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第十三話 後日談

『ナチスの一族』トップの霊人―――九条篤史の引き起こした事件から、三日が経った。

 俺は、『アルカサル』提携病院の病室に訪れていた。ノックもせずに中へ入ると、綺麗な黒髪を肩まで伸ばした美少女が患者着の格好でベッドにいた。上体を起こし、座った状態で窓の外を眺めている。

「立場が逆転したな、ファースト」

「……ノックくらいしなさいよ、馬鹿」

 俺を睨んで罵倒してくるが、さすがに腹をひと刺しされた傷は深いのだろう。ぐっと痛みに顔をしかめた。

 俺はベッドのそばにあるパイプ椅子に座る。

「痛むか」

「痛くなかったら、こんな場所からとっとと消えてるわ」

「まあ、居心地は悪いだろうな。別の病院だったけど、お前は病院の人間を全員、皆殺しにしたし」

 俺は持ってきていたリンゴにかぶりつく。おお、なかなか上手いな。リンゴなんて久々に食うから、うまさが際立っている。

 シャリシャリとリンゴを食べる俺に、ファーストから真剣な眼差しが向けられていることに気づいた。

「なに」

「いえ。えぐいことはっきり言うな、と思って」

「ああ。まあね。でも、まあいいんじゃね。ここの病院の奴らは、お前が殺した奴らとは関係がないんだろう。だから、お前を襲わない」

「……」

「関係があって、許せなかったら、自分の妹の子供だろうと素質があれば世界最強の兵器にして薬物でラリらせて、暴走させて世界中と戦わせて、復讐したいやつをあぶり出して殺そうとする伯父を俺は知っている」

「私のクライアントね」

「ああ。だから、まああれだ。人って本当に許せなかったらとことん殺意を発揮するけど、関係なければどうでもいいんだろう。ちっと離れた街で犯罪があって人が死のうと、離れた国で一日に何百人って死のうとさ。だから、お前がしたことはここの人間に関係ないんだろうから、まあ気負うなよ」

「出た。クズ哲学」

「それやめろ。ちょっと気にしてるんだ」

 ファーストはふっと笑うと、俺のかじっていたリンゴを勝手に奪って食らいついた。間接キスだぜ、それ。しかも歯型と歯型が合体する関節キスだぜ。……なんで恥ずかしくないんだよ。

「哲人君の味がする」

「……別にぐっときたりしないから」

「あらそう。残念」

「お前本当にいじめっ子だよな。真正のいじめっ子。サド女」

「あなたこそクズじゃない。振り切った清々しいクズ」

 いつものように言い合うと、俺はファーストの綺麗な横顔を見て尋ねた。

「で、どーすんの、お前」

「どうって。何が」

 リンゴを上品に小さくかじりながら、ファーストは聞き返した。

「これからだよ。一応、お前が今回防衛業務に協力してくれたおかげってことで、治療と回復完了まではここにいることを許可はされた。けど、その後はさすがに『アルカサル』には世話になれねえぞ。殺し合ってたんだからな、お前ら」

「何を言っているのかしら。私はあなたの護衛が今の仕事よ。私の衣食住はあなたが責任をもってくれるのよね」

「……え?」

「契約、したじゃない。あなたを守るって」

「あ、いや、したけど。したけども。何で俺が」

「だって、一緒じゃないと、いざっていうときに守れないじゃない」

「……」

「あ。あと、今回の給与はいつもらえるの。早く頂戴」

 満面の笑みを咲かせて、ファーストは俺にリンゴを返してきた。……なんか自然に食わないと負けた気がする。間接キスとか気にしたら絶対に負けだと思う。特にこいつは絶対にいじってくる。

