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第一話 黒と白の殺戮機械少女

SFの皮を被ったファンタジー、シリアスの中のラブコメを目指しています。暇つぶしに、ぜひ読んでやってください。

 ―――仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、始めて解脱を得ん―――

      臨済義玄『臨済録』







 俺の人生は、あの日、人を殺したことから始まった。今でも覚えている。殴殺したのだ。武器や罠には頼らず、感情の奔流に飲み込まれる中で、気づけば両の手の指が全て折れていた。そいつが死んだことなど気にも留めなかった。

 脳を破壊し、命を奪っただけで終わらず、魂のかえっていった空蝉の肉体をひたすら殴り殺していた。だから、指が折れてしまったのだ。やめておけば良かった。殺したあとも殴打をしなければよかった。手指が完全に動かなくなったので、ふらふらと近くの交番に向かって歩いていた。

 時刻は2時。静まり返った河川敷に沿って歩いていた。ふらふらと、ぼうっとしながら、彷徨っていた。いや、交番という目的地がある以上は彷徨ってなどいない。彷徨っていたのは、俺の心そのものに他ならない。

「なんか、ふわふわするな」

 肉体と心が重なっていない。足だけが、体だけが交番に向かっていた。僅かに残っていた俺の倫理が、必死に体の舵を握ってくれていたのだ。だが、心はそれを拒否していた。本当はこのまま遠くに逃げたい。そうだ、インドネシアやベトナムでバイクの仕事なんていいんじゃないだろうか。免許はある。今日のことを忘れるために、バイク便の仕事を毎日繰り返し、安酒を毎日飲んで、きついタバコを毎日ふかすのだ。仕事でくたくたになった体に、アルコールを注ぎ込み、タバコでクラクラ酩酊しているだけの人生を送りたい。そうすれば、快楽と興奮の中で安らかに生きていける。

 ―――ああ、やっぱり、嫌だな。逃げたいな。かなり逃げ出したい。でも、体が勝手に動いちまう。肉体に刻まれた倫理感が、俺の心を許してくれない。俺って結構良い奴だったんだな。なるほど、倫理や道徳っていうのは、心や魂ではなく肉体に刻み込まれるものなのか。心っていうのは、いつだって自分のためのことにしか機能しないんだ。

「……実存は本質に先立つ」

 蒸発した父親の口癖を思い出す。哲学を研究していた大学教授だった。サルトルとか、キルケゴールとか、確かそのような名前の哲学者たちの研究をしていた。

「意味とか価値なんてものを持つより先に、人間は生まれて存在しちまってる。だから、意味や価値を自分で作っていくのが、人生……」

 足を滑らせた。河川敷を転がり落ちていき、刺されたような痛みが全身を駆け巡る。川の中に落ちた。冷たい。これは、このままだと死んでしまうんだろう。春先とはいえ、さすがに夜の川だ。浸かっていたら、間違いなく息絶える。

 うつ伏せに倒れたまま、なんとか息をするために顔を横に向ける。鼻の下まで激痛の水面がせり上がってくる。呼吸は確保できたが、うん、もうできることはない。このまま、諦めてここでくたばっちまおう。

 月明かりに照らされた水面は、きらきらと輝いていて、真夜中だからこそ美しく見えた。綺麗だから笑った。自分は汚いのに、綺麗だから笑って呟いた。

「俺の……本質は、……自己愛、だった……わけだ」

 この極限状態において、俺の心は、魂は逃げることを選んだ。人を殺したのに、自分の倫理に抗おうとした。本質のないまま生まれ落ちた一人の人間は、たった一つ、自己愛だけを手に入れて消えていく。

 ああ、まったく……。

「……くっだらねえ」

 瞼を下ろす、その瞬間だった。

 後ろから、とんでもない轟音が鳴り響いた。ずずん、と川全体が沈み込み、背中に膨大な水飛沫が降り注ぐ。呼吸ができないレベルの水がかかった。全てに諦めかけていた、俺の生存本能が機能する。折れている手指など無視して、弾けるように飛び上がった。

