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第二十九話 義手とデートとストーカー

「九条くんは、心臓が霊石。だから、九条くんの死は、霊石が完全にガス欠になったときだと思う。普通の『殺戮機械少女』だったら、霊石を酷使して霊石エネルギーが完全にガス欠になっても、心臓が動いているから死ぬことはない。また休憩することで、ゼロになった霊石エネルギーが復活するまで待てばいいの。けど、九条くんはそれができない」

「人間の心臓がある場合は、霊石エネルギーが空になっても回復するんですね」

「うん。光ちゃんやファーストはそうだね。人間の心臓がないから、一度でも霊石エネルギーを完全に使い果たしてしまうと、アウトってことだと思うの。火、みたいなものかな」

「火?」

「完全に消えない限りは再生もするし、増えていく。ただ、一度でも消えてしまえば、もう二度と燃えることはない。恐らく、九条くんの命はそういう状態だと思う。人間の心臓があれば、霊石がガス欠になっても、火が完全に消えても、心臓で生きていられる。その間に火はつけ直される、ってこと」

 俺は医療科の病室で、秋乃さんの説明を聞いていた。ベッドの上に寝ている俺の左腕には、先ほど手術で付けてもらった義手がある。秋乃さんは、俺の右隣のパイプ椅子に座って説明を続けてくれる。左には、リンゴの皮を包丁で剥いている光が座っていた。

「今回、完全にガス欠になる前に、ファーストが霊石エネルギーを供給してくれなかったら死んでいた、と」

「うん。だから、今後もそこに気をつけてね。そして、九条くんの膨大な霊石エネルギーを通せば、多分その義手は動くはず。一応タングステンを基本材質に作ったから、融点は3300度、沸点は5500度くらいまでは耐えられると思う。あんまり物質Nを使えば壊れる……かも。あと、タングステンは鉄の倍は重いから、霊石エネルギーを通して動くかどうか……」

「やってみていいっすか」

「無理しないでね」

 循環状態を発動してみる。金属製の義手に、回復した霊石から生命エネルギー―――つまり霊石エネルギーが流れていく。俺の血管と義手の駆動のための管をつなげてくれているらしく、無事に手が動いてくれた。左右から、おー!! と、感動の声が上がる。俺は循環状態を解いて、義手を動かすだけの霊石エネルギーを利用しようとするが、まったく義手が上がらなくなった。

「んー、最低限の霊石エネルギーで義手を動かせないですね。全身に回せば動くんですが……。こればかりは訓練してみます。俺のためにこんなものを作ってもらって、本当にありがとうございます」

「ううん。九条くんのおかげで、『アルカサル』の皆が助かったから。光ちゃんだけじゃなくて、皆が九条くんには感謝してるんだよ。これくらい、私たちに任せてね」

「……うす」

 照れ臭くなった俺は、秋乃さんの笑顔から顔を逸らした。逸らした先では、一口サイズに切り分けたリンゴを光が手で掴んで俺に突き出してきた。

「テツヒト。あーん」

「いや、右手あるし」

「あーん」

「……」

 俺は諦めて、差し出されたリンゴを食った。うまいな。

 ファーストが言うところの感動の再会から、10日が経っていた。あれ以来、光は俺の傍から今まで以上に離れなくなった。というか、距離感がほぼゼロ距離になった。部屋でもどこでも、俺の隣を専有する。テレビを見てても隣にいるし、風呂に入ろうとすると一緒に入ってこようとする。挙句の果てには、俺が寝ている間に俺のベッドに潜り込んで同衾してきたほどである。

 俺は言った。なぜそこまでするのか、と。

 光は言った。私はテツヒトと付き合っている、と。

 俺は言った。俺はエマさんと結婚するからそれは待ってくれ、と。

 光は言った。照射展開、レベル2、と。

 レーザーをぶっ放される前にすぐに抑え込んだが、結局、光は俺が好きで、俺がエマさんと付き合っているわけじゃないから、アプローチすることは問題ではないと論破してきた。なので、俺はアプローチを拒否する理由もなく、光の近距離スキンシップを受け入れる状態になった。

