3話 教室を出るときのソニアの横顔は、褒められて嬉しい子供みたいだった。
「ここが教室よ」
ミレアは教室の前につくと、立ち止まった。
しばらくしても動かないので、「あ、僕に先に入らせようとしてるんだな」と気づいた。
まるで自分でドアを開けたことのないお嬢様みたいで、ちょっとびっくりした。
ミレアって、家では甘やかされてるのかな? ひょっとして、家に執事とかいたりして。
僕は緊張していたけど、勇気を出して教室のドアを開いた。
中には女子高生がたくさんいた。三十人くらい。クラスの女子たちはみんな僕を見た。
ちょっと気まずい。一瞬なのかもしれないけど、すごく長い時間に感じる。
それにしても、クラスメイトもみんな女子っていうのは、すごい光景だ。
この学校には制服がないので、みんなそれぞれ個性的な服を着てるけど、お嬢様ぽい綺麗な格好をした子が多い。
ブルーのシャツだったり、白のワンピースだったり、黒のブラウスだったり。
Tシャツみたいなラフな格好をした子は一人もいない。みんなブランドっぽい服を着てて、お金持ちそうだ。
そういう僕も、実は高級そうなスカートと、シルクのブラウスを着ている。カバンも私立高校っぽい茶色の本革だ。
あのクレイジーな天才科学者が僕にくれたんだけど、たぶんあの人の天才っぷりだと、お金には余裕があるんだろう。
「みんな、この子は転入生のメイよ。よろしくね。またクラスに可愛い子が増えて、私の影が薄くなっちゃうけどね」
ミレアが僕を紹介してくれた。おまけに、冗談を言って「ふふふ」と笑うと、クラスのムードも一気に和やかになった。
「そんなことないですよ。ミレアより可愛い女子なんていないですから」
「ミレア、朝から冗談言うね~。そんなところも可愛いよ~!」
クラスで二番目に華やかなふんわりした子と、黒のキャミソールを着た元気な子が言った。
「もう。サラもリタも私をからかって。二人だってとても可愛いわ」
ミレアは余裕たっぷりに答える。三人は仲良しみたいだ。それに、クラスの中心っぽい。他の生徒たちより容姿も振る舞いも目立ってる。リタって子は声も大きいし、サラって子は美人だ。
ふと、ミレアは気づいたように、前の席の地味な子に声をかけた。
「ソニア。メイがもう教室に来てること、先生に報告しておいて」
「はっ、はい……」
ソニアと呼ばれた子は、黒髪の冴えない感じの子だった。スカートは地味なブラウンで、丈は長め。シャツを止めているリボンもブラウンだ。似合ってるけど、古い西洋の家庭教師みたいな、大人しい雰囲気がある。
「ソニア」
ミレアが呼び止めると、ソニアはビクッと肩を震わせて、立ち止まった。
小動物みたいに、ビクビクしながら振り返る。
なにをそんなに怯えてるんだろう?
「ありがとうね、ソニア。私はメイに色々教えてあげなくちゃいけないから、手が離せないの。ソニアが協力してくれると助かるわ。よろしくね」
「はっ、う……うん」
ソニアは驚いたような顔で、曖昧な返事をした。敬語で返事するか、ため口で言うか、迷ってたみたいだ。コミュニケーションが苦手な子なのかもしれない。
でも、教室を出るときのソニアの横顔は、褒められて嬉しい子供みたいだった。
さすがミレアだ。
きっとミレアは、目立たないソニアをクラスの輪に入れてあげるために、あえて頼みごとをしたんだ。ミレアにお礼を言われるだけで、他のクラスメイトたちからも好感度が上がる。
ちょっとプライドが高そうだけど、ミレアは本当に気配りができて、優しい子だ。
「メイ。さっそくだけど、クラスのみんなに自己紹介をしましょう。もうすぐホームルームが始まるわ」
「え、ボクは先生が来てからでもいいよ?」
「…………」
ミレアはまた一瞬、無表情になった。クラスのみんなは息を止めて、気配を消してるみたいに静かになった。
なんだろう、この感じ。
ミレアに悪気はないのかもしれないけど、この沈黙はちょっと気まずい。
「メイ。先生はきっと転入生に合わせた授業の準備をしてるから、遅くなると思うわ」