 何だ。振り返ってみる。

 そこには、先ほどの自分と同じように川に転がっている何者かの姿があった。うつ伏せで顔は見えない。

「……誰だよ」

 両手と精神を破壊し、真夜中の冷たい川に浸かっていたからだろうか。判断能力がきちんと機能していなかった。小さな一歩を踏み出し、息を吐き出す。ふーっと、肺の中を空っぽにする。また一歩進み、今度は肺いっぱいに息を吸い込んだ。これを繰り返しながら、時間をかけて謎の人物のもとに近づいていった。

 見下ろし、靴先で腰を突いてみる。俺の視界がぼやけていて、未だに性別すら判断ができない。

「……なあ、あんた、落ちてきたろ」

 反応がない。

 だが、こいつはまともじゃないことは分かる。落下の瞬間を見てはいなかった。だが、あの背中にかかってきた水量、そして全身で感じた衝撃は、普通の人間であれば身体が欠損してバラバラになっているべきレベルの落下だったはずだ。目の前に転がっているこの人影は、腕も足も存在している。ぼやけた視界でも、それは分かる。

「ふつー、バラバラだろう。あれは。パズルみたいにさ」

 さらに意識が朦朧としてきた。視界がぐらつく。酔ったみたいに、世界が歪んでいく。俺は、自分の体力の限界を明確に自覚した。

 ああ、これはもう、だめだな。

 この得体のしれない奴はどうするか。生きてるのかな。最後に一人でも助ければ、俺はましになれるだろうか。

「……なあ、あんたさ、お願いがあるよ」

 俺の、本質は。変わるのか。

 少しは。

「人殺しのクソ野郎に、助けてもらってくれるかな」

 手指が動かないだけで、両腕は何とか機能する。人影の脇に腕を通して、背中から抱きしめるようにして引きずっていく。感触が女性の身体だった。後ろに下がり、女を引いて、何も見えていないまま岸まで運んだ。岸にたどり着いたことは、踵がつまづいて後ろに転がり、そこに水がないことで理解した。

 ああ、もういい。

 もう。







 ……眩しい。超眩しい。

 薄目で世界を知覚していく。起き上がろうと手をつくと、筆舌に尽くしがたい激痛が走った。おかげで目はスッキリだ。辺りを見渡すと、ここが病室であることが分かった。眩しかった光は、左手にある大窓から差し込んでくる日光だ。憎らしいほどの快晴である。見下ろしてみると、真っ白なシーツに、真っ白な布団があった。両手にはギプスが装着されており、両手に大怪我を負っていたことを思い出す。

 怪我を負った理由も、思い出す。

 ギプスで見えない両手に、肉塊と鮮血がこびりついているのをはっきりと見た。

 殺した。今が何日なのか分からない。だが、俺は最近、人を殴殺した。それだけは間違いない。そして、警察に出頭しようと夜の河川敷を歩き、川に転げ落ちた。そこで、一人の女……多分女を助けた。

「あいつ、助かったのか?」

「―――お陰様でね」

 一人言だった。しかし、返事が返ってきた。

 右手側に音源があった。ベッドで寝ている自分を、パイプ椅子に座って膝を組み、じーっと眺めている少女がいた。女性らしい高くて可愛らしい声、ではなかった。高いというよりは比較的低い、かっこいい声だった。あと着座しているから分かりにくいが、恐らく身長が高い。170センチくらいある気がする。艶のある黒髪が肩まで伸びており、高い鼻と切れ長の鋭い目が特徴的である。とにかく造形美のように完全無欠な美貌を誇っていた。スタイルもよい。黒いワンピースに黒いヒールは色白な彼女の美肌を強調している。出会ったときの夜よりも黒く、美しい……ひたすらに綺麗な少女だった。

