ニーズホック商会
朝早く北神殿のとある一画にて慌ただしく走る小太りな男がいた。
豪奢な門の前で立ち止まり、息を整えてから扉を2回ノックする。
「メイア様、至急お知らせしたい報告があって参りました。
お部屋に入れて頂いても宜しいでしょうか?」
ギィ……と扉が開くと、そこには大きな胸をした若いメイドの女性が出迎えてくれた。
頭を下げ、中に入ると部屋の主がいた。
メイアと呼ばれた少女は、茶髪に碧眼で顔立ちは人形のように美しかった。
昔から美しい少女であったが、15歳を迎える年になると誰が見ても羨む美少女になっていた。
そんな美少女が不機嫌そうに顎をしゃくると、喋っても良いと判断した男が報告を開始した。
最初は不機嫌そうだった表情も、小太り男の報告を聞く内に笑顔へと変わった。
小声で男に指示を出すと退室させ、メイドに出掛ける支度の準備をさせた。
興奮冷めやらぬようで満面の笑みだった。
「お嬢様、どちらにお向かいで?」
「シャリア、聞いて頂戴。
あのデューク・ムラサメが【天夜叉】を手放したそうよ」
「まぁ」
と口に手をあてて驚きを示したシャリアと呼ばれた女性の方が、主人より礼儀をわきまえていた。
そして押さえた腕で胸が零れ落ちる。
「相変わらず完璧な淑女の仕草ね……ニクタラシイ」
「あらお嬢様?何か言われましたか?」
「フン……何でも無いわよ。
それよりこれでお姉様の悲願を叶えて上げられるわ」
彼女が言うお姉様とは、北神殿の神殿長だった。
お世話になる事になった1年前に見た時からその姿に密かなファンとなった。
女性でありながら史上最年少で北の神殿長を勤め、背が高く麗しく凛々しい容貌は次第にメイアの憧れの人になった。
それ以来、お姉様と慕うようになったのだ。
彼女が天夜叉を欲しがっている事は知っていた。
何としても手に入れ、プレゼントする。
そう言ったファン心理が心を支配し、わがままに育ってきたメイアには自分に不可能はないと信じきっていた。
シャリアに着替えを手伝って貰いながら、今から向かう場所を思い、ほくそ笑みを浮かべた。
「お嬢様、そう言う所作がいけないのでありますよ……」
呆れた表情をした事にメイアは見てもいなかった。
これはヒイロが【天夜叉】を買ってからの話である。
▼
ヒイロはニーズホック商会の会長と紅茶を楽しんでいた。
何故か店に入ったらここに案内され、中で待っていた人物はニーズホック商会を一手に取り仕切る会長だった。
会長も元は挑戦者で、ニーズホック商会を後継者は黄級まで上げる事が条件の1つに上げられているらしい。
現在、孫娘が1人挑戦者となって会長を手助けをしているそうだ。
一層実力を上げる為に1年前から北神殿へ預けると、最近は赤級に上がったそうだ。
人の良さそうな穏やかな笑顔と物腰に、ヒイロは愛想笑いでおっかなびっくり対応する。
「いやいや、急にお招きして申し訳ありませんでしな。東神殿長が注目している期待の新人とお聞きしていたので、是非お近づきになりたかったのですよ。
まさかこれ程美しい女性だとは思いませんでしたぞ」
「いえ、私なんかが……おこがましい」
「おお、謙虚なのは美徳な事です。儂も見習わないと行けませんな」
何時まで続く?これでは気軽にウィンドウショッピングが楽しめない。
その間に事態は動き始めていた。
▼
メイアはシャリアを連れてニーズホック商会に来ていた。
【天夜叉】が売られ、新しい人物が持ち主となった。
以前の持ち主であったデューク・ムラサメは、相場の倍額を提示しても売らなかった代物だが、今回新しい持ち主は売ってくれるかも知れないからだ。
しかもその女性はこの神殿都市に来たばかりらしく、青級の新人だ。
珍しい緋色の髪をした人物で、何故デュークが彼女に【天夜叉】を売ったのか情報が少なすぎて、小太り男の情報だけでは判断がつかなかった。
ニーズホック商会の孫娘のメイアは祖父である会る長に頼み込んで、その女性から【天夜叉】を買い取って貰えるように頼みに来たのだった。
