参 妖精卿
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異界門の扉をくぐり抜けると、そこには一面が若草色の植物の草原が広がっていた。
踏みしめる土は柔らかく、何処からか漂ってくる爽やかな緑の匂いがここは異界門の中だと強く感じさせた。
エリザベートも息を軽やかに吸い込み、ホぅと一息吐き出した。
「さ、ヒイロちゃん。今回は花畑を抜けた先にある区画に目的があるの。まずはそこを目指してもいいかしら?」
「構いませんよ。妖精自体無縁の魔物だと思っていたので会えることがワクワクしますね」
「フフフ、ここで妖精達と戯れてみてね。早速行きましょうか」
見渡す限りでは、草原の他には今のところ妖精は見えない。
少し警戒しながらしばらく草原を進んでいると、ふと背中に視線を感じた。
振り返っても誰もいない。
視線の感覚も既にもう無くなっていた。
ヒイロの感覚は間違えない。しかし、視線はなく誰もいない。
首を傾げるも、姿が見えないだけでこれが妖精のイタズラとなのか?と、気持ちを切り替えて進むヒイロだった。
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今回挑むに当たり、事前の予備知識を頭に叩き込んできた。
今回は既に挑戦者と神殿側でのある程度は調査済みである。楽ちんだ。
まずは今回の妖精郷はどんどん階層を進む型のタイプの異界門とは違い、広範囲のフィールド型である。
とても広大で何も考えずに進んでいけば、高確率で迷子になる可能性が高い。
基本的には【帰還門】を使えばある程度の状況でもどこでも帰ってこられるが、このアイテムも迷子になっただけ使うには勿体ない高価な代物だった。それこそ上位の探索者じゃない限りはね。
こうして歩き続け、草原を抜けた先である花畑区画へと着いた。
この地には足元に青、赤、黄と咲き乱れた非常に景観の良い区画だ。
道らしい道もないので、小さな花々を踏みつけてちくのも心苦しい。
「妖精郷はね、常に美しい空間に満ちているわ。私が魅了されるのもわかってくれるかしら?」
「はい」
「フフフ、この感動をヒイロちゃんと分かち合えて良かったわ」
この花畑を鑑賞していると、少し遠目に妖精らしき姿が見えた。
事前調査で判明したこの区画の蜂の羽を持つ妖精は、黒と黃のボーダー色の軽装鎧に身を包みホバリングしながらお喋りを楽しんでいる。腰には身体の大きさに合わせた剣や槍を帯剣していて、お尻部分には突き出たスカートと針のアクセサリーは確かに蜂に似ている。
初めて出会った妖精の顔や存在はとても愛らしく、あっ……これはファンになるわーと他人事のように思えてしまう小さく愛くるしい外見だった。
花畑にいた蜂羽の妖精達は直ぐにこちらを見かけるとお喋りをやめ、邪悪な笑みを綻ばせた表情となる。
瞬く間に編隊を組んで襲いかかってきた。
蜂羽妖精達の素早い動きに脚をとめ、泰然と対応したのはエリザベートさん。
「さあ、華麗に遊びましょう、妖精ちゃん達?」
迎え撃つ構えだけど背中の大盾は構えずに、飛び込んできた蜂羽妖精を、確実に虫を刺すかのように合わせて一撃で切り裂く。
群がってくる蜂羽妖精をコンパクトな最小限な動きで突き殺していき、熟練の技でレイピア捌きは
優雅で舞を踊っているような不思議な雰囲気だった。
妖精専門で活躍するためにレイピアを習い、何千何万と修練を納めた熟練の技だった。
ヒイロは目の前で繰り返される技の冴えを間近で感じ取り、天夜叉よりも刺突剣であるヘルガイアを使って真似したほうがいいかしら?などと考える。
あと、見敵必殺中妖精の両者はお互いに殺意マシマシで、戦い方は大いに御手本になりました。
エリザベートを抜いて、後方のヒイロの方にも次々と迫る蜂羽妖精。
ヒイロも泰然として構え、エリザベートの技の模倣を思い浮かべ、手加減しながら剣を振ってみた。
しかし、ヒラリと回避される。
目算もずれていた。
どうも自分よりも小さな相手と戦ってこなかった弊害だなと自身に活を入れ、戦闘中に調整していく。
エリザベートさんは常に最適に最小限の動きで技を繰り出している。
妖精との戦闘経験値を積むためにも、まずは回避に徹し、蜂羽妖精の把握に努めよう。
集中すると蜂羽妖精の動きが鈍く感じられる。
どうやらギフト〈蟲の天敵〉の異能が働いているようだけど、いつもの純虫・蟲系統の補正よりは若干弱いようだ。
それでも、補正が聞いてくれて助かる。これからは虫との混合体でも大丈夫そうだと少しばかり安心も覚えた。
しかし、いつぞやの蛭ような異界門の主〈大蛭蟲〉ではこんなことはなかったし……あれは純粋な虫系統だった?