「……若いな」

「何よ、急に」

「いや、うつ伏せで川に転がってたから、改めて見るとそう思っただけだ。ごめん」

 少女は少し間を置くと、目を細めて言った。

「それより、体は大丈夫なのかしら」

 少女が俺の両腕のギプスを指し示す。ああ、とぼやいてから俺は笑って答えた。

「大丈夫だ。指が多分全部折れてるだけだ」

「それは大丈夫という概念に含まれる程度なの」

「……死んじゃいねえんだ。それだけで、大丈夫ってもんだろ」

「まあ一理あるわね。生きていれば何度でもやり直せるわ。どんな傷を負っても、ね」

「……そう、だといいな」

「ええ。そうよ。例え―――人を殺してしまっても」

 息を飲んで、少女の目を見つめる。離せない。視線が、彼女の目からがっちりと固定されて、動かない。

 なぜ、知っている。

 俺の聞きたいことを察したのか、少女は腕を組んで苦笑いを浮かべて答えた。

「あなた、若干だけど霊石れいせきエネルギーが手から漂っているわ。私たちの血や体液が結構付着したからでしょう」 

「……霊石エネルギー?」

「『殺戮機械少女ジェノサイドオートマチックガール』の匂いってことよ。……ここまで言って分からないか。やっぱり、軍事関係者ではない、ただの一般人のようね」

「……君の言っていることが何も分からないが、それは俺が馬鹿だからじゃないっぽいな。さっきから何を言っているんだ、意味分からん」

「一般人の20歳前後の男が、恐らく素手で『殺戮機械少女』を殴殺か。これは楽しめそうね」

「意味分からんって言ってんのに、重ねて意味の分からないこと言いやがって……可愛いけど性格に難ありだなお前……」

「あら。私たちすっかり仲良くなったわね。お前、だなんて」

 クスクスと笑う少女を一瞥し、俺はベッドから起き上がった。スリッパも靴も見当たらない。裸足でペチペチと歩いていき、病室から出ていこうとする。

 すると、少女が声をかけてきた。

「あら。どこに行くの」

「お前が俺の秘密をなぜ知っているのか、答える気はないんだろう。だったら、もう話すことはない」

「どうして病院にいるか、気にならないの」

「君か誰かが救急車を呼ぶなり運ぶなりしたんだろ」

「そうね。私が運んだ。で、私のことは気にならないの?」

「……」

 隕石でも降ってきたかのように川へ落ちてきて、こうして見たところ無傷で笑っている少女に興味がないといえば嘘になる。間違いなく、俺の知る由もなかった、得体のしれない存在だ。だが、正直なところ、その程度の存在に貴重な時間を費やすつもりが毛頭ない。

 俺は、彼女を気まぐれで救った。もう死ぬと思ったから。意識が途切れそうで、死が目前にあって、生きていられないと自覚したから救った。なけなしの命だから、生きることを諦めたから、助けられた。俺の汚れきった本質を、死ぬぎりぎりでマシなものにしたかったから。

「俺にはやるべきことがある」

「出頭? 自殺? それとも逃げるの?」

「ベトナムでバイク便すんだよ」

「……は?」

 きりっと整っていた顔が、はじめて崩れた。

 なぜ崩れたのか全く理由が分からない俺は、なんだか馬鹿にされた気がして声を荒げてしまった。

「だーかーら、ベトナムでバイク便やって酒飲んでタバコ吸って、退廃的な快楽に浸るんだよ!! 休みは海で日焼けをするんだ、酔っぱらってつい寝ちまって、変な日焼けをするんだよ!! 分かるか、俺はな、好きで殺したわけじゃねえ。殺さないと殺される状況だったから殺しちまったんだ!! もういろいろ抱えすぎて腰がいっちまいそうなんだよふざけやがって……!! お前が気になるか、だと。ましてや、出頭? 自殺? 逃亡? ーーーふざけんな。クソくらえだ。俺はな、生きたいんだよ、これから先を。ただそれだけだ。グッバイシーユーフォーエバー!!」

 パチパチとまばたきをした少女は、次の瞬間には豪快に笑っていた。美人が台無しなほど、腹を抱えて大笑いしていた。俺の寝ていたベッドを叩き、それはもう見ているこっちが清々しい気持ちになるほど楽しそうに笑っていた。

