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ゴールド・フィッシュ  作者: 多紀
7/22

6

 だいぶ現実と夢がごちゃごちゃになってきた。あまりにもリアルな夢を見るために、自分でもいつ眠ったのか分からなくなってきていた。実際、ほとんどは気付けばベッドの上で、なんだ夢か、と思うのだけど、最近はベッドで起きても夢の中なのではないかと思う。

「…夢か…」

 ベッドの中で目覚めた俺は、区切りになりそうな言葉を口に出して言ってみた。そうするとなんとなく現実にいると実感できるからだ。さっきまで会社のそばにいて、今はベッドの中にいるわけだから、夢であるに違いないと理解しているものの、少し不安になる。じっくりと昨晩の自分の行動を思い出してみると、家の近所の家電量販店でゲームを買い、帰宅していた(テーブルの上にその店の袋が置いてあるのが見えた)。それなのに夢の中ではその眠る前までの行動を思い出せず混乱するのだ。どれだけ不思議だと悩んでも、相手は夢。答えは体験している事実にしかないのだから、これ以上考えることはやめた。

 もう夢の世界との付き合いにも慣れた。季倫、宇サギ、斗影、そして四佳。夢の中で俺を守っているだろう人物は四人。そして、俺を狙っているらしきものがゴールド・フィッシュとその手下、鈴目。ぼんやりと今まであったことを天井を見つめながら整理していく。

「普通…じゃねえよなあ…」

 信じるも信じないも考える暇もなく日々は忙しく過ぎていくし、その合間を縫うように夢でいろいろなことが起こる。夢の中で起きたことが現実に影響を及ぼしていることも現実が夢に影響を与えていることも薄々気付いている。どちらも受け入れなければ、今の俺はどちらも守れない。起きている時間も、眠っている時間も。

「よし!」

 声を出して勢いをつけ、ベッドから体を起こした。遮光カーテンを開けると、外はまぶしく、すっかり午前中らしい景色になっていた。窓を開けると、心地よいあたたまった空気と車の音が部屋の中の雰囲気を一気に模様替えしてくれた。

 ゲーム機の電源を入れ、ゲームのパッケージを開き、慎重にディスクを取り出した。ゲーム機に吸い込まれていくディスクを見ながら、やはり今日は服を買いに行こうと決心した。昨晩の俺はどういうつもりだったか結局思い出せないが(まあ、ゲームを買ってるくらいだからゲーム三昧の予定だったのだろうけど)、ゲームは買い物から帰ってからでもいいだろう。

 顔を洗って、鏡にうつった自分をまじまじと見た。顔色は言われるほどは悪くないと自分では思う。佐藤は相変わらず俺の心配をしているようだが、そこまでだろうか。これほど自分の顔を見ることもないだろうというくらいじっくり時間をかけていろいろな角度から観察してみたが、結果、洗面台の電気のせいもあるのかもと思い立ち、もう少し違う色の電球に変えてみようと頭の中の買い物メモに電球を追記した。

 買い置きしてあった菓子パンを淹れたてのコーヒーで流し込み、適当に見繕った服を着て、部屋を出た。外はほどよい気温で、少し暑いくらいだった。駅まで歩いて約七分、ちょうどいい散歩にもなる。

 ふと、今日もまた夢の境目、水面に行ってしまうのではないかと思う。今も本当は夢の中なのかもしれないと不安になり、周囲を見渡した。道には人が歩き、車が走り、風も吹いて生き生きとしている。ああ、これは大丈夫だなと胸をなでおろした。夢の中なら、自分ひとりで、いたとしても夢の中の人たちだけで、世界はもっと静けさに包まれている。

 駅も目前というところで、パンツのポケットに入れていたスマートフォンが震えた。歩きながら、画面を確認する。新着メッセージが一件。なんだろうか。


『お隣のおじさんが昨日亡くなったんだけど、お兄ちゃん帰ってこれる?』


 妹からのメッセージだった。電話でないのは俺を気遣ってのことだろうが、かなりの大事だ。すぐに妹にメッセージアプリから電話をかけた。

「…あ、俺。おじさん、どうしたんだよ」

『あ、お兄ちゃん? おじさんが亡くなったんだって。私もさっきお母さんから聞いて。夜中だったからバタバタしてて連絡できなかったんだって』

「そうか…。お前はどうするんだ?」

『私は海外出張中で戻りの飛行機がとれなくて、どうやってもお葬式にも間に合わないのよ。お母さんばたついてるから、先に連絡もらった私がお兄ちゃんに連絡してるってわけなの』