「やあ、哲人くん。調子はどうだい」

「手術が終わったって聞いたから、来てやったぞー」

 エマさんとアリスが病室に入ってきた。俺はエマさんの顔を見るなり、ポケットに忍ばせていた折りたたんである紙を取り出した。

「エマさん、これを」

「なんだい、それは」

 エマさんが近寄ってきたので、折りたたんでいた婚姻届を開いて、いつものようにプロポーズした。

「結婚してください」

「んー、ちょっと受け取れないかなあ。君、復活してからぐいぐい来るね。一日に3回プロポーズしに来るの、やめない? なんかそういう習慣みたいになってるよ」

「幸せにします」

「は、話聞かないなあ……」

 苦笑しながら俺から婚姻届を取ったエマさんは、いつものようにビリビリと破って、ベッド脇のゴミ箱に捨てた。

 俺は悲鳴を上げて頭を垂れる。

「哲人くん、何度も言ってるじゃないか。君の気持ちは嬉しいけど、私はこの仕事を続ける限り、誰とも付き合わないし結婚もしない。万一があって、パートナーを悲しませたくないからね」

「俺がエマさんを守りますから!! お願いします、まじでお願いします!! エマさんのために生きてきたんだって、一目見たときから確信したんです!!」

「う、うーん……嬉しいんだけど、やっぱり……。仕事はまだやめたくないし……」

「ならペットにしてください!!」

「ぺ、ペット? だめだよ、それも」

 目を丸くしたエマさんが、手を横に振って即答してきた。ここ10日間、一日3回、朝昼晩とプロポーズをしかけた俺だが、その全てが失敗に終わっていた。さすがに、復活したときの告白も含めて計30回以上も想い人から振られたことは俺のメンタルを完全に破壊してくれた。

 なので、泣いた。

 右手で顔を隠しながら、人前でギャン泣きした。

「うああああああああああああああああああっっっ!! どぉぉぉおおおおしてだよおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「そ、そんなに好きなの、私のこと」

「大大大大大大大大だーい好きです愛してるんです!!」

「そ、そう」

 少し頬を赤くしたエマさんの様子に、もしや脈ありかと期待した。しかし、両手を申し訳なさそうに合わせて頭を下げてきたので、ついに俺はバタリと倒れて意気消沈する。

 俺がぼうっと天井を見上げていると、椅子に座っている光が声をかけてきた。

「テツヒト。結婚するって」

「まじで!?」

 思わず飛び起きてエマさんを見る。

 ぶんぶんと首を激しく横に振っていた。

「私が」

「エマさんじゃなきゃ一生誰とも結婚しませんんんんんん!! エマさんじゃなきゃ俺は幸せになれませんんんんんんん!!」

「エマのことなんて忘れるくらい幸せにする。結婚しよ」

「やだねやだね無理だねぜーったい無理だね!! エマさんのこと忘れるわけないもん俺は一生心に傷を負ったまま死ぬんだもん!!」

「全部受け止める。私と結婚しよ」

「今は無理ぃいいいいいいいいい!!」

 布団に潜った俺の頭を、光は優しく撫でてくる。こいつ男前すぎるだろう。広く深い大海原みたいな愛情で受け止めすぎだろ。

 布団に潜ったはいいが、出るタイミングを逃した俺の耳に、とんでもない言葉が入ってきた。

「できたー!! これで九条雫だわー!!」

「なにしてんの秋乃さん!?」

 がばっと起き上がって見れば、エマさんの破いた婚姻届をセロハンテープで完全復元した秋乃さんがニコニコ笑っていた。俺のサインとハンコが、既にあの婚姻届には書いてある。まじかよ、待ってくれ。なに全力ダッシュで病室から出ていってるんだよ、秋乃さん。市役所に行く気だろ、あの人。

