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 気分を変えるためにホームリンクに来てはみたが、二日酔いの酒を戻した挙句に動けなくなってしまった。


 結局俺は、青白い顔でベンチに座り込み、雪菜の仕事がひと段落着くまで観客席からぼんやりと練習風景を見ていた。肩までの茶髪をひとつにまとめた雪菜は、現役時代よりも生き生きしているように見える。インストラクターになったのは、彼女にとっては正解だったのかもしれない。


「でも、奏太的には感触は悪くなかったんでしょう?」


 川越スケートセンターは平日の午後1時から5時までは一般開放の時間で、1時間挟んで夜の6時から9時までがフィギュアスケートのクラブだったり、スピードのクラブの練習時間になる。午後がまるっと暇になるわけではないが、時間に余裕が出来る。

 午後になったら少しは復活してきた。だから今こうして俺は、リンクの目の前のドトールコーヒーで練習指導がひと段落した雪菜と向かい合っている。ドトールと売り上げを競り合うかのように車道を挟んでスターバックスがあるが、俺は迷わず日本製のコーヒーチェーン店を選んだ。理由は値段と味だ。


「悪くなかった。だから、その分悔しいんだよな」

「まあ、プロの世界は厳しい、てことに完結しちゃうけど気持ちは分かるよ。私も練習見ていたし、プログラムは良かったよね」

「それ!それなんだよ!」

 思わず、身を乗り出す。危ない、コーヒーこぼすところだった。


 今回の振り付けは自信があった。契約を結ぶために披露したプログラムは、日本を代表するコレオグラファー、三上真一に作ってもらった自信作だ。相当に滑りこんで、魅せるところは見せて、楽しさを前面に強調するプログラムになっていたはずだ。

 しかし結果は落選。


「要するに自分の力不足ってことと、ヨーロッパ中を回るウィークエンドの看板は伊達じゃないってことなんだよな」

 ため息をごまかすためにコーヒーに口を付ける。スターバックスよりドトールが好きな理由はコーヒーの味だ。よりアメリカンな薄さが俺は好きだった。


 今は3月で、世界レベルの選手だったら今頃、今月末パリで開催される世界選手権に向けて調整しているところだろう。そうでなくても、ゆるやかな時間を過ごしながらも来シーズンについて少しばかり考える時期だ。川越スケートセンターも、世界ジュニアに派遣されたアイスダンスカップルが一組いたこともあり、全体的に活気づいている。


 今現在、背中の後ろにあるのが崖でありその遥か下には黒々とした海が広がっている、というスケーターが世界中に俺を含めて何人いるのだろうか。




 俺が契約を結ぼうとしていたウィークエンド・オン・アイスは、60年以上という歴史をもつ老舗のアイスショーツアーだ。戦後10年という月日を待たずに発足されたこのアイスショーは、8月から2月にかけてヨーロッパ中を周り、文字通り週末の土日に開催する。8カ月かけて訪れる場所は30箇所ほど。ショースケートツアーとしてはかなりの長さだ。


 真の意味でのアイスショーの本場はヨーロッパだ、と俺は思っている。アメリカは90年代にショースケートの春を迎えたけれど、02年のソルトレイクシティ五輪以降は冷え込むばかりでツアーも開催がキャンセルされる事が増えてきたらしい。同じ北米でもカナダは幾分かマシらしいが、それでも空席が目立つと聞く。そもそもアメリカにせよカナダにせよ、アマチュア時代に世界的な実績を持つスケーターがキャストになるパターンが多い。勿論そうじゃないパターンもあるだろうけれど、どうしても実績のある選手が優遇されているような印象が否めなかった。


 それでは日本はどうか? 昔と比べてアイスショーの数も増えたが、大体ショーに呼ばれるのは世界選手権権出場クラスのトップスケーター。フィギュア大国となった今の日本で、そんなスケーターはごろごろいる。唯一、日本ではロイヤルホテルグループが運営するプロスケートチームが存在するが、そのチームに入るのも狭き門だ。


 その点、ヨーロッパは違った。ショーに訪れる観客も一定の基準を保っている。少なくとも、空席が目立つほどガラガラ、とか、集客が見込めないからその場所での開催はキャンセル、というような北米アイスショーあるある話は、あまり聞いた事がない。また、実績を問わず広く門戸が開かれているのが魅力的だった。


 老舗のウィークエンド・オン・アイスもそうだ、過去の実績がどうであれ、ウィークエンドの看板の前ではまずは平等になるのだ。


 3年前にアマチュア選手を引退した俺はヨーロッパに渡ることを決意し、最初にドイツのショースケートツアーに参加した。半年間そのツアーに参加し、今度はウィークエンドの群舞スケーターとしてヨーロッパ中を回ることになった。


 群舞スケーターは大掛かりなショーの時に黒子として活動したり、オープニングやエンディングを飾る群舞を踊ったりするスケーターだ。ショーの最中群舞のナンバーもたくさんあるので、滑る場面はそれなりに多かったりする。ショー版のシンクロナイズドスケートと言えばいいかもしれない。


 いつかキャストとして自分のショーナンバーを滑りたい。そう思い描いて、今年の1月のショーテストに挑んだ。そのスケーターと契約するかどうかテストするショー形式の試験だ。本番と同じようにセットされたアイスリンクで、スケーターは事務局側に自分のショーナンバーを披露する。ショーに合格すれば採用され、翌シーズはンキャストとしてショーに臨める。不合格なら契約はなし。雇用契約は結ばれないということだ。


 ……それに見事に、落ちたというわけだ。


「でも、奏太はこれからどうするの?」

「決めてない」

「決めてないって……。例えば、もう一年ウィークエンドの群舞スケーターになるとか、別のアイスショーに参加するとか、いろいろあるでしょ?」


 そこで完全に日本に戻ってインストラクターになる、という道を言わなかったのが彼女らしい。元カノのこんなところに好感が持てる。


 群舞スケーターに、なれるならなりたい。あれはあれで一体感が感じられて楽しい。自分がショーを作っているのがはっきりとわかるのだ。しかし、群舞スケーターも1年ごとに契約を更新するので、指定の期間内に更新しなければ来シーズンの契約は結べない。

 そして俺の契約は切れてしまっていた。

 だから来シーズン、ウィークエンド・オン・アイスでの俺の場所はない。


「……とりあえず滑る場所が欲しいかな」


 はあっと昨日から何回ついたのだが分からないため息を吐いた。滑るところがなくなってしまった事実は、金銭的にも辛いが一番精神的に辛い。


「もう、そんなんでどうするのよ。3年前、お互いのステップアップのために一旦別れようって言ったの、どこのどいつよ」

「言わないでくれ……」

「奏太って大胆で大口叩く割に、すっごい小心者よね。よくプロになりたいって言えたもんよ。」

「だってショースケーターになるのは夢だったから……」

 なれるにはなれた。ただ、現実はそんなに甘くない。「ビジネス」という単語が重くのしかかる。


「頑張りなよ。あんたは今、その夢の中にいるのよ。……私はサポートしか出来ないけど、サポートだけならいくらでもできるからさ」


 今更ながら、3年前の自分は何故雪菜と別れたのかと疑問になる。お互いに3年前の全日本が、最後の大会だった。指導者とショーで道は違えども、同じ氷の上に存在する身。互いにスケーターとしても、そして人間としても、分かりあえる関係だったのに。


 ……自分に別れを切り出した男にこうまで優しくできる雪菜の人柄に感謝しつつ、やっぱり俺はバカなのではないかという思いがぐるぐると頭の中を駆け巡った。







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