まあいいや、考察はあとあと!
肉体成長を果たしているヒイロにとって、妖精種は見きれぬ動きや攻撃をしてくる訳ではなかった。
蜂羽の妖精の個体程度では元々のそこまで強さはないらしく、集団が厄介だということ。
イメージ大切、大事。
実戦を繰り返すことで脅威は感じず、作業のように淡々と天夜叉を振るう。その際は天夜叉の異能はしようしない。
自力での感覚を養うために空気の振動、羽音、機動、殺意の感触から伝えられる感覚に従い、一つ一つ丁寧に対処していくといつの間にかヒイロの周りに集った蜂羽妖精は全てドロップの光と化していた。
エリザベートの方も片付けて合流する。
「青級でも大丈夫だとイッサー様から伺ったけれども、実際にここまでとは思わなかったわヒイロちゃん」
ある程度の周囲の蜂羽妖精を駆逐し終えると、にこやかな笑顔でエリザベートさんが褒めてくれた。
周りは戦闘で踏み荒らした花畑と、蜂羽妖精を惨殺しまくったが血だけではなく、死体も積み上がっておらず全てドロップ化した。
ドロップした素材【蜂羽妖精の軽羽】や【妖花粉】などノーマルドロップ級の素材をせめてかき集めながら返答する。
「いえ、私自身は強力な装備に身を慎んでますし、経験の無さが露呈した戦いでした」
「フフ、謙虚ね。確かに最初は戦いにくそうだったけど」
「自分よりも小さい相手と戦えたので良い経験になりました。しかしエリザベートさんこそ、熟練者ですよね。思わず技に見惚れてしまいました」
「嬉しいこと言ってくれちゃって……どうも有難う。そのお礼に異界門の主までは私が張りきっちゃうからね。期待してて!」
「はい」
そう、ヒイロの呪いはもう1つ、〈若返りの呪い〉だ。
殺せば頃すほど自身が呪いで若返ってしまうため、殺しすぎると良くない状況に陥ることになる。
イッサーはエリザベートにそれとなく〈禁じられた内扉〉については示したが、この〈若返りの呪い〉については説明せずに、スキルの関係でなるべく主までの戦闘は避けて貰えるようにと頼んでいる。
そんなこんなで時に戦い、時にやり過ごし花畑を無事抜けたヒイロ達は新たな区画に入った。
それまであった花畑から、今度は夜の静けさを伴う暗闇が支配している岩窟区画だった。
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夜という暗闇に対して足元は泥と混ざって湿っていて動きにくいけど、〈灯り〉と呼ばれるカンテラ型のアイテムで周囲を照らして進む。
〈灯り〉はこれまで使った事はなかったけど、そこまで明るくないものの照らした方向の視界は充分確保出来る。
「ヒイロちゃん暗いのは大丈夫かしら?」
「うーん、始めての経験ですけど今の所平気みたいです」
「そう、良かったわ」
大きなエリザベートの手で小さなカンテラを持っていると、ギャップで何だか可笑しくなる。
「フフ、余裕は大事よ。暗闇って続くと人の心は不安で脆くなったりするけど、逆に全部包み込んで癒やしてくれることもあるわ」
「私1人じゃなくて今はベテランのエリザベートさんが付いてますからね。安心ですよ」
「あら、なら安心してていわよ。ご期待に添えるように張り切っちゃうから」
「……でも、こんなに暗い所で長時間はいたくないですね」
「それはそうよね。それじゃあ少しペースアップするわね。私に身を任せて付いてきてね」
先程より大きな身体でなるべく音を立てないように歩いているエリザベートさんに合わせて、私も気を付けて歩いていく。
何処まで歩いただろう。カンテラの灯る薄暗闇の中では時間の経過が分かり難い。