「え、待って。あんなボロボロの婚姻届受理されないよね」

「知らん。リンゴ貰うぜ」

 パニックに陥っている俺をスルーしたアリスは、光の剝いたリンゴをむしゃむしゃ食べ始める。俺は再び意気消沈して、ベッドにゆっくりと倒れる。

 そんな俺を見て、アリスが笑ってきた。

「いいねー、やっぱりお前がいた方が盛り上がる。改めてお帰り、哲人」

「……うす」

 少し恥ずかしくなってぶっきらぼうに返事をした俺に、エマさんも笑って声をかけてきた。

「あはは。プロポーズはできるのに、変なところで照れるね」

「それとこれとは別ですよ。……っていうか、俺ってこのまま『アルカサル』にいていいんですか。また秘密で匿ってもらえるんですか」

「君が私たちの為にしでかしたことと比べれば、大したことじゃないさ。ねえ、アリス」

 エマさんの言葉に、アリスはリンゴをむしゃむしゃ食いながら頷いた。

「黙ってりゃバレねーだろ。国連にはファーストの撃ち込んだ霊石を提出したし。いいんじゃね」

「あざす」

「まあ、どのみちお前は表舞台に立つ日が来ると思うけどな」

「え? どういう意味っすか」

 アリスはリンゴをまだ口に放り込んでいく。世間話でもするような気軽さで続けた。

「お前が倒した100以上の機体から、霊石が全て消えた。正確には、盗まれた痕跡があった」

「……霊石が、盗まれた」

「ああ。心臓が止まっても、霊石は死なねえ。100以上の霊石が、何者かの手に渡った。お前の騒動に乗じて、何者かが霊石を回収していったんだ。霊石を集めて何かを企んでいる奴―――多分組織がいる」

 アリスは光が取ったリンゴを当たり前のように奪い取ると、そのまま一口で食べてしまう。傍若無人、ロリ暴君である。見た目幼女じゃなければ、誰かにぶっ飛ばされてもおかしくない。光は頬を膨らませてアリスを睨みつけていた。

「と、なればだ。お前さんのおかげで国連保有の『殺戮機械少女』は8割くらい消えた。その組織が攻撃してきたときに、戦える機体は限られる。そこで、お前の出番がくるかもって話だよ」

「……あの。俺、ちょっと心当たりが」

 アリスたちに、俺の出会った謎の白髪赤眼の少女と組織『方舟』の存在を説明した。あの『アルカサル』を襲撃した九条篤史の霊石を「ついで」と言って抜き取ろうとしていたこと。謎の少女は「宝集め」が目的だと言っていたこと。

 アリスはリンゴを食べる手を止めて、俺に言った。

「『方舟』か。聞いたことのない組織だ。九条一族が関わっていたっていうのはまじか」

「はい。その組織の男が一人、九条の人間でした。篤史も認めていました」

「なら、九条一族の一部が大量の霊石を使って何か企んでいるってことになるな。今回のお前の騒ぎを利用して、霊石を回収したのは間違いねえ」

「……」

「お前が騒ぎを起こしていなかったら、多分、その赤眼の少女が『殺戮機械少女』を殺しまくって霊石を回収しただろう。強かったんだろ、そいつ」

「ええ。多分、国連のSクラス機体を総動員しても敵わないかもしれません」

 あの少女は、異次元だ。次元が違うと思う。篤史を圧倒したから、というのもある。しかし、実際に話して、触れて、見てしまったから俺には分かる。

 あれは怪物だ。『殺戮機械少女』よりも、霊人の九条一族よりも、もっと高位の人間ではない存在。命に対して価値を見出していない、俺に夢中の子供みたいな怪物。

「……国連のSクラス全機とやりあったお前が言うんだ。面白いじゃねーか。なあ、光」

「ん。テツヒトと結婚するのは私。殺す」

 怖じ気付くことなく、頼もしい言葉を返した光の頭をアリスは撫でる。うわー、リンゴ食ってたからベタベタの手で撫でやがった。光が無表情にアリスを横目で睨みつけていた。頬が膨らんでいない時は、本気で苛ついている時の顔だ。

「哲人、その怪物がお前を狙っている以上、遠くない未来でやり合うことになるだろう。『方舟』の尻尾を掴むまでは動けねえが、しっかり兵器として性能を上げておけ。いいな」

「うす」

「よーし。それじゃ、私はもう行く。ああ、そういや玉砕続きみたいだが、エマはあれで結構喜んでるぜ」

「まじすか」

「ああ。ま、エマだけが運命の相手じゃねーよ。お前も分かってんだろ」

「……」

 思わず沈黙を返してしまった俺をアリスは鼻で笑った。隣の光が顔をぶんぶん縦に振っている。そして俺を見つめてきた。やめろ、こっち見るな。

 俺は無理やり話題を変える。

「ところで、光は俺を庇って国連と戦っちまったけど、大丈夫なんですか。裏切り者ってことで、処罰とかは……」

「適当に誤魔化したよ。男の機械化の真相を暴くために、私の指示で捕獲する命令を光には出してあった、ってことにした。私が上から説教くらうだけだから、まあ気にするな」

「……ありがとうございました」

「気にすんなよ。―――じゃあな。お前らも早く部屋に戻れ」

「うす」

 アリスが出ていくと、俺は光と二人きりになった。アリスに言われた通り、俺たちも部屋を出ようと思い立ち上がった。義手はきちんとくっついているので、もう病室のベッドにいる理由もない。