「そうか。お前、どこにいるの?」

『オーランドだよ。行けるかどうかはおいといて、とにかくお母さんに連絡してみて。よろしくね』

「わかった。ありがとう」

 要件をすますと、妹は一方的に電話を切った。とにかく俺は母に連絡しなければならないことになった。すぐに母の携帯電話番号を探し、電話をかけた。

 しばらくコール音が続き、ぷつっと切れるような音がしたかと思うと、母の声がした。

『あんた、電話してこないかと思ったわよ』

「ひどいな。それより、おじさん、どうしたの?」

『一昨日の夜、突然ですって。夜遅くにいきなり倒れて病院に連れて行ったんだけど間に合わなかったって…』

「そうか…」

 おじさんとの記憶がぼんやりと思い出される。ただのお隣さんだった俺たちにお正月にはお年玉をくれたり、夏には近所の花火大会に連れて行ってくれたり、面倒見のよい人だった。夫婦ふたり暮らしで子どもがいなかったから、きっと俺たちを自分の子どものように思ってくれていたのだろう。家を出てからも、たまに帰れば必ず挨拶に行って、いろいろな話をして楽しい時間を過ごさせてもらっていた。本当にとても優しい人だった。

「俺、これから向かおうか」

『来れるの? 今日お通夜なのよ』

「間に合う時間には着けると思う」

『時間はっきりしたら連絡ちょうだいね。』

 電話を切って、俺はすぐに家に戻り、クローゼットの奥にしまっておいた喪服一式を持って再度駅に向かった。小さい頃に両祖父母が亡くなって以来、親族含め親交がある人は誰も亡くなっていなかった。この喪服だって念のため買っただけで一度も袖を通していない。これからスーツを買いに行こうと思っていたのに、まさか喪服を持って出ることになるなんて誰が予想しただろうか。

 とにかく、早く向かおう。一番早く着く電車の乗換方法を確認し、駅の階段を駆け下りた。


 地元の駅に到着したのは夕方の五時をまわったところだった。家の玄関を開けると、すぐそこに母が立っていた。

「あら、思ったより早く着いたわね」

「着く時間メールしただろ。連絡した通りの時間に着いてるよ」

「あら、そうだった? もうすぐしたらお通夜に向かうから。運転よろしくね」

 すぐに俺は新品の喪服に着替え、家の最寄り駅の三つ先の駅から徒歩十五分という中途半端な所にある葬儀場に向けて母を乗せた車を走らせた。車中では昨日今日の話が止めどなく続いた。死因や状況は“おそらくそうであろう”という曖昧さではあったが、おじさんの奥さん(俺たちはおばさんと呼んでいる)の憔悴しきった姿の話だけはとてもはっきりしていて母が実際に体験した話であると分かった。

「じゃあ、私ここで待ってるから」

 葬儀場の正面に車を止め、母を先に降ろし、すぐそばの駐車場に向かった。空いている所を見つけたので、そこに車をバックで入ようとしたときだった。

「……?」

 バックミラーにうつったパーキングブロックの上に何か置いてあるのが見える。一旦車を止め、サイドブレーキを引いてから外に出た。もし車に傷でもつけたら何を言われるか分かったものではない。

「なんだ、これ?」

 両方のパーキングブロックにひとつずつ、ハンドボールサイズくらいの丸い毛玉が置かれていた。子どもの参列者の持ち物なのか、おもちゃのようだ。どちらにしても駐車には邪魔なのでどかそうとその毛玉を上から持った途端、毛玉はぶるぶると小刻みに震えだした。驚いて手を離すと、毛玉はぽとりとコンクリートの地面に落ち、じわりじわりと地面に沈んでいった。

「おい…まさかここも夢じゃないだろうな…」

 葬儀場の方を見ると、参列者の姿が見える。夢ではなさそうだ。でも、今のはなんなんだ。

「まさか、新しいパターンじゃないよな…」

 

「車停めるだけでどれだけ時間かけてるのよ、早く」とせかす母とともに斎場に入った。芳名帳に名前を書き香典を渡し、斎場の奥を見た。たくさんの花の真ん中に、おじさんの写真が飾られていた。遠くからでもいい笑顔だと分かる。参列者は多く、中には声を上げて泣いている人もいた。通夜は人間関係の集大成だと実感した。おじさんは本当にいい人だったのだ。

