過去から未来へ
自ら漉いた和紙に、万年筆で淳と書いた途端、視野がぼやてきた。
「配達する日付は、これでいいのだね?」
詰めたばかりのワインボトルを手に、初老の男が私に確認を求めてきた。
「はい、その日でお願いします」
初老の男が頷き、その場から去っていく。
私は長い息を吐き出すと、再び和紙に向き合った。
小包が届いた。クラフト紙にワレモノ注意のシールが貼られたそれには、亡くなった父の名前が差出人になっていた。
「まぁ、あの人ったら……」エプロンの裾で涙を拭う母に、「淳の高校の卒業祝いが送られて来たときと同じだねぇ」と、隣の部屋の仏壇に向かって手を合わす祖母。
「淳、開けてみて」母に促され、淳は包みを丁寧に解いた。中には一本のワインと対のガラスのグラス。ワインのラベルは手漉き和紙に父の筆跡で「二十歳の淳へ。酒はのまれぬ程度に楽しめ」と記されていた。
今は亡き父からの小包が最初に届いたのは、淳が高校を卒業する日だった。「淳へ、新たな門出を祝って」の一筆と共に届いたそれは、哀しみに沈む母と祖母に久し振りの笑顔をもたらしたのだ。
淳は、届いたばかりのワイングラスにワインを注ぎ、父の遺影の前に置き、手を合わせた。
その日がわかる訳がない。鼻で笑いつつ、まぁ話の種になるかと未来の自分宛に注文したワインボトルの三本目が届き、私は足元から暗黒にのまれるような感覚を覚えた。
大都市の鄙びたホテルを拠点に、淳が就職活動を行っていたある日、管理人からお届け物があると小包を渡された。
「母さんからだろうか?」
部屋に入り、淳は小包を開けた。中には手漉き和紙に手書きで書かれたラベルが貼られたワインボトルが一つ。
「就職活動を頑張る淳へ。このボトルを手にした後に訪問する所は誠実で健全な会社で、お前に長きにわたって歓びを与えるだろう」
淳は首を傾げながら、そのワインボトルを備え付けの冷蔵庫に入れた。
ーー後日、淳に内定の通達があり、後々同級生から「お前の会社、ホワイト企業だな」と、羨ましがられることになるのは、もう少し先の話。
「そうだな、まず私の就職先が決まった日に届くといいな」
私はあの日、酒を呑みながら一枚目を書いた。
そうして、その数ヶ月後、私の元に内定の通達と同時に、そのラベルが貼られたワインが届いた。
「まさか、本当に送られてくるとは! ともあれ、ようやく掴んだ内定だ。このワインで祝盃をあげよう!」
だが、その就職先は私が入社して僅か数年で倒産した。
ーーあの日、酒を飲みながら書いたラベルは全部で三枚。二枚目のラベルが貼られたワインが届いたのは、私の結婚式の前日だった。だが、その一年後には、その相手から離婚届を突きつけられた。
そして、最後の三枚目は……
「まだ四十台だぞ……」
私の手から包みごとワインボトルが手から落ちる。砕け、床を濡らし、ラベルに書いた文字を滲ませていく。
淳の元に小包が届いた。
「まさか……」そんなはずはないと思いながら淳は包みを開ける。ぎっしりと文字が書かれたラベルが貼られたワインボトルが一つ。
「これから長き年月を共に歩もうと求婚を考えている淳へ。これは私からの最期の贈り物だ。怖がらず受け取ってほしい。
事の始まりは、私自身、氷河期と称される就職難を味わっていた頃から始まる。
その頃、私は不思議なワインボトルを造る職人と出会った。望む日に届けられるワインボトル。そう、これまでお前宛に贈った三本のワインボトルがそれだ。
まもなく死にゆくと知った私が、お前に遺せるものは何かと考えたとき、この不思議なワインボトルを造る職人の存在を思い出し、こうしてこのラベルを書いている。
お前が人生の分岐点に立った時、選ぶべき道標となるよう、ラベルに託したのだ。
淳よ、お前は私になることが叶わぬと諦めていた父親にしてくれた。お前とお前の母とその母に出会えたことに感謝する。そしてお前たちの長き幸福を願う」
淳の視野がたちまちぼやけ、血の繋がりがない父に感謝の言葉を繰り返す。何度も、何度も……




