第二十七話 終焉の裏で
岐阜県山中には、九条哲人によって破壊された『殺戮機械少女』たちの遺体が転がっていた。一頭の熊が臭いを嗅ぎつけたのか、仰向けで動かない『殺戮機械少女』の首元に鼻を寄せている。
その時、熊の体にそっと手が添えられた。
熊は動かなくなった。ピクリともせずに硬直する。
「人間よりよっぽど賢い。力関係に聡いね」
腰元まで伸びた白髪、血のような赤い目を持った少女は、そのまま熊の頭を撫でてやった。すっと手を離すと、凄まじい勢いで熊は山の中に走り去っていく。
少女は下に転がっている『殺戮機械少女』を見下ろすと、医者が触診でもするように『殺戮機械少女』の身体を確認していく。そして、その個体の右脇腹と腰のあたりを掴むと、紙でも破くように上半身と下半身を引きちぎった。
臓物と血しぶきが撒き散らされる。白髪の少女は転がった石ころを拾い、離れた場所で苦虫を噛み潰したような顔でいるドレッドヘアの男、九条和真にそれを投げ渡した。
その石ころは、『霊石』だった。
「はい。これで100個くらいかな」
「うえ……。あ、ええ。全部回収できました。ご協力ありがとうございます」
血まみれの『霊石』を手に取った和真は、ゲロでも見たように嫌な顔をしていた。足元に置いてあったボストンバッグに受け取った『霊石』を入れると、肩に背負って立ち上がる。
「哲人くんとお話するの、大人しく待ってたからね。これくらいいいよ」
「お手数をおかけしました。その、俺たちだけで回収するのは結構至難の技でして……」
「『殺戮機械少女』の霊石を取り出すには、それなりに手間がかかるしね。私が引き裂いて取り出した方が早いよ。いちいち和真たちがメスを持って一体一体解剖していられないよね。悠長にやっていれば、国連にも気づかれるし」
「重ねて、ありがとうございました」
「うん。じゃ、帰る」
「はい。すぐに迎えをよこし―――」
和真はそこで、突然の衝撃を背中に受け止めた。豪速球となって大木に向かって激突し、うつ伏せになって崩れ落ちる。ボストンバッグが宙を舞い、それを白い少女がキャッチした。
少女は、和真を背後から殴り飛ばした大きな影を見た。木々の群れの中から現れたのは、短い金髪をオールバックにした、筋骨隆々の大男だった。そいつは一筋の涙を流して、倒れた和真に向けて悲しそうに呟く。
「可哀想に。背筋が足りていなかったばかりに、死んでしまった」
「誰?」
「九条竜次。九条哲人のお兄ちゃんだ」
「へえ。じゃあ私の義兄になるんだ。よろしくね、お義兄さん」
ピキ、と竜次の額に青筋が走った。
少女はそれに気づかず、九条哲人という言葉を聞いて盛り上がっていた。
「ねえねえ。哲人くんのこと教えてよ。彼の趣味は? あ、好きな食べ物はなに? 結婚したら、お料理たくさん作ってあげるんだ。何が好きかな。子供の心臓とか、女の太ももとか好き?」
「貴様が、俺の哲人と結婚だと」
「うん。それで、彼の好きな食べ物はなんなの。教えて」
「―――認めん、諦めろ」
竜次の体内で『核分裂反応』が展開される。核エネルギーの元になる濃縮ウランと、最重の破壊力を持った劣化ウランが生成されていく。竜次は霊石エネルギーを全身に循環させ、高速で少女の目の前まで踏み込んでいた。
「『核激拳』」
核エネルギーを蓄えた拳が放たれる。触れた対象を消し炭にする一撃は、少女の美しい顔を確実に捉えた。ピカッと白い光が走り、大爆発が起きる。少女だけでなく、その背後に広がっていた自然を視界に広がるだけ焼け野原にしていた。
竜次は拳を引っ込めなかった。
いや、正確に言えば、引っ込められなかった。
「哲人くんの好きな食べ物、教えてって言ったよね」
「……何だ、それは」
聞こえた声に、竜次は目を見開いた。
目の前の少女は、顔の半分が吹き飛ばされているのだ。それなのに、つらまらない映画を眺めるような目で竜次を見つめて、当たり前のようにそこにいた。
「教えてよ」
「……プロテインだ」
「なんで」
「俺の弟だからだ」
「もういいや―――ブチ殺す」
少女は竜次の引っ込めていなかった腕を握った。次の瞬間、竜次の肩から腕が引っこ抜かれた。ぶしゃあああああああああっっ!! と、血しぶきを上げていく右肩を見つめた竜次は、ふらふらと後ろに下がって膝をついた。見上げると、そこには竜次の太い右腕を噛みちぎって咀嚼している顔半分の少女がいた。
「あれ、見た目に似合わず美味しいね。噛みごたえあるよ」
少女は意外そうに目を丸めて、再び食らいつく。
竜次は歯切りしをして痛みに耐えていた。危険な攻撃に対して、体内では核エネルギーによる高温防御が展開されるはずだ。しかし、腕を引きちぎられた時にそれは発動しなかった。いや、そもそも肉体を鉄や鉛よりも重い劣化ウランで強化していたのに、粘土でも引きちぎるような気軽さで右腕を奪われた。
「当たり前だ。俺の鍛え上げた最高の筋肉だぞ」
「んー、男で食った中だとダントツかなー。けど、ちょっと硬すぎ。顎が疲れるね」
