第十五話 修羅場
「いいわよ」
「え」
一週間後、俺は再びファーストのお見舞いに病室へ訪れていた。だいぶ良くなってきたのか、痛みに苦しむような様子はまったくない。顔色もよくなっていて、見てくれは綺麗な美少女である。肩まで伸びたサラサラの黒髪に、切れ長の大きく綺麗な瞳。性格さえよければなあ、と何度目か分からない嘆きが心に響いた。
俺は買ってきた缶コーヒーを一緒に飲みながら、とりあえず駄目元で話してみたのだ。俺の部屋とつながっているログハウスに、退院後は住んでくれないか、と。
断られると思っていたら、こっちは即座に承諾してくれた。
俺は改めて確認を取る。ファーストはベッドに上体を起こして座っていて、缶コーヒーを上品に両手で持って口に運んでいた。
「えーと、『アルカサル』全体には内密なんだ。俺の部長さんが個人的に協力してくれて、用意してくれた物件でな。1LDKの平屋のログハウスらしい。前に住んでいたログハウスより全然小さいけど、いいのか」
「一人で使うには大きすぎて後悔したわ。ちょうどいいサイズじゃない。外に椅子とテーブルを置いて、のんびりくつろごうかしら」
「まじか。いいのか」
「しつこいわね。他にこの国じゃ行く宛もないもの」
「よかった。助かるぜ」
困難かと思っていた問題があっさりと片付いたので、テンションの上がった俺は、ぐびっとコーヒーを一気飲みした。
ファーストは俺をちらりと見て、咳払いをしてから口を開いた。
「ところで、これは一体何の真似かしら」
「な、なにが」
ファーストの座っているベッドの横には机がある。その上には、俺の持ってきた見舞品がどっさりと置いてあった。果物とか、お菓子とか。とりあえず女の子が喜びそうなものをあらかた買って渡したのだ。
その見舞品の山を顎で指し、彼女は怪訝そうな目を向けてきた。
「なんで急に、ご機嫌取りをはじめるのよ。最初にここへ来たときなんて、りんごを丸かじりしていただけだったじゃない。なに、私のこと好きなの」
「ま、まあ、嫌いじゃないぞ、うん。好きかも」
「……なに企んでるんだか」
じとーっと、さらに怪しむ目線が送られてくるが何とか耐える。俺は、こいつと仲良くならなきゃいけないのだ。いざという時に、こいつの助けがより確実にもらえるように。接待だ。これは国防のための接待。思い出せ、『アルカサル』に連れて来られる前の、ただの人間としての生活を。肉体労働を数多くこなしてきたが、中には現場仕事ができるようになると営業をさせられた会社もあった。俺は、営業としての経験をフルでいかして、ファーストの心に入り込む。
「そんなことより、退院予定日まで後一週間だな。どこか出かけないか、一緒にさ」
「……それはデートのお誘いかしら」
「そうとも言える。どうだ、美味しいコーヒーでもさ。お洒落なヨーロッパ風のカフェがあるんだ、有名な。その後は映画でも見に行こうぜ。アクション系の大ヒットしてるやつがあるんだよ」
「……」
どうだ。俺の渾身の営業力は。お前のこれまでの言動から、恐らく確実に興味のあるデートプランを考えたぞ。お前は上品な黒いワンピースを着ていて、常に気品のある仕草を徹底していた。くわえて、住んでいたのはお洒落なログハウスだ。海外、特にヨーロッパ系の趣味嗜好が強いことは明らかだぜ。それにコーヒーは好きなはずだ。また、お前は生まれながらのドS野郎。戦闘時の敵をからかう言動や、ガトリング砲を自慢気に扱っていたことも踏まえると、アクションやバトル系の映画も興味がゼロという可能性は低い。
さあ、どう出る。
「……まあ、いいわ。どうせ、しばらくは暇だしね」
俺とは反対にある窓の先へ顔を向けて、ファーストは言った。表情は見えないが、声からして嫌嫌という感じはしない。
よし。
「そうこなくっちゃな!! 退院祝いにパーッと遊ぼうぜ」
「付き合ってあげるわよ。エスコートしなさい」
「おう。……あ」