「お祖父様なら直ぐに許可を出してくれるわ」
「お嬢様の仰せのままに」
以前の大金貨80枚というとんでもない金額も、メイアには何の痛痒のない金額だと思っていた。
もし金貨8000枚もあれば、下手をすれば小国がそのまま買える程の金額だ。
勿論ニーズホック商会ならば出せない金額ではないが、余りに子供がおねだりするには高すぎる。
手に入らない物はない環境と、お嬢様として大切に育てられてきたメイアの金銭感覚は麻痺している。
シャリアはそう感じていた。
早く交渉に行きたい、誰にも先を譲らせないとメイアは焦っていたが、会長はどうやら来客中で、それが終わらなければ案内出来ないそうだ。
「もう、急いでいるのに何でこんな時に客なんて来るのよ」
「お嬢様、声が大きいですわ」
シャリアがやんわり嗜めていると、暫くして1人の女性が向こうから歩いてきた。
あちらには会長の部屋しかない。
この女性が会長の来客で間違いなさそうだ。
緋色の髪のとても美しい女性。
どこか冷たい表情をしていて、とてもミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
シャリアは廊下を譲ろうと思った所で、はと気が付いた。
緋色の髪の女性とはもしや……しかし、何故会長のお部屋から出てこられた?
疑問は沸いたが、直ぐにメイアに耳打ちすると、メイアは顔を喜悦で歪めた。
「そこの貴女……いえヒイロ、ちょっと待ちなさい」
その言葉にヒイロは立ち止まる。
命令に慣れた人間特有の雰囲気を出している。
ヒイロは人形のように綺麗な少女だと思った。
「何か?」
シャリアが主の代わりに話そうとする前に、メイアはもう話し出してしまった。
「私の名前は、メイア・ニーズホック。この大商会の会長の孫娘よ。
早速だけど用件を伝えるわ。
腰に付けているその剣。それは貴女のような青級が持っていても仕方ない剣なのよ。
解ったのなら、私に譲りなさい」
傲慢な発言と共にポンッと袋を投げわたされた。
「そこに金貨80枚が入ってますわ。
青級なんぞに【天夜叉】を買えるはずがない。
どうせデュークに色目を使って無料で手にいれたのでしょう?
無料のモノに金貨80枚も出して上げる優しい私の温情に感謝して、早く置いていきなさい」
いきなりの事で面食らっていたヒイロだったが、これを丁重に断った。
「貴女、断った事を後悔しますわよ」
その言葉を背中で聞きながら、振り返らずに歩いていく。
(話が出来ない人間っているのね)
結局ヒイロはニーズホック商会で何も買わず、商品を見る事も無かった。
もう2度とこの商会は利用しないだろうと思った。
こうして最悪な出会いは終わった。
▼
ニーズホック商会の名の前進は、初代会長が有名な挑戦者だった頃に魔物討伐専門の傭兵団を作り上げた事が始まりだ。
ある時<古代樹の守護蛇>ニーズホック・ナーガと呼ばれる30mはある巨大蛇を倒し、その素材と青い宝箱を売り払って商会を立ち上げた経緯を持つ。
素材の等級はA級だったが、極めて巨大な魔物でありニーズホック・ナーガはA級の中でも上位の魔物と神殿に認定された。
その主に勝った初代は、大勢の挑戦者から大いに尊敬を受けた。
そして、名の由来とった主に敬意を込めて、自らの名もニーズホックと改めた。
初代会長の最後の言葉に、子孫は挑戦者となり、その心と実力を知る者しか継ぐ事は許さぬ……と、遺言書を残して新たな異界門へ旅立ち、そのまま帰ってこなかった。
以来、子孫はその言い付けを守り、これまで栄えてきたのだった。
現会長もいずれ同じニーズホック・ナーガを倒したい……もしくは初代が売って興したとされる商会由来の素材を、いつしか手元に置きたいと考えていた。
会長とヒイロとの邂逅から半月後。
東神殿から新たな異界門の情報がもたらされた。
<古代樹の守護蟲>
その異界門は差違があるものの、初代ニーズホック商会を設立した異界門と同類との確認がなされた。




