第8話 真理
アリスは静かに数馬の死の告白を受け入れた。それは、事の重みに比して、不自然な程、自然な受け止め方だった。
「やっぱりそうだったんだ……。」
少女は相手を見つめた。
「やっぱり気付いていたんだね。」
数馬も見つめ返した。青年の小さな無垢な瞳と、少女のアイライナーに縁取られたつぶらな瞳とが、相交わった。青年の脆いながらも気高い心と、少女の陰欝ながらも穢れない心とが、相触れ合った。二人はまだ知り合って間もなかったが、互いに理解し合える相手だということを理解した。二人は互いが互いに特別な存在になっていた。
この二つの魂の歩みよりは、沈黙と闇だけによって物静かに祝福された。
暫くの間、深深としたしじまが彼らを取り巻いた。それは各々(おのおの)が神秘な感慨に耽っている時だった。
やがてアリスがこの静けさを終わらせた。
「どうして?」
それはたった四文字にして、彼の心の秘密に深く入り込む質問提議だった。この黒衣の少女はこの質問を軽薄すぎず、また重すぎず、彼女らしい率直さで以って言ってのけた。そして数馬は、これを予測し、かつ待っていた。彼女にならそこまで話してもいいと思っていた。たった数十分前なら決してそんなことはなかったにもかかわらず、今ではそう思うようにまでなっていた。彼女ならきっと理解してくれる。数馬はそう信じているまでになっていた。
「『どうして?』。当然そう思うよね。死ぬ、って聞いたなら。でもこの質問は根本的でありながら、とても根底的な質問なんだ。ちょっと長くなるかも知れないけど……、ちょっと退屈になるかも知れないけど……話してみようかっな。君には是非とも聞いて欲しいから。何故かそう思うんだ。他の人には話すことは決してないんだけれど……。君にはぜひとも聞いて欲しいから。」
そう言って数馬は語りだした。以下がその内容である。
まず始めは僕の祖父の死から始まる。……いや、始まりはもっと前かな。多分、小学校五年生か六年生あたりだったと思う。そのときはまだ酷く漠然とだったけど、僕は生きるということに疑問を抱いていたんだ。別に、生きることに疑問、と言っても別に死のうとしていた訳じゃない。唯、単にどうして人は生きるのだろう、と純粋な疑問を持っていたんだ。きっと何か理由……真理がそこにあると信じていたんだ。その真理があるからこそ人は生きるのだと。
で、その真理ってやつなんだけど、最初は『人生を楽しむこと』なのではないか。そう思ってた。所謂、快楽主義ってやつかな。『喜び』、『愉快』、『気持ちいい』。そういったことを得ること、感じること、体感することこそが人が生きる目的だと思っていたんだ。
でもそれは後で変わったんだ。もしそれが真理だとしたならば、悲しいことが続いたり苦しいこと嫌なことが続いたら人は死ぬのか? 否、人はたとえそうなっても必ず死ぬ、ということはない。まあ、中にはそうゆう人もいるかもしれないが、それはごく少数だ。兎も角、それが僕の出した答え。
そこで今度は喜怒哀楽……喜びもあれば悲しみもある。楽しいときもあれば辛いときもある。沈んだり、時には浮き上がったりと。そうやって生きるということ……人生の浮き沈みを楽しむということが目的だと思い始めた。でもそれもまた違った。
その頃はまだ幼かったから、『死』ということが良く分からなかったんだ。
でもそれは祖父……おじいちゃんの死で変わった。おじいちゃんの葬儀に参列していると、僕の中で、とある想念が浮かんできた。おじいちゃんは本当に満足して死んだのか? そうゆう疑問が湧いてきたんだ。親や親族が涙を流したり泣き崩れたりする中、僕だけはそんなことを考えてた。お経を上の空で聞きながら、お焼香をあげたりしながら、ね。
そしてその日以来、僕はまた悩み始めたんだ。それは僕に科せられた新たな命題となった。つまりは、『人は本当の意味で、満足して死んでいくことのできる生き方はあるのか?』っていうこと。そしてこのとき、この答えこそがそれまでに求めていた真実の『真理』なんじゃないかって気付いたんだ。
また僕は悩み出した。色々なことを思考した。独学で勉強もした。学校や塾で……退屈な授業を受けながら、ね。哲学とか宗教とか……誰だか偉い人の伝記、随筆、人生論だとか。関係ありそうな本は大抵読み漁ったよ。でもそこには尤らしいことしか書いてなかったけどね。で、結局のところ、僕の出した結論は……『そんなものなど存在しない』、ということなんだ。
数馬はここまでを一気に喋り通した。そしてアリスが理解できていることを確認するとまた先を続ける。
「即ち、僕の出した結論というのは、生きることに意味はない、ということなんだ。この結論が出たのがつい二、三ヵ月前のことなんだ。最初はあまりはっきりとはそう確信していなかったんだ。だってそうだろ? 『生きることに意味はない』って言ったって、世の中には誰しもが平然と生きているわけだし、今までの気の遠くなるような歴史だってそうやって続いて来たわけなんだ。だから僕もさらに必死になって、その仮定――その時はまだ仮定に過ぎなかったんだ――それに対して反論を考えた……」
ここで青年の表情が哀しげに曇ったのをアリスは見逃さなかった。続く彼の声色も明らかに暗くなっていた。
「でも駄目だった……」
数馬が再び話せるようになるまで暫らくの時間を要した。傍らの少女は黙ってそれを待っていた。
「反論を作れば作る程、それはより強固なものに成っていったんだ。考えれば考える程、それは仮定から結論へと変わっていったんだ。……つまりそれは反論を全く寄せ付けない程の真実だった。『生きることに意味はない』ってことがね……。これこそが『真実の真理』だったんだ。」
語りながらその顔は、ますます悲しみを色濃くしていった。アリスにはそれが分かった。数馬の声は恐怖と悲哀に押し潰されそうになりながらも、はっきりとこう言った。
「こう結論を出したからには、僕はこれを証明しなくてはならない……」