そこで、俺は二人で出かけるのではなく、三人で出かけなければいけないことを思い出した。俺は光から離れられない。いくら物質Nの自然流出が抑えられるようになっているとはいえ、一般人に完全に無害というわけではない。……光も一緒って言わなきゃだめかな。でも、まあ二人でデートって言っていないし、いいかな。
ファーストは俺に振り向くと、ちょっと怒った様子で言ってくる。
「なによ。今更なしよ、キャンセルなんて」
「わ、分かってる。男に二言はねえよ」
「ならいいわ」
ファーストは少し微笑んで、飲み終えたコーヒー缶を机に置いた。そして、ゆっくりと足を床に下ろし、置いてあったスリッパを履いて立ち上がった。少しふらついているので、俺が肩を支えてやる。
「あら。自然にボディタッチができるなんて、慣れてるわね」
「からかうな。で、何だよ急に。どっか行くのか」
「―――病室の前にいる、ロシア製に挨拶してやろうと思ったのよ」
「げ。気づいてたのか」
病室の前で待機してもらっている光のことがばれていた。そういえば、『殺戮機械少女』は霊石エネルギーが感知できることを俺はすっかり失念していた。
「前もいたでしょう、あの子。あなた、どうしてあの子といつも一緒なのよ」
「あー、その……電磁波のバリアを貼ってもらっているんだ。身体に。これで物質Nの自然流出が完璧に抑え込めるから」
「なるほどね。あの子が傍にいないと、バリアが弱まるから一緒にいるのね」
「ああ」
「……デート、二人じゃないのね」
え、何かすごく悪いことをしたみたいな気分になってきた。珍しく、ファーストが伏し目がちになって小声でぼやいたからだ。何だよ、いつもなら意地悪な笑顔でからかってくるくせに……。
俺はとりあえず、光と間違ってもバトルしないことを約束して、病室のドアを開けてやった。すると、光がドアに寄って聞き耳を立てていたようで、ドアがスライドした拍子に俺に向かってバランスを崩してくる。
咄嗟に抱きとめると、光は俺の顔を見上げてきた。腰元まで伸びた長い銀髪がサイドテールでまとめられている。サファイアのような青い瞳は、やはりいつ見ても引き込まれる魅力があった。愛用の白い革ジャンに、今日は膝下まで伸びたスカートを履いていて可愛らしいコーディネートだった。だからなのか、俺は抱きとめた瞬間に顔が熱くなってしまった。
「長い。待った」
「あ、ああ。悪かったな」
「帰る。行こう」
「え、ちょ待ってくれって。まだ―――」
手を繋がれて、勢いよく病室から外に連行されそうになる。そこで、俺の背後から声がかかった。
「あらあら。私に挨拶もなしに行くのかしら。この間、あなたを助けてあげたのはどこの誰だかご存知?」
「日本製のへっぽこ兵器」
「ロシア製はへっぽこ以下という自己紹介、どうもありがとう」
「殺す」
ファーストにデコピンの構えを向けた光は、額に青筋が浮かんでいた。ちょっと本気で切れてないか、こいつ。俺は咄嗟にファーストと光の間に立った。
瞬間、光の頬がぷくーっと膨らんだ。
「どいて。テツヒト」
「待てって光。病院だぞ。さすがに撃つなよ」
「ファーストの味方するの」
「そうじゃなくて、場所が場所だろう。お前らの仲が良くないことは知ってるが、ここじゃだめだ。お前のためにもならねえって」
「……むう」
まったく腑に落ちていないな、こいつ。頬の膨らみが全然取れない。渋々といった感じで、ゆっくりデコピンの構えを解いた。とりあえず落ち着いたと思ったら、背後のサド女がいじめっ子スキルを発動する。
「あら嬉しい。守ってくれるのね」
ファーストは、俺の両肩から腕を通して抱きついてきた。咄嗟に振り解こうとするが、けが人相手にそれはできないと判断する。さっきだって、ふらふらしながら立つのがやっとだったのだ。
「やめろバカ。弱火になったのに、油を注ぐな。頼む」
俺の右肩に顎を置いて、ニヤニヤと光を眺めるファーストに懇願した。俺も光に視線をやると―――ぞっとした。頬の膨らみが取れているのだ。
