第13話 転落
アリスが数馬の亡骸を見つけた、数分前のことである。
また明日に会う約束をして黒いアリスが出ていくと、数馬は陰影の部屋で再び一人になった。すると可笑しな苦笑いが込み上げてくる。結局のところ、あの娘は何だったのだろうか。そう、自身に問い掛ける。あの黒衣の少女は、掻き乱すだけ掻き乱して行ってしまった。
そして僕はまだ死ねないでいる……。窓枠に身を躍らせて、地上までを覗き込む。薄暗かったので、下の様子はよくわからなかった。アリスはもう行ってしまったのだろうか、と独りごちた。しかし直ぐに、ここから下に降りるにはもう少し時間が掛かるはずだ、と思い直す。
数馬の思念には、先程のアリスとの遣り取りが浮かび上がって来る。僕は彼女と、また明日会う約束をしてしまった。死ぬ筈なのに……。
もし明日まで生き長らえて、あのゴシック・ロリータの少女に会ったとしたら……。その仮定は数馬の体と心を焦がすほどに魅惑的だった。だけれども……。数馬は想像する。そしたらもう二度と自分の思想を証明することはできないだろう。きっとその幸福を手放したくなくなるだろう。この甘美な気持ちは、とても危険だ。数馬はその気持ちの正体を見抜いた、と思った。例え彼女と仲良くなり……彼女に拘ることは無い。彼女以外の素晴らしい人、あるいは彼女以上の人と出会い、恋愛をし、結婚したとする。そこにあるのは幸せな結婚生活。子を産み、育て、楽しく人生を謳歌する。やがて自分は年老い、ごく一般的な申し分のない臨終を迎える。だけれども……。僕はそんな人生に納得するだろうか? そんな幸せな生活が本当に欲しいのだろうか? 僕はきっと何度も後悔するに違いない。何度も何度も。幸せと言われる生活を送りながら……。
それじゃあ、駄目なんだ! 数馬は思考の声を荒げる。僕は今、今こそ証明すべきなんだ! 今を逃して一体いつ、それが実行できるというのか。 さあ、飛び降りるんだ。今! 直ぐに! この窓から!
数馬は己を鼓舞した。この部屋の高さを実際に目視して、怖くなかったと言えば嘘になる。すでに決心はついていた。だが、押し寄せる恐怖心に嘘は吐けない。だから数馬には、自身を奮い立たせる必要があった。
……そして彼女に最後まで見届けてもらうんだ。
数馬は窓枠に片足を乗せる。縁を掴んで、体を引き上げた。彼は窓枠に両足で立った。そこは安定して立つには狭すぎた。体を支える手に思わず力が入る。数馬は、細い境界線の上に立っていた。後ろには『生』、そして前には『死』。自分を境として、交わることの無い二つの世界があった。足元には暗い虚構が、その果てしない暗黒の深淵を覗かせて待っていた。身震いに襲われる。両足の震えが止まらない。強引にせりあがる恐怖と、無理やり押さえつけようとする。だが、あまり旨くはいかない。両手で拒むものの、その黒い物体は指の間を次々とすり抜けてくる。心の中に恐怖が押し寄せた。数馬は静かに耐え忍んだ。
ふと、正面に目を遣やった。そこにはいつもと変わらない街明かりの群れがあった。今僕が死のうとしているのに、あの人達はなんにも変わらない生活をしている。これに気がつくと、数馬は何とも言えない神妙な気持ちになった。抑えようの無い恐怖心はどこかへ行っていた。恐れに高ぶっていた心は、不思議と静まっていた。
彼女もあの明かりの方へと帰るんだ。数馬はアリスのことを考えた。もし彼女に会っていなかったらどうだったのだろう。果たして僕はこんな大それた無謀な挑戦を決行できただろうか? たとえできたにせよ、こんなにも充実した気持ちでできただろうか? 果たして、この世の中に彼女ほど、この僕のことを理解してくれた者がいただろうか? 本当に、あの少女――アリスには感謝してもしきれない。
「ありがとう……」
それは誰かがすぐ隣にいたとしても、殆んど聞こえないくらいの声だった。
月夜に浮かぶ青年の影は、窓枠の両サイドに手を掛け、腕を後ろに伸ばす。体は前傾し、窓の外へと体を躍り出す。辺りはとても静かだった。影はそのままの形で、暫く止まっていた。やがて枯葉が枝から落ちるように、影はゆっくりと傾き始め、窓枠から消えて行った。
この薄暗い部屋には誰もいなくなった。ただそこには闇と沈黙があるばかりだ。窓からは、美しい月が顔を覗かせ、僅かな光をこの部屋の中へもたらしていた。辺りはとても静かだった。
第12話、更新が遅くなってすいませんでした。
遅筆で飽きっぽい私も、とうとう連続投稿物を終わらすことができ、大変感慨深い心境です。最後まで読んでいただいた方はもちろんのこと、少しでも私の文章に目を通していただいた方にも感謝しています。
かなり特徴的なストーリーであり、また技量不足から読みづらいことが多々あったと思います。感動してもらう、などと高望みはいたしません。しかし、何かしらでも誰かの心に残ったものがあれば幸いに思います。
私の創作手帳を顧みますと、当作品の原案は2007年6月に着想した、とあります。ですから完成までに二年という時間がたっていることになります。ここからも私の遅筆&飽きっぽさが伺い知れます……。とても恐縮です。で、最初はまだゴシック・ロリータという着意はありませんでした。そのときのタイトルも『少し不器用な僕と、少し不器用な君』というもので、人付き合いが苦手な青年と少女の様々な語らいを描く、というものでした。
当作品で苦労したのが、ゴシック・ロリータをどうやって表現するか、ということでした。なんとなくは分かっているつもりだったのですが、ゴシック・ロリータはこれだ、という明確なものが無く(筆者の勉強不足かもしれませんが)、自分の持っている感覚で描いていきました。作品にその雰囲気が上手くでていれば、と思います。
ご清聴、有難うございました