「あら…」

 声の方を向くと、喪主であるおばさんが驚いた顔で俺を見ていた。

「おばさん、お久しぶりです。このたびはご愁傷様です」

「お正月振りね。今日は来てくれてありがとうね。あの人も喜んでいるわ」

 母はおばさんに一礼して、「先に行ってるわね」と言って、中に入っていった。

聞いていた話よりもおばさんは元気そうだったが、疲れもあって体調がすぐれなかったため、奥で休んでいて、これから席に戻るところだったらしい。俺だからなのか、少し距離のある人に話したかったのか、おばさんはぽつりぽつりと話し始めた。

「あの人ね、何か月か前から少し体調がよくなかったの。病院も行ったけれど、どこが悪いとかもなくて。だから、『歳なんじゃない?』なんて言って流していたの。そうしたらいきなりこうなっちゃって。本当に驚いているの。でもね、薄々おかしいなとは思っていたのよ。実は私たち、寝室は別でね。別に仲が悪いとかじゃないのよ。お互いの時間を大切にできるようにってもう何年も前からそうしていたの。ふたりともそこそこ元気だったし、こんなことになるなんて全然思っていなかったから」

 おばさんは近くにあった椅子に腰かけた。俺も合わせておばさんの隣の椅子に座った。そのまま、おばさんの話は続いた。

「でもね、半年くらい前から、夜中にあの人が起きてる気配はずっと感じていたの。動いたりしてないのよ、でもね、起きてるなって思っていたの。『昨日は眠れなかったの?』ってきいても『眠れたよ』って答えるから、私、そうなんだって思って気にしないようにしていたの。もしかしたら体調が悪くて眠れなかったのかもしれないわね…」

 おばさんの話を聞いていくにつれ、俺の心臓はどんどんと早く体中に血液を送り始めた。

「おじさんは…その…不眠症ではなかったの?」

「そういう病院には行かなかったから気付けなかったのかもしれない。でも、健康に人一倍気を使っていた人だったから、自覚があるなら相談してくれていたはずだわ」

 じわりとおばさんの目に涙がにじむ。バッグの中のハンカチを探すおばさんの、葬儀の準備の忙しさでようやく乾いただろう両目からぽろりと涙がこぼれた。

「私がもっと早く気が付けば……」

「そんな…おばさんのせいじゃないよ」

 肩を震わせるおばさんの膝に手を置いた。おばさんがその手に自分の手を重ねた。小刻みに震えている。

「ごめんなさいね、急に泣いちゃって。喪主なのにサボってちゃだめね」

「サボるだなんて。席、戻れるの?」

「大丈夫よ。ありがとうね」

 気丈に振る舞う姿は、そうしなければならないことを分かって見ていてもつらい。俺より頭ひとつ小さいおばさんは、俺の太ももをパンと叩いてにっこり笑い、席に戻っていった。

「……」

 俺は座ったまま、両足の間の床を見つめた。正月に会った時には健康そのものだったし、何かあれば周りを巻き込んで自ら解決する行動力のある、生きることに対して非常に前向きな人だったことはよく知っている。今回の死因は、見つからなかった病気か、“それ以外”だ。

 おじさんが眠れなかったという話がどんどんと頭の中を占領していく。駐車場にあった茶色の毛玉のことを思い出した。暗くてよく見えなかったが、あれはもしかしたら鈴目じゃないのか。

「…だとしたら…」

 どんなに健康な人でも突然死することは絶対にないことではない。死は突然訪れるものだ。今回がそうだ。なのに、なんでも自分の考えだけで決め込んではいけないと分かっているのに、頭の中はどうしてもそちらの方に向かっていってしまう。

そうだ、俺はまだおじさんに会っていない。あわてて立ち上がり、俺はようやく式場の中に入った。


 通夜から帰り、その日は久しぶりに実家に泊まることになった。軽く夕食を食べ、風呂に入り、一セットだけ置いてある俺用パジャマを着て、敷いてもらった客用布団に潜り込んだ。

 目を閉じ、深呼吸を続けた。こうすると眠りやすいときいたことがあり、最近試している。疲れもあったのか、ゆっくりとではあるが眠気がやってきた。ぼんやりと朝から今までの出来事を思い出しながら吸い込まれるように眠りについた。