右腕を竜次に放り投げてくる。これ以上は口に合わないようだった。返された右腕をすぐに傷口につけ直して、竜次は霊石エネルギーをそこ一点に集中させる。すぐに接着したが、完全に回復するには時間がかかるようで、右腕を左手で支えながら立ち上がっていた。
少女は竜次を見て、小さな笑い声をあげた。
「あはは。そうか、腕くっつけないと治らないよね。不便だねー、霊人も『殺戮機械少女』も」
「っ!?」
竜次は息を呑んだ。
自分を嘲り笑う少女のなくなっていた顔半分が、一瞬で再生したのだ。一秒にも満たない超速再生である。自分の身体を引きちぎる怪力もくわえると、この少女は「生物としての格」が違うのだと悟った。霊石コントロールを極めた霊人にも、あれだけの再生能力はありえない。
「そういえば、君、霊人じゃないよね。人間兵器、『殺戮機械少女』と同じだ。なんで循環状態を扱えるの」
「霊石があることに、変わりはないだろう」
「でも、循環状態を扱うには、血中に霊石エネルギーを流し込んで体内循環させる必要があるよね。心臓が霊石でないと、無理なんだけどなあ。『殺戮機械少女』は体内に霊石を埋めて霊石エネルギーを少し扱えるだけで、血管を通して扱えないもんね。なんでかなあ―――気になってきた」
言った少女は、気づけば竜次の胸に手を添えていた。
反応できなかった竜次の前で、少女はニコニコと笑っていた。
「見せてよ」
竜次の大きな胸から血飛沫が上がった。少女が両手で胸を引き裂いたからだ。扉でも押し開くような気軽さで、あっさりと竜次の臓物を物色する。
そして、少女は面白いものを見つける。
両膝から崩れ落ちた竜次に、口を引き裂いて笑った。
「あはは、すごいすごい。初めて見るよー、こんな心臓」
「っが……あ……」
「なんで心臓と霊石がくっついてるの? 半分人間、半分霊人ってこと? ―――あ、答えられないか」
少女は竜次から数歩後ろに下がって距離を取る。そして、パンパンと手を叩いて回復を促した。
「気になるから、まだ死んじゃだめだよ。ほらほら、霊石エネルギー送って送ってー」
じわじわと裂けていた胸の傷口が埋まる。ぜえはあと荒い呼吸をして膝をついている竜次に、少女は再び声をかけた。
「なーにィ、それ」
「き、さまっ……!!」
怒りを表した表情で、竜次は少女を睨みつけていた。質問に答えない竜次に苛ついたのか、少女は再び歩み寄って右手を開いた。その右手は首元に伸びていき、頭を引っこ抜いて殺すつもりだということが分かる。
だが、そこで声が響いた。
「だから言ったんだ、竜次。お前では勝てないと。勝手に無茶をしてくれるな。探すのに手間取ったぞ」
少女の後ろから現れた男は、すたすたと竜次の傍に歩み寄っていく。白衣を着た、長身痩躯の男だった。片目に眼帯をしていて、怪我をしていることが分かる。男は竜次の巨体に肩を貸して起こしてやると、じーっと少女に見つめられていることに気づき、名を口にした。
「九条零次。九条哲人と九条竜次の父親だ」
「じゃあ私のお義父さんなんだ。ねえねえ、哲人くんって、食べ物は何が好きなの? そいつが教えてくれないから、困ってたんだ。お料理の練習してるの、私。哲人くんの好きなもの、作れるようになりたいの」
「教えたら、見逃してくれるかな」
「んー、あなたはいいけど、そいつはブチ殺す」
「なら、これをあげよう」
零次は、首元にかかっていたペンダントを少女に差し出した。年季の入ったもので、長年大切に身に着けていたことが分かる。少女はそれを受け取ると、零次に問いかけた。
「なーに、これ」
「開けてごらん」
言われた通り、少女はペンダントを開いてみる。そこには、少女が夢中で止まない九条哲人の、今より少し幼い顔写真が入っていた。
少女は目を輝かせて、零次を見上げる。
「か、かわいい……。いや、今もかわいいけどね!!」
「欲しいかい」
「もちろんだよ!! ってか返さないよ、もう!!」
「なら、それに免じて竜次も見逃してくれないか。頼む」
「うん。気分いいし。早く行って。私これ見るから」
すっかり零次と竜次から興味をなくした少女は、赤い瞳をらんらんと輝かせてペンダントを凝視していた。しゃがみこんで、デレデレと写真の彼を見つめている。
零次は、循環状態を使って竜次を抱えたまま消える。
「えへへ。これで、ずっと一緒だね」
残されたのは、一匹の怪物だけだ。
口元を肉片と血で汚し、長い白髪と白いTシャツを真っ赤に染め上げた怪物は、ペンダントの写真に頬ずりをして愛おしそうに彼を見つめる。
「もうちょっと待っててね。助けに行くからね」
怪物は立ち上がり、ボストンバッグを持って山を下りていく。鼻歌を歌いながら、ニコニコとペンダントを首にかけて。
ナチス製化学兵器・九条哲人の完全破壊を確認。『アルカサル』機械兵器科によって機体は回収、後日九条哲人の霊石が提出される。国際連合加盟国のほぼ全ての『殺戮機械少女』が行動不能・完全破損。100体以上の機体を回収するも、それらの機体からは霊石が全て消失していた。これを国際連合は異常事態と見なし、失われた100以上の霊石回収の調査が始まる。