「付き合ってられねえ。俺はベトナムで余生を過ごす」

 さらに笑い声は大きくなった。ベトナムの何がつぼに入ったのだろうか。なんか、むかつく。俺は笑い声を背中に、病室のドアを開いて廊下に出る。今は何時か分からないが、日の登り方を見るに正午近いはずだ。廊下は人の往来があっていいようなものだが、不思議なことに医療従事者も患者も、見舞いなどで訪れる外部の者も、誰もそこにはいなかった。

「……」

 静まり返っていたのだ。足音一つしない、静寂の世界。廊下に踏み出しただけで、その異常な雰囲気を感じ取った。早足で廊下を進んでいくと、静けさの正体に気がついた。

 死体が転がっていた。

 看護師の死体が、二つあった。体中に穴が空いている。蜂の巣みたいに、空洞が全身にできあがっているのだ。全身と床一面に蜂蜜ではなく凝固した血液と肉塊が散らばっている。ほとんど無意識に、近くの病室のドアを開けてみた。そこには、ベッドに横たわって頭に小さな穴を開けて死んでいる患者と、聴診器をかけた医師の上半身と下半身が別々になって転がっていた。他の病室もほとんどそのような感じだった。とりあえず歩きながらドアを開ければ、たくさんの死体が大歓迎してくれる。

「俺は……ネクロフィリアじゃ、ない……ぞ」

 呆然と病室に広がる死体を眺めていると、背後から足音が響いてくる。近寄ってきた音は、ちょうど俺の真後ろで停止した。

「あら良かった。興奮されても困るもの」

 振り返ってみると、少女は三日月のようにパックリと裂けた笑みを浮かべていた。

「あんたがやったのか」

「そうよ。でないと、あなたを治療できなかったわ」

「なぜ皆殺しにする必要があった」

「ここはね、私たち『殺戮機械少女』を作った秘匿軍事施設の病院なのよ。私、こいつら嫌いなのよね。あと、こいつらも私を見たら生かして返さない。だから、あなたと同じで、殺すしかなかったのよ」

「全員?」

「全員」

 よく分からない単語があったが、ようするに敵対する者たちの病院施設を利用したから、施設の者たちを皆殺しにしたということか。

「殺すしかなかった。あなたと同じ」

「……」

「責められは、しないわよね」

「……なんなんだ、お前は!?」

 咄嗟に病室のなかへ逃げ込み、ギプスをしている腕で窓ガラスを開けて脱出を試みる。開いた窓から外へ足をかけたとき、俺は希望の光を見た。赤い光が何十とある。パトカー、警察だ。また、装甲車や戦車に乗っている自衛隊の姿も確認できた。パトカーが10台、装甲車・戦車が5台いる。こちらに真っ直ぐ向かってくるのだ。自分も捕まるかもしれない。だが、あのよく分からない少女に殺されるよりはましだ。あの女は危険すぎる。

「お前こそ、大人しく自首なり自殺なり逃亡なりしたらどうだ」

「……何なんだ、お前は、と言ったわね」

「あ?」

 気づけば、眼前に少女の綺麗な瞳が迫っていた。頬に手を添えられていて、今にも唇と唇が重なってしまいそうな距離で彼女は呟いた。

「教えてあげるわよ」

 瞬間、俺の横を抜けていって、開け放たれていた窓から勢いよく外へ飛び出した。黒いワンピースがふわっとゆれる。落ちる、そう思った直後に逆の現象が発生した。

 落ちるのではなく、舞い上がった。

 背中から翼を生やして。

「陸上兵器型『殺戮機械少女』日本製1号機。拳銃から対戦車ミサイルまであらゆる陸上兵器を内蔵し、暗殺から広範囲爆撃まで対応した日本製『殺戮機械少女』の最高傑作、それが私」

 その翼は、肩甲骨のあたりから現れた。ガチャガチャと音を立てている。音源は言うまでもなく翼だ。パタパタと飛んでいるのではなく、ガチャガチャと飛んでいる。その翼は、無数の銃火器が寄り集まってできている、銃の翼だった。肩甲骨付け根部分には小型の銃、主にハンドガンが連鎖しており、羽先に向かうにつれてアサルトライフルやショットガン、最終的にはランチャーやガトリングガンが確認できる。銃火器だけでできた翼。自己紹介をしているようだが、俺の脳の処理が追いついていない。しかし、彼女は言葉を続けた。こちらを振り返って、笑顔を向けながら。