ならば機嫌がよくなったかと言えば、そうではなく、まったくの逆である。無表情に、じっと感情の読めない無機質な目を俺に向けていた。え、待って、なんで俺なの。
「テツヒト。離れて」
「つっても、離してくれないんだが」
試しにファーストの腕を取って引き離そうとするが、さらに強く抱きしめられた。だめだ。こいつ全然やめる気がない。
「突き飛ばす。殴り飛ばす。肘を入れる。方法はたくさんある」
「いやいや、けが人相手に無理だろ」
「……嬉しいの?」
「は?」
光が一歩近寄ってくる。
「嬉しいから離れないの。ねえ」
「ま、待って、なんでこっちくる」
「私が引き離す。ファーストの怪我に興味はない」
「ひ、引き離すだけなら、右手からバチバチ電流を流す必要はないぜ光」
「?」
可愛く小首を傾げて誤魔化してきた。本気で電流を使ってファーストを攻撃するつもりなら、俺も全力で止めなくてはならない。
「ふーん。やっぱりね」
耳元でファーストが呟いた。
何を確認したのか分からないが、彼女はようやく俺の拘束を解いた。
「ま、別にいいわ。あなたみたいな子供、取るに足らないし」
「どういう意味。殺してってこと」
光は解放された俺の手をにぎって引き寄せる。ファーストを無表情に見つめているが、さてここからどうなるのか。
「―――私、退院したらデートにいくの」
「だめ」
「あら。私の母親気取りかしら」
「テツヒトとデートはだめ。他と行って」
「そう言われても、私は誘われただけよ」
「―――どういうこと、テツヒト」
光の顔を見ないようにした。絶対にちびるからだ。見なくても、とんでもない怒りが伝わってくる。具体的には、握られている手の骨がギシギシと悲鳴を上げているから、それで分かる。
「違う。光と3人でデートって意味だ。これから3人、上手くやっていくためのデートだ。そうだよなファースト」
俺は光ではなくファーストを見ながら言った。協力してくれ、という意味を込めて光から分からないようにウインクを送る。すると、彼女も微笑んでウインクを送ってくれたので、安心して息を吐いた。
「―――ロシア製のことなんて、いま初めて聞いたけど」
「あー!! そう!! そーゆうことするんだ!! 本当いい性格してるなお前!! 言ってなかったならごめんね!! あーごめんまじでごめん!! 光と3人でカフェ行って映画見ようぜ!! な!!」
「え〜、どうしようかしら。私は全然ロシア製なんて気にしないし、仲良くやっていいけど、肝心のそっちがねえ」
ファーストが俺の反応を見て、ニヤニヤ笑って答えてくる。俺は全力でメンチを切ってやった。すると、俺の隣にいた光がファーストを指差して言った。
「テツヒト。ファースト抜きで、私と二人でデートにいこう。機械兵器科の二人、もっと親睦を深めるべき」
「ふぁ、ファーストも入れてやろうぜ。可哀想だろ」
「? カワイソウってなに……?」
「仲良くしてよ、まじで……」
頭を抱えた俺は、埒が明かないのでファーストに助けを求めた。困っている俺を楽しそうに眺めていた彼女は、仕方ないという風にため息を吐くと、俺の傍にやってきて小声で耳打ちをする。
「―――」
「え?」
「いいから、言った通りになさい」
俺とファーストがこそこそ話しているのが、光は気に入らないようだ。頬がぷくぷくと膨らんでいき、顔の周りにバチバチと電気が溢れてきている。
俺はファーストに言われたことを、そっくりそのまま光に告げた。
「光」
「むう。なに」
「『俺と光が遊んでいるのを、後ろのファーストに見せつけてやるデートならどうだ』」
「私とテツヒトが遊んで、ファーストは遊ばないの」
「う、うん」
「……ならいい」
どうして納得してくれたのか分からないが、機嫌の直った光に連れられて俺は病室を出ていく。去り際にファーストに手を振ると、なぜか少し顔を赤らめて手を振り返してくれた。
「……服、用意しないといけないわね」