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二.宿題

『本日ハ、時間無……限……プ……デス』


 ザカザカと不快な音声は最後に『ブツッ』と音を立てて遮断された。しんと静まりかえる広場。一体なにが始まるというのだろう。ドクドクドク。耳元で爆発する心音。その向こう側から微かに何か、音が聞こえてくる。


 ゴロゴロゴロ……。


 アスファルトを擦りながら転がるような、何かの音だ。

 視線だけであたりを忙しなく見渡した時、視界の隅で太陽の光が反射して光った。


「な、なんだあれ――ロボット?」

 それはドラム缶の半分ほどの、ロボットと思しき金属製の物体だった。だるまのような形をした体を、一輪の車輪が支えている。そいつらは四方八方から僕らを取り囲むようにじりじりと近づいてきていた。


「今日は運がいいぞ、ロビン」

「はぁ? 運がいいって、なに、これのどこが!」


 トビオは上体を低くして、左手で鉄パイプを前方に構えた。まるで今から狩りをする野生の動物みたいに、鋭い視線で獲物を見定めている。

 訳が分からず混乱していたら、前方から向かってきた一体のロボットの、頭部にあたる部分に備え付けられていたレンズのようなものがキュルキュルと目まぐるしく動き始めた。気味が悪い。僕は思わず「ひっ」と引きつった声をあげた。


「しゃあねーな」

 トビオは頭をかいて小さくため息をついた。この人どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう、なんて思っていたら、いきなり僕の視界はぐるんと反転した。


「うわ! な、なにすんの」

 丸めた絨毯みたいに、僕はトビオに軽々と担がれた。

「今日は背中から見学しときな、初心者さん」


 トビオの背後からも迫っていた数体のロボットが、突然目元のランプを赤く点滅させた。やがて、助走もなにもなく、ジェットエンジンでも内蔵されているみたいにそいつらは想像もしていないほどのスピードでいきなりこちらへ突進してきた。

 同時に、視界がガクンと一度大きく沈む。


 そして次の瞬間――トビオは飛んだ。


 ぐんとコンクリートの地面が遠ざかる。反発する重力。地面の上で、突進してきたロボット同士が勢いよくぶつかり合うのが見えた。そいつらは列をなしたアリが目標を見失ったみたいに、無造作に行ったり来たりを繰り返している。


 上昇はあっという間に終わり、今度は落下する浮遊感に胃がひっくり返りそうになる。放っておいたら情けない悲鳴があてどもなく喉から飛び出してしまいそうだったので、僕は必死に両手で口元を覆っていた。


 地面に着地する直前、ガツンとした衝撃が尻の向こうから伝わってきた。頭を背に担がれているので正面でなにが起こっているのか全く分からないが、おそらくトビオが鉄パイプでロボットをこてんぱんにのしているのだろうと思う。


 小気味良い打撃音と、その度に身体に伝わってくる振動。


 あっという間の出来事だった。トビオは僕をゆっくりと地面に降ろし、伸びをひとつだけした。それから、もう用済みになった鉄パイプをぽいと放り投げた。

 僕は呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。気を抜けばまた腰が抜けそうだったから、今度は踏ん張った。ゆっくりと広場を見渡す。あんなにも周りをぐるりと包囲していたロボットたちは、今や鉄屑とひしゃげた金属板、それからいくつもの太いタイヤという姿に成り果てていた。


「な、今日のは楽勝だったろ」

 トビオは振り返り、ニッと笑った。日に焼けた頬の皮膚が黒光りしている。楽勝という言葉通り、彼の息はひとつもあがっていない。


 ウウウー、と監視塔のてっぺんでまたサイレンが鳴いた。驚いたカモメが遠くの空へと逃げていく。それは随分と長い間鳴り続け、僕たちに宿題と呼ばれる謎のミッションが終わったことを告げた。



 *



 宿題をこなせば配給口から食事が得られる。だから敵を倒す。逆を言えば、この島でやることといったら宿題ぐらいしかない。

 ここ数日間で僕が知ったことのうちの一つだ。それと、宿題は毎日課されるわけではないということも知った。不定期に、しかも唐突に、サイレンの音と共にアナウンスが流れるのだ。僕は今までで二度宿題に遭遇した。