「…~い、お~い、一条~」

 しばらくして、遠くから聞いたことがある声が俺を呼んでいる。薄く目を開くと、そこには宇サギの顔があった。

「うっわ!」

「なにそれ! そんなに驚くことないじゃん!!」

「いきなり目の前にいたら驚くよ!」

「あれ…一条のパジャマ、微妙にダサいね」

「うるさい!」

 宇サギは俺の左隣に寝転んで頬杖をついてうれしそうにけらけら笑った。いつも通りのかわいくて元気な宇サギだ。安心した。

「夜分にごめんなさいねえ。ほら、私たちって主に夜の仕事だから、どうしてもこういう時間になっちゃうのよねえ」

 宇サギとは逆の方からまた聞いたことのある声が聞こえた。頭だけ右に向けると、そこには磨き上げられたシャープな黒い革靴が見えた。

「…四佳か…」

 目だけで上を見ると、四佳が俺を見下ろしていた。

「恋人かってくらい会ってるわね、私たち」

「恋人ってこういうカンジじゃないと思う」

「あらやだ。冷たいのね」

 今回の場所はまさかの実家の客間だ。彼らが俺に何か仕掛けてくることはないが、何にせよあまりにも無防備だ。

「私たちは毎度おなじみ鈴目の駆除に来たわけなんだけど…ここにはいないみたいね」

「いないのに来たのか?」

 横たわったままの俺、俺の横で頬杖をついて足をバタバタさせている宇サギ、見た目はホストの四佳の三人が八畳の和室の真ん中にいる状況は、はたから見たら何事かと思うだろう。

「さっきまでいたんだよ~。四佳と追ってきたら、ふわっといなくなっちゃったの」

「そうなの。いなくなっちゃったのよね~」

「ね~」

 ふたりの女子に囲まれて、俺ははあとため息をついた。

「いなくてよかったじゃないか」

「いいにはいいけど、いないって事実が困るのよねえ」

「どうして?」

「本当にいないのかを確認しないと。いた事実といない事実がはっきりすれば問題ないんだけど」

「それはそうだな」

 横になったまま話すのもなんなので、起き上がって座った。宇サギもそれにならって俺の横にちょこんと座った。四佳も布団の横にしゃがみこんで、俺の顔をのぞきこんだ。

「そうだわ。一条、あんた見てないの? あんたの世界なんだから」

「見てないよ。さっき目を開けて最初に見たのは宇サギだぞ」

「あら、ラッキーじゃない」

 四佳のこういう返しは嫌いじゃない。余裕のある大人だと思う。

「なあ、今更こんなこと聞くのもなんなんだけどさ、眠りってどうやって奪ってるんだ?」

 四佳と宇サギがきょとんとした顔をした。俺は何かおかしな質問をしてしまっただろうか。

「あら、季倫たらちゃんと説明してなかったのね。簡単に説明すると、眠りはおもちゃだったり、本だったり、眠っている本人の印象に残っているものに形を変えているの。眠っている間、どの階層にいても、その物を察知して奪いにいく力を持ってるのが鈴目たち。形を変えた物を鈴目が持っていくのよ。で、一番手っ取り早いのが、夢の中にいる本人ね。本人は眠りそのもの。本人が奪われれば、夢を見ることができなくなる。それは、眠れなくなるってことよ」

 意外としっかり簡潔に説明してくれた。ここに来て、現実の世界の概念で考えたり意見したりすることはお門違いだと分かっていたから、このての説明では受け入れることを優先していた俺としては非常に助かった。

「ありがとう。これで基礎知識は全部そろった気がする」

「どういたしまして。一条はこういうことに順応できるタイプで助かるわ」

 四佳は交差した両手で肩を抱え、首を回した。彼らもいろいろ大変なのだろう。夢の世界に労働基準法などないんだろうなと思った。

「そうだわ。鈴目たち、どうしようかしらね」

 宇サギが四佳の顔を見て首を傾げた。

「ここらへん探してみる~?」

「そうね、ここにいても何もなさそうだし。一条の家の中と周りだけでも見ておきましょうか」

 四佳の言葉を合図にふたりは立ち上がった。

「なあ、俺はここにいても大丈夫なのか?」

「おかしいなって思ったら大声出しなさい。すぐに戻ってくるわ」

「わかった」

 鈴目を追いに向かうふたりの背中を見て、はたと今日のことを思い出した。

「そうだ…。さっき…葬儀場の駐車場でそれっぽいものを見た……」

 俺のつぶやきを聞いたふたりが同じタイミングで振り返った。四佳は大きく目を見開いて、俺の両肩を掴んだ。

「ちょっと、それいつ頃の話⁉」

「えっと…俺が寝る五時間は前だと思う。でも、俺は起きてた。見間違いかもしれないけど、運転してた車を停めに行った駐車場にいた。今日、隣のおじさんのお通夜だったんだ。それで葬儀場に行って…」

