第二十六話 終戦
俺は勢いよく飛び出した。空に向かって全力でジャンプする。それだけで、スーパーカーで急加速するように景色が後ろへ吹っ飛んでいった。驚いた顔をした少女の目の前に迫り、浮遊している彼女の首を握りしめた。
瞬間、首から顔にかけて一気に赤く発光して爆発する。落ちていく首の消えた身体を踏み台に、俺は距離を取った残りの19体に向かって飛んだ。
「ロシア側の好き勝手が始まりだ」
物質Nを蓄えた右腕を、大きくボールでも投げるように振りぬいた。瞬間、散布された物質Nが残りの『殺戮機械少女』に接触し、高温現象を伴って腕や脚が溶解していく。
「そんで俺が好き勝手して、光まで好き勝手して、世界も好き勝手に俺を殺そうとしやがる」
悲鳴を上げる少女たちを前に、俺は右手からオイルライターを取り出して着火した。それを宙に放り投げると、右手の五本指を火に向けて放出する。ゴバァァァァアアアアアアアアアアア!! と、豪炎が少女たちをすべて飲み込み、全ての個体が撃ち殺された鳥のように地上へと落ちていった。
「腹立ってきたわ。決めた。俺はこのままベトナムに行く。エマさんじゃないけど、光とベトナムに」
瞬間、耳元をレーザーが走り抜けた。見れば、地上で出番のなかった光は頬を膨らませてデコピンの構えを取っていた。
反射的に吠えた。
「なんだよ急に危ねえなあ!! 癇癪でレーザーやめろ馬鹿!!」
「エマじゃないけど、いらない。やり直し」
「聞こえてたのかよ……」
「やり直し」
「……光とベトナムに行く」
「ん」
満足した光がデコピンを下ろすと、俺は地上へと降りた。着地の瞬間、俺はふらついて転びそうになる。光はそんな俺を抱きかかえると、たしなめるように言ってきた。
「テツヒト。もうだめ」
「だめって……多分、オートの体温上昇が、もう発動しない。物質Nが身体に供給できなくなってる。だから、Nが残っているうちに、攻撃される前にやらねえと……」
「私が守るって言った。休んで。どれだけの数と戦ったの」
「え、あー……100体くらい、破壊したかも。Sクラスも一体、仕留めた」
「―――え」
光の顔が固まった。
そして、なぜそんな顔をされるのか分からなかった俺は、首を傾げて尋ねる。
「なに」
「国際連合加盟国の保有する『殺戮機械少女』の数、テツヒト知ってる?」
「知らん」
「Cクラス60体、Bクラス40体、Aクラス30体、Sクラス10体」
「だからなんだよ」
「テツヒトはSクラス一体と、それ以下を合わせて約100体破壊した。どういうことか分かる?」
よく考えろ。計算は苦手だが、算数ならいける。数えただけでも約100体は破壊したはずだ。間違いない。篤史の破壊した20体は置いておいて。すると、国際連合加盟国の全『殺戮機械少女』140体のうち、約100体を俺が破壊したことになる。
「……『殺戮機械少女』って、もしかして俺のせいで7割か8割くらい全滅した?」
「ん」
「げろやばいな」
「げろやばいよ」
何だか凄く大変なことをしてしまったようだ。
俺は続けて白状する。
「あと、俺の伯父が20体くらい瞬殺してたんだけど」
「じゃあ、残った『殺戮機械少女』は20体くらいになる」
「……待て。ってことは、もしかして俺―――世界に勝てる?」
「それは無理」
光の呟きと同時に、足音が6つ聞こえた。俺たちを取り囲むようにして、6体の『殺戮機械少女』が現れたのだ。
冷や汗を流しながら、光は俺を背中に隠して立ち上がった。
「Sクラスがまだ、私とファーストを含め9体は残っているはずだから」
「……あーね」
