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第三十三話 殺し屋のつまらない理由

 ウッドデッキでいつものようにコーヒーを飲む。夕日が沈んでいき、闇に包まれ始めている空を眺める。彼はロシア製と買い物に行ったらしい。数ヶ月前、国際連合保有の『殺戮機械少女』を全て敵に回した彼は、左腕を犠牲にして生還した。ここ最近になって、ようやく義手の左腕を自由自在に扱うことができるようになり、また趣味の乗り物に乗れると激しく喜んでいた。あれだけ幸せそうな笑顔を向けられれば、こちらとしても助けた甲斐があったというものだ。

(……先に助けられたのは、私だけど)

 世界で初めて開発された『殺戮機械少女』―――それが私。陸上兵器の化身として、日露戦争から世界大戦までを生き残った。遠い記憶を引き寄せてみると、未だに思ってしまうことがある。霊石適合の実験に、私が真っ先に選ばれるべきだった、と。『アルカサル』地下基地に収容されて、一つの大部屋に私たち家族は押し込まれた。家族は日に日に減っていった。実験のために連れていかれる弟や妹たちは、絶対に帰ってくることはなかった。

 私は孤児院の長女だった。

 下に8人もの弟や妹がいた。そして、数日で5人が死んだ。6人目の被験者として自分が選ばれた時、自分も同じ運命を辿ることを期待した。

 死にたかった。

 いいや、正確には生きたくなかった。孤児院の院長から『アルカサル』に売られた時、自分の命の価値を突きつけられた気がしたのだ。本当に優しい人だった。礼節を叩き込まれ、下の子どもたちのおもちゃを奪えば叱ってくれた。学校のテストで満点を取れば、それだけのことで愛情いっぱいの抱擁を交わしてくれる。そんな、母親同然の人だった。

(だから、信じられなかった)

 自分たちを彼女が見捨てるはずはない。だが、それは私の思い込みで、わがままな期待だった。

 いくらで私たちを売ったのか。1億だろうか。10億だろうか。いいや、1千万や2千万程度だろうか。母親だと信じ切っていた彼女に売られた時、私は自分の命も他人の命も『いくら』なのかでしか考えられなくなった。

 命とはいくらだ。

 私たちは、一体、いくらの価値があったのだろうか。

(……意味や価値なんてない。全てがお金。命すらも)

 命とはお金で、お金はいくらでも稼げばいいだけのものだ。今、持っている千円札を別の千円札にしようと、小銭で千円分にしようと、それは何も変わらない。

 人間だってそうだった。

 私はそれをこの目で見てきた。人間にはいくらでも代わりがいた。百人殺せば、また百人が私の前に進んできた。使い捨ての紙コップみたいだった。一度切りの命が、ぽんぽん冥界に捨てられていく。私が捨てていく。頭を撃ち抜き、胴体をばらばらにし、そうやって紙コップをゴミ箱に投げ入れる。

 そうやって戦場で殺戮すればするほど、自分の人生が全て許された気がした。私が、私たちが捨てられたのは、目の前で死んでいった兵士と同じだから。新しい雑兵が現れるのと同じで、代わりなんていくらでもある、紙コップ一つ分の命―――1円程度の命だったからだ。

 そして、私がどれだけ殺そうと、1円玉を奪う程度の悪行でしかない。たかが1円。百人殺したって百円だ。大したことはしていない、本当にそう思っていられた。

『アルカサル』には、病に衰弱した弟や妹たちがいた。3人だ。『アルカサル』は、弟や妹たちを人質にして私に戦うことを強いた。しかし、戦場で命の価値を知った私は、気づけば弟や妹たちのために戦えなくなっていった。

 どうせ死ぬ命。

 所詮、3円じゃないか。

 私は3円のために、消えゆく1円玉3枚のために、いつまで退屈な殺戮を繰り返さねばならないのか。

(自由になりたかった。守るべき価値なんて、1円玉には存在しないから)