「こんなに可愛いのに、殺戮兵器なの。ごめんなさいね」







 一方的な殲滅がはじまった。少女は右手を突き出し、妙な言葉を唱える。

「『モード・ガトリング』」

 瞬間、右翼の銃火器の群れから特別大きな物体が跳ねるように現れた。素人の俺には詳しいことまでは分からないが、それがガトリング砲と呼ばれる殲滅兵器であることは推察できる。

 だが、問題なのは、それを銃火器の翼でガチャガチャと飛びながら、黒ワンピースの色白美少女が右手でキャッチし、慣れた手付きで引き金に指をかけた異様な光景である。ガトリング砲は全長が五メートルくらいはあるのではないか。でかすぎる。普通、戦闘機とか軍艦についているような代物だと思う。

「GAU-8 Avenger。いいでしょ。あげないわよ」

 ニタニタと嫌らしく笑いながら、少女は背中越しに自慢してきやがった。聞いてねえよ。あと、いらねえよ。こっちはただドン引きしてるだけだ。

「アメリカ軍の航空機搭載機関砲のなかでは最大にして最重、そして最強の破壊力を誇る極上の一品。だから対戦車攻撃によく使われていて、30mm弾を高初速・高回転で炸裂させる」

「な、なに言ってるか全然わかんねーんだけど」

「んー、そうね。分かりやすく凄さを言えば―――毎分3,900発を、1,200mの有効射程距離から炸裂させられる、っていったら凄いの分かってくれる?」

 ゾッとした時には、既に引き金が引かれていた。

 とんでもない轟音が走り続ける。俺は咄嗟に窓際の壁に背中を預けて座り込み、両耳の鼓膜を守るために耳を塞ぎ続けた。それでも、分かった。立て続けにパトカー、戦車、装甲車が爆散していく衝撃を感じ取れた。恐らく20秒程度の悪夢の時間だ。

 静けさがやってくる。

 窓の外を見ると、黒煙がいくつも立ち上っており、再びこの化物と二人きりになってしまったことを痛いほど理解した。

 銃火器の翼を生やした化物は、こちらを振り返る。

 目があった。

「質問には答えてあげたわ。今度は私の番」

「……」

「あなたこそ、何者なの」

「は?」

 意図の分からない質問だった。

 俺はどこにでもいる普通の人間だ。歳は21。高校を中退して、以降はずっと日銭を稼いで生きてきた。髪は金髪に染めており、短髪で、適度にイキった量産型男子。酒が好きで、タバコもやる。唯一の生きがいはオートバイ。服装だって普通だ。今はジーパンに黒いブーツ、ネイビーのジャケットを着ている。どこにでもいる、普通の奴だ。

「……生きている以外に目的のない、ただのろくでなしだよ。見りゃー分かるだろう」

「柄悪いし、馬鹿そうなのは分かるけど、あなたは私たちの一体を殺したと見える。普通、無理」

「……知らねえよ」

「あなたがどうやって、なぜ、私たちの一体を殺したのか。その手の臭いは何なのか。それを知るまでは解放するつもりはないわ」

「だから知らな―――」

 反論をしようした。俺が殺したのはお前たちの仲間じゃない、と。だが、その時、黒い少女が勢いよく病室の中に吹き飛んできた。窓ガラスをぶち破って、病室から廊下にまで転がっていく。

 窓の外には、白い少女がいた。

 サイドテールにした銀髪が腰元まで垂れている。最初にキラキラと綺麗な髪に目が奪われた。次に顔をはっきりと見た。無表情。氷のように冷たい顔をしていた。黒い銃火器の少女と同様に整った顔立ちだが、少しヨーロッパ系の容姿をしていた。瞳の色がサファイアのようなブルー。白い革ジャンにジーンズを着用している、見惚れるほど美しく格好いい、神秘的な少女だった。