周りを取り囲んだ少女たちの雰囲気は、これまでの個体とは大違いだった。光やファースト、俺の左腕を犠牲にする他なかった2体と同じ、世界最強の選ばれし『殺戮機械少女』たち。
国際連合加盟国の保有するSクラスの機体のほぼ全てが、ここに揃ってしまった。俺を相性が悪いから諦めると言っていたエカチェリーナと元『アルカサル』のファースト、俺を庇う橘光以外の、生存中の機体の全てが敵になって現れた。
一人の少女が俺を背中にする光に歩み寄ってきた。光と同じ標準的な体格の少女だ。右目に大きな傷が縦に走っている、隻眼の少女。綺麗な黒髪のショートヘアーで、黒い軍服と軍帽を被っており、右耳に前髪をかけている。
相対する光が声をかけた。
「……シャーロット」
「これはどういうことだ、橘光」
光がデコピンの構えをいつでも作れるように、右手を軽く握りしめた。その挙動を見逃さなかったシャーロットという少女は、光の背中に隠れている俺を指差した。
「突如現れたナチス製化学兵器。それも珍しい、男。今日までで約100体以上の『殺戮機械少女』を破壊しており、先ほどSクラスロシア製音響兵器のヴェロニカもやられたことが分かった」
「……ヴェロニカを」
光が驚いた声を出して、俺に振り返った。やはり相当に強い個体だったか、あの音響兵器。まともにやり合えば勝ち目はなかったかもしれない。
「危険すぎる。そのような者が野放しにされていいはずはない。何を庇う」
シャーロットが右手を開くと、黒くて細かい物体がじわじわと溢れてくる。何だ、あれは。
対抗する光は、ついにデコピンの構えを取ってシャーロットに向けた。
「好きだから」
「世迷言を」
光は俺の襟元を引っ掴んで空に跳躍した。勢いよく距離を離していきながら、デコピンでレーザーを放つ。光も最初から本気のようで、地上に見えたSクラス『殺戮機械少女』の全員が爆撃で見えなくなった。
もこもこと吹き上がる土煙を滞空しながら見つめると、光は俺の右腕を肩に抱え直してきのこ雲のように膨れ上がる煙を見つめる。
すると、6体の影が一斉に煙の中から飛び散った。右へ3体、左へ3体が分散する。挟み込まれると判断したのか、光はさらに上へ上昇していった。
しかし、それを左下から迫ってくる3体の少女たちが許さない。その内の1体が勢いよく下から迫ってきて、光の目の前に現れた。めちゃくちゃ大きな大剣を握っている少女だ。そのくせ、体格は中学生のようだった。青髪でおさげの地味な見た目の少女は、涙目で不似合いな大剣を振り上げてきた。大きな出刃包丁のような大剣で、全長が約三メートルはあった。
「ひ、光ちゃん、ごめんなさい」
「マリア……!!」
光は咄嗟に俺を地上に向けて突き飛ばすと、右手から電流で作った刀『雷剣』を生み出した。振り下ろされたマリアという少女の大剣を受け止めると、その姿が一瞬で消えた。そして、見渡せる限りでは一番遠い山にまで、森を突き破りながら光は消えていった。
俺が見た中で、最大級のパワーだ。循環状態の篤史以上かもしれない。中学生のような体躯には不似合いな大剣を両手で握りしめたマリアは、恐る恐るといった様子で俺に顔を向けてきた。
「ごめんなさい」
少女は俺に向かって申し訳なさそうに謝ると、三メートルはある大剣をくるりと回転させて、槍投げのようにして振りかぶった。
「『発射』」
「……へ?」
あんな大きな大剣が、一瞬で俺の眼前にまで移動してきた。いや、そうではない。大剣がまた大剣になっていた。そう、先ほどのサイズよりも百倍は大きな、ビルと並んでも違和感のない大剣になっていたのだ。一瞬で大きくなったから、俺の首に太い先端が触れる。
(何だこの子!?)