「テツヒト。約束」

 立ち上がった俺の左手が、何かに包まれた。光がぎゅっと握ってきたのだ。

 俺はくすりと笑って言った。

「分かってるよ。離れねえって」

「そっちの約束じゃない。デートの方」 

「デートって……あ」

 そういえば、今回の騒動前にそのような話をしたことを思い出す。ファーストと光と俺の3人で、デートに行こうという約束だ。今後の親睦を深めるため、だったろうか。本来は、ファーストのご機嫌を取って俺にもっと協力的になるように、という理由があったが……。それはもう必要ないだろう。ファーストは俺のことを助けてくれた。わざわざ無理に仲良くする必要はない。彼女とは、きちんと仲良くなっているはずだから、こうして俺を助けてくれたのだ。下手な接待はやめだ。普通に、いつものようにファーストと向き合おう。

「デート、行こう」

「ああ。じゃあ、明日にでも行くか。ファーストは……」

「……後ろから見てるだけは、なし。普通に3人で遊んであげる」

 ぷいっとそっぽを向きながら、光はそう言った。光もまた、今回の一件でファーストには恩義を感じているのだろう。これをきっかけに、二人の関係がよくなることを願うばかりだ。













 今日は約束通りデートである。

 地上と地下の違いはあれど、俺たち3人は同じ場所に住んでいる。仲良くなって損はない。俺は既に光ともファーストともコミュニケーションが十分取れるので、今回の外出を機にぜひとも二人が仲良くなって欲しいものだ。

 俺たちは、まず予定通りにカフェで昼食を取ることにした。新宿にあるコーヒーの名店らしく、俺たちは円形のテラス席に座り、頼んでいた料理とコーヒーが運ばれてくるのを待っていた。

 円形のテーブルを囲む俺たちの間に、静寂が流れる。こいつら、二人だと全然会話しねえ。じーっとお互いを睨み合っているだけで、親睦を深めるつもりがまったくない。

「おい、ファースト。仲良くなってくれるんだよね。そーいう目的だったよね」

「私は十分仲良くしているわよ。ロシア製が睨みつけてくるから、無視しないで見てやってるだけ」

 俺の斜め右に座るのはファースト。頬杖をついて言った彼女は、いつもの黒いワンピースではなく、反対の白いワンピースに黒いヒール、ブリムの長い白のパナマハットを被っていた。どこかの令嬢のようであり、ジーンズに長袖のシャツを着ているだけの俺は、並んで歩くのも恥ずかしかった。端正な顔立ち、肩まで伸びた艶のある黒髪の服装とのコントラストが、人目を引きすぎる。あと、ヒールを履かないでくれ。俺と目線がほぼ一緒になってるだろ。175センチくらいになってるだろう、お前。

「光、お前もどうした。ファーストも一緒にって、お前が昨日言ったんだろう。睨んでやるな」

「ファーストが先に睨んできた。むかつく。だから睨んでる。テツヒトも一緒に睨んで」

 俺の斜め左に座るのは橘光。頬を膨らませて言った彼女は、いつもの白い革ジャンではなく、黒のタンクトップに白いカーディガンを羽織り、短パンで爽やかな格好をしていた。こっちは比較的ラフな服装なので、俺が浮くようなことはない、わけがない。格好は目立たなくても、サイドテールにした長い銀髪とサファイアのような碧眼が光にはある。ロシアの血を引く美貌のおかげで、たくさんの人の目が集まっている。あと、俺の手をずっと握るな。ファーストもいるのに、お前とだけ手を握っていたら、それは変な目で見られるだろう。まだ俺の義手が全然動かないのをいいことに、光は移動の度に義手の左手を狙って握ってくる。