 俺はリンゴにかぶりつく。すると、ファーストがずいっと顔を寄せてきた。綺麗な顔が、美しい黒の瞳が、俺の目と鼻の先にあった。

「……なんすか」

「あなた、私のこと好きでしょ」

「ふむ。とりあえず冷静に根拠から聞いておこうか妄想女」

「だって、私が刺されたとき、恋人でも殺されたように怒っていたじゃない。必死に戦って」

「っ!!」

 俺は思わず椅子から立ち上がった。

 咀嚼していたリンゴを一気に飲み込んで反論する。

「違う。お前じゃなくても怒ってた。むしろお前じゃないほうが怒ってた。あれは怒ってないから、ちょい切れだから。っつーかお前意識あったのかよ、ふざけんな」

「ちょい切れで食堂施設を溶解させるかしら。普通」

「結構見てやがったな!! 起きてやがったな!!」

「まあいいわ。私のことが好きなら、まあ告白してもいいわよ。振るけど」

「振るのかよ、ならさせんな!! ひでえわ!!」

「んー、そうね……。確かに、一生かけて私に貢ぐって契約して、あまつさえ死にかけた私を助けて勝てもしない相手に挑んで、その上での告白なら、振るのは可哀想かもしれないわ」

「……否定できん事実に歯がゆい」

 唸ってパイプ椅子に座り直した俺に、やはり意地悪な笑みを浮かべたファーストは言った。



「だから、いいわよ。キスくらいなら」



 俺の襟首を掴んで引き寄せると、軽いキスを不意打ちにも炸裂させた。それは、唇と唇の、しっかりしたキスだった。俺は何が起こったか分からずに固まった。時計の秒針が進んでいく音が延々と聞こえる……。

「長えよ!!」

「あらそう。ごめんなさい」

 何の謝意もこもっていないセリフを無視して、俺は口元を手で隠しながらファーストを睨んだ。

「何しやがる。頼んでねえよ」

「嘘、頼んでいたじゃない」

「……え? まじで?」

「助けてやった礼にキスをしろって言ってたじゃない」

「いつ!? どこで!?」

「今。目が言ってたわ」

「目は喋らねえんだよサド女っ!! 嘘ついてんじゃねえ!!」

 俺は咄嗟に口元を袖で拭おうとすると、サド女が俺の手首をがっつり掴んで阻止する。

 ぎょっとした俺を見つめると、俺とキスをしたばかりの自分の唇をぺろりと舐め取った。

「りんごの味ね」

「なんかエロいことすんなよ、反応に困るんだが……」

「あなたは?」

「は?」

「あなたのは、りんごの味?」

「同じことしろってのか、無理に決まってんだろいじめるのも大概にしろ!!」

「あらそう。なら私が」

 今度は掴まれている腕を引き寄せられ、ファーストの顔がまた目の前にあった。そして、ぺろりと俺の唇を舐め上げる。驚いた俺はもう一度離れようとするが、腕をがっちり掴まれて身体が動かない。逃げ場すら与えないとか、サディストの極みすぎるだろ。

「ん。やっぱり、りんご味ね」

「俺の初キスをよくもてめえ!! エロ漫画みたいないじめ方すんじゃねえよ!!」

「初キスは大事よ。くだらない、どこにでもあるようなキスじゃもったいないわ。大量殺人を犯してきた美少女とのキス、一生に一回の思い出としては最高じゃないかしら」

「自惚れるなサド女、離せ!! 俺には、俺にはエマさんがいたんだ!! エマさんのために今まで大事に取ってきたんだ……それを、お前ぇ……!!」

「あらあら、それは残念ね。お互いの初キスが無駄になっちゃったわね」

 ……お互いって……え、こいつ……。俺は驚愕の表情でファーストを見る。俺の顔色が変わったのを確認して、彼女は満足そうに笑っていた。最後の最後でとんでもない爆弾を残してやがった、この女。