少女が大地を切断するような大剣を突き刺してくる。
俺は思い切り身をよじって回避する。山一つを真っ二つにして大地に突き刺さった大剣は、巨大なダムの防水壁のようだった。
そびえ立つ刀身を蹴り飛ばして、吹き飛ばされた光のもとへ向かった。しかし、俺の目の前にまた別の個体が2体現れる。双子の少女たちだった。白髪と黒髪の混じったおかっぱ頭の二人が、俺に手を向けてきた。俺は逃げようとするが、空中での移動速度が落ちていることに気づく。霊石エネルギーが弱まってきているからだ。逃げられない。
その時、横から光が飛んできて俺の体を抱きしめた。そのまま地上へと落ちていくときに、俺は驚愕の光景を目にする。俺に手を向けていた少女二人の前には、氷漬けにされた大地が果てしなく広がっていたのだ。
光は俺を抱きしめたまま転がっていき、双子の少女たちに向かってデコピンを構えた。
「照射展開―――出力レベル3」
電光石火の爆撃が炸裂する。煙が立ち上り、晴れていく。そこには、先ほどのマリアと言われた少女が大剣を盾にして双子の少女たちからレーザーを防御していた。
苦い顔をした光は、両手を広げて呟いた。
「『プラズマ』」
光の掌の空間が歪んでいき、バチバチと電気の球体が生まれていく。恐らく、光の出せる手札の中でも最大の一撃だ。ウラン兵器型の九条竜次すら血を流した破壊力がある。さすがにこれには恐怖を覚えたのか、マリアと双子の少女たちは驚いた顔で身構えた。
光はそれを容赦なく二人に放つ。とんでもない爆撃が炸裂する―――前に、光と俺を残り3人のSクラス『殺戮機械少女』が一瞬で包囲してきた。光を挟むように、まだ得体のしれない少女二人が立っている。さらに、俺はシャーロットと言われた軍服を着た機体に背後を取られてしまっていた。
「『プラズマ』か。軍艦すら沈む一撃。撃たせんぞ、橘光」
俺の背後に立っているシャーロットが言って、俺の右腕を掴んできた。手首に強い力が入れられ、骨がきしんでいく音がする。俺は思わず声を上げてしまった。
「っぐ、がああああああっ!!」
「テツヒト!!」
うずくまった俺を見て慌てる光に、シャーロットが冷たく言った。
「橘光。プラズマを消せ。それはマリアたちもただではすまない」
「無理。これを消したらテツヒトが殺される」
「ふむ。分からぬか、貴様ほどの古参が」
シャーロットは俺の前に回ると、腹部に蹴りを打ち込んできた。何度も何度も、蹴り続けられる。既に体温上昇の防御が発動しない俺は、なにも入っていない胃袋から胃液だけを撒き散らした。
俺の後頭部に靴底を叩きつけて、土下座の格好を強制してきたシャーロットは、振り返って光に言った。
「プラズマを解除しなければ、この男を痛めつけて破壊するぞ。貴様もよく知っている私の『ペスト』で、ゆっくりと確実に苦痛の中で殺す」
「……やめて」
「なら解け。そうすれば、楽に殺してやる。霊石の力が弱まったのだろう、物質Nがまったく機能していない。今なら銃で頭を撃ち抜けるからな」
「……」
俯き、震えながらプラズマを解いた光を見て、ここまでだと俺は悟った。よくここまで守ってくれた。Sクラスを6体相手にして、俺はまだ生きている。それは光が頑張ってくれたからだ。
光は、後を追ってくるのだろうか。それは、やっぱり嬉しくないな。
(やめろ)
俺は息も絶え絶えの中で、光の顔を見た。見てしまった。
ああ、そんな顔じゃない。俺が見たかった顔は、そんな顔じゃないよ、光。泣くなよ。そんな顔で俺を見るな。やめろよ、やめてくれ。
笑ってくれよ、光。
頼むよ。
「テツヒト、ごめんね」
光は泣きながら笑ってきた。ああ、そうだ。俺はお前の笑った顔が見たかった。ふくれっ面が見たかった。胸を張ってドヤるお前の顔が好きだった。
違うだろ。
その顔はまったく―――
「―――違う」