「はい。喧嘩終了」

 机を右手でトントンと叩いた俺は、睨み合い冷戦の終戦を宣言をする。ファーストはため息を吐いて光から俺に視線をやると、話を展開してくれた。うまく光へパスを繋ごう。

「そうね。せっかく街に出てきたんだもの。ご飯の後は予定通りに映画なんでしょ」

「ああ。なんか調べたらいろいろあったよ。アクションものとか、ホラーとか、恋愛とか、評判いいのが豊作らしいぜ。今の時期は」

「へえ。私はアクションがいいわ」

「いいね。光は?」

 華麗なパスが決まった。

 光は首を横に振って、即答する。

「恋愛」

「まあ面白いって有名だもんな。なんだっけ、病気の恋人を守りながら世界中の殺し屋から追われる話だっけ。ちょっとアクション要素もあったよな。いいんじゃね」

「ん。まさに私とテツヒト。感動のラストでキスしよ」

「そういうのって、言わないで自然にするもんじゃないのか」

 水を飲んでいたファーストが、少し口の端を釣り上げて言った。

「あれ原作が小説よね。読んだことあるけど、ラストで主人公が撃ち殺されて死ぬわよ」

「……やだ。テツヒト死なないで」

 ぎゅっと俺の袖を握ってきた光は、割と本気で悲しそうな顔をしていた。フィクションとリアルを重ねて泣くな、さすがにそれは面倒くさい。

「じゃあアクションだな」

 俺が映画を決定すると、タイミングよくコーヒーが運ばれてきた。料理の方はまだみたいだな。俺は早速コーヒーを口につけて、口に含んでみた。めっちゃ酸っぱい。ファーストの入れてくれるコーヒーは、酸味を抑えた苦味の強いものだった。これは真逆で苦味を抑えた酸味の強い味わいだ。

「苦味を抑えた感じのサントスね。美味しいじゃない」

「サントスっていうの、これ」

 カップを口元に寄せて、香りを楽しんでいるファーストに尋ねる。

「ええ。多分ね。ブラジルのコーヒーよ。日本でも主流になっているやつ」

「お前コーヒー詳しいよな。上手いの淹れるし。すげーよ」

「詳しいってほどじゃないわよ。誰だって慣れれば、ある程度は美味しく作れるわ」

 すると、そこで光がずいっと椅子を近づけてきた。

 覗き込むように俺を見上げてくる。

「私は」

「述語が行方不明だぜ。探して来い」

「むう。私はなにがすごい」

「えー」

 どうやら、俺がファーストを褒めたことが気に入らないようだ。なるほど、確かに片方を持ち上げて片方を忘れるような扱いは、女の子相手にあってはならないだろう。

 これは、答えられなければ失礼極まりない。

 コーヒーを一口飲んでから、一言で答えた。

「レーザー」

「……ぶっ放すよ、じゃあ」

「ごめんなさい!! まじで待って、ここじゃだめだって!!」

 いい解答ではなかったようで、光はデコピンをファーストに向けて静かに呟いた。小さな声でぶっ放すとか言うなよ。本気っぽく見えるんだよ。

 光にデコピンを下ろさせると、ファーストが鼻を鳴らした。

「まるで親子か兄妹ね」

「違う。恋人、夫婦」

「とてもそうは見えないけれど」

「あなたこそテツヒトと……」

 ファーストに何かを言い返そうとしたのだろう。しかし、これまでの自分とファーストの俺への関わり方を振り返ってみたのか、途端に泣きそうな目で俺を見つめてきた。

 まあ、ファーストの方が、なんかパートナー感はあるよな。俺との接し方も落ち着いているし。分かるよ、光。言い返せないことに気づいたのは分かるから、そんな捨てられた犬みたいな目で俺を見るな。ファーストはなぜか勝ち誇った顔で、優雅にコーヒーを飲んでいた。

 食事を済ませた俺たちは、予定通りに映画館で映画を眺めていた。これはいい。光とファーストがばちばち険悪になる暇もないし、周りから美少女二人を侍らせて注目の的になることもない。俺は二人に挟まれて映画を視聴しているのだが、頭の中ではまったく別のことを考えてしまっていた。

『方舟』は、400年前に九条一族を何百人と殺して何百という霊石を奪った。そして、戦時期にそれを世界中にばらまいて人類に霊石という神秘を授けて戦争を激化させた、という可能性がある。そして、今回の俺と国連の戦争に乗じて、改めて大量の霊石を行動不能になった機体から回収した。その数、100個以上の霊石を。この意図が読めないのだ。一度集めて300年後くらいの戦時期にばらまいた霊石を、今になってまた集め直している。