「今度はなんなんだよ」

 黒い少女のように翼は生やしていない。しかし、ふわふわと浮かんでいる。間違いなく同族だろう。この白い少女もまた、先ほどの黒い少女同様の人外にあたるはずだ。

 どういうことかは分からない。

 だが、黒い少女と白い少女が敵対関係にあることは状況的に分かる。俺はこの機を逃すほど愚かではない。

「―――行っちゃだめ」

 高くて凛とした声に、思わず走り出そうとした足が止まる。そういえば、この白い少女、さっきからずっと俺のことを凝視している。

 ……頭が割れそうだ。意味が分からない情報で氾濫している。

「逃げたら殺すってことか」

「……?」

「なんで小首傾げてんだ。っつーか、何で俺を狙う」

「……? 狙っていない。私の狙いは、あれ」

 少女が俺から視線を外す。見ている方向に俺も顔をやると、黒い少女が苛立たしげに眉根を寄せて立ち上がっていた。

 これは、まずい。巻き込まれる。

「だったら俺は行っていいだろ!! 俺が狙いじゃねえなら!!」

「だめ」

「何でだよ!!」

「気分」

「何様なの!?」

 気分で命をもて遊ばれてたまるか。逃亡を試みるが、黒い少女の両手にハンドガンがあるのを見て、嫌でも動けなくなってしまった。

「ロシア製の雑魚が。まだ息の根があったのね」

「む。雑魚じゃない。……出力レベル2。照射展開」

 白い少女が頬を膨らませて呟くと、細く長い中指の先を畳んで親指で圧迫する。その構え、言わずもがなデコピンである。何をする気だろうか。俺が疑問を抱いた、直後にそれは起こった。



 閃光が炸裂する。

 細くて鋭い光が、ガトリング砲よりも早く駆け抜けた。



 白い少女が親指を使って中指を弾くと、ぴかっと雷が落ちたように、赤い線が一直線に走り抜けたのだ。ゴォォォン!! と、直後に低い爆音が鳴り響き、音源を見れば黒い少女が廊下の壁を突き破って消え去っていた。

 何だ、今のは……落雷みたいな……。と、そのようなことを考えている場合ではない。

 今だ。

「あ。待って」

 背中の呼びかけを無視して俺は逃げる。

 どこへかって? ―――ベトナムに決まってる。インドネシアでもいいけど。







 必死に廊下を駆け抜ける。

 エレベーターが見えたが、彼女たちの破壊能力の高さを考えると愚かな判断だろう。下降中に攻撃でもされれば一瞬でお陀仏だ。階段も考えたが、同様に攻撃された場合を考えると、瓦礫の下敷きでペーストされる可能性が高い。ここはやはり、すぐにでも外に出るべきだ。

 エレベーター前に備え付けられている階数番号の札で分かった。ここは3階。飛び降りれば怪我をするだろう。両腕にはギプスも装着されていて、2階に壁をつたって降りていくことも難しい。

