序
氷の上に入る時、思い出されるのは俺が一方的に持っている彼との思い出だ。
俺が初めて彼と同じ大会に出た時、俺は中学3年生で、彼は23歳だった。初めてのシニアクラスでの大会で、俺は滑るだけで精一杯で、自分のがどういう演技をして、どういう失敗をしたかも全く覚えていない。
ただ鮮明な記憶は、彼に関することだった。
その時の結果は彼にとって悔しさの残るものではあったかも知れない。これは俺の憶測であり、本当のところはわからない。ただ、それを受け止める彼の顔が意外なほど晴れやかだったのを覚えている。
――あの時の彼の演技ほど、俺の心に留まっているものもない。
会心の演技、というものではなく、いくつかの小さくはないミスがあった。ただ、1つ1つの動きの中に意味が込められているように思われてならなかった。出来よりも何よりも――藤の花が香り高く花びらを散らすように、或いは季節の彩りの中で鳥が舞い踊るように、或いは一音一音がきらめきを宿しながら流れて行くように。見る人間に四季を感じさせる演技は、ただひたすらに美しいながらも力強かったのだ。
それが彼と俺が初めて、そして最後にかぶった大会だった。
憧れて、憧れて――10年以上の月日が経った今でも、彼はステージを変えて氷の上で滑り続けている。ある時は人を惑わす花の精になり、ある時はザンパノを追いかけるジェルソミーナになる。燕尾服で華麗にワルツを踊り、騎士になって氷上で剣技を見せては女性からの黄色い声を独り占めする。……かと思ったらいきなり赤ちゃんになるし、よぼよぼのおじいちゃんになる。
氷上のファンタジスタ。そんな異名を持つスケーターは04年世界選手権銀メダリスト、堤昌親。
……これは、氷の上で輝き続ける彼と、
氷の上で輝きたい願望を持つ俺の物語だ。