俺の頭を踏みつけている足を、右手で掴んだ。シャーロットは最後の無意味な抵抗だと判断したのか、特になにも攻撃してこなかった。ああ、まったくその通りだ。俺にはもう、物質Nを生成する力が残っていない。
だから、俺は足を退けてふらふらと立ち上がった。
そして、面を上げた。
「……テツヒト?」
光の問いかけに、答えることはもうできない。
「ごぷっ」
俺は口から血を吐き出した。ゴポゴポと溢れていく血液が、ついに勢いよく地面に散らばる。
シャーロットは、俺の顔を見て目を見開く。そんな彼女の身体に、俺は口からぺっと自分の舌の残骸を吐きつけた。
地面に転がった真っ赤なベロに、俺以外の『殺戮機械少女』全員が釘付けになった。
俺は舌を噛み切ったのだ。
「まさか、自分から死ぬとは―――」
言いかけたシャーロットの首元に俺は噛み付いた。瞬間、彼女の絶叫が上がった。俺の食らいついている部分から、肉の焼ける匂いが充満していく。肩の肉を鎖骨と一緒に、口いっぱいに食いちぎった俺は、激痛に白目を向いて倒れたシャーロットを一瞥した。
(……あー)
呆然としている『殺戮機械少女』を二人、俺は捉えた。光を挟んで立っている奴らだ。手前の俺に近い方へ踏み込んで、襟首を引っ掴み首元に食らいつく。
しかし、俺は噛み付いた瞬間に蹴り飛ばされて、地面を転がっていった。
(……あー、今、すっげえタバコ吸いたい)
青ざめた顔で俺を見た少女のもとに再び走っていく。しかし、その前にマリアと言われた少女が立ち塞がった。大剣で俺の首を横薙ぎに切り落とそうとする。
(そういえば、今日一本も吸ってねえじゃん)
だが、俺はその刃に食らいついて受け止めた。
刃を噛みちぎり、唖然とするマリアの小さな体を蹴り飛ばす。結果、光を挟んでいた二人の少女を巻き込んで転がっていった。しかし、俺の目の前に双子の少女が舞い降りる。
(ってか、舌噛み切ったし、もう吸えねえのか)
再び手をかざして凍結させようとするので、俺は口にダバダバ溜まっていく血を吹きかけてやった。瞬間、それは凄まじい高温物質として少女二人を炙る。凍結系の兵器だからか、身体が簡単に焼けたり溶解はしないが、苦しそうな表情で俺を睨んだ。しかし、ひるんだところを一人蹴り飛ばし、もう一人を殴り飛ばす。
(あれ、俺、なんでこんな必死に、戦ってんだっけ)
双子は追撃しようとしてきたが、俺が光の前で膝をつくと、攻撃してこなかった。光を巻き込めないと考えたのか、俺がもうくたばることを悟ったのか。分からないが。
俺はかすむ視界の中で、ようやく会いたかった少女を前にした。
(ああ、そうだ。俺、こいつに言うことがあって、ここまで来たんだ)
涙が流れている光の顔と向き合った。
すごく綺麗な、涙だった。宝石でも落ちていくような輝きだ。
(その顔は違うって、言わなきゃ。……あれ、声が出ねえ)
血を豪快に吐き出した。喉に流れ込んで詰まっているのだ。ああ、このままだと窒息死する。時間がない。どうしようか。しかし、声が出ないんじゃ、もうどうしようもない。
(馬鹿だなあ、おれ。舌噛み切ったら、だめじゃん……。何か伝えたい。せっかくここまで来たんだ、何か)
蛇口をひねったように血が口から溢れていく。そんな俺を真っ直ぐに見つめている光は、雨の中に一人でいる子犬のように小刻みに震えていた。弱々しく、彼女は首を横に振る。
(―――ああ。そうだ。シンプルにいこう)
真っ赤に染まった口を開いて笑った。
俺は光の手を握る。一本しかない手で、彼女の手をできるだけ強く握りしめた。
そして、俺は口を動かした。
意味が、伝わるように。
声にならなくても、動きで分かるように。
「―――」
光の目から勢いよく涙が溢れ出す。大きな青の瞳から、海の水が流れていく。意味が伝わったことを確信した俺は安堵した。その時、胸に衝撃が走り抜けた。遠くから銃声が聞こえて、何かが俺の胸部に穴を空けた。
終わりみたいだ。