「そ、そっか。じゃあ、自己紹介します」
「みんな、メイに拍手~!」
ミレアが上品に拍手すると、クラスがワーッと盛り上がった。
やっぱりミレアはクラスのムードメーカーだ。
ボクはちょっと照れながら自己紹介する。
「ボクは桜メイです。出身は東京で、血液型はA型。乙女座です」
男子の頃の情報は言えないので、話せることが少ない。自分でもつまらない自己紹介だと思う。昨日までの僕とは別人なんだから、仕方ないよね。本当なら、僕が僕に自己紹介して欲しいくらいだよ。
でも、転入生の自己紹介なんてこんなものでしょう。ここで目立ってクラスの人気者になろうなんて思ってないし、無難に話せば十分だと思う。
「メイ、前の学校はどこだったの? ここと同じような私立高校だったのかしら?」
ミレアの質問。
『男子校に通ってました』
とは言えないので、僕は一瞬考え込んでしまう。
「前は普通の公立高校だったよ。そんな都会じゃなくて、きっと言ってもわからないと思う」
「ねーっ! メイちゃーん? そんな無名の高校からウチに転校してこれるはずないでしょ?」
黒のキャミソールのリタという子が、一番後ろから言ってきた。よく通る声だ。
「ウチの高校は入試試験ですら激ムズなのに、転入試験なんて、よっぽど天才じゃなきゃ受からないでしょ~? それこそ、ミレアみたいに学年一位取れるくらい頭良くないとねー?」
ミレアって学年一位なんだ。可愛くて頭もよくて、本当に完璧な子なんだ。
それにしても、この高校がそんな偏差値高いなんて知らなかった。言われてみればお嬢様っぽい雰囲気で、みんな頭も育ちも良さそうだ。
困った。
僕は偏差値五十くらいの平凡な男子校に通ってた。きっとこのクラスで一番成績が低い。変なウソをついても、きっといつかバレる。
「ねぇ、メイちゃーん? 本当は頭良い高校だったんじゃないの? 教えてよぉ~!」
黒ブラウスのリタが、明るい声で言う。
悪気はないのかもしれないけど、声が大きくて、責められてる気分になってくる。
まだクラスになじんでない僕にとっては、苦手な子だ。
「本当に、大した高校じゃないから。東林高校ってところだよ」
僕は近くにあった共学高校の名前を言った。
低レベルな高校だから、きっとこの子たちは知らないだろう。
もしも、「卒アル見せて!」なんて言われたら困るけど、きっと大丈夫だ。そんなことにはならないはず。
「へぇ~? 知らなーい。でも、そんな無名の高校からウチに転入してこれるなんて、よっぽど頭いいんだね~! メイちゃん、今度勉強教えてよ~っ!」
「リタ、あなただって頭いいでしょう? いつも学年二位じゃないの」
「だってぇ~! いいじゃん。一度もミレアに勝てないんだもーん」
え、このリタって子、頭良いの? 学年二位って、天才じゃん。
話し方はギャルみたいだし、服はお水のお姉さんっぽいし、とてもそうは見えない。
隣にいるサラって子の方が、お嬢様っぽくて、ずっと頭良さそうなのに。
「ふふっ、私もメイに興味が沸いてきた。もう少し自己紹介して欲しいわね。でも、もう時間がないかしら?」
ミレアが時計を見た。僕が自己紹介を始めてから、十分以上経ってる。とっくに先生が来てもおかしくないのに。
僕はもう限界だ。これ以上自己紹介を続けてたら、どんどんボロが出ると思う。それに、隠し事をしてるので、クラスのみんなからの印象はあまり良くないはず。きっと僕のクラスでの第一印象は、四十点くらいかな。
「いいことを思いついたわ」
ミレアが言った。
「今日の五時限目の学級活動で、メイの自己紹介の続きをしましょう。先生に言えば時間を貰えるわ」
「えっ、でもボクは」
「大丈夫よ。みんなメイのことを知りたいの。ゆっくりお話ししましょう? きっとクラスのみんなと仲良くなれるわ」
「う、うん。ありがとうミレア」
こんな風に気を遣ってもらったら断れない。ミレアは本当に優しい子だ。
自己紹介はちょっと不安だけど、ミレアに気遣ってもらえてうれしい。高校生活の出だしは、僕にしてはいい感じだ。