きく頷いた。今までに見た中でも、特に優しげな顔だった。母性すら感じる、温かい表情。思わず見惚れてしまった俺に、彼女は腕を組んでから告げた。
「そうね。そういうこと。あなたのおかげ」
「……何かしたっけ、俺。いじめられてコーヒーを飲んで契約しているだけなんだが」
「いじめられてくれて、コーヒーを飲んでくれて、私に居場所を与えてくれたわ。命に唯一無二の意味はない。お金と一緒で替えが効くもの。それを実感するために殺して生きてきた。私は依存したの、殺し屋という自己肯定の愉悦を得る立場に」
「……」
「そんな殺し屋というフィールド以外に、私は楽しいと思える居場所をあなたから貰った。だから、あなたには良い奴になれるのよ。普通の、どこにでもいる女にね」
「……話が見えないが、もしかして今、お前がなんで殺し屋をやっていたか教えてくれている感じか」
「独白よ。教えてはいない。吐き出したかっただけ」
「なるほど」
何か、まずいことが起きる気がする。
雰囲気だ。ファーストの雰囲気は穏やかだった。それなのに、彼女の独白が進むに連れて空気が冷えていく感じがした。
ファーストは何かを決意したのだ。
目に、力がこもっている。視線に、熱がこもっている。
「ねえ、私って凄い複雑なストーリーとか、可哀想で仕方ないストーリーを持っていないのよ。ロシア製みたいな、ああいう同情を禁じ得ないエピソードが、ストーリーが、まったくないの」
「別にいいだろ。あってもなくても、俺には関係ない」
「ええ。あなたのそういうところに救われた。―――あの時、あなたと契約した選択は正しかった。私も同じ気持ちよ」
言ったファーストは、コーヒー作りを開始した。ゆったりとした動作で一杯のコーヒーを作ると、俺に向けて差し出してきた。
俺はそれを受け取ると、ようやく妙な緊張感から解放された気がした。
「そうか。なら良かったよ。俺一人だけ舞い上がっているのも、馬鹿みたいだしな」
「そうね。馬鹿ね」
「馬鹿みたい、な。馬鹿じゃないから。なにさらっと悪口混ぜてんだお前」
「ふふ」
「……ったく」
俺はコーヒーに口をつける。それを見つめていたファーストは、うっすらと目を細めて意味の分からない話を始めた。
「私との出会いを―――正しい選択、と言ってくれて嬉しかった。私は拾った1円玉をそこまで思いやることはできない。家族にすらできなかった」
「? 1円玉?」
「ええ、そうよ。皆ね、1円玉なの。私にとっては、人は等しく1円玉にしか見えない。そうでないと、私は私の人生に納得がいかない。1円玉じゃないのなら、その程度の価値しかなければ、どうして捨てられたのか分からないじゃない」
「……ぁ」
頭がぐらついた。視界がぐらついた。予兆など何もない、一瞬の歪みだった。俺は頭を抱えて壁に背中を預けようとする。しかし、それをファーストが許さなかった。ふらつく俺の横に回ると、そっと俺を抱き寄せて身体を支えてくれた。
「でもね、私、あなただけは1円玉に見えないの。だって、私を1円玉ではなく、一人の価値ある存在として助けてくれたから。あんなに必死になって拾い上げるものじゃないわ、1円玉なんて。だから、あなたは私を価値ある人として救ってくれたのだと確信できた。きっと、そのおかげで……私も、あなたを価値ある人として、見れるようになったのかもしれないわね」
「……ぁ、ぇ」
ファーストの声が聞こえる。だが、まったく何を言っているのか聞き取れない。水に潜っている状態で話しかけられているような感じだ。音だけで言葉にならない響き、それが耳元に流れ込んでくる。
俺はファーストに支えられたまま、外のウッドデッキに連れて行かれた。完全に酔っ払ったように視界が安定せず、全身に力が入ってくれない。ファーストの肩を借りて、もたれかかるようにして進んでいく。いつも使っている椅子に座らされ、ファーストもいつも通り俺の対面に着席した。
「けれどね、あなただけよ。私が優しくなれるのは。あなた以外に、感じられないの。価値を。人として、唯一無二の価値を。硬貨にしか見えないの、あなた以外」
「……ふ……ぁ……と」
口が回らない。
ファーストが何を言っているのかも分からない。ぼやけた視界の中で、ファーストが頬杖をついているように見えるだけ。
「だからね、あなたを失うことが怖い。あなたは私が『少女』として、『人間』として感じられる唯一無二の存在なの。あなたを失うことだけは、どうしても許せない」
「……ぁ」
「前回のように、あなたの意思で、あなたのために死ににいくならば止めはしない。もっと寄り添って助けてあげるわ。あなたを尊重して助けてあげる。前回みたいにね」
「な……に………」
「けれどね、今回は別よ。あなたが望んでもいない、勝ち目のない戦いに落ちていくことは、許さないわ。今回こそ、私の仕事。あなたを守る、それが私の唯一無二の仕事」
「……ぃ……て……」
「ふふ。安心なさい。契約遵守が殺し屋ファーストの売りなの。できない仕事はしないわ」
「……」
「あなたを守る。それが私の仕事。兵器ではない、私の仕事」
意識が、飛ぶ。
だめだ。瞼に力が、入らない。何だ。何が、起こって―――。
「ロシア製は、兵器に生まれて人間になった。大勢を巻き込まないために戦う。それが、あの子の戦う理由。ああ、キラキラしていて、格好のいい、優しく温かい心を持っている気がするわね。クローン技術で最初から兵器として生まれたくせに、家族も何もなかったくせに、あの子は人間らしく生きることができる。兵器が人間になれたのよ。すごいことよね」
い―――しき、が―――もう―――。
ま―――ず―――。
「対して、私は人間に生まれて兵器になった。家族がいたのに、はじめは人間だったのに、殺戮の機械になってしまった。けれど、あなたのおかげで、少しだけ戻れたの。あなたにだけは、戻れるの―――私は少女に、戻れるのよ」