 だから、逃げ出した。

 もう会話すらままならない弟や妹たちを見て、私は握り締めていた1円玉3枚―――全財産を捨ててしまった。そうして逃げて行った先に、人間わたしの生き方はどこにも用意されていなかった。『殺戮機械少女』として極秘兵器に仕立てられた以上、戸籍も何も残ってはいない。だから、殺戮兵器わたしの生き方を選んだ。殺し屋になった。私は人を殺して生きる生き方しか知らない。命を奪って、そこに大した価値がないことを感じて、私は私の人生を肯定していく。それだけが、生きる喜びといえる感情だった。

 私は私の人生に納得したかった。

 納得のいく人生にしたかった。

 だから殺した。殺すしかなかった。

「……いいな。あの子」

 ロシア製が、羨ましい。憎いくらいに羨ましい。クローンとして生まれた瞬間から兵器に仕立てられ、記憶すら偽りのものを埋め込まれ、自分の意思など関係なく利用されて生きてきた―――あの少女が羨ましいったらありはしない。

 利用されて生まれ落ち、利用されて生きてきた。間違いなく、ロシア製は可哀想な『殺戮機械少女』だ。

 しかし、私は違う。

 捨てられた自分を、実験に失敗して死んでいった家族を、戦場で星の数ほど殺してしまったことを、仕方がないことだと納得するために殺戮に励んだ。

 命の価値は1円程度。大したものではない、つまらないもの。

 それを感じて安堵するために、ただそれだけのために、私は数え切れない命を摘み取ってきた。ロシア製には、可哀想なストーリーがあった。驚愕すべき、同情すべき、圧倒的に不幸な生い立ちがあった。

 私にはない。

 私は徹底的に清々しい程の悪だ。

「よお」

 背中に声がかかった。

 振り返ると、そこには彼がいた。私の1円玉を必死になって拾ってくれた、素直で変わった男の子。

「あら。お帰りなさい」

「ただいま。いやあ、疲れた。もう今日はヘトヘトだ」

「ふふ。ただ買い物に行っただけでしょう。情けないわね」

 思わず笑ってしまう。私はどうして笑ったのだろうか。

 彼は私の命を救った。彼は知っている。私が彼の命を何度も摘み取ろうとしたことを。彼は知っている。出会った時に私が病院中の人間を死体に変えたことを。

 それでも、彼は私に仲良くしたいと言った。まったく異常だ。狂っている。おかしいことこの上ない。そして、私が何者だろうと、何をしていようと、私と仲良くする上で関係ないとまで言ってきた。

「座りなさいな。持ってきてあげる」

「ああ、サンキュ」

 私は彼の分のコーヒーを作りに部屋に戻った。キッチンでコーヒーを作り始める。私が飲んでいるマンデリンを、もう一杯だけ彼のために作る。

(不思議な人)

 命の価値観が、大きく変わった―――私の傷口を必死に焼いて塞ぎ、戦ってくれた彼の姿によって。命とは平等ではなく、一律の価値基準は存在しないことを彼は教えてくれた。

 私は命を一律に捉えた。命は等しく1円だから、私は命を摘み取ることができた。彼は命を二種類に分けた。大切にすべき命と、大切にすべき命のために摘み取るべき命。彼は大切にすべき命があるから、そのために命を摘み取ることができていた。戦うことが、殺すことが、できていた。

 ロシア製のために世界を敵に回した時もそうだ。百以上もの『殺戮機械少女』を殺してみせた。やっていることは、私と同じだ。しかし、殺し方が全く違う。ロシア製のためだから、大切な命のためだから、百体も殺戮してみせた。彼は命の奪い方として、一つのルールを無意識に持っている。