「一条、起きてたの~?」

「だから、さっきも言ったけど、俺が寝た自覚があるのはさっきで、それまでは本当に現実だったんだ。もう何度もこの世界を体験してれば、そのくらいわかるようになってるよ。これでも学習能力はある方なんだ」

 四佳と宇サギは目だけ合わせた。

「それ、あんたの夢じゃないわ。場所から考えると、それはきっと、その亡くなったおじ様の留夢りゅうむよ」

「留無?」

「死ぬ前に見た夢の残りよ。特に生きたかった人の意識は夢として残って、外部に影響を及ぼすことがあるの。残留思念と同じようなものよ。今の一条は現実と夢を行ったり来たりしているから、見えないものが見えるようになっているのよ。あ、霊現象とは別のことよ」

 なんだか難しい話になってきた。分かるようで分からない。さっき全部知ったようなことを言ってしまったがまだまだだったようだ。

「細かい話は季倫がお得意だから、詳しいことはあの子にきいてちょうだい。ただね」

 四佳は神妙な顔で俺の方に体を向けた。

「これだけは覚えていてちょうだい。眠りを奪われきった人は、死ぬわ」

 心臓が大きく鳴った。

「もしかすると、おじ様は眠りを奪われきったのかもしれないわね」

「そんな……!! それに死因はそんなんじゃ…」

「落ち着いてちょうだい。葬儀場ならおじ様以外の人の可能性もあるわ。ただ、眠りをすべて奪われた者の結末は“死”なのよ」

 四佳が諭すように、なだめるように言った。

「いつ誰が狙われるかなんて分からないの。少しの隙が、あいつらを呼び寄せるのよ。最初は静かに少しずつ奪って、最後は津波のようにすべてさらっていくわ」

 淡々とした説明を理解しようとするのに、何かすんなりと入ってこない。疑問ばかりが湧き出してくる。

「…何が目的なんだよ……。仮に夢を全部取った後、夢観る者がいなくなったら、ゴールド・フィッシュたちはどうするんだ。自分たちだって住む所もなにもなくなっちゃうだろう?」

 悲しいのか困っているのか、読み取りにくい表情で四佳が微笑んだ。

 突然、廊下のきしむ音がした。四佳と宇サギは俺をかばうように布団の周りに立った。

「起きてるの?」

 襖の向こうから母の声が聞こえた。

「黙って」

 四佳が緊張した声で小さくつぶやいた。俺と宇サギは息をひそめた。

「早く寝なさいよ。明日、お葬式なんだから」

 ここは水面で、俺たち以外で存在しているとしたら夢の中の生き物以外はいないはずだ。母の声がするわけがない。

 しばらくじっとしているとついに声の主が動いた。


「寝ないなら、明日はあんたの葬式にしてもいいんだからね」


 ぞっとするような低い、母ではない男の声がくぎを刺すように俺に言った。体中の毛穴が動くのを感じた。

 四佳が静かに金の銃を取り出した。宇サギはすぐに飛び掛かれるような体制をとった。これは相当ヤバい状況だとすぐに察した。しばらくお見合い状態が続いた。どちらも様子をうかがっているようだった。

「…じゃあ、私は寝るからね。早く寝なさいよ」

 相手は母の声でそう言った。その後、気配はすぐに消えた。緊張と恐怖でもう何時間も経っている気がした。口の中がカラカラになっているのが分かった。

「…私たちはこの部屋から出てあいつを追うわ。あんたはここでじっとしてなさい。斗影がもうすぐ来ると思うけど、できるなら、夜明けを目指して。今は眠ってると危ないかもだわ。まったく、鈴目どころか、あの声、空須からすじゃないのよ…」

 銀の銃も取り出した四佳は真剣な顔でまっすぐ襖の外を見ていた。

「…空須?」

「ゴールド・フィッシュの手下よ。鈴目は知能が低いけど、空須は私たちと同じように人語も解すし、ちゃんと考えて動ける。おじ様、空須に狙われたのかもね。それじゃ逃げられないわ…」