俺は地面に崩れていく。最後に思ったのは、光って綺麗に泣けるんだな、ということだけだった。
彼が動かなくなった。
舌には血液が膨大に溜まっている。彼はそのことに気づいて、まだ物質Nが舌に蓄積されている可能性にかけたのだ。実際にわずかな物質Nが流出し、その最後の力を振り絞って、彼はわざわざ私の傍にまでやってきた。何かを伝えようとしていたのだが、喋れないことに気づいたのか、最後は私に口の動きで「ありがとう」と伝えると、凶弾に倒れてしまった。
動かない。右肩を揺すってみる。動かない。何回か揺すってもだめだった。私は彼の亡骸を抱き起こして、ぎゅっと正面からハグをした。右肩に顔を埋める。温もりがない。ああ、何度と見てきたから分かる。これは死体だ。肉塊だ。ここに彼は、もういない。私はそれを誰よりも理解している。それなのに、分かっているのに、どうしても抱きしめる手を離せなかった。
涙は止まっていた。
ただ、頭の中がぼうっとするのだ。何も見ていない。ただ曇天の空の下、彼の亡骸を手放せない。
誰にも、この死体は渡さない。
絶対に。死んでもいい。この亡骸は、私のものだ。譲らない。触れさせない。近寄ってくる奴は、全員殺してやる。
私の殺気を感じ取っているのか、Sクラスの『殺戮機械少女』たちはこちらに寄ってこない。もう、十分だろう。誰が撃ったのかは分からない。Sクラスの少女たちの誰かだろうか。それとも、増援で待機していた他の『殺戮機械少女』だろうか。
分からない。もういい。
私は彼と一緒にいる。ただそれだけだ。彼は最後に手をつないでくれた。また約束を守ってくれた。一緒にいる、という約束を。苦しかったのに、痛かったのに、それでも彼は最後に私の傍までやってきて手をつないで死んでくれた。
ならば、私も約束を守らなくちゃいけない。
ずっと一緒だ。どこにも行かせない。この手の中から。
「……帰ろうよ。テツヒト」
私は亡骸を背負って歩き出した。大きいな。身長が高い。筋肉もかなりついていて、こんな身体をしていたのか。もっと触れ合って、知っておきたかった。
おんぶ、私がしちゃったね。普通、逆だよね。
「待て、橘光」
意識を取り戻したシャーロットが、私の背中に声をかけた。私は振り向かない。ただ、黙って彼を背負いながら立ち去っていく。
「待てと言っている。その死体、『アルカサル』に持っていく気だな。きちんと霊石を取り除いて処分を―――」
「うるさい」
バチバチバチバチバチバチィィィィッッ!! と、周囲一体に最大出力の電気を流した。電流の湖が木々を焼き払い、倒し、いたる所から煙が上がっていく。
シャーロットは、それから声をかけてこなかった。他の機体も、下手に追ってきたり声をかけたりしてはこなかった。懸命な判断だと思う。今の私なら、彼女たちを殺せてしまうから。
歩く。
森の中を、ただ歩く。
少し開けた場所に出ると、私の位置情報を特定して待っていたのか、アリスとエマがヘリコプターを止めてそこにいた。こちらを見つめている表情は分からない。私は黙って俯きながら、彼を背負ったまま開かれていたヘリコプターの後部座席に乗り込んだ。アリスやエマも、私に声をかけなかった。
座席に座ると、彼の亡骸を膝枕して髪を撫でた。
長い四日間が終わった。彼は世界中と戦って四日間も生き延びた。私を守るために。ただ、それだけのために、彼は最後まで戦い続けた。
「テツヒト」
血まみれの彼の口にキスをする。物質Nが残っていれば致命傷になるが、それならそれで構わない。私は血の味のする最後のキスをして、彼の頭を撫で続けていた。
私こそ、ありがとう。
そして、ごめんなさい。
「やっぱり、好きだよ。―――やだよ。ねえ、テツヒト」
返事はなかった。
運転席と助手席に座ったエマとアリスが、扉を閉めた音がした。それを合図に、ヘリコプターは上昇していき、『アルカサル』へと帰還する。