 なぜ戦えるのか。なぜ殺せるのか。それは、命が1円玉だからではない。戦ってしか守れない、大切な命があるからだ。

 誰かのために戦うから、殺すから、彼は私のようにおかしくならない。数日で百体も殺戮したくせに、けろっとした顔で普通に日常を過ごせている。

 異常だ。

 私はだめだった。殺せば殺すほど心は疲弊した。しかし、彼は全くそんな様子はない。戦い、殺すことに対して、徹底的な耐性を持っている。

「……自分の人生を肯定するために殺していたから、私は逃げ出したのね」

 私と彼の決定的な違い、それを彼から教えてもらった。

 だから、今日もコーヒーを作ってあげる。殺すことで人生の納得を得るだけの人生をあなたは変えてくれた。兵器であっても、あなたみたいに生きることができるのではないかと思えた。大切な人のために戦う兵器に。私は、あなたみたいな生き方に憧れた。憧れることができた。

 多分、嬉しかったから。

 どうしようもなく嬉しかったから。あなたが、私を助けてくれたことが。私の命を必死になって救ってくれたことが。私を捨てないで拾ってくれたことが。

「おまたせ」

「いつも悪いな」

 ウッドデッキに戻り、彼の前にコーヒーカップを置く。いつものようにコーヒーに口をつけた彼を見て、私は笑ってしまった。咄嗟に口元を手で隠すが、声までは隠せなかった。

「ふふ」

「……なんだよ」

「自慢しないでくれるかしら。変顔」

「元からだ。ほっとけ」

 吐き捨てるように言い返してきた彼に、私は口元が緩むのを抑えられなかった。

 笑ってしまうのだ。

 あまりにも、居心地が良すぎて。殺しの仕事をせずに、のんびりと一緒にコーヒーを飲んでいるだけ。ただそれだけで、笑ってしまうくらい時間が満たされている。

 彼と契約を結んでからは、殺し屋としての仕事を一切行っていない。彼が、ここにコーヒーを飲みに来てくれる。それだけを待って、いつもこのログハウスで大人しく過ごしているのだ。

 そんな自分も、馬鹿らしくて笑ってしまう。だから、笑った後に意地悪で誤魔化す。

 幸せで、馬鹿らしくて、笑ってしまって、意地悪で誤魔化す。それが今の私の生活。まったく平和だ。ほのぼのだ。殺し屋として見る影もないことだろう。

「ねえ」

「んー?」

 面を上げた彼を見る。

 ああ、まただ。―――胸の奥が、怖いくらい熱くなってしまう。

「ふふ」

 私は自分にまた笑ってしまった。

 笑ってしまったから、意地悪をした。

「申し訳ないけど、毎日コーヒーを飲んでくれるからって、好きになったりしないわよ」

「なにその偉大な想像力。いっそのこと欲しいくらいだわ。人生楽しそうだよな、お前」

「―――ええ。あなたのおかげでね」

「悪趣味な奴。楽しいのは勝手だが、自重しろ。そろそろ泣くぞ、マジで」

 苦い顔をした彼に、私は微笑んだ。

 楽しい。半世紀も忘れていた感情の抑え方を私は知らない。知る必要もない。これだけ幸せいっぱいの気持ちに、なぜ蓋をしなければならないのか。

「嫌よ」

「即答かよ。勘弁してくれ」

 私の命は1円だった。

 しかし、あなたがそれを拾ってくれた。そうして、大きな価値を私は私に見出せた。私は、あなたのおかげで呪われた生き方を変えることができた。あなたに出会って、私は私を尊ぶ生き方を見つけることができた。

「からかわれるの、本当は好きでしょう」

「好きじゃない」

 私はあなたに、殺し屋をしていた理由を語っていない。歪んだ自己肯定のために、殺戮兵器として生きていた過去を教えていない。 

「なら、嫌い?」

「……好きじゃない」

 そして、あなたに私の過去を話すつもりはない。生き方の大きな変化を教えるつもりもない。今も、これからも。あなたが言ってくれたから―――私が何をしていようと興味はない、と。私はその言葉に救われた。だから、生まれ変わった今の私であなたと接したい。