「俺たちが宿題やるのは、カモメが海上で魚を狩るのと同じだ」

 とトビオは言う。そうだとしても、きっと僕はあれには一生慣れないと思う。だって得体の知れない奴らと闘うなんて怖いから。僕は数日前の宿題のことを思い出していた。それから初めてトビオと会った時の、あの鋭いナイフのような眼光も。


「トビオは、カモメっていうより猛禽類だよ」

「もうきん……? なんだそれ」

「獰猛な爪を持つ、狩りのスペシャリストのこと」


 もうひとつ分かったことがある。それは僕が相当な物知りだってことだ。もしくは、トビオが相当な物知らず者か。どちらかだ。

 トビオの知らない言葉や知識が、僕の脳みその中には何重にも折りたたまれて仕舞い込まれているらしかった。例えば言語。僕たちがこうして言葉を交わせるのは、僕がトビオの使う言葉を思い出したからだ。初日はてんで思い出せなかったけれど、今は人間とチンパンジーみたいにジェスチャーで意思を伝え合うなんて面倒なことはしなくて済んでいる。


「トビオは日本人。だから僕たちの話してるこれは日本語。僕はトビオとは違う国の人みたい。僕の母国語は英語だからね」


 英語が母国語の国なんてごまんとある。だから僕は自分がどこの国の人間か検討がつかない。色素が薄いから、随分と北緯の高い国なんじゃないかと踏んでいる。トビオの場合は簡単だ。日本語を喋るのは日本人しかいない。

 何も知らないトビオに、僕は時折こうして頭の中から引っ張り出した知識を教えてやったりする。なのにトビオはというと、興味なさげに欠伸をしながらうんうん頷くだけ。それよりも使えそうな武器を探す方が好きみたいだ。島をだらだらと歩きながら、トビオは常に周囲を確認している。少しでも良さげな廃材があればすぐに拾いに行き、「で、なんだっけ」などととぼけた顔で訊き返してくる。


「もういいよ」

 僕はこれみよがしに肩をすくめて言う。

「そうか」と頷いてトビオはそそくさと廃材探しに戻る。僕は今度こそ本当に肩を落とす。


 きっとつくりが根本的に違うんだ。トビオは典型的な『脳筋』。逆に僕は『もやし』だから、宿題については完璧なるお荷物だろう。それ以外ならトビオに勝てる自信がある。


 だけど、この島で宿題を除けば一体他に何が残るのだろう?

 そもそも、毎日毎日与えられる謎のミッションをこなして、それでどうなるのだろう?


 潮風が僕の鼻先を掠め、通り抜けていく。見上げた先には今日も青空。少しでも目線を下げれば、棘のたくさん付いた真っ黒い線が空を二つに区切った。

 ここは、人が鳥を飼うための鳥籠のようだ。でも僕たちには翼がないから、空にかかる鉄柵はない。


 僕はトビオに目をやった。錆びた小さなバネをコキコキと伸び縮みさせ、海めがけてそれを投げ捨てていた。たった一人この島で、彼は一体どれほどの時を過ごしてきたのだろう。誰かに話しかけることもなく、楽しみもなく、ただただルーティーンをこなす日々。考えるだけでゾッとする。


 じっと見つめていたら、トビオは僕に気がついて、ニッと笑顔を返してきた。

「今日はなんもねぇや。ゴミ溜めでも漁るか」

「ええ、ヤだよ」

「お前の思ってるゴミとは違うよ、多分。行きゃ分かる」

「あ、ちょっと」


 トビオはもう一度大きく笑ってさっさと行ってしまった。足が長いわけじゃないのに、もう随分と先にいる。僕はため息をついた。上空でウミネコが鳴いている。


 最近気付いたことだが、トビオは第一印象よりもずっとよく笑う男だった。それが元々なのかそうじゃないのかなんて分からないけれど。だけどもしよく笑う理由が、ボスしかいないサル山に突如子分が現れたからだったとしたら。それがどうしようもなく嬉しいのだったとしたら。


 僕は、やっぱりトビオに優しくしてやろうと思ったのだった。

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