何度か周りを見渡しながらエリザベートさんは進み、ある時に立ち止まった。
しーっと唇に指を当てながら、遥か前方を指さした。
良く目を凝らすとそこにははっきりと見えない蠢く何かの存在が感じられる。
素早くエリザベートさんの手から何かを放たれた。
そうしてエリザベートさんはカンテラの灯りを最小限に抑え、素早く行動する。
慌ててその灯りを追って、追いかけた。
今回始めての暗闇の行動でも、ここに来るまでにヒイロは適応してきていたので少し感覚の把握に手間取るが問題なく付いて行けている。
エリザベートさんはそんなヒイロの行動力と適応力に驚きつつ、大丈夫なのね〜と、少し行動速度を上げた。
いやいや、こんな暗闇で速度を上げないで。
と、内心アワワになりながら、着いていく。
「わかりました」
「ごめんなさいね、後で訳は話すわ。さっこっちから行きましょう」
エリザベートも予め判明しているマップはここへ来る前から叩き込んできている。
後で教えて貰ったのだが、エリザベートさんには【方向感覚適性】スキルが備わっているそうで、どんな状況でも方角が何となくわかる。
最低限の灯りで視野を確保しつつ、冷静に行動することで最適な行動をすることが癖なのよと、教えて貰った。
こうして私達は速やかにかつ静かに区画を抜けた。
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あそこに集結していたのは暗闇の妖精達。
顔なしと呼ばれるほど凹凸がない黒一色で全身を覆い、闇に紛れて襲撃してくる厄介な小柄な妖精種。
微かな羽ばたき音と違和感に気が付かないと、襲撃を躱しきることは出来ないし、暗闇の妖精に触れられたり攻撃を受けたりすると、人の視界に干渉して一時的に盲目の状態となるそうだ。
これには専用の治療アイテムやポーション剤も必要なため、暗闇に潜む不気味な姿と相まって不人気な妖精種の一種なのであった。
先程はその暗闇の妖精を感じたエリザベートさんが粘性玉を投げつけ、相手が動けなくなった間にさっさと通り抜けてきたってこと。
途中何かを踏み潰した感触は恐らく虫等でなく、暗闇の妖精だったのかも知れない……。
この粘性玉と呼ばれるアイテムは、付着と同時少しに広がり、次第に粘性が固まる。
このアイテムはその名の通り、鉄の強度並みに固まり、重量も加わる。
グレードと金額さえ上げれば上位互換の玉も存在していて、もっと硬質になったり固まる速度が上がったりする。
使用目的としては関節に当てて拘束したり、動きを封じ込めたりする。
使い捨てにしては値がはるアイテムで、付着した粘性玉を剥がさないと魔物の剥ぎ取りも行えないため、余り挑戦者の間では普及していない。
それでも命を護るために挑戦者でも黄級くらいから、念の為の装備として1つ2つ持ち歩く程度だ。
今回はエリザベートさんが予め妖精種相手に使うアイテムとして多く持ち込んでいたので、事なきを得た。
妖精のような小型魔物には当てることも難しく、また空中などでは難易度は跳ね上がる。
エリザベートはこれまでの経験から目を瞑ってでも容姿や姿、行動や様子を推測と予測で思い浮かべれるほど妖精種に通じていたため、特攻スキルを通じ暗闇の状態でも対処可能だった。
スキルを持っているだけでは補正に頼るしかないが、それに膨大な経験が加算する事によってスキル以上の効果を上げていることは、同じ特攻系統を持つ今のヒイロ(ヒイロの場合はギフトであり極限)よりも使いこなしていると言えるかも知れない。