「ふふ。素直よね、相変わらず」

「お前は意地悪だよな、相変わらず」

 だが、一つだけ教えてあげたい。

 気づいて欲しい、と言うべきか。今日も私はそれを匂わせる。

「ええ。だって私、あなたに意地悪するの―――大好きだもの」

 呆れるようにため息を吐いた彼は、今日も気づかない。気づいてくれる日が来るまで、ずっとずっと、こうしてからかってやる。あなたが教えてくれた、この感情に蓋をせずに。 








「ところで、私のログハウスにいるのは誰」

 コーヒーを一口飲んでから言ったファーストは、部屋の中に視線をやった。釣られて俺も見てみると、そこには闇の中に千凪の綺麗な青い左目が浮かび上がっていた。

「この匂いは『殺戮機械少女』ね。どこの機体かしら」

「ああ。その子は仲間だ。どこの……機体でもない」

『殺戮機械少女』は同じ『殺戮機械少女』の霊石エネルギーの匂いを感じ取ることができる。したがって、ファーストはログハウス内に息を潜めていた千凪の存在に気がついたのだ。

(……あれ、そういえば)

 ふと、そこで俺は疑問を抱いた。

 ファーストにも千凪にも尋ねるわけではなく、ぼやくように呟いた。

「なんで、俺って霊石エネルギーの匂いを感じ取れないんだ。『殺戮機械少女』の」

「パパが霊人だからさ」

 俺の疑問に答えてくれたのは、部屋の中からウッドデッキに姿を現した千凪だ。俺の膝の上に座ってきて、じーっと睨んでくるファーストと向き合った。

「僕も、ファーストから霊石エネルギーは感じ取れないよ。霊人は霊石エネルギーの匂いを感じ取れない」

「なんでだ。訳分からん」

「恐らく、霊石エネルギーを匂いとして感じられるのは、霊石の適合した一般人だけなのさ。人間にあるべきではない霊石の存在を異物として感じ取れるんだ。違和感の感覚が鋭くなったものだと思うよ」

「匂いねえ。霊石エネルギーの匂いってどんな匂いなんだ、ファースト」

 千凪の後頭部から横に顔を出して尋ねると、ファーストはジトーっと千凪のことを睨み続けていた。持っていたコーヒーカップを置いて腕を組む。そして、俺に冷たい目を向けて言った。

「女子高生を当たり前のように膝に乗せて、当たり前のように私と会話できると思っているようね。なに、私のこと舐めてるの?」

「いや、こいつは女子高生っていうか……。違うんだ」

「ならなによ」

 向けられる視線がどんどん冷たくなっていく。このままでは凍死する。俺はさっさと真実を伝えて理解を得るべきだと判断した。

「俺の娘だ」

「『モード・フルオート』」

 刹那。ファーストの背中から片翼直径五メートルはある銃火器の翼が出現した。両翼を合わせれば全長十メートルはある。肩甲骨付け根部分には小型の銃が連鎖しており、羽先に向かうにつれてアサルトライフルやショットガン、最終的にはランチャーや戦闘機に積むガトリングガンが確認できる。銃火器だけでできた翼が、俺と千凪を威嚇するように広がっていた。

 そして、滞空した状態で銃口が一斉にこちらに向く。

 たまらず叫んだ。

「必殺技を出すな!! 話を聞け!!」

「あなたの娘、なんでしょう?」

「……そ、そうだな」

「話は以上ね。さようなら、ロリコンさん」

「待て待て待て!! 未来、未来から来たの、こいつ!! タイムマシンなの!!」

「……タイムマシン、ですって」

 眉をひそめたファーストを前に、千凪は余裕の笑みを浮かべていた。憤っているファーストをニヤニヤと見つめているのだ。ファーストは千凪に舌打ちをすると、俺を睨みつけてきた。

「仲良くできそうにないけれど、説明を」

「あ、うん」

 いじめっ子といじめっ子は相性が悪いらしい。ファーストは千凪に目を向けず、俺を見つめたまま膝を組んで深く座り直した。俺は千凪に関する今日の出来事を全て話すことにした。


 

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