 宇サギが俺の肩に手を置いた。そして「夜明けを目指して」とつぶやいた。

「いくわよ」

 四佳の合図とともに、ふたりは襖を開けて部屋の外へ出て行った。宇サギによってきっちりと閉められた襖を見て俺は途方に暮れた。この部屋はこんなに広かっただろうか。

 不安と戦いながら、ついさっきの声の主を思い出していた。

「空須…」

 おじさんを殺したかもしれない、見たことのない夢の生き物。それよりも確実なのは、俺を狙ってきたこと。ということは、俺を殺しに来たということにもなるのではないのか。

「おいおい…マジかよ…」

 今まではなんだかんだあっても“夢であって現実ではない”という線引きで、夢で起きたことの恐怖や不安に本気で向き合ってこなかった。それは夢の出来事であって、目が覚めてしまえばこっちのもので、俺の現実世界に大きく影響を及ぼすものではなかった。が、今夜の出来事や四佳の話から推測するに、もう夢は現実になりつつあるのだ。

 呆然として見つめていた襖がすーっと開いた。心臓が大きく鳴った。

「おう、待たせたな」

 そこに立っていたのは斗影だった。まさか空須ではという心配から大きく外れ、心強い助っ人だった。

「泣きそうな顔してんじゃねえよ! 気持ち悪い」

 本当に泣きそうな顔をしていたと思う。安心でどっと汗が噴き出した。

「今の登場、本当に心臓に悪いから…」

「普通に入ってきたのにか?」

「ちょっと…今回は事情があって…」

 俺の状況説明には興味がないふうに襖を閉めると、すぐに俺の横にしゃがみこんだ。

「状況はもう四佳から聞いてる。結構な大物に狙われまくってるな」

「そうみたいだな…」

「この前はゴールド・フィッシュ直々に現れたって話じゃねえか」

 斗影はちらっと俺を見て、どっかりとあぐらをかいた。

「あ、ああ…。結局、姿は見てないけど…」

「…甘い匂いがしただろ?」

「ああ…女性ものの香水みたいな…いい匂いがした」

 夢は映画と同じだ。スクリーンの中にいるかもしれないけど、視覚と聴覚の情報がメインだ。最近は匂いも動きも体験できる映画館もあるが、それは近いものではあるけど本物ではないのだ。

「でも、夢の中にいるわけだから夢だろ? なんで匂いが…」

「ゴールド・フィッシュは特別なんだ」

 それ以上、斗影は話さなかった。俺はただ沈黙の中、四佳と宇サギの帰りを斗影と静かに待ち続けた。

「収穫ゼロよ~。あら、斗影。着いたのね」

 襖が勢いよく開いて、四佳と宇サギが入ってきた。出て行ったときと特に変わりがないところを見れば、本当に何も見つけられなかったのだろう。

「こいつの子守りに呼んだのはお前だろ!」

「あら、そうだったわね。お留守番ご苦労様~」

「戦わないのに呼ぶんじゃねえよ」

「ほら、もしかしたら空須と一対一でってこともあったから、念のため、ね」

 四佳のウインクを鬱陶しそうに手で払い、斗影は立ち上がってふたりの前に立った。

「で、どうする?」

「今日のところはもうどうしようもないわ。一条の夜明けを待つしかないわね」

 俺は三人に見えるように挙手した。

「あの…季倫にもやられたんだけど、おでこに指あてるやつ。あれやってくれたら早く目が覚めるんじゃないのか?」

 いい提案ではないかと思った。あの後は夢も見ずに目覚めていた。今日の状況にはうってつけなのではないか。

「いいとこつくわね、一条。でもね、あれは起こすためにやってるんじゃないのよ。深い眠りに落としてるのよ。でも、今回は起きた方がいいわ。現実の時間はこことあまり変わりないから今日は徹夜してもらうことになるかもね」