(一度、人類に霊石を利用させることが目的だったのか……。『殺戮機械少女』という存在を生み出させることが目的だったのか……。『方舟』は俺を狙っていて、あの少女の口ぶりだと、俺を昔から気に入っていたような感じだった。つまり、ずっと昔から、『方舟』は俺を狙っていて長年何かのタイミングを待っている……)

 大量の霊石を回収し、俺を昔から狙っている『方舟』。あの少女が一番の謎だ。ただの『殺戮機械少女』ではないはずだ。篤史ならばSクラス相手でも負けない……と、思う。少なくとも、あれだけ一方的にやられることはありえない。俺や竜次を二人同時に相手しても、全然余裕のあった男なのだから。

 俺は『殺戮機械少女』という兵器と出会った。

 次に霊人という圧倒的な力を持つ種族を見た。

 それらを飛び越える、まったく上の超越的存在。それがあの、名前を持たない怪物の少女。

 そう。

 ちょうど、俺の目の前の席に座っている女の子のような白髪だ。白い、全てを塗り潰すような、濃く深い純白の髪。そして、後ろに座っている俺に少し振り向いた目は、鮮血のような色をした赤の瞳だった。ああ、そうだ。本当に、あの怪物にそっくりだった。



 汗が、どっと吹き出た。

 俺の目の前に座っていた怪物が、人差し指を口元に当てて微笑んだ。



 なぜだ。なぜ、お前がここにいる。

 息が、乱れる。過呼吸に陥ることのないよう、落ち着いて息を整えた俺は、まず右隣のファーストを横目で見た。頬杖をついて映画に集中している。左隣の光を見れば、ストローを口にくわえてジュースを飲みながらスクリーンを見つめている。

 あの二人が、気づいていない。

 同じ『殺戮機械少女』ならば、霊石の存在を感じ取れるはずだ。なのに、気づいていない。じーっと、振り返って顔半分を俺に向ける怪物は、小さく手を振ってくる。

 九条篤史の接近に、ファーストは気づかなかった。それは、竜次曰く、霊人だから霊石エネルギーのコントロールを極めていて、霊石を感知されないように抑えることができるからだ、と言っていた。

(君は……『殺戮機械少女』なのか……? 霊人なのか……?)

 無視をして機嫌を損なえば、どうなるか分かったものじゃない。俺は小さく手を振り返した。少女は少し頬を赤らめると、にっこり笑い返してきた。

 何だ。何の用なんだ、一体。どうする、どうする。多分、戦えば俺も光もファーストも、この館内にいる人間も全員やられる。それだけは感覚的に理解してしまった。

「どうしたの」

「っ」

 右隣のファーストが、耳元に声をかけてきた。

 振り向くと、彼女は心配そうに俺を見つめている。

「汗、ひどいわよ。体調が悪いのなら……」

「あ、ああ。すまん。ちょっとトイレ」

 俺は席を立ち上がり、階段を早足で降りていった。ファーストは怪訝そうな目で俺を見つめていた。走ることはせず、あくまでも早足で外に出る。

 すると、光が追いかけてきて、後ろから俺の手を取った。

「テツヒト。離れちゃだめ。バリア、弱まる」

「す、すまん。トイレだから、トイレ」

 廊下を進んでいって、真っ直ぐに男子トイレに向かった。光はトイレ前で待っていてくれるらしい。ああ、分かっている。光が傍にいなくてはいけないことは、よく分かっている。だが、今はだめだ。予感がする。奴は、間違いなく俺についてくる。

 悪霊に取り憑かれた気分だ。

 見られている。あの怪物に、今もきっと。俺は男子トイレの洗面台の前にいた。夢か幻なら覚めて欲しい。蛇口から出てきた水を右手ですくって顔を洗う。鏡を見ると、残酷な現実が笑っていた。

「また会えたね」

 ほらな。思った通りだ。

 俺の背後に、手を組んでもじもじと恥ずかしそうに身体を揺らしている、白髪赤眼の少女がそこにはいた。半袖の白いシャツ、黒のミニスカート、黒のブーツを着用した、どこにでもいる格好で怪物はそこにいた。腰元まで伸びたストレートの長い白髪、血でも吸ったかのような赤い目、病的に白い肌。見てくれは人間離れした美貌を持つ純白の少女だ。