これまで余り無かった誰かと異界門へ入り、学ぶ感触を味わいながらヒイロは強く感じていた。
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異界門の主まであと、もう少しである。
10年も以前、主戦で敗走したこともあるエリザベートは不安と緊張が胸によぎった。
あの時は悪臭の漂う腐肉死体、ゾンビ種達とその主。
当時パーティーメンバーの1人が患った【腐肉の呪い】を解呪するためにどうしてもその主のドロップ品が必要だった。
合同パーティーにて討伐戦に向かい善戦したものの、当時1つのミスで崩れた戦線が維持できず、撤退したのだった。
撤退した合同パーティーの誰も死ななかったが、【腐肉の呪い】を患ったメンバーだけが残り、「俺は残った時間を腐りながら死にたくねぇ、あばよお前ら」と残り壮絶な最期を遂げた。
彼は腕のよい挑戦者だった。
その後パーティーは解散し、エリザベートの心には無念さと、当時のゾンビ種に対してグロさや不安感が増した。
【腐肉の呪い】は高額だが金で解呪できる代物だった。
ただ、当時滅多に出ない異界門の主のスキルカードを手に入れるため殆どパーティー資金を使い果たしていた。
個人で受けるには少々……いや、かなり勇気がいる金額だった。
そのため、そのスキルカードでスキルを宿した彼は、自らの【腐肉の呪い】に対してかなり責任を感じていた。
僅かに腐っていく身体。腐臭が気になり始め、やきもきしている間にやっとその呪いを打ち消すドロップがある異界門が出現した。
だからこそ、その呪いを打ち消すために早い段階で異界門の主討伐に挑戦した経緯があった。
そんな無念さがいつまでも心を縛っている。
その当時の記憶がフラッシュバックすることで、別の異界門の前に立つことすら怖じ気がつくほど参っていた。
もう異界門には入れないかも知れないと覚悟し、引退を決意した所で、最後は怖じ気を押し隠し、何とか入れた異界門こそが偶然にも妖精卿だった。その美しい景観と愛らしい妖精に呆けて、初回に1度死にかけたのは良い思い出になった。
妖精の出現する異界門だけは何故か忌避感や怖じ気がわかなかったので、妖精専門を狩る挑戦者として復活を遂げることが出来た。
元々引退を考えていたので、武具以外の資材を売り払っていた。都市においてそれなりに稼いでいた事もありかなりの資産額が手元に舞い込む。
大きな身体に見合わず手先が非常に器用だったので、引退後はこじんまりとしていたが、妖精をイメージした可愛い住居兼お店を作っていた。
そして復帰するために解散したメンバーを訪ね、現在の武具をなるべく高く買い取りした。
妖精と戯れながらアクセサリーを作り続けた。
売れ行きは閑古鳥だったが、貯金を崩しながら経営を続けた。
次第にセンスの良いアクセサリーに惹かれた者達が口コミもあって買い始めると、売上だけで何とか生活が出来るようになった。
成功を喜ぶ胸中には、一抹の空虚な思いがのしかかる。
ただ、どうして、あの時、私たちは負けてはいけない討伐戦で主に負けてしまったのだろう。
準備もし、合同パーティーのメンバーも腕の立つ者ばかりだった。
そんな堂々巡りな思いが胸を晴れなかった。
お気に入りのお茶屋でお茶のみ友達となった受付嬢のエレナに話した所、ヒイロと出会い、半年を得てこういった流れになったのだった。
私が敗れる時は、ヒイロちゃんの死が確定してしまう。
何せヒイロちゃんは呪いのせいで逃げることが叶わない。
こんな時にもまた【呪い】のワードが私を縛る。
それを身に宿し、今度こそは……と奮い立たせるのだった。