「徹夜…? それなら今のままの方が眠ってることになるから、俺の体的には助かるんだけど…。うっかり寝る可能性もないとは言えないし…」

 うーんとうなって、四佳は宇サギと斗影を見た。

「四佳~。私、一条とお話ししてたいよ~」

「俺は他の所に行く必要がなければここにいてもいい。もしかしたらまた出てくるかもしれないしな」

 ふたりの意見がおおむねここに居続けることをよしとするものだった。四佳はニコニコとしてパンと両手を重ねた。

「あんた好かれてるじゃない。それなら、今日は一条が目覚めるまで一緒にいましょう。一条も“話したいこと”があるだろうし」

 意味ありげな一言を付け加えて、今度は俺にウインクした。


 宇サギは俺を布団から追い出し、「お布団て初めて~」と楽しそうにそこにすっぽりと収まった。残った俺を含めた三人は、その横に輪になって座った。

「さて、一条。もう一度、葬儀場であったことを聞かせてちょうだい」

 口火を切ったのは四佳だった。

「葬儀場? さっき話したのが全部だよ。駐車場で鈴目らしきものを見かけて、車停めるのに邪魔だからどかしたくらいだよ」

「どかした?」

 ピリッとする声で斗影が話を遮った。

「そ、そうだよ。車にぶつかって傷がつくようなものだったら困るだろ。念のためどかすさ」

「一条」

 今度は四佳が俺をじっとりとした目でにらみながら話を遮った。

「あんた、それってさわったってことね?」

 あ、と声が出た。そこか。

「さわったら…だめだよね……?」

「だめね」

「だめだな」

 最初に季倫に会った時もそうだった。ふれる一歩手前で制されたが、ふれてはならないものだったからそうされたのだ。

「んもう! そういうこと、なんで早く言わないのよ!」

「だって、そんな細かい話までいくような流れじゃなかったじゃないか。手は洗ったよ」

「そういうことじゃないわよ」

 これでもかというくらいため息をつくと、今度はがばっと顔を上げ、焦っている俺の顔の前に右手の人差し指を突き出した。

「いいこと? これはまだ推測にすぎないけれど、留夢にふれるということは、その人の夢に関係することになると思うわ。要するに、おじさんの留夢にいた鈴目にさわったということは、おじさんの夢に関係したことになる」

 人差し指の指先をから目をそらせない。俺はゆっくり深呼吸をした。

「留夢にいた鈴目は役目を終えて戻るところだった。そこに一条が現れて、その鈴目にふれた。その情報は鈴目からゴールド・フィッシュへ、そしてあいつらの仲間たち全員に伝達される。あんたがさわった鈴目からおじさんについていた空須があんたのことを知ったのよ。それが今日の襖越しのご挨拶につながったってことじゃないかしら」

 なんとなく納得した。とにかく、してはならないことをしたということが分かった。

「ミラクルを起こすタイプね…。普通ならこんなことないわよ。水面にいることだって普通じゃないってのに…」

「ごめん…」

「謝ることじゃないわ。私たちだって、これが謝ることかどうか分からないんだもの。あくまで推測でしかないわ」

 お手上げのポーズをして、四佳は一旦話を区切った。斗影は四佳の話を理解したようで、大きく息を吐いた。

「とにかくあれね、もうあんたは鈴目だけじゃなく、大物に目をつけられた要注意人物であるってことだけは確実よ」

「そ、そのようで…」

「うちの姫ももうあんたのことを認識してるし、夢の世界じゃ超がつくVIPよ」

「は、はあ…」

 まさか夢でVIPになるとは思いもよらなかった。もっと豪勢な夢でVIPになりたかったものだ。

「あのさ、姫っていうのは…」

 ちょうど話に出てきたので聞いてみることにした。姫とはここにいる彼らを束ねるトップ、ずっと気にかかっていた存在だった。

「うちの姫のこと? 季倫から聞いてない?」

「あの、説明はしてもらったんだけど、実際見たことないから現実味なくって…」

「夢の世界で現実味って、いい度胸してるわね。いつか縁があれば会うことになるかもしれないけど、そうなるまでにはあんたにはきっちり眠ってもらいたいもんだわね」

 空須の一件で四佳はややご機嫌斜めになっていた。これ以上は聞けないだろうと思ったところで、布団の中の宇サギが口をはさんだ。

「姫はわがままだったりちゃんとしてたり子どもだったり大人だったりする、唯一無二の私たちの光だよ」

 姫の簡単な説明をすると、上半身だけ起こし、にっこりと俺たちに元気な笑顔を見せた。

「光…」

 つぶやいた瞬間、ゆらりと世界が動いた。

「夜明けが…近いみたいね…」

 四佳が襖の方を向いた。宇サギと斗影も襖の方に体を動かした。

「気を付けるのよ、一条。あんたはこの世界を救う唯一の手掛かりかもしれないんだからね」

 ふわりと体から力が抜けていく。目の中に差し込んできた蛍光灯のまぶしい白い光とその中で揺れる三人の影が最後に見えた。


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