「ぽんぽんキスするな。もう帰る」

「あら、怒らせちゃったかしら。嬉しくなかった?」

「……」

「んー、変に正直というか、素直というか。やっぱり変な人ね」

「うっせえよ。またな」

 立ち上がって、腕を掴んでいる華奢な手を引き離そうとした。その時、やけに小さな声が響いてきた。

「ねえ」

「なんだよ」

「―――ありがとう。助けてくれて」

 ファーストは俯いて、蚊の鳴くような声で礼を言ってきた。少し驚いた俺だったが、素直に礼を言われて嬉しいわけがない。俺は笑って返してやった。

「おう。元気になれよ。じゃあな」

「……なんで来たばかりでそんなに帰りたがるのかしら」

「お前があーいうことするからでしょーが!!」

「なら、もうしないから。もう少し付き合いなさい」

 ファーストはゆっくりと上体を起こすと、ベッド脇にあった机の上にある缶コーヒーを2つ取った。

 俺に一本手渡し、勝手に一人で飲み始める。

「なにこれ」

「……コーヒー飲むって約束。守ってあげたのよ」

「え、お前これどうしたの。動くの辛いだろ」

「……」

 こいつ、まさか俺が来る前に用意しておいたのか。結構な痛みがあったろうに、わざわざ……。

 俺は思わず笑ってしまった。

「ぷっ、ははは!!」

「黙って」

「なんだよ、コーヒー飲みながら話すって約束じゃなかったか。確か」

「なら何か喋りなさいよ。男でしょ」

「男は関係ねーだろ」

 ファーストは、多くの人々にとって恨まれるべき存在かもしれない。国家のために戦争で多くを殺し、今は金のために殺し屋をしている。俺は、実際にこいつが人をあっさりと殺すのを見たし、俺自身も何度か殺されかけている。

 それでも、何の因果か、一緒にコーヒーを飲めている。

 光は俺に言った。俺たちには縁があるのだと。俺が光を救い、光が俺を救って一緒にいるのは、そういうものだったのだと。ならば、ファーストにおいてもそれは同じだ。俺は彼女に助けてもらって、最後は俺が助けた。そして、もう一つ、俺とこいつは人殺しの一点で一緒だ。

 俺は、篤史の放った『ナチスの一族』構成員を二人、殴り殺しにした。殺す必要はなかったはずだ。それでも、怒りと恐怖に我を忘れて殺してしまった。ファーストも、そんな殺人を重ねていったのではないだろうか。そんな殺人を重ねざるを得なかったのではないだろうか。そうして、心が闇に染まっていったのではないだろうか。

 やめだ。

 ファーストの過去に関心も、意味も、俺にとってはそれほどない。自分を尊ぶだけの生き方を、俺は選んだじゃないか。ファーストと『アルカサル』に過去なにがあったのか。どうして今は大金を稼ぐ必要があって殺し屋をしているのか。俺は、彼女のことを深く知らない。そして、別に知る意味はない。彼女が話したくなったら聞けばいい。俺は彼女の過去に関心を寄せていない。そんな俺の心境を彼女も分かっているから、こんなふうに俺と気楽に関わっていられるのではないだろうか。

「―――え、まじで給料の全部取るの」

「当たり前じゃない。言ったでしょ。死ぬまで搾取するって」

 どこにでもいる意地悪な少女にしか見えない兵器の笑顔は、とても純粋で綺麗だった。











 オートバイにキーをさして、エンジンをかける。自衛隊で扱うオフロードバイクは、単気筒の扱いやすいエンジンだ。しかし、シート高が高い。オフロード走破のためとはいえ、177センチの俺ですら跨がれば両足の踵が少し浮いてしまう。これは慎重に運転しなくてはいけない。今日は二人乗りなのだから。

「よし。いいぞ、光」

「ん」

 ジェットヘルメットを被った光は、オートバイの左側から後席に乗った。オートバイは左側にスタンドがあって傾いているので、左側へは倒れない仕組みになっているからだ。俺の腰に手を回すと、出発準備の完了したことが分かる。俺はオートバイを真っ直ぐに立てると、スタンドを左足の踵で払って収納し、ゆっくりとアクセルを開けていった。