 早すぎる再会だ。

 もっとスパンがあっていいだろうに。

「久しぶり、哲人くん」

「……ああ。何の用だ」

「いや、その……今日もかっこいいよって言いたくて……。あと、腕は大丈夫かなって、心配でいられなくなって……」

「……」

 恋人気取りのストーカー、ならいい。別に対処の仕方はいくらでもある。だが、このストーカーは絶対の力を持ったストーカーだ。俺に危害は加えなくても、周りに何をするか分かったものじゃない。機嫌だけは、損ねてはいけない。

「ああ、そうなのか。わざわざありがとう。腕は、まあ慣れて行くから大丈夫だよ」

「そ、そっか……。えへへ、何か照れちゃう。一緒にカフェでご飯を食べて、一緒に映画を見て、デートしちゃったから……胸が、ドキドキしてる……」

「………は」

 呼吸が一回止まって、思わず息を吐き出した。こいつは、一体、いつから俺のことをつけていたんだ。どこからだ。朝、ファーストのログハウスから3人で出かけた時か。それとも、電車に乗って新宿に降りた時か。少なくとも、口ぶりからしてカフェで食事を取った時からずっとつけられていたのだ。

 生唾を飲み込んだ。

 名もなき少女は、俺の胸の中に飛び込んでくる。ぎゅっと背中に腕を回されて、俺は恐怖に硬直してしまった。

「ねえ。トイレ前の女、殺していい?」

「……それは、しない方がいい」

 光のことだ。

 やはり見られていた。この少女は、俺を恋人だと思い込んでいる。俺と距離感の近い光が、狙われる可能性が高いことには気づいていた。

「なんで。私のだよ、君は」

「あの子の力で、電磁波の膜を張ってもらっている。俺の物質Nが日常生活で流出しないように。だから、あの子を殺せば……あれだ、俺とこうやってデートできないぞ」

「そうなんだ。それは嫌だなー」

「頼む。やめてくれ」

「いいよ。君から物質Nを取り除く時までは、必要な存在だもん」

(俺から、物質Nを取り除く……?)

 少女の発言に困惑していると、男子トイレに一般人の男性二人が入ってきた。髪を染めて入れ墨を腕にした、ガラの悪い三十代くらいの男性が二人だ。彼らは少女と俺を見つけると、顔を見合わせて呟いた。

「あ? ここ男子トイレだよな」

「だろ。小便の便器あるじゃん」

 二人の男が眉根を寄せて俺たちを見た。次の瞬間、少女が苛ついた様子で舌打ちをした。振り返って男二人に近寄ると、微笑んで出口を指し示した。

「出てって。邪魔」

「は? なに、この子。……ああ、おっぱじめようとしてたわけ、彼氏くんと。えろいねー、こんな場所でさ」

 一人の男が言葉を返すと、怪物は微笑んだまま告げた。

「あ、もういいよ。こっちおいで」

 少女は男二人を手招きして、トイレの個室へと入っていった。俺たちが淫乱な関係だとでも思ったのか、二人の男は俺に手を挙げてニヤニヤしながら少女の待っている個室へと入った。