「っ」

 食堂にたどり着いて発見したのは、無数の銃殺された死体の山と、派手に割れた窓の先にある大木だった。あの大木になら、飛び移ってしがみつける気がする。

「一か八か……上等。いつだってそんな人生だったじゃねえか!!」

 一直線に駆け抜ける。あの黒い少女が撃ち壊してしまったのだろう。窓を開ける作業がいらないことは不幸中の幸いだった。

 足を縁にかける―――飛ぶ。

 太い枝が水平に伸びている。届く。両腕で抱きつくようにしがみつけば、痛いだけで落下を防げる。

 あと、少し―――

「―――ゲットだぜ」

 凛とした綺麗な声が、耳元で響いた。感情を込めて言えよ、もっと。

「……え」

 柔らかい感触に顔が埋もれていることに気がつく。脇の下に両腕を通されて抱きかかえられている。誰に。

 見上げれば、そこには先ほどの銀髪化物女の顔があった。

「ありがとう」

「……あ?」

「ありがとうは? 私に」

「何でだよ!!」

「助けた。飛び降りたのを」

「お前らから逃げてんだよ、助けちゃだめなの!!」

「え、ごめん」

 ぱっと離しやがった。

 慌てて俺を離しやがったぞ、この女。ふざけるな、いま離されたら、ニュートンの発見した万有引力の法則が仕事しちま―――

「っが!?」

 背中から落ちて息が止まる。幸いにも白い少女が抱きかかえてくれてワンクッションあったので、落下の勢いと距離がそれほどではなかった。怪我はしていないはずだ。

 ……ちくしょう、あの女。逃がす気があるのかないのか、どっちなんだ。

「逃げちゃだめ。怪我、してる」

「……ご親切にどーも」

 舞い降りてきた白い少女に、苛立ちを隠しきれていない声で言葉を返す。少女は俺をじーっと見下ろすと、急に頬を膨らませて言った。

「覚えてない?」

「……何がっすか」

「ならいい」

 まったく意味が分からなかった。少女の頬がぷくーっと、どんどん膨れ上がっていく。相変わらず無表情のままだが、無感情ではないらしい。というか、意外と情緒的かもしれない。その顔を見ていて、ちょっと可愛いなと油断していた時だった。

 ガゥン!! と、爆音が響く。その可愛いらしい顔が横に吹っ飛んでいった。遠くで響いた銃声とほぼ同じタイミングで。空気の抜けた風船が勢いよく暴れるように吹っ飛んでいき、白い少女は病院駐車場にあったトラックに突っ込んだ。

 銃声のした方向を見ると、ここから500メートルほど離れた病棟に黒い少女の姿を発見する。彼女は翼を広げて一気にこちらまで飛んでくる。俺の目の前に降り立つと、不敵に笑って提案を投げかけた。

「逃げるわよ。また増援がくるわ」

「お、おい。さっきの子、死んだのか」

「もしそうなら感動に打ち震えてしまうわね。残念だけど、あれじゃまだまだ殺すには足りないわ。とにかく、ほら。私の肩に腕を」

「お前と逃げろっていうのかよ」

「得体のしれない奴らに捕まるか、一度あなたを助けた私とくるか。どちらがお好みかしら」

 そこで俺は気づいた。先ほどのパトカーや装甲車なのだが、妙に静かにこちらへやってきていた。パトカーに関してはサイレンすら出していなかった。病院を銃火器で襲った黒い少女を捕まえるためにやってきた、という感じではない。一般人に気づかれず、こそこそとやってきていた。思えば、パトカーに装甲車・戦車の組み合わせも妙じゃないか。くわえて、あの白い少女の存在も謎すぎる。……この黒い少女は、少なくとも自分が助け、また助けられた関係である。俺に危害を与えるつもりなら、とっくに与えてきていいはずだ。

 思案の末、結論を出した。

「ちゃんと説明しろよ、いろいろ」

「もちろん。あなたが、さっきの私の質問に答えるのなら」

「……分かったよ」

 ベトナムへの移住には、まだ時間がかかりそうだ。

 それだけは理解した。





『なーにサボってんだあ!! ひかる!!』

「……むう」

 光と呼ばれた白い少女は、凹んだトラックの荷台からゆっくりと腰を上げた。光は右耳に装着しているイヤホン型の小型インカムに反論を開始する。

「サボってない」

『サボってんだろうが、元気ピンピンじゃねえか!!』

「覚えてない」

『おめーが覚えてなくてもなあ、こっちは衛生カメラで全部覚えてんだよバーカ』

「む。アリス、後で殺す」

 ぷくーっと膨らんでいく頬からして、光の機嫌がよくないことが伺える。アリスと呼ばれた通信相手は、大きなため息を吐いて光に指示を送った。

『はあ。仕事を優先しろ。病み上がりだろうと関係ねえ。さっさと奴を追え。じゃねえと飯に唾混ぜてやるからな。気づけねえ嫌がらせを延々と繰り返して全部ネタばらししてやる』

「……それはやだ」

 ちょっと涙目になった光は、大人しく黒い少女の追跡を開始する。

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