「出発だ。いざ食わん海鮮丼」

「あと富士山だね」

 トルクが発生し、ぐっと身体が引っ張られる。俺はそのままアクセルを回していき、途中でギアを上げる作業を繰り返す。『アルカサル』地下基地のある中野区自衛隊駐屯地の正門から出ていって静岡方面を目指した。

「ヒャッハー!!」 

 おおっと。興奮のあまり、思わず世紀末に聞こえてきそうな声を上げてしまった。バイク最高、気持ちええ。今、俺は風だ。どこにもいない、そしてどこにでもいける風。俺は右手をひねる度に風になれるのだ。ドドドドドドッ!! と、エンジンが唸って俺に元気よく答えてくれる。車のように守られていないからこその自由が、ここにはあった。身一つで風になる素晴らしさを、肌身をもって痛感する。

 信号で止まると、後ろから光が背中をぽんぽんと叩いてきた。

「テツヒト楽しそう」

「当たり前だ!! こいつは俺の唯一の趣味だからな!! ―――光はどうだ、怖くないか」

「平気。飛んでる方が早いし」

「そりゃそうか」

「だから、楽しい。海も、楽しみ」

「なら結構。海鮮丼食いてー!!」

「……テツヒト。昨日はファーストと何を―――」

 信号が進めと命令してきたので、俺は指示通りに右手をひねる。自衛隊で使う大きなオフロードバイク。最初は緊張したが、今ではすっかり慣れたもので、二人乗りでも十分にパワーがあるので助かった。

 しばらく走っていくと、また信号に捕まった。ぽんぽんと今度は肩を叩かれたので、振り向かずに背中の光に話しかける。

「テツヒト」

「おいおい光、見ろよあれ」

「?」

「アメ車だ。高えけどかっこいいよな。ん? おいまじか、あれ五十年前のモデルじゃねえか。しかも、カスタムなしのノーマル。初めて見る」

「テツヒト、車も好きなの」

「ん、まあ好きだな。高いし維持費やばいから買わねえけど」

「バイク買わないの。お給料もらえる。テツヒトの好きなバイクに乗せて欲しい」

「ん、ん〜……俺のお給料は……その……昨日交渉した結果、取り分が7対3になったとはいえ、ちょーっと心もとないからなあ」

「……あ。テツヒト、昨日ファーストと何を―――」

「飛ばすぜ。掴まってろよ」

 俺は再び走り出すと、途中から信号で止まっても光が声をかけなくなったことに気がついた。うん、というか、なんか不機嫌になっていることに気がついた。ミラーに頬が膨らんでいる光が映っているからだ。俺は信号で止まると、振り返って光に言った。

「おい、どーしたよ」

「むう。テツヒト、わざとやってたの」

「……? なにが」

「ならいい。―――昨日、ファーストと何を話していたの。病室の外で待っているように言われたから、私はテツヒトとファーストのやり取りを知らない」

「……なぜそんなことを聞く」

「気になるから」

「……まあ、あれだ。俺の国防業務で発生する報酬をやるって約束で助けてもらったからな。礼とか、今後の取り分の話とか、まあそんな感じ」

「いつまであの女にお金払うの」

「……死ぬまで、らしい」

「不当。やっぱり私が殺しておく」

 物騒な発言を聞くと同時に、信号が青になったので進んでいく。今の怪我の治った万全な状態の光ならば、手負いのファーストは確実に仕留められるだろう。冗談にならないから、かなりヒヤッとした。

 俺はしばらく走っていって、信号で止まると振り返る。

「まあ待ってくれ。あいつは金で動く純粋な女だ。俺が契約を守っていれば変な真似はしない」

「そういう問題じゃない。テツヒト、あいつのことも好きなの」

「んな訳ねーだろ、俺はエマさんを愛してる!!」

 パコン!! と、ヘルメットを叩かれる。まるで虫を叩き潰すような素早さと気軽さで叩かれた。いつもどおり頬を膨らませた不機嫌な顔で、光はぷいっとそっぽを向いてしまう。

「青だよ」

「え、待ってなんで叩いた!? ねえなんで!?」

 脈絡のない暴力にビクつきながらも、仕方なく俺は前を向いてアクセルを回す。しばらくは信号に捕まらずにすいすいと進むことができた。気づけば神奈川に入っており、平塚市の看板が見えたので、そろそろ相模湾に出ることが分かる。

 俺はミラーで光の顔を見る。あちらこちらを見回していて忙しそうだった。普段は訓練や実戦以外で外出を一切しない、と言っていたから見るもの全てが目新しいのだろうか。

 楽しい、という言葉は嘘ではないらしい。

 俺は笑って、背中越しに大きな声で叫ぶ。止まっていないので聞こえづらいからだ。

「ひかるー!! まえまえー!!」

 聞こえたようで、光は俺の肩から顔を出して前方を見る。キラキラとした青い輝きが散らばっており、それが視界いっぱいに広がっていく。俺も無意識に感動の声を上げるほどだった。

「海だ海!!」

「……海。これが」

 完全に海岸沿いの道路に出た俺は、もはや歩いて触れられる距離の海に思わずアクセルを緩めていく。左のレバーを握ってクラッチを切り、足元のペダルでギヤをニュートラルに入れてからエンジンを切る。サイドスタンドを靴先で蹴ることで出すと、ゆっくりとオートバイをスタンド側に倒して、完全に停車した。

「もう降りていいぞ。海、見たいだろ」

「ん!!」

 珍しく興奮気味に頷いた光は、ヘルメットをしたままオートバイを降りて、そのまま砂浜に突っ込んでいった。俺は、その無邪気な姿に笑ってから同じ砂浜に足をつけた。光の近くに寄っていって、広大な青を前にタバコをくわえて火をつけた。

 海辺だというのに、風が意外にも穏やかだった。

「テツヒト。テツヒト」

「んー?」

 携帯灰皿にタバコの灰を落としていた俺に、光が駆け寄ってきた。

「こんな綺麗な海、はじめて。綺麗、すごく綺麗」

「はじめて……って、戦時中に見たんじゃ―――」

 そこで、俺は大きな勘違いをしていたことに気づく。光は戦時中に海岸や海上で戦ったから、海を見たことがあったのだ。―――軍艦や爆撃機が往来し、爆発と悲鳴が常に轟く、ぷかぷかと死体が浮かんだ海を、だ。

 そうか。光は、平和な海を知らないのだ。

 はじめてなのだ。

「……」

 俺は煙を大きく吸い込んで、ゆっくりと時間をかけて吐いていった。煙が空に立ち上っていき、それを光は目で追った。光はようやくヘルメットを脱いで、空に消えていった煙をずっと見上げている。俺はといえば、光に目を奪われていた。真っ直ぐに下ろされた長い銀髪が、海風に揺れてキラキラと輝いていた。青い瞳がまた青い海を映している。その濃く深く海そのもののようになった瞳に、俺は飲み込まれた。