 扉が閉まった直後、聞いたことのない音が響いた。

 ―――バキバキバキバキバキバキ。

 ―――ゴチュッ。

 ―――グシャ。

 ―――ゴキュッ、ペキ。

 音が止むと、便所の水が流される音がした。扉が開いて出てきた少女は、洗面台で手を洗って、ハンカチで水気を拭き取った。

「でも良かったー、ちゃんと義手もついているみたいだし。安心したよ、私」

「……あ、ああ。ありがとう」

 あの二人をどうしたかは、触れちゃいけない気がした。

 俺は喉がカラカラに乾いていることに気づいた。

「ねえ、哲人くん」

「なんだ」

「今度はさ、プールに行こうよ。二人でさ」

「……ああ、考えておくよ」

「うん。今度、迎えに行くね。お父様が許可したら、君に会っていいってことになったんだ。だから、また遊びにくるね」

「……なあ」

「なーに」

「君たちだよな、霊石を盗んだの」

 機嫌を損ねて殺される、という可能性は俺に限ってはないと判断した。彼女は俺以外を人として、価値あるものとして認識していないが、俺だけは例外的な様子だったからだ。

 怪物は頷いた。

「うん」

「昔、俺の一族を殺しまくって霊石を奪ったのも、君たちか」

「そうらしいよ」

「なぜ、そんなことをしたんだ」

「知らない。興味ないし、聞いたことない。哲人くんが知りたいなら、今度お父様に聞いて教えてあげるよ。お父様が話してくれればだけど」

「あ、ああ。サンキュ」

「うん。哲人くんのためなら、なんだってするよ。任せてね」

 恐ろしい。この子は、なぜか知らないが、俺以外に関心がない。俺に夢中になっていて、他のことは本能的に、暴力で生を味わっている節がある。

 子供のような、殺戮の怪物だ。

 俺はたまたま、気に入られて救われている。この子の気分次第で、世界中の生物の生死が判定されていると言ってもいい。

「あ、でもね。今回の霊石は、さっきもちょっと言ったけど、君を助けるためだよ」

「俺を……? 物質Nを取り除くってやつか……?」

「うん。そうしないと、ただの霊石のままだからね。逆にならないから」

 ただの霊石のまま、とはどういう意味だ。逆にならない、という言葉はもっと理解ができない。

 尋ねようかと思ったが、少女が先に語り出したので、タイミングを失った。

「だから、もう少し待っててね。物質Nを取り除いたら、すぐに私が迎えに行くからね。そうしたら、私の大きなお家で一緒に暮らすの。今よりも快適で、何でもある、私のお城に連れていってあげる」

「……そいつは、興味深いな」

「うん。あ、そういえば哲人くんの好きな食べ物ってなーに? 子供の心臓とか、女の足とか好き?」

 意味のわからない質問に、俺は固まった。

 一歩だけ後ろに下がってしまった。無理に言葉を返す。 

「……は? え、いや。人間の、子供とか女ってこと?」

「うん。子供とか女、食べない? 私、人間の料理は上手なんだよ。食べて欲しいな」

「……や、野菜が好きだから、遠慮する」

「そう。残念。じゃあ、お野菜の料理、練習しておくね。そうかー、哲人くんは野菜好きなのかー。また新しいことが知れて嬉しいよ。えへへ!!」

 笑った少女は、そこでポケットからスマホを取り出して時間を確認する。すると、ため息を吐いて唇を尖らせた。

「ごめんね。時間が来たから帰るね。門限破ると、お父様に叱られちゃうから……」

「そ、そうなのか。気をつけてな」

「うん。またね」

 俺の唇に優しくキスをした少女は、照れたように頬を赤くして、出口の扉から外に出ていった。緊張の解けた身体が、一気に崩れ落ちていく。洗面台に咄嗟に右手をついて身体を支えた俺は、深く深く息を吐いてようやく唾を飲み込んだ。

 その時だった。

「ねえ」

「っ」

 出口の扉が、少し空いていた。

 隙間には、深紅の瞳が一つ、浮かんでいた。怪物が俺を見つめている。息を忘れて、再び全身の筋肉が硬直する。

「お昼は、お肉の料理、頼んでたよね」

「……あ」

 こいつに、カフェでの昼食を見られていたことを失念していた。俺はハンバーグを頼んだのだ。それなのに、野菜が好きだと言ったから――――嘘をついたのかと、疑われている。

「お野菜、本当に好きなの?」

「あ、ああ、本当だ。肉も、人以外なら、食える」

「そう」

「嘘じゃないよ。本当だ」

「うん。ならよかった。―――ばいばい」

 ふっと赤い瞳が消えて、俺は今度こそ床に崩れ落ちた。止まっていた呼吸を始めると、過呼吸のような状態になる。5分か10分くらい、俺はそのまま必死に息を整えていた。落ち着きを取り戻し、待たせていた光を連れて席に戻る。無限に感じた悪夢だったが、実際は二十分程度の時間が過ぎていただけだった。

 ファーストも光も、俺の異変に気づいている様子だった。よくこちらをじっと見つめてくるからだ。しかし、スクリーンが真っ暗になり、上映が終わった後も、俺はなるべくいつもの調子で二人に接していった。だんだんと二人の気遣うような態度も取れていき、帰りの電車に乗って『アルカサル』中野区自衛隊駐屯地へと帰宅する。

 あの白い怪物から、俺はきっと逃げられない。そして、抗うこともできないのだろう。いつか、俺の大切なものをただ蹂躪される。そんな確信を持ってしまって、俺はその日、眠ることができなかった。





 背中に感じるのだ。舐め回すような、怪物の視線を。

 血のような、あの、赤い瞳を。

 

第二部完結です。

ここまで拙作にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。今後もご愛読、ぜひよろしくお願い致します。

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