 光は、ぼやいた。

「海で死んでも、空にかえるの」

「え?」

「海で、たくさん死んだ。殺した。けど、海の中は暗い。空にのぼっていけないなら、地上で殺してあげるべきだった」

「魂の話か」

「うん」

「なら大丈夫だろ。魂って身体から抜けるくらい軽いんだろ。幽体離脱とかさ。だから、海で死んでも空に登っていったろうよ」

「……ん」

 俺は、光が悲しむような顔を見たくなかった。

 だから、何とか屁理屈をこねた。

「人間が死ぬのは一度だけ。命は神様からの借り物だ」

「そうなの」

「知らん。シェイクスピアか誰かが言ってた。だから、借りたものは返っていくんじゃねーのかな、神って奴のところに」

「神様って空にいるの」

「それも知らねえな」

「適当」

 光の顔が穏やかに緩んでいく。

 俺はタバコを吸いきって、携帯灰皿に吸い殻を入れると踵を返した。

「さ、飯だ。港で何か食おうぜ」

「海鮮丼食べる」

「やっぱり海鮮丼だよな。俺はマグロ漬け」

「私はいろいろ食べてみたい」

「なら盛り合わせだろうな。行くか」

「ん」

 光と並んで引き返す。

 俺がヘルメットを被ろうとしたとき、光が妙なことを言ってきた。

「……約束」

「約束? なにがだ」

 少し俯いて、彼女は続けた。

「約束、守ってくれた。ありがとう」

「……ああ。海に連れて行くってやつな。何だよ改まって」

 俺はヘルメットを被ってオートバイにまたがる。親指で背中を指し示し、光に乗るように伝えた。すると、光が乗り込んできたのだが、ぎゅっと腰に手を回された。先ほどのような軽い密着ではない。力強く、背中に抱きつかれているのだ。

 ……なぜ抱きつく。

 疑問を覚えたが、わざわざ触れるようなことでもない。俺はエンジンをかけて走り出した。

「テツヒト」

「あ?」

「―――」

「え、なに!? 聞こえね―!!」

 走り出してしまったタイミングで光が何か言ってきたが、エンジン音や風の音でかき消されてしまった。ミラーを見ると顔を赤くして俺をじっと見ている光が映っている。

「なんで顔赤いんだー!! ひかるー!!」

「っ」

「え、ちょ、いたっ、いたいなに!?」

 光はバシバシと背中を軽く叩いてくる。俺は事故らないように背後からの攻撃を背中で受けとめながら走っていく。オートバイは、俺達二人だけを乗せて走っていった。二人しか乗れない、二人だけの乗り物。俺と光にはうってつけの代物かもしれない。

 ……バイク、買おうかな。二人乗りがもっと楽なやつ。

 ってか、背中痛い。まだ殴るのかよ。

 俺は光と港町に向かいながら、一つ、重要なことについて考えていた。霊石の起源だ。俺たち九条の一族が霊石を持って生まれる霊人で、俺達には産まれた時から霊石が心臓として機能している。だが、ならば『殺戮機械少女』に使われる霊石は、一体どこからやってくるのか。光もファーストも元はただの人間で、後天的に霊石を埋め込まれた。ファーストの霊石は、確か世界で初めて発見された霊石で、富士山にあったと彼女自身が言っていた。

 日露戦争前の日本をきっかけに、世界中で次々に発見された霊石。その現象に一つの仮説を立てると―――

(―――九条一族が昔、世界中に散らばって、死んだ後に残った心臓が霊石ってことなのか。大昔に死んだ俺の一族の人間の死体から残った霊石、それが近代になって発掘された。もとは心臓サイズだったが、年月とともに風化でもして小さくなっていったもの……それが世界中で発見された……)

 世界中で発見された霊石の正体は、九条一族の風化した心臓。

 ならば、生命エネルギーを放出する特性も納得はいく。篤史や親父みたいな二百年も生きる異常な生命力、身体能力から察するに、相当な生きる力を与えてくれるものだろう。そんな俺たち九条一族の心臓は、世界中に散らばっていた。なぜだ。

(昔、何かから逃げたのか。世界中にばらばらになって逃げるほどの脅威があった。でないと、世界中に分散する意味がわからない。少しでも生き残る奴がいるように、あえて分散した……)

 俺の母親が、当時、九条一族における唯一の女性であったという点も気になる。それに、篤史や親父以外にも、九条一族の人間はいないのだろうか。他にも霊人がいてもおかしくはない。二百年も生き残る種族なのだ。

 霊石について、まだ謎が多すぎる。

 この推理は、まずアリスに報告してから光やファーストに共有するか考えよう。霊石―――九条一族を中心に、何かとんでもないことが起きる気がする。  

 だが、今は、せっかくの休みを楽しもう。

 俺は思考を止める。右手をひねって、光と一緒に風になる。


 

拙作にここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございます。今後もまだ続きますので、よろしければご愛